01話 ケイス
かつて魔王と呼ばれる存在が居た。
今から僅か二十年前の話だ。
ある日突然現れた魔王フレイシアは、多くの人々を虐殺した。
その戦力は圧倒的で、いがみ合っていた幾つもの国が争いを止め、手を結ぶことを選択したほどだ。
しかし、それでもなお魔王は止められなかった。
ある日のことである。
とある国に住む一人の若者が、同郷の友人と旅に出た。
若者は様々な国を巡り、心強い仲間を得て、旅を続けた。
そしてその果てに、魔王を討ち果たした。
若者の名は、ダレク・ユリシス。
数多の国はダレクの勇気ある行動を称え、世界を救った勇者として賛辞した。
魔王討伐後、ダレク達は当然のごとく様々な国から誘いを受けた。
しかし、それら全てを断り、故郷へと帰った。
旅の初めから苦楽を共にした友人と、旅の途中で仲間となった聖女と共に。
富も栄誉も求めぬ聖人として持て囃されたダレクは、やがて聖女と結婚し、慎ましい生活を送りはじめた。
そして、友人は学園を立ち上げ、そこで才能あふれる子供達の才を磨くことに従事し始めた。
その友人、シトラス・クラフトが設立した学園には世界各国から優秀な子供たちが集められ、互いに切磋琢磨を続けている。
そのクラフト学園の廊下で、一人の少年が仏頂面で歩いていた。
授業は終わり、もう放課後であるために、廊下にも教室にも人の気配は少ない。
少年も、この時間帯になるまで一人隠れる様にして時間を潰していたのだから当然のことだ。
少年は、別に対人恐怖症という訳でもない。
普通に話しかけられたら、普通に返事を返すだけの協調性は持っている。
しかし、彼には友達は少なかった。
胸を張って『友人』と呼べる者は、二人しか居ない。
そんな寂しい少年の名は、ケイス・ユリシスと言う。
ケイスは人の気配のない廊下を、更に人の気配の無い方向に向かって真っすぐ進む。
校舎を抜け、大きな中庭のある渡り廊下を抜け、幾つかある建物の中でも、最も怪しい建物に向かっていく。
渡り廊下を抜け、その建物の扉を開いたところで、ケイスはこっそり舌打ちした。
扉を開けた先に、集団が居た。
しかも、こちらに向かってきている。
その集団の中に、一番会いたくない相手の顔を見つけたケイスは、扉を閉めて回れ右をしようかと一瞬本気で考えた。
しかし、それは手遅れであることもすぐに分かった。
集団の中、一際も二際も目立つ少女がケイスを視認していたからだ。
少女は談笑していたのだろう、正に美少女と言わんばかりの微笑みを浮かべていたのだが、ケイスを見つけて軽く目を見張った。
そして顔を引き締める。先ほど微笑とのギャップが、途端に冷たい印象を放ち始める。
少女は硬い顔のまま、ツカツカと歩み寄って来る。
ケイスは一瞬苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに表情を取り繕い、表情を消した。
そして、集団に道の真ん中を譲る様に脇により、きわめて無関心を装って通り過ぎようとした。が、
「……兄さん」
少女の硬い声でケイスに放たれた。
ケイスは一瞬無視してやろうかとも考えたが、少女の背後の集団から冷たい視線が浴びせられるのを感じ、溜め息を呑みこんだ。
「……何だ?リエラ」
少女、リエラはケイスの妹だった。
血の繋がった実の妹。
しかし、兄妹仲はお世辞にも良いとは言い難いものがあった。
その証拠に、リエラはキッ、とケイスを睨む様に見つめた。
「聞きましたよ」
非難するような声だ。
「へぇ。何をだ?」
ケイスはおどけたように肩を竦めた。
するとリエラの視線の温度がはっきりと下がった。
「また、落ちたんですか?」
「ああ。残念ながら不合格だってよ」
落ちた、と言うことであれば今日の魔法の試験の結果だろう。
ケイス本人も先ほど知ったばかりの情報だと言うのに、この妹は何処から聞きつけたのだろうか。
「でしたら、ここで油を売っている暇は無いと思いますが?」
リエラは補習のために練習をしろと言いたいのだろう。
実に優等生的な台詞だ。
とは言っても、年下のはずのリエラは、同じ試験をとっくの昔に通過してしまっているが。
同じ両親から生まれたとはとても思えない程に、リエラはそちらの才能に溢れているのだ。
正確に言えば、逆にケイスが両親から生まれたとは思えない程に、才能が無かったのだ。
「息抜きも必要だと思うぜ?」
そう、残念ながらケイスにはその才能が無い。
父も母も得意と言うか人外レベルの神聖魔法を使うのだが、その子供のケイスには、その才能が全くなかった。
むしろ一般人の方が、その才能があることは間違いない程なのだ。
両親の血を上手く受け継いだ妹に嫉妬した時期もあったが、それも諦観を覚える頃には消え去った。
ケイスの言葉に、リエラの眉間に皺が寄せられた。
美形はどんな顔をしても美人だと、見せつけられているような気分になる。
妹は自分と違って、そちら方面でも上手に血を受け継いでいる。
ケイスは内心、我ながら卑屈なことだと、自らを嘲笑った。
正直に言えばケイスの顔も悪くは無いが、家族と比べるとどうしても劣る。
どうにも上手いこと、顔の良い両親のそれぞれ悪い部分を選りすぐったと言うべきか。
幸いにして見れぬ顔ではない、と言うレベルではあるが、それに加えて、育った環境のせいで、どこか暗い雰囲気を宿してしまっているからなのだ。
「いつも、抜いているように見えますが?」
ともかく、リエラはじっとりと不肖の兄を睨み付けて来る。
「そうかい。じゃあま、後で人目につかないところで頑張っておくぜ」
慣れた展開に、ケイスは肩を竦め、これで話は終わりだとばかりに歩き始めた。
「兄さんっ!そんな調子だから――」
「リエラさん、行きましょう」
キンキンとした怒鳴り声が聞こえて来たが、取り巻きに諌められて我を取り戻したのだろう。
「……ええ。兄さん、くれぐれも、手を抜かない様にしてくださいね」
ケイスの背中に一度視線を送りつけながら言葉を送る。
ケイスは振り向きもせず、ひらひらと腕を振った。
「分かってるよ」
「ッ」
ギリッ!と歯を食いしばる様な音と共に、カンカンと乱暴に廊下を歩き去る音が響いた。
優秀な妹君は、兄が手を抜いていると、そう思いこんでいる節があるのだ。いくら言っても聞きやしないので、気付けばこうして軽く躱すことに慣れてしまっていた。
ようやく嵐が去ったと、安堵の息を吐こうとしたケイスの背中に、再び声がかかった。
「ケイス」
「ん?」
ケイスが振り向くと、そこには妹の取り巻きの一人が立っていた。
確か名前はテット。
どこぞの貴族の息子で、実に才能に溢れている同級生だ。
「余り、リエラさんに近づかないでくれるか」
テットの放った言葉に、ケイスはおどけたように笑った。
「はっ!お兄ちゃんに、妹に近づくなってか?おいおい、お前は俺の親父か?お袋か?」
実に愉快なテットに冗談交じりに言ってやるが、テットは真面目な顔を浮かべたままだった。
「ノリの悪い奴だ」とケイスは面倒臭そうに溜め息を吐いた。
「……お前にも分かってるだろう?」
こういうセリフは言われ慣れている。
言われ慣れているが、それで傷つかないような大層な人間ではないつもりだ。
テットにしても、ケイスに気を使っているつもりもあるのだから質が悪い。
だからケイスは、皮肉気に頬を歪めた。
「そうかい。そいつは失礼。でも、向こうが寄って来るんだぜ?俺じゃなくてリエラに言えよ」
するとテットは苦虫をかみつぶしたような渋面を浮かべた。
実際、テットたちはリエラに何度も似たようなことを言っているのだろう。
しかし、リエラはそれには頑として頷かないのだ。
「……なぜリエラさんはこんな――」
テッドの口から何事か溢れ出したが、それを遮る声が響き渡った。
「ケーイス!遅いわよ」
若い女だった。
活力に満ち溢れるリエラとはまた違った、儚げな美人。その割には声に伸びがある。
しかし、人間よりもきめ細やかな金色の髪から尖った耳が飛び出している。
エルフだった。
この学園は世界中から生徒を集めているが、エルフは開設以降、彼女しか在籍していない。
魔王との戦争との間も沈黙を保っていたエルフが何故人里に現れ、それどころか学園に在籍することになったかは謎だが、とにかくこのエルフの女性は強かった。
魔法だけならば、リエラとタメを張れると噂されるほどに。
そしてそんな彼女が、何故かケイスと友誼を結んでいるのだ。
テットは顔に驚愕を張り付けて、彼女の笑顔を見る。いつも冷徹な無表情で、コミュニケーションと言うものを図ろうともしない彼女の、輝く笑顔を。
「悪い悪い。見ての通り、ちと絡まれてな」
ケイスは「いや~実に困った」と言う顔を浮かべて肩を竦める。
すると、エルフの女性はすぅっと目を細めた。
「へえ」
その目がテットを捕えた瞬間、テットの背中に冷や汗が流れだした。
「――――ッ!」
しかし、テットはごくりと唾を呑みこむと、エルフの女性に向かって早口でまくしたてた。
「ルセラフィルさん!こ、これは――」
「五月蠅いわね」
その叫びは、エルフの女性、ルセラフィルの小さな呟きによって断ち切られた。
「ッ!!」
ルセラフィルは、テットに向けてうっすら微笑んだ。
「ねえ、私の友人に何か用だったかしら?もう、終わったわよね?」
エルフと友人になることは難しい。
そもそもエルフは人間嫌いで有名なのだ。
しかし、一度友人となると、本人どころかその子孫に至るまで、長い長い交友関係を築くと言われている。
ルセラフィルはエルフにしては、人間には好意的と言われている。
何せ、学園に入学しているのだから。
しかしそのくせ、入学以降声をかけて来る人間の言葉には一つも耳を貸さず、一人を貫いていた。
そのはずが、気付けばケイスに対して、友誼を結んでいたのだ。
ケイスは、「ありがたいことで」と呟いておどけた。
しかし、テットはそんなおどけに反応する余裕も無かった。
「い、いや。そ、その……」
ルセラフィルから放たれる圧力に、だらだらと冷や汗を流すしかなかった。
返事を誤れば、この圧力が敵意に変わることは容易く想像がついたからだ。
「ねえ、どうなの?」
圧力が一層増した。
テットはカチカチと歯を打ち鳴らし、震え始めた。
その様子を見て、ケイスが助け舟を出してやった。
「セラ。もう良いだろ」
ケイスはルセラフィルをセラと呼んでいる。
彼女をそう呼んで良いのは、この学園はケイスともう一人だけだ。
それ以外で、彼女にそう語りかける命知らずは居ない。
「そうね。どうでも良いことね、そんなこと。それよりもぼやきが始まってるわよ。早く行きましょうよ」
セラはあっさりと圧力を消し去り、テットのことなど見向きもせずにケイスの手を掴み、ぐいぐいと引っ張りはじめた。
「ああ。……じゃあな」
友人になった時から、急に厚かましくなったセラに対して苦笑しつつ、ケイスは引きずられていった。
ケイスは一応礼儀として、テットに手を振っておいたが、応答は無かった。
なんと、ギャグではないのです。
そして毎度のことで申し訳ございませんが、誤字脱字等あれば教えて頂けると……!