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石の魔女

作者: 斉藤さん

 昨今の情勢は不安定である、などと真空管ラジオが語りかけてきていたのは、彼女がまだ少女と呼ばれた時代から、老婆と呼ばれるまでの間であった。

 石工の一人娘として生まれ、周りに勧められた男と結婚し、子供を産んで、育てて、その情勢によって家族をなぶり殺しにされたのもその間だ。


 弱小の国は、他国に適度に搾取され、国家は国家を守るためだけに下に苦行を申し渡していた。生かさず殺さず、結局死んでるのと何にも代わりない生活であったのは間違いないだろう。

 彼女はそんな時代に生きて死んでいった一人だ。


 飯の種に老いぼれた体で、鎚を振るい石像を作ってうるだけ。腕はよく、諸外国からも発注がくるので生活に困ると言う事はないが、少しばかり寂しい生活を送っていた。

 ことりとグラスを机において、皺くちゃになった顔を触ってみる。


「老けたわね」


 無力な女は、ただ自分の月日を文字通り肌で感じながら穏やかな表情を作っていた。

 そんなときも真空管からは同じ内容の声が発信されている。


 昨今の情勢は不安定である。


 いつもの話でしかないけれど、そうやって彼女の家族は消えていったのだ。いつかこの声が、別の物に変わる事があるのだろうかと思えるほどずっと続く、同じ内容を産まれてからずっと彼女は聞いている。


 休憩に入ってからも同じ内容ばかりだ。

 ラジオのスイッチをきって、外に出かけてみる。


 玄関を出て外を見渡せば、かつての空襲のあとが未だに色濃く残っている民家が周りにちらほらあるが、その全てが気や草によって埋め尽くされて、その残滓すらも薄く緑に染めていた。

 人の営みと自然では結局自然が上回るあまりにも易い証明は、人間だけが持つ感傷が所詮無駄な経過であることを教えているのだろうか。


 だがその経過によって彼女は足腰を弱くしていた。杖を片手にゆったりと歩き出す姿は弱々しく、風が吹けば折れそうにさえ見えてしまう。

 曼珠沙華のような世界と人、白や赤の願いは届かずに、触れるだけで花はきっと茎から折れて、その天上の花を台無しにさせてしまうのだろう。


 そうやって彼女の家族は消えうせたのだ。そして彼女も同じように、いつか呆気なく消えうせるのだろう。

 そんな事はもう分かっているのかもしれないが、穏やかな表情を変えることも無く、太陽の下ゆっくりと歩く。

 まだ時間にすれば午後の三時頃だろうか、まだ農作業をしている近所の人々に挨拶をしながら、ぽかぽかとした陽気を感じて表情を矢らわらゲル。彼女はいつもこの時間になったら、目的の場所に向かうのだ。


 村の外れに酷く静かな場所がある。あまり人がいない村だが、更にそこでも人気のない場所、まるで死者の息遣いさえ感じさせるほどに静かな場所が彼女の目的の場所だ。


「みんなまた来たよ。お母さんまだお迎えこないから、会いに来たんだ」


 家族の墓だ。

 数年前に起きた戦争のとばっちりでこの国に、何の関係もない国から空襲を受けたのだ。その際に彼女を除いて家族の全員が死んでしまった。

 息子は子供が出来ると喜んでいたのだが、嫁とともども腹の中身を無残に散して死んで、夫は飛び散った破片に心臓を貫かれて死んだ。


 彼女は偶然作業場にいたお陰で、多少の怪我だけで生き延びる事が出来たが、孤独と言う不治の病にかかってしまうことになる。

 その孤独を彼女は癒そうと、毎日の様に墓へと通っていた。


「それでね、今日はこういうことがあったんだよ」


 一日の出来事を語って家に帰って眠る、それが彼女の日常だった。

 そんな日々が少しだけ変化したのは、同じ真空管ラジオから流れてくる内容が変わったからだろうか。


 皆様、お喜びください、ようやくこの国は解放されます


 何のことかと彼女は思っただろう。

 七十年間変わることの無かった筈のラジオの内容が変わり、希望の混じった声が響いていた。

 そしてそれが転機だったかのように、その日彼女の家の前に一人の男が現れた。



 石の魔女



「お願いです弟子にしてください」


 最初申し訳なさそうに頭を下げた姿が印象的だった。身長は彼女の倍も在るかと思うほどにさがあり、見上げてもあごの辺りが見えるような大男だ。逞しい腕と、野太いながらも気の弱そうな声が、失礼ながらウドの大木と言う言葉を思い出させてしまう。


 真剣な眼差しをしているのだろう、気の弱そうな声から一本の芯がある。

 彼女はそんな男の姿に驚いた様子で目を丸くさせていた。自分に弟子と言う発想がそもそも無かったのだ。


「そんな事を言われましても、私は弟子など」

「ご高齢である事は重々承知しております。それに今までお弟子を取らなかったことも、ですがそれをまげてお願いします。あなたしかいないんです」


 切羽詰っているのだろうか、土下座を始めるが、彼女はただその状況の変化に対応しきれずどうしましょう、どうしましょうと、頭の中で必死に考える。

 生計を成り立たせるためだけに、何と無く鎚を振るっていただけの彼女だ、自分がどういう評価をされているかを気にした事がなかった。


 その彼女を最大限まで評価したのが、彼なのだが、困った事に彼女に弟子などと言う思考があるわけも無く、ただ状況に戸惑うだけだ。

 男は真摯な顔をして、目の前の老婆に最大の尊敬を突きつけるが、あまりに真っ直ぐすぎる感情は、弱った老婆の心には少しばかり刺激が強すぎるようで、若い力に押されて頷いてしまいそうになる。


 この辺りは温暖な気候だが、もう寒気に差し掛かっている所為で、肌寒い空気があたりに吹き始めている。そんな寒さを感じさせない熱を持った男は、必死になって弟子にと頼むが、自分がどう評価されているか知らない老婆は戸惑うだけだ。


「あのね、あの、坊や、じゃないわね、えーと、あのね」


 いままで家族経営であったこともあり、弟子と言う体制を取った事は無い為、彼女も戸惑うしかない。

 教えるのは日々の生活を通じていつの間にか、それが勝手に身になるという物だ。それは十数年を要する育成法であり、彼女のが持ちうる技術は全て経験のみで作り上げられたものだ。

 そんなものを教えられるわけが無い。


「私ね、あなたに教えられないの、もう石工も私の代で終わりだし、寿命も近いから、ね」

「何を言っているんですか、石の魔女様、あなたは石工ではなく彫刻家と言うべきお人でしょう」

「え? 何を言っているの坊や、私は代々続く石工の年寄り、魔女なんて物騒な名前でも、彫刻家と呼ばれるような大層な身分でも」


 認識の差と言うものは在るようで、彼女の評価は海外では評価されているが、戦争で疲弊したこの国では、たいした評価を受けていないようだ。

 まだ文化と言う娯楽に力を入れられるほどに人の心は強くないのだろう。だがつい先日の戦争の終結により話は変わり、その混乱に乗じて彼女に憧れた男は不法入国、戦後の混乱だ、様々な言い訳も立つだろう。


 実はかなり無謀な賭けだったのだが、憧れで彼は動いていた。

 その熱意のままに彼女に弟子入り志願をしている。その若さに老婆も敵うわけも無く押されているが、教えると言う発想が実は彼女には無かった。

 彼女とて評価された人物だ、天才の一人と数えたほうがいいのだろう。


 それがこの家族に伝わる当たり前の技術だったとしても、それを経験で受け継ぎ続けた者だ。口で説明する事が出来ない、見ててねとしか言えないのだ。


「教えられないの」


 困ったように彼女はそういうしかないのだ。

 男はこの世の終わりを顔に作り上げながら、真っ青に顔を彩り、絶望と言うタイトルでそれを貼り付ければ世界でも通用するような表情に変貌していた。


 老婆は困るしかない、男に対して何を言っていいか分らず、どうしましょうと呟く。

 そんな彼女の言葉が聞こえていないのか、いきなり持っていた大きな鞄から小さな彫像を取り出す。


「これを見てください」


 た分ではあるが彼が作ったものなのだろう。

 巨漢に相応しい体に、丸太のような筋肉に覆われた、無骨な手から繊細な彫像が出された所為か、その差に驚くがそれを排したとしても、随分と手折れそうな弱さを持った彫像であった。


 細部まで徹底的に作り上げた天使の彫像、翼の柔らさえ表現されているようで、まるで風に流されるように、羽ばたいている姿すら幻視させられた。


「まあ、凄く綺麗な天使様。これはあなたが」


 憧れの人物に自分の作品を褒められたのだ、先ほどの絶望と言う世界賞賛レベルの表情から、感動の表情が世界に賞賛されそうになりつつある。


「はい、私はこれでクラウンビッツ天覧祭で最優秀賞を得ました」

「凄いじゃない」


 クラウンビッツの天覧祭と言えば、芸術家達の祭典だ。そこで最優秀と言われれば、世界で通じる作品と言ってもいい。

 実際にその天使の像は、小さいながらも、いや小さいからこそ、その精密さが必要になる。つまり彫刻を作るものとしてどれだけ精緻な作業ができるかと言う証明でもあった。


「と言うよりも私に弟子入りする理由が良く分らなくなったのだけど」

「殿堂を果たしたあなた言う事ですか、悪魔ファルカイア以降もう百年近くなかった殿堂を果たした人が其れを言うのですか」

「え、なにかしらそれ、私は特にそんな事を聞いた事は無いのだけれど」


 殿堂とはその天覧祭において後世に必ず残す必要なある作品を意味する代物で、現代で言うのなら世界遺産と思ってもらえれば分りやすいだろう。

 悪魔のような芸術の天才ファルカイアによってそのハードルを上げられ続けた天覧祭の芸術の分野で、一世紀ぶりに殿堂を果たした存在が彼女なのだが、それは戦争もあって知られていなかった。


 これから伝えられるだろう事実ではあるが、それを知らない彼女は、ただ目を丸くして驚くだけだ。


「フェルド=エス様、もう一度お願いです。私をあなたの弟子に、弟子にしてください」

「あのね、私のやってきた事はただ、本来は建築物なの芸術の分野じゃなくて、老婆一人じゃもう出来ないから彫像を作っただけなの、ね。だから教えて上げられないの、私の専門はあくまで石工なのよ」


 それを聞いてさらに尊敬を高めてしまうのだが当然の話だ。

 別次元とすら思える才覚だった、偶然始めて殿堂と言うのだ、石工としての技術も確かだったのだろうが、別分野でここまで突き抜けたのだ。

 才能だけと言っても過言じゃない、確かにそれなら教えられないだろう。彼女としては真面目にはやっているが所詮生活の足しになればいい程度の考えだ。


 手遊びが世界遺産、なんとも笑えない話ではあるが、だからこそ彼は余計に彼女を知りたくなった。

 もう老婆だ世話をする人も居ない、何より近くに人はいるといっても周りは空爆を受けた土地、既にむらとしては死んでいる。実際この辺りは郊外へと変わってしまっていた、かつては村の中心だった場所も今では、外れも外れ。


「何でもいいのです、家事の手伝いでも、あなたの仕事の手伝いでも」

「お婆ちゃんに、無茶を言っちゃいけないと思うわ。何よりあなたにはこんな素晴らしい天使様を作る力があるのだから、このまま頑張っていったほうがいいと思うのだけど」


 だが無理だった、彼女の作品を一度見てしまえば、自分の精緻を極めた作品ですらも、ただの技術自慢に変わってしまう。

 あの膨大な表現力はどこから来るのか、技術はどうやって作り上げたのか、その老境で何を見たのか、彼は彼女を崇拝していると言っても良かったのだろう。


「お願いです、どうかどうか」


 その彼女を継ぎたかった、彼女の技術を殿堂ではなく永遠にしたかった。

 断絶の技術に価値は無い、続く技術こそあらゆる物の願いだ。そういう意味では火と言う技術は極点に位置する。

 人の全ての技術は火から始まりきっと火で終わる。


 男の必死さに、困った彼女は仕方ないわねと呟く。

 

「私は教える事が出来ないから見て覚えてね」


 私にはそれぐらいしか出来ないから。

 見せて覚えてもらうしかないのと言う。それだけで彼は天啓を得たように顔を輝かせた、第三の世界認定芸術歓喜だろうか。


「は、はい、当然ですお師匠様」

「そういうのはいいの、私たちの家族はね、技術を見て覚えてきたのだからあなたは私の息子、見せて覚える技術は全部家族の為、だから息子になってもらわないと」


 笑っていた、石の魔女はただ笑っていた。

 久しぶりの孤独からの開放に、何より彼の熱意が嬉しかった。みんな死んでしまったけれど、ここに新しい家族が出来て、家族が続くから。

 彼女が死んでもきっと彼が家族を続けてくれるから。


 そのやって優しくと枯れた男は、彼女の言葉に戸惑っているようだが、優しげな一美を買えずにどうするのと問いかける老婆に、技術の為に家族になるのか、それとも彼女と一緒に家族を続ける為にそうなるのか、答えを出せずに口から音が出せない。


「いいの、ゆっくり考えれば、ただ私お婆ちゃんだから、あまりゆっくり出来ないかもしれないけど、そういう考えしか私には出来ないの」


 私はそういう古い女だからと、そうでもいいなら息子になってくれる。

 嬉しそうに笑っていた、彼女も知らず作品にほれ込んだ男は、この穏やかな老婆に何を返せるのかと、悩んで口が開けない。

 得るだけならいい、だが家族であれば、何かを残してあげたい。その人に何かを残してあげるべきなのだ。


「俺は、俺は、俺は、あなたに、息子と認めてもらえるのですか」

「あなたが私を選んでくれるなら、当然でしょう。それともいやですか、寂しい女のわがままです、死ぬまで付き合ってもらえれば笑って逝けると思うの」


 少しの間あなたの時間を頂戴と、自分が死ぬまで孤独じゃない事を願った。

 その願いに彼はどう答えたのだろうか、ただこの老婆の今際の際には、一人の男が居た。それは随分と大きな体をした息子だと言う。


 それがたぶん答えになるのだろうが、家族が始まるのは少し後、男が男として決断を下す、三日後の話。

 孤独の石の魔女が、一人じゃなかった数年、幸せだと笑って彼女が逝くまでの、家族の始まりだ。


 

同タイトルでしかも別名義で実は別の話を書いていたりするが、こっちが本家。

知る人だけ知っていればいい程度のお話ですが、活動報告でちょっとだけ書いてた奴の完成品です。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  全体通して読了するに、ふんわりと心が軽くなる、読ませていただいて本当にありがとうと言いたくなる作品でございました。  特に、以下の三点の表現について、並々ならぬ筆致を感じました。 「 …
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