第二章 (4)
ひと……ひと、ひと、人――ひとの波。
ハルムーニの南門前大通りは、まるで洪水に飲み込まれたかのようだった。
百を越える店が軒を連ね、それぞれが売上げを競い合う一大イベント。各地の名産、特産、珍品、掘り出し物などを求めて、一日に数千人もの客が押し寄せてくる。人々の喧騒とともに、仮装した道化師や軽快なメロディを奏でる音楽隊が、祭りに花を添えていた。
春、夏、秋と、年に三回開かれる自由市場に出店するためには、運も必要である。
新規で参入する場合、くじ引きによる抽選があるのだ。
幸運に恵まれて、店を出すことができたとしても、まだ安心はできない。
自由市場が開催される七日間の売上げについては、運営事務所の仕切人へ報告する義務があり、金額に応じた市場税が課せられる。
そして、最低限度額の売上げを達成できなかった場合、次回の自由市場には出店できないというルールがあるのだ。
その場合、再びくじ引きによる当選待ちとなる。
出店者には運だけでなく実力も求められるわけだが、こういった厳しい仕組みが、自由市場の伝統を長きに渡って支え、育てる要因にもなっていた。
今回で十回連続の出店となるシャーロたちの店“森緑屋”は、まずまずの中堅どころといってよいだろう。すでに顔見知りになった商売人たちも多く、あちらこちらで声をかけられる。
「おい、シャーロ! 今回は負けへんからな。覚悟せぇよ」
“森緑屋”の店の前で仁王立ちになり、シャーロに向かってびっと指差したのは、ぼさぼさの茶髪を布で覆った少年だった。
年のころはシャーロと同じくらいで、狼の毛皮を加工した派手な上着を羽織っている。
「お前の店とは商品が被ってないだろう? 勝負する必要はないと思うが」
「あほぬかせ」
少年の名はパキという。遥か南方の港町で“魚味屋”という店を構えており、自由市場にはおもに魚介類の乾物を出品してくる。
「わいが勝負いうたら、勝負なんじゃ。今回はとっておきの秘策があるんや。ぎゃふんと言わせたるわい。かっかっか!」
「秘策って、なんだ?」
「聞いて驚け。たまに網にかかる深海魚のな――」
ごつんと鈍い音がして、パキが頭を抱えてうずくまった。
「ってぇ――な、なにすんねん、おとん!」
「どあほが。商売人が、余計なことぺらぺらしゃべるんやあない」
パキを縦にも横にも大きくしたようなひげ面の中年男は、すぐに態度を改めて頭を下げた。
「これは“森緑”さん、ご無沙汰しております」
「こちらこそ、“魚味”さん。相変わらずお元気そうで」
「互いに無事、冬を乗り切れましたな、がっはっは!」
“魚味屋”の主で、パキの父親である。シャーロとは年の差はあるが、同じ店主として対等の立場で接してくる。そして商人は、互いを店の名前で呼び合うのがならわしだった。
そんな父親の態度に「けっ」と悪態をついたパキだったが、店の中にいる亜麻色の髪と空色の瞳の少女を見て、あんぐりと口を開けた。
「お、おい、シャーロ。あの娘、誰やねん。お前んとこの売り子か? 眼鏡のちんちくりんはどうした」
面倒くさいことになったと、シャーロは口元を歪めた。
「俺の、妹だ」
「なぬ!」
髪を首の後ろでまとめ、エプロンと防寒用の肩掛け《ショール》を身に着けたリーザが、丁寧に自己紹介をする。
パキはシャーロとリーザの顔を何度も見比べて、「無愛想」「かわいい」と、思ったことをそのまま口にした。
「ぜんっぜん似とらへんやないか! ――あだっ!」
再び頭をどついた父親が、息子の首根っこを掴む。
「失礼なこといいなっ! それと、ひと様の商売のじゃまをしたらあかん。では“森緑”さん、またのちほど」
「おとん、放せや! わいはまだ自己紹介も……あ、こら――」
ずるずる引きずられながらも、パキはリーザに向かってにこやかに両手を振り、投げキッスをしてみせる。
「……面白い方ですね」
「ああ見えて、地元じゃ有名な若旦那らしい。親父さんはさすがの貫禄だな。あの感じはとても真似できるものじゃないよ」
“魚味屋”は現在、四代目。パキで五代目となる老舗らしい。
地元だけでも十分にやっていけるはずだが、毎回自由市場に出店してくる。商売のタネを探しているのか、鋭敏な感覚を養うためか。どちらにしろ、やり手には違いないだろう。
「うちなんかとは店の規模が違うはずなんだけど、あいつは毎回、つっかかってくるんだよ。そんな暇はないだろうに。意味不明だ」
きっとひとりの商売人として、シャーロ兄さんに負けたくないのねと、リーザは直感的に悟った。
シャーロの精神は、同年代の少年少女たちとは一線を画している。確固たる目的意識を持っているので、立ち止まったり後戻りしたりもしない。
常に先を見据えながら走り続けるシャーロの背中を追っていくことは、リーザにとって必然であり、あるいは生きる目的そのものだったかもしれない。
だがごくまれに、自分との距離を感じて寂しく思うこともある。
家族という確固たる関係があるので、いつも気遣ってくれているが、もし自分たちがなんの繋がりもない間柄だったなら……。
あるいは、自分は遠くから見つめることしかできず、振り返ってすらもらえなかったかもしれない。