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頸ノ匣~匣野探偵事務所事件簿~

作者: フランスパン

アレは確か残暑の長月の事であった。

 親族に不幸があった為、私は一人列車で帰郷した。

 うなじの汗が酷く鬱陶しく、それを拭うのもまた億劫だった。列車の振動も決して心地の良い物ではなく、帰郷だというのに私は気が乗らなかった。

 日頃の疲れが睡魔を促進し、何時しか私は眠りについていた。

 一体どれほど、私は眠っていたのだろうか、目を開けると大輪の菊が目に入った。当然、それは本物でなければ造花でもなく、着物の柄であった。

 首を上げると、少女が私の前に座っていた。

 黒地に白と黄色の菊があしらわれた着物には、今にも折れてしまうのではと思うほどか細い腕が生えており、そこから繋がる首も絞めれば容易く折れてしまいそうだった。

「えぇ、もう半刻経てば外が見えますよ」

 鶯の囁きの様な綺麗な声が、話し掛けていた。もちろん私では無い。

「あら、起こしてしまいましたか……ごめんなさい」

 綺麗な瞳が私の眼に飛び込んで来た、黒曜石の様に黒い玉のそれに私は吸い込まれる錯覚を覚えた。まだ憂い一〇代と見受ける少女で、その細い腕には似つかない重厚な金属の匣が抱え込まれており、膝の上に人形の様に置いて有った。

「もうずいぶんと乗っているのに、まだ着かなくて、やはり乗り物は苦手ですわ」

 歳に似つかない淑やかで上品な喋り口調で、私はそれにすっかり魅せられてしまった。

 「私も苦手なんですよ、こういう乗り物は」この車両には、私と彼女以外誰も乗っていない。他の席に着いても良かったはずなのに、態々前に座ったのだからきっと何かあるのだ。

「今日はどちらまで行かれるのですか?」

 「終点の実家に帰る所です」大したものがある訳でもない、ただの田舎で土地だけがある一寸した実家は、これといったものがある訳では無かった。

 帰郷は私にとって憂鬱以外の何物でもない。嫌いな乗り物に乗ってそれ以上に嫌いな実家に帰る、これ以上に陰鬱な物はないが、こんなに美しい少女に出会う事が出来るのならば、多少緩和されて心に小さな安らぎが生まれた。

「お嫌いですか、実家もご家族も」

 「えっ、ええまぁ少々」どうして分かったのだろうか、顔に書いて有ったのだろうか。

「時に嫌になりますよね、家族と言うものはどうしてこんなに愚かなのかと」

 何と言う事だ、どうして私の思っている事をこの子はこんなにも分かっているのだろうか、ますます魅せられた。

 大事そうに匣を撫でるか細い指、それを見つめる二つの玉と艶やかな唇、そして色のあるうなじ。本当に何もかもが美しくてたまらなかった。

 あの柔肌にふれて欲しい、その眼に見られたい、私の中の欲情は鍋の様に煮えくり返って今にも吹きこぼれそうだ、ああ羨ましいあの少女に触れられて見つめられている箱が羨ましい、ああ私もあの匣に――――。

「それでは、またお会い致しましょう」

 ようやく私の意識が現実に戻って来た時、既に終点へ着いていた。あんなに心地悪かったはずなのに、今はとても気持ちが良かった。

 「あっあの」引き留めようとしたが、少女は匣を大事そうに抱え込むと、すたすたと降りて行ってしまった。後を追う事も出来ず、その姿を見つめていた。



 私には四つ離れた兄がいる。

 元は嫡男であるはずの兄が、実家へ帰るはずだったのだが、どうしても抜けられぬ用が出来てしまい、私が代わりに帰る事となった。

 家族の中では兄が最もまともだ、いや兄以外は私を含めて全て愚かだ。

 醜く愚かでこの世に在る価値もない、なぜこんなにも私の周りには汚い物で溢れているのだろうか、あの少女の様に妖艶たる微笑みは私の頭にこべりついて離れなかった。

 探したい、あの少女を今すぐにでも探さなければ、探して、もっともっと――。

「なにつったってんだよ、本家の弟」

 いつの間にか見慣れた男が立っていた。分家の康彦、本家の私に喰ってかかる仕様がない奴で、これといった良い所もない叔父の愚息。

「御先に行くぜ、本家の次男坊」

 ああ、奴の顔を見ただけで私は家の敷居を跨ぐ気が失せた。あと数歩進めば家に入る事となる訳なのだが、この門の敷居がおどろおどしいものに想えた。

 私は、あの少女にもう一度会いたかった。

「まぁまぁ、京太郎さんの弟さん、よく御出でになりました」

 叔母が迎えてくれた、まず兄の名を先に出したのが気になったが、この人も所詮腰巾着とでも思っているのだろう、事実似た様な物である。

「父は、どこに?」本台を切り出すと、父の元へと案内してくれた。家のほぼ中心にある大広間、宴会や本家と分家の会議に使うそこに、ちょうど四方の中心となるその場所に白い布団が敷かれていた。

父である。

 死んだのは父であった。私の中には、父に愛されたという記憶が無い、だからその死をどうとも思わなかった。大陸から帰って来た父はまるで空蝉の様に魂の無い抜け殻であった。戦争が父をそうさせたのか、それとも父が初めからそういう人間であったのか、幼い頃の記憶は朧気であった。

 ただ何時も遠い所を見ていて、私どころか兄までも父に近づこうとは思わなかった。

 「……結局貴方は何者だったんですか?」聞こえない様に、体温が存在しない亡骸にそう尋ねた。



 私の部屋はこの家には存在しないのかもしれない。

 母は私を生んでしばらくすると此の世を去った、父は物心つく前には大陸へとお国の為と、行ってしまった。

 そして物心がついた頃、大陸から帰って来た。祖父の後を継ぎ、事業を拡大していくのだが、その心は虚ろだったらしい。

 高等学校を卒業し上京。物書きをして生計を立てているのは、事業家であった父を嫌っての事であったのかもしれない、だが記者であった兄への憧れもあったのかもしれない。

 するとどうであろう私の家には、私の居場所が無かった。

 別に財産が欲しい訳ではない、むしろそんなもの必要はない。家に名残がある訳でもない、ただ――――汚い。

「彼女は、何処へ」頭に浮かぶのは、あの匣を持った少女。匣になりたい、あの子に私も撫でて欲しい、あの匣にとって代わりたい。

「本家の下のお兄さん、久しぶりだね」

それは叔母の娘、康彦の妹の貴子という一五の娘であった。

「サトエお母さんから聞いて、ちょこっとあいさつしに来たの」

適当にあしらいながら、自然と貴子にあの匣の少女を重ねてしまう。やはり違うのだ、私にはこの純粋無垢なる娘でさえ、汚らわしい。

「お兄さん、やっぱり東京に行っちゃうの? お母さんが言ってたよ」

 当然帰る。ここには私の居場所などない。これ以上は止めてくれ、もう分かっているんだ、この家はただの金を生み出す機械でしかない事ぐらい。

「お父さんが死んじゃってから、ずっと伯父さんの介護をしてて相手にしてくれなかったから、今度新しいお洋服買って貰うんだ、お兄さんはどんな服が好き?」

 ああ、この子も一緒だ。この子も――厭だ。

 「ああ、あの子に会いたい」私は一人呟いた。



 蜩が空しく啼いていた。

 空ろを誰も埋めてはくれなかった。一人縁側で寛いでいると、松の木の陰からそっと人がやって来た。

「ああ、やっと会えた」今まで一番満ち足りた笑みを溢す事が出来た。影から出て来たのはあの少女であった。私が手を広げると何の躊躇いもなく腕の中へとやって来てくれた。ああ、美しい。一点の穢れもないこの清い少女は醜くなどない、愚かでもない、汚くもない。ああ、満ち足りる。ああ、満ち満ちてゆく。

「愛しているよ、君を――」私の手は彼女の首へと向かう。か細いそれを力一杯絞める。

小さな手がそれを拒み、私の指を剥がそうとするが、それでも絞め続ける。

 ガクンッと何かが抜け落ちると、少女の体は力を失い、私にもたれかかった。ああ、これでやっと、やっとネガイが叶う。

「ああ、これでやっと……首を切り落とせる」




酷い夢を見た。

これが私の悪い性癖だ。私は好意を抱く人を殺める夢を小さい頃からずっと見ていた。夢の中で敬愛している兄の事も幾度となく殺めた。兄にその事を言った。

すると笑いながら、『そうか、そいつは愉快だ』と言ってくれた。

私はそんな兄を尊敬した。

「ああ、私は本当に救い様がない」心の病なのかもしれない、私がこんなにも醜く汚らわしく愚かだから、そんな夢を見続けるのだ、ましてやあの少女まで手をかけるなんて、私は救い様のないただの阿呆だ。

「夢から、醒めましたか」

 鶯のような、可憐な声が私の耳へと入って来た。ああ、この聲は――――。

「大変魘されておりましたが、悪夢でも見ていたのですか?」

 庭にあの少女が佇んでいた。夢かどうか疑ったが、紛れもない本当に彼女だ、匣もしっかり持っている。ああ、なんて美しいんだろう。

「先ほどから玄関でお声をかけていたのですが返事もなく、不在かと思えば鍵が開いており、庭に足を踏み入れた所、貴方がここで寝ておられたので、声をかけさせて頂きました」

 「あっ、ああ、一体何の御用でこちらに」急いで座布団を縁側に敷き、腰掛ける場所を作る。話をゆるりと時間をかけて聞く事にする。

「いえ、この家の御当主に会いに来たのですが、御在宅でしょうか?」

 「……父は、父ならおとつい亡くなりました、もともと肺を病んでおりましたので」私は酷く激怒していた。この少女が、あんな父に会いに来たという事に酷く怒っていた。死んでいて正直清々した。

「それは申し訳ありません……、私は御父上様にこれを……行く宛てもないのでここに置いていただけないかと思っていたのですが、そうですかあの人が……」

 「父とはどこでお知り合いに?」見るからに、この少女と父が知り合いだとは到底思えなかった。少女は首を振ると、重い口を開いた。

「直接の知り合いではありません、ただこの匣の中身を大層欲しておられたと聞き及んだ次第で、行く当てもないので御父上様にお金を工面して戴くか、しばらくこちらに置いて頂こうと思っていたのですが……そうですか、御悔やみ申し上げます」

 なんて哀れなのだろう、兎に角今日はここに居て貰おう。

 「いえいえ、事情は詳しく知りませんが、今日はここを宿代わりにするといい」この少女を止める位の権限ならば、私にもまだ残っているはずだ、いざとなれば、私が縁側で寝れば良い事、兎に角この少女を家に、私の傍に置いて置きたい。

「お優しいのですね――」

 突然、襖が開いた。私の幸福を邪魔立てしたのは康彦だった。何の用だとっと失せろ、汚いお前が綺麗な彼女の前に現れるな。

「大変なんだよ! 伯父さんの……伯父の首が」



 床についている父の胴から、頭が欠損していた。

 首の付け根から鋭利な物で、切り落とされていた。泣き叫ぶ叔母と貴子よりも、その光景に眉一つ動かさない少女の方が心配で堪らなかった。かなりの衝撃を受けたはずだ。

「……御父上様の御頸は、何時までありましたか?」

 「えっ、確か今日の昼までは」私はその後縁側で寝てしまったので、他の奴に聞いた方が良いだろう、視線は自然と叔母に向く。

「確か一時間ほど前には間違えなくありました、でも私は中庭の井戸におりましたので」

「お母さんは間違えなく中庭にいたよ、私居間から見てたよ」

「俺は、少し前まで散歩してたんだよ、そしたら伯父さんの首が……」

 どうやら一時間前まで首は在ったらしい、そうなるとほんの小一時間ほどで首を切り落としたという事になる。まるでアヤカシの類だ。

「そう言えば、警察には連絡しましたか? 首が無くなるのは一応大事ですし」

 どうやら一番冷静でいるのは、彼女の様だ。しばらくして叔母が黒電話の元へ走り出した。それにしても、一体誰がこんな事をしたのだろうか、わざわざ死体の首を切り落としてもって行ってしまうとは、これが世にいう猟奇事件というものなのだろうか。

「……残念です、一度貴方にお会いしとうございました」

 そう首の無い骸に問いかけた。私は再び父に酷い憎悪を抱いた。逆恨み以外の何物でもない事は招致なのだが、怒らずにはいられなかった。

「所で、この子誰なの? 下のお兄ちゃん」

 貴子に言われて、私は他の者が彼女の顔を見るのが初めてだという事を思い出した。

「父を知っている人で、この匣の中身を渡しに来たらしい……」名前をどうしようか悩んでいると、付け足す様に口を開いてくれた。

「私は、弑羅魏と申します」

「シイラギ? 変な名前」

 よい名だ、私の名よりもずっと綺麗な響きだ。美しい子は名前までも綺麗なのだ、私はより一層彼女に対しての思いを募らせた。

「それより、伯父さんの首はどうなるんだよ、まさか飛んで行っちまった訳じゃねぇよな」

 そんな妖怪がいたと思った飛頭蛮であったか、舞首であったか、まあよい今はシイラギさんとの一時を楽しむ事とする。

「それなら良いですが、それならば戻ってくるでしょうから心配はいらないのですが」

 ああそうだ、確かその妖怪は夜明けの前に戻って来るのだった。

「何者かに首を切り落とされたのなら、これは立派な犯罪です」

 まるで小説を読んでいる様だった、可憐な美少女が事件を解くなんていいじゃないか。私のこの高揚感は既に頂点に達していた。



「つまり、今からちょうど二時間前の五時から六時までの一時間の間に、当主の首が無くなっていた……と、そういうことなのですね」

 やけに若い、私と同い年ぐらいの刑事がやって来た。酷くやつれている様に見えるが、刑事という職はそんなにも骨をすり減らす様な物なのだろうか。

「……おっと失礼、本官は種村と申します、本当は都庁勤務なのですが、ある事件の捜査で県警まで来ていた所、この様な事になりこちらに来た次第であります」

 つまり県警の人間では無いという事を言いたいらしい、東京の刑事がこんな片田舎にいるのはかなり驚いた。驚愕と言わずして何と言うのだろうか。

「状況を纏めますと、こりゃ嫌がらせじゃないでしょうかね、良くあるんですよ、こういうの……まあ今回はましな方だな」

 最後の方は独り言の様だ、先ほどからこの種村という男、大して驚いてもいないが親身になっているという訳でもないらしい。

「この家にいたのは、貴方方ご家族と、それに弑羅魏さん……というこの子の四人、そしてアリバイが無いのは、分家長男の康彦さんと弑羅魏さんですかね、貴方が縁側で寝ていたというのは幾人か見ておりますので、成立しますし」

 ちょっとまて、シイラギさんを疑っているのか、この人が父の頭を斬ったと言うのか、ふざけるのもいい加減にしろ、彼女がそんな事をする訳ないだろう。あんな父など、首を切らずとも十二分に醜いのだ、切り落とし持ち去る理由など無い。

「待って下さいまし、私は見たとおり非力故、この方を外へと連れ出して頸を切る事は無理かと思うのですが」

 外へ連れ出す? どうしてそんな事が分かるのだろうか。

「この部屋で首を切れば返り血で汚れてしまいます、でもそれが無いのならば外で斬ったのでしょう……でも、見たとおり私は非力な物で」

 なるほど、疑問には思わなかったが、この部屋は確かに血が一滴も垂れていない。恐らく彼女の言うとおり外で斬り落としたのだろう。

「とりあえず、この家から出ないで下さいね、それとこの家の刃物を全て調べさせてもらいます、それと出来る限りであるかない様に」

 種村は面白くなさそうに、警官と共に凶器を探し始めた。




 中庭の井戸は、かなり古く皿洗いの時の水以外は使っていない。

 昔は炊事と洗濯にこれが用いられていたのだが、今は洗濯機やら冷蔵庫があるのでこれは、皿洗いの時にしか使わない、昔は兄と此処で遊んだものなのだが。

 「確かに、ここは居間から丸見えだ」ここから居間はよく見える。ならばきっと叔母からも貴子が見えていただろう、だからアリバイは成立する。どうにかしなくてはならない、警察はまだシイラギさんを疑っている、どうにか、どうにかして彼女の冤罪を解かねば。

「こんな所で何をなさって居られるのですか?」

 彼女がやって来た。その手には矢張り匣があった。一体何が入っているのだろうか。

「この井戸、使っておられないのですか? 蓋が閉まっている」

 「皿洗いの時だけですよ、それにもう古い」苔やカビが多く繁茂しており、その年季の入り具合が見て分かる、桶が結んである縄など所々ささくれていた。

「……その蓋取れますか? 井戸の中が少し気になるのです」

 言われるがままに、井戸の蓋を取ると覗きこむ。普通の井戸で変わった所など無い。ただ、桶が井戸の中に入っている為、弾き上げてやろうと思い縄を引く。

「貴方達! 何をしているのですか」

 叔母が声を荒らげて、私の手から縄を取ると井戸に蓋をした。どうやら遊んでいるとでも思われたらしい。無理もない身内の屍があんな事になったのだいらつくなと言う方が土台無理し、私はこの叔母に興味がないので、怒られた所で何も感じない。

「皿を洗おうと来れば、貴方ご自分の父があんな事になったのに、悲しくないの!」

 別に元々屍なのだ、どうなろうと変わりはない。それによりどこか別の場所へ――。

「うわあああああああああああああああああっっ」

 康彦の悲鳴が、家中に響き渡った。一体何をしたのかと、三人で悲鳴が上がった部屋へと向かう――、すると部屋の中央にまた屍があった。

 それは、首に噛み傷がある貴子の屍であった――。

 泣き叫ぶ康彦を見て、叔母が失神した。どうやら殺人事件となってしまったらしい。



「死因は窒息死ですな……何者かに首を絞められた後、獣にでも噛まれたようですな」

 忙しい人だ、ほんの一時間前まで家で凶器を探していたというのに、次は殺人なんて、この種村と言う刑事に私は少しだけ同情した。

「はぁ、またこんな殺人か、たまにはもっと普通の殺しに出会いたい」

 ぼそりと小さな声で呟いていた。殺しに出会うのも嫌だと思うのだが。

「第一発見者は康彦さん、彼の悲鳴を聞いて貴方方三人と我々がこの部屋へやって来た、その間のアリバイは……弑羅魏さんあんたこの部屋に来る直前まで一人でどこにいたんですか? 家の警官が、この辺りでうろうろする貴方を見かけたのですが……」

 部屋の電灯に寄せられる蛾が、五月蠅かった。それと同じぐらい何もかもが五月蠅かった。今度は誰だというのだ、貴子を殺したのは――。

「この噛み傷……人の歯型の様に見えるのですが」

 人の歯型? 犬や熊では無くて人間が貴子の首を噛んだだと言う、それはまさか――。

「伯父さんが、伯父さんの首が貴子を殺したんだ」

 そんな馬鹿な事があるものか、だが歯型の痕は恐らく父の物かもしれない。

 きっと父の首を切り落とした犯人が、貴子を殺したあとその首で痕を付けたのだろう、そう考えるのが一般的だし、可能性的にも一番高いはず。

「飛頭蛮という妖怪は、胴を隠されると死ぬそうです、御父上様の胴体をとりあえず棺桶にでもしまった方が良いかもしれませんね、本当に妖怪ならば」

「その匣何が入ってるだ? ちょうど人の首が入りそうな大きさだが……」

 何と失礼な事を、確かにアリバイは無いがそんな事をして何になるというのだ。この子はまだこんなに幼いんだぞ。

「それにこの手の猟奇殺人にはそういうのは関係ないんで」

 この刑事どうも猟奇殺人には慣れてしまったらしい、私以上に可哀想な奴だ。

「分かりました……どうぞ御開け下さい、ただし決して後悔なさらないで下さいね」

 種村がその扉に手をかける。たったそれだけの行為なのだが、なぜか酷く緊張した。私はずっとあの匣にとって代わりたいと思っていた、だからこそその中身を酷く知りたくて、知りたくてたまらなかった。

「――こいつぁ」

 ――――頸だった。

 細い絹糸を植毛した様な、美しい金色の髪に、この世のものとは思えないほど白い肌、それは間違えなく人の頸なのだが、まるで美術品の様に美しく、何より不思議と恐ろしくなかった。まるでそれが当然であるかの様に、頸はただ、その匣に納まっていた。

「決まりだな、一寸署まで御同行お願いしようか」

 特に驚く様子もなく、種村は彼女の手を掴もうとしたので、私がそれを払いのけた。

「ちょっと、あんた何すんだよこれは間違えなく生首だろうよ、この子が犯人で――」

 「違うんだ、これは、これは父の頸ではないんだ」父はかなり年老いた日本人だ。だがこの頸は、どこをどう見ても若い男の異人の頸なのだ。

 頸が――――、二つになった。


「あっあああっやっいやあああああっ」

 叔母が泣き叫びながら逃げ出した。かなりのショックだったのだろう。だがショックを受けたのは私も同じだ、こんな美しい頸には、成り代われない。

「事情を深~~く聞く必要がある様だ、この頸の事も何もかも」

 私はただ屍人の様な足取りで、部屋を後にした。




 どうしよう、殺してしまった。

 私の足元にはシイラギさんの屍がある。この屍をどうすればいいのだろう。

 悪いのは彼女だ、だって私よりもあんな頸を愛してしまうのだから、そうだ頸だ、全て頸が悪いのだ、頸のせいにしよう。あの匣に入れた頸を使えばいいんだ。

 私の人生を狂わせたのは、あの頸なのだ。

 ならばあの匣の中の頸のせいにしてしまおう――、私は悪くないのだ。

 私は頸の口を開くと、そのまま少女の細い頸へと向け――そして、

 


 目が覚めると私は再び縁側で寝てしまっていた。

 また、殺める夢を見たのだ。それもまたシイラギさんで、醜い私はなんて醜くて愚かで汚いのだろう、こんな私があんな美しい頸に成り代わる事など、できる訳がない。ああもう厭だ、何もかもが厭だ、厭だ、イヤダ!

 あんな匣の中身など、見るのではなかった、見てこんなにも傷つくのならば、視るのではなかった。死んでしまおう、死んで私も屍となり全て終焉にしよう。

 机の上に置いてあった剃刀を自分の頸へと向ける。

 一瞬で逝けるはずだ。もう懊悩する事もない、これで私は浄土へと――。

「死んでも、何も変わりませんよ」

 シイラギさんがいつの間にか私の横にいた。もちろん匣も彼女の手の中にある。ああ、あの匣にはまだあの頸が入っているのだろう。

 「私は醜い、貴方の事を殺める夢を観た、何時も好意を抱く人を殺める夢を見続ける、もう厭なんだ、こんな醜い私など屍になればよいのだ」慟哭する私に、口を開いてくれた。

「殺める夢を観たくないならば、枕をして寝ると良いでしょう」

 「えっ?」驚愕する私に、更に言葉を奏でてくれる。

「枕はたまくらと言い、寝ている間魂をしまう場所なのです、特に貴方の魂は人の穢い記憶を垣間見る事が出来るのでしょう、寝ている間というのは魂が移ろってしまう物です」

 「では……私が貴方を殺そうとしているから、殺めている訳では」すると小さく頷いてくれた。そうか、私の魂は勝手に移ろって人の記憶を垣間見てしまうのか。

「それに、好意を抱くという事はその人の事をよく考えるという事、頭に残っているからその人が殺める対象になるだけであって、別に貴方に邪な心がある訳ではありませんよ」

 ああ、私の事を長らく責め立てていた重しが、ついに外れた気がした。

「それよりも、貴方は一体誰の記憶を観たのでしょうか」

 そうか、重要な物は殺めた人ではなく、殺めている人なのだ。もしかすると、私は貴子を殺した者の記憶を観ていたのだろか、いやおそらくそうだ。

「匣から頸を取り出したのですね、でもこの匣ではないと思いますよ」

 「だが、この家に他に匣は無いはずです」生首の入った匣など他にあるのであろうか。

「……それにここに来る前に中庭でこれを拾いました」

 それは長いテグスで、おそらく死んだ叔父のものだろう。だがなぜ中庭などに。

「他に、夢の中で何か観ませんでしたか? 思っていた事でもいいので」

 そう言われても、自棄に頸に執着していたぐらいだ、まてよ、頸に執着?

 「父は、頸を欲しがっていたのですよね」もしもこの事件の発端がこの匣の中の頸なのだとすれば――――。

「種村さんの所へ行きましょう」なぜか今だけ醜さを感じなかった。




 大広間に皆を集めて、探偵の真似事をしてみる。

 叔母も康彦も警官も、底気味悪そうに周囲を見つめていた。私は一先ず二人の前に座る。

「父の胴はこの布団から中庭に運ばれました、無論頸を切る為です」探偵のノウハウは知らないが、推理小説を思い出しながら始めて見える。

「待て、中庭で斬ったのなら血はどうなるそれに凶器は?」

「死体はあまり血が出ませんよ、もう死後三日血液など大した量ではありません」

 「それに凶器もまだ中庭に隠されたままなのです」私は冷静でいながらも内心慙死してしまいそうだった。「そして父の頸を切り落とした犯人は、それだけで良かったのです、父に恨みを抱いていたから……、でもそういう訳にもいかなくなった」

「どうしてだ、警察に通報されたからか?」

「いいえ、警察に通報される事ぐらい承知でしょう、問題は見られたのですよ」

 「そう犯人は見られてしまったのです、貴子にその頸を」斬った所かそれとも運ぶ所か、兎に角見られてしまい、恐らく貴子はその事を聞いたのだろう。「つまり、犯人は中庭にいた貴方ですよ、叔母さん」

 

「私が頸の事を聞いた時貴方は中庭にいたとアリバイを証言いたしましたよね、誰も疑ってなどいないのに貴方は思わず言ってしまった、正直その時から私は貴方を疑い始めました、だから中庭の井戸を怪しいと思いました」

 井戸を開けてと言ったのはその為だったのだ、恐らくあの井戸が――、

「凶器はあの井戸なんですよね叔母様、あの時必死に止めようとしたのは、井戸の縄が途中からテグスになっているのを見られたくなかったんじゃありませんか?」

 桶の紐を途中からテグスに付け替え、それを頸に巻きつけて引けば、女でも頸を切る事が出来る。

「そして貴方は貴子に聞かれた、頸の事を……でも貴方は勘違いをなさったんだ」

 叔母が父の頸を斬った理由、それが貴子を殺した動機なのだ。事の発端はあの頸だ。

「大戦中の大陸で、あの方はコレを観てしまった、その本当の姿も……そして有ろう事かコレを愛してしまった、首だけいや男を」

 「叔母様、貴方父の愛人だったんでしょう」あの夢をそっくりそのまま当てはめればいいだけなのだ。「所が帰って来た父は、頸を愛して有ろう事か男を愛した、恐らく貴方を殺めようとしたのでしょう、同じ様に頸にしようと……」それが一度目の夢だ。あの時私は頸を斬ろうとした、だが叔母は死んでおらず未遂で終わったのだろう。

「それから考えれば一つ仮説が浮かびます、貴子さん本当は御当主様の子供なのでしょう」

 私が貴子を醜いと思っていた理由、それがこれだ。あれは私の異母兄弟であったのだ。

「貴方はその事を知られたと思った、だから殺した……でも本当は頸だったのです」

「衝動で殺したんだな、だから頸のせいに見せかけたのか」

 私が心底醜いと思っていた訳がようやく分かった。この家はほとんど穢れでできているから此処が嫌いだったのだ。

「でも、証拠はありませんわ」

「いいえありますよ叔母様、それは頸ですよ」

 叔母が斬り落とした父の頸、叔母は何処かに隠した。「叔母はね、台所にある匣――、冷蔵庫に頸を隠したんですよ」簡単な事だったのだが、あそこに頸が入っているとは誰も思わないだろう、正に頸の匣といった所か。すぐに警官が台所へと向かう。

「どうしても許せなかった、頸なんぞを愛したあいつを……だから頸を斬ってやった、貴子の事は本当に無我夢中で、急いで台所に隠した頸を持って来て噛み傷を作りました」

「自白でいいんだな、後は署の方で詳しく聞くよ――」

 種村が拘束しようとした時だった、叔母は突然立ち上がり、シイラギさんの頸を締めた。

「お前が、お前が頸を持ってこなければ! お前がああ!」

 般若の様な顔で頸を締める叔母。本来憎むべき匣は、床に落ち頸がゴロゴロと転がる。そんな物に気は行かない。私も種村も兎に角彼女を助けようと駆け出したのだが、手が届く前に――体から力が抜け落ちる様に倒れた。

 死 ん だ ? 

 私が惻惻としているにも関わらず、叔母は笑っていた。こんなにもこの人が醜いなんて。普段にもまして嫌悪の気持が込み上げ、手を上げようとしたその時だった。

《クス、クス、クス》

 笑い声がこだました。叔母とは別でもっと上品な笑い方――頸が、嗤っていた。

「ひっいやああああっ」

 美しい藍色の目がこちらを見つめていて、ゆっくりと口が動いた。


《断罪、したて奉る》


 そして庭に置いてあった棺桶が突然動き出し、蓋を破り父の屍が出て来た。そして這い蹲って叔母へと近づく。まるで頸を求めいるようだった。

「あああああああああああっ」

 泣き叫びながら、中庭へと逃げ込む叔母だったが足を取られ、奇しくも井戸の縄が頸へと絡まった、そこからは本当に気味が悪かった――。

 プツンッと縄が張った瞬間テグスが凶器へと変わり、その咎人の頸を斬った。

 井戸の水は瞬時に紅く染まり、叔母の頸はころころと転がった。

「……良かったじゃないか、これで貴方も愛して貰えますよ」



 幸運な事にシイラギさんは死んだ振りをしただけだった。

 あの死体が動くトリックはテグスを付けて、天井の梁に引っ掛けて動かしただけでという事で処理されたのだが、どうも腑に落ちなかった。

 それに精神的ショックが募ったのか、康彦は精神病院へと直行となった。

 結局あの家は売り飛ばし、本家も分家もなくなり完全に消滅してしまった。私は嬉しい限りなのだが、その金銭は――。

「ははっ、テナント料だけでも十分食い繋げそうだな」

 ビルを一軒建ててみた、あまり大きくもなく小さくもなく程よい広さだった。

 なぜこんなビルディングを建てたかというと、理由はこれだ。

「しーちゃんはどうだい、こういう所に住む気分は」

 シイラギさんと兄と三人で此処に棲む事となった訳なのだが、匣の頸の件を言わなくてはならないので、話した所兄京太郎は相変わらず大物で会った。

『へぇ生きた頸か、この頸はなんていうんだい?』なんて言って笑っていた。流石は兄である職業柄か人の名前を知りたがるので、頸には『匣野君』とあだ名が付けられた。

「しーちゃんモカ好き? あっクッキーとケーキどっちがいい? あと匣野君は?」

 なぜ匣野の物まで用意するのだろうか。ただし時折匣野の瞳が開いているのを私は見かけるので、恐らくは本当に生きているのだろう。

「にしても、お前のその妙な性癖が殺人事件に使えるなんてな」

 アレからできる限り枕をして寝る様にしている。事実効果は覿面で悪夢にうなされる事も無くなったのだが別の事で魘される破目になった。

「よう、元気か匣野探偵事務所諸君」

 そんな事務所は開いていないのだが、どういう訳か『猟奇殺人に巻き込まれやすい』種村がちょくちょく此処に通い詰める様になった。もちろん用件は一つだった。

「実は神田川から心臓が抉られた死体が発見されてな、一寸困ってるんだ」

「ではお茶を飲んだら行きます、少しお待ち下さい」

 兄自慢のモカは確かに旨かった。

 そして我々は、匣と共に神田へと向かうのだが、これはまた別の話と相成ります。

 これはまた、別の機会にお話し致したいと思い候。






               完


 はじめまして、こんにちわは、フランスパンと申します。

 この作品は一言で表せば、暗い! の一つに尽きることでしょう。なんたって作者が暗いって言っているんですから(笑)

 書いているときはたのしかったんですけどね、完成したものを見るとなんだか身の毛がよだつ思いです。

 主人公は【私】です。名前は……まぁいずれ。

 すべて彼の視点、彼の言葉でつづられた作品となっているのでまぁネクラ男事【私】さんの体験を楽しんでいただけたら光栄です。

 これからも様々な作品を描ければと思っております、今回はこのあたりで筆をおかえせていただきます。

 閲覧ありがとうございました。

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[一言]  思わず魅入ってしまいました。  普段、このような小説は読まないのですが、興味が湧いてきました。  次回作も楽しみです。
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