来訪者
ピンポーン
時刻は深夜2時。思いもよらない時間に鳴った呼び鈴が暗く静かな我が家に鳴り響いた。こんな人里離れた家にいったい誰が何用なのか。とんだ迷惑、いや、もしかしたら何かの緊急事態かも知れない。ベッドから出た俺は小走りで階段を降り、玄関へと向かった。
階段を降りきる数段手前から見える玄関のすりガラス越しに、華奢な人影が街灯の光を浴びて姿を現していた。何事だろう。
「すいません、今晩泊まれる場所を探していて、車がパンクしちゃって」
声から察するに女性だろうか。
「ああ、なるほど」
「車で寝ようとも思ったんですけど、…ほら、このへんの山って色々言われてるじゃないですか。その、お化けとかの」
俺が住んでいる家の真横にある山は、やれ心霊スポットだのやれ妖怪山だの好き勝手に言われている。週に1回は心霊体験を求めた迷惑な輩が家の前の道路を通るほどだと祖母から聞いている。
「あの、図々しいことを承知でお願いします。今晩だけ、泊めてくれませんか?」
どうしたものか、まったく知らない人を家に、それも深夜2時に訪ねてくる人を泊めるのは流石に怖い。しかし、このまま「残念ですが他を当たってください」というのも気が引ける。何しろ道路沿いとはいえ、ここを除いた民家は少なくとも1キロは離れている。しかも今は十二月上旬、かなり冷え込んでいる。
ここで、祖母に口酸っぱく言われた言葉を思い出した。
”人にしたことは、良いことも悪いことも巡り巡って自分に帰ってくる”と。
「………分かりました、どうぞ入ってください」
決心して、彼女を家に上げることにした。
扉を開けた瞬間、思わず息を呑んだ。そこに立っていたのは――信じられないほどの美女だった。
身長は自分と同じくらい。黒くつやのあるセミロングの髪。気品の見られる美しい姿勢。いい値段のしそうな黒のコート。
全く惚れ惚れする見た目である。
「ありがとうございます、では」
「へ?」
そう言うと彼女は一歩前進し、妖艶な雰囲気で俺の首の後ろに両手を回し、俺と唇を重ねた。
「……ん?!んー!んー!」
何が起きた、へ?俺いまキスしてるのか?!なぜ!
いきなりの展開に脳の処理が追い付かない。俺は必死に首に絡みつく彼女の腕をはがそうとするがちょっとやそっとの力ではピクリともしない。
相手の舌が自分の舌に絡みついて、どんどん激しさを増していく。
「ん、んー!や、やめ、んー!」
「んふふっ、怖がらないで、受け入れてください」
首に回していた手がさらにきつく締まる。
顔を何度も左右に背け、口をずらしても、相手はそんなのお構いなしに口を吸う。
……おかしい、いや、この状況もおかしいといえばそうなのだが、この女の腕はこんなに大きかっただろうか。なんだかさっきよりも身長も大きくなったような。力も。声も太く。
「ぷはぁ、ちょっと!何するんで、す、か」
俺の違和感はどうやら正しかったようだ。
目の前には、美しい美女はどこへやら、黒い髪から白い長髪に、頭から角が生え、筋肉質で真っ赤な皮膚、さらに入れ墨まで。高そうなコートどころか上裸だし。メキメキと音を出しながらどんどん大きくなる身長。何より、明らかに存在する喉仏。
鬼だ。それも男の。
鬼は一瞬俺の顔を見て戸惑ったような顔をしたが、向き直した次の瞬間口がグパっと裂け、鋭利な牙がいくつも顔を出した。
食われる。
「そろそろ効き始めたか?悪く思うなよ、あーーーn」
「ぅわああああああああああああ!!!」
火事場の馬鹿力というものだろうか。俺は咄嗟に腕を振りほどき、鬼の横顔を殴り飛ばした。
バランスを崩した鬼は、そのまま後ろに倒れ、土間に尻もちをついた。一体何が起きたのか全く分かっていなかったようで、殴られた頬を片手で抑えながら目をぱちくりさせていた。次第にその鬼の目にはじわじわと涙が溜まり、嗚咽交じりの泣き言が始まった。
「ま、麻痺毒!なんで効かねぇんだよ!ちゃんと接吻したのに、なんでぇ…」
なにやら言っているが、先ほどの鋭利な牙が頭をよぎり、俺は鬼を思いっきり蹴飛ばし、玄関の扉を勢いよく閉めた。まるで、今起きたことを全てなかったことにするように、夢であることを切に願うように。すると外から、鬼の悲鳴が聞こえてきた。
「はああああああああ!?なんでぇ、昨日までここ今村だったのにぃ!なんでよりもよって渡邊なんだよぉ、クソ、クソぉ」
地面を必死に殴り、地団駄を踏む音が聞こえる。
祖母から譲り受けたこの家は、もともと母方の実家で、今村であったが、俺が引っ越してきたばかりということもあり、今日新しい表札に変えたばかりだった。
というか、『よりにもよって渡邊』っていうのは。
………渡邊、渡邊、渡邊。
ああ、そういうことか。ここはイチかバチか…
「お、おい!そこの鬼!」
「ヒッ!」
すりガラス越しにもわかる。この鬼、めちゃくちゃ怯えている。
「今すぐここから立ち去れ!さもなくばこの髭切でお前の首を切るぞ!」
俺は玄関脇の傘立てからビニール傘を取り出し、刀のように構えた。すりガラスに感謝である。
……なぜか口調がどっかの武将みたいになってしまった。
「ああああ、ごべんなさいぃ!!、まだ死にたくないいい!」
この過剰な怖がり方。思ったよりもはったりというものは効くものなのか。それともこの鬼だからか、
「ここを去れ!」
「ずびませんでしたぁあああ」
父方の祖母から聞いたことがある。平安時代、渡邊綱と呼ばれる武将がいたらしい。彼は源頼光らとともに京に潜む数々の鬼を退治するほどの実力の持ち主だとか。そのため、鬼は今でも渡邊という名字を恐れているとかなんとか。まさか本当だったとは。
ぐしゃぐしゃな声を上げながらバタバタと地面を蹴る音を最後に音は聞こえなくなった。
…何だったんだ、今の。
俺は玄関の扉に鍵をかけたことを確認し、一応、うがい薬で三回口をゆすぎ、塩を二振りほど玄関にまいた。
…何してんだろ。
やってることが何だか馬鹿らしくなり二階のベッドに戻った。
ピンポーン
眠い目をこすりながら、スマホをつける。見えた時間は午前4時。まだ部屋の窓は暗い世界を映している。嫌な予感が滅茶苦茶する。
電気はあえて付けずに、恐る恐る階段を下り、玄関を見た。
「ぐすっ…うう…うぇ」
玄関には角の生えた人影?鬼影?がある。ついさっき聞いたばかりの湿った泣き声。またお前かよ。
せっかく何事もなかったように寝てたのにこいつは…
うーん、そうだ!聞こえなかったことにしよう。知らぬが仏という言葉を先人は残してくれている。きっと今のようなタイミングにこそこの言葉は真価を発揮する。
ゆっくり、一段一段階段を戻る。落ち着いて、落ち着いて。
ピンポーン
無視だ無視。
ピンポーン
ピンポーン
”人にしたことは、良いことも悪いことも巡り巡って自分に帰ってくる”
いや、相手は人じゃないし、うん。
ピンポーン
ピンポーン
ピンポーン
「人の家の呼び鈴で遊ぶな」
何やっているんだろうなぁ、わざわざ面倒ごとに首を突っ込むなんて。
「ううっ、ああ、ああ!起きてたならとっとと出ろよぉ。」
玄関越しで安心したような声で話しかけてくるが、やってることと言ってることは支離滅裂である。
…怒らない怒らない。
「…よかったな。それで、用件は」
「今晩、その、えっと」
「なんて?」
「今晩…ここに泊めろ」
ゆっくりと玄関の扉を開け、覗いてみると。そこには真っ赤に目を腫らせ、涙を浮かべる鬼が立っていた。
もちろんだが泊める道理などない。ましてや殺されそうになった相手なんて。はったりがばれたりなんかしたら。
「黙って元来たところに帰れ、というか泊めるわけないだろ、死にたくないし」
「あ、安心しろ!俺はもうお前を襲わない」
「なぜ」
「お前が渡邊の人間だからだ」
やっぱり、おそらく言っていることは本当だろう。この鬼はもうこれ以上俺を襲わない、というか、襲えないだろう。
「だからと言って泊めるわけじゃない、というかなんで帰らないんだ」
「それは、だから…」
鬼は真っ赤に腫らした目を下に向けながら言いにくそうにゴニョニョと呟いている。何を言っているのかほとんど聞こえない。
気づけば薄暗い空から雪が降ってきていた。なんだか構図が雪の日に裸で人を外に放り出すヤバい現場だが、まぁ相手は鬼だし、何言ってるかわからんし。
もういいか。
「よくわからん相手は家に上げられない」
俺はピシャリと玄関を閉め、靴を脱いだ。
「うわあああ!ごめんなさい、ごめんなさい!言う!言うから家に入れてくれ!凍死したくねぇよ!」
鬼でも凍死とかするんだ。というか自分でコート破いてたよな。
俺は玄関に腰かけ重たい瞼をやっとの思いで支えている。
「改めて聞くが、お前はなんで家に帰らないんだ?」
「あんたを殺せなかったから、鬼の里の連中が殺して食うまで帰ってくるなって言ってて、人間を殺せないと一人前じゃないって」
なるほど、話が見えてきた。この鬼はどうやら“今村さん”を狙ってこの家に目星をつけていた。そして今村を食べて初めて一人前として認められ、村に帰れる。しかし、運悪く祖母は1月前に他界、ここに新たに越してきたのは渡邊の血が入った俺。そのせいで一人前どころか里にも帰ることができなくなってしまったと言うわけか。
こいつ、なかなか不憫な奴だな。
ドアの向こうから寒い寒いという声が聞こえる。
同情だろうか、哀れみだろうか。どうせこいつは殺せない。俺は玄関を開けた。
「どうぞ、泊めてやる」
俺の姿を見た鬼は、一瞬にして蛇に睨まれた蛙のごとくカチコチに硬直してしまった。いくら俺が渡邊だからと言って助けを求めた相手を見て硬直とは。
鬼の前で、おーいと声をかけたり、指パッチンをしてみたりして、ようやく目が合った。
「お、お邪魔します」
俺よりも身長が大きいくせに、ぺしょぺしょな顔と縮こまった態度のせいで、俺よりも小さな存在に見える。これじゃあどっちが鬼なのか考えものだ。
リビングに通し、彼の座る椅子の前に淹れたてのお茶を出す。椅子にちょこんと座った彼からは本当に美女の面影も恐ろしい鬼の形相も嘘のように感じられない。まるで、初めて家に来た保護犬のようだ。
「まず、なんでこの家を襲ったんだ?」
お茶をチビチビ飲みながら、鬼は少しずつ話始めた。
「恒例儀式だ。俺たち鬼は一定の年齢になったら無作為に選ばれた民家の人間を一人で殺して食べる儀式がある、それができたら一人前の鬼として認められる」
おかしい。祖母が死んだのはひと月前のはずだ。ランダムとはいえ誰もいない家が候補に挙がることなどあるのだろうか。
「ここ最近ここにはだれも住んでいなかったはずだが」
「下見に来た時に、帽子をかぶった筋肉質の男性が何人かいたぞ」
引っ越し業者さんかぁ。
「それで、渡邊の俺がいて、返り討ちにあったと」
「そうだ、里のみんなに一人前になるまで帰ってくるなって言われて」
またも、涙がじんわりと湧き出る。ちょっと面倒くさいなこいつ。
「なるほど、でもなんで俺のところに来たんだ?渡邊って鬼の天敵だろ?」
俺としてはよく顔出せたなと思うが。
「他に行く当てねぇし、外寒いし、それで…」
「そ、それで」
猛烈に嫌な予感がしてきた。
「しばらくこっちに住まわせてくれ!」
今晩だけじゃなくてしばらくって言ったぞこいつ。
「ダメだ。ていうか他の家行けよ」
自分で言っていて最低なことを言っている自覚はある、しかし、わが身が大事であることに変わりはない。
「無理だ、申請書出した後は変更効かない」
家を変えられないことよりも鬼の世界にそんな役所の制度みたいなものの方が気になるのだが。
「それでも、ダメだ」
「な、なんでだよ!家にまで上げて、お茶まで出して!手出すなら最後まで面倒見ろよ!」
それはお前が呼び鈴連打を深夜にしたからだろう、という冷ややかな突っ込みを心の中で行った。
「・・・寝首を搔かれるかもしれない」
「そんなことしない!あと、しても意味がない」
鬼はゆっくりと俺の左手を持ち、右の人差し指で、ツーっと手首にかけて前腕をなぞった。……何をしているんだ、こいつ。
「ああ、やっぱり。渡邊の血は受け継がれる鬼への耐性みたいなのがあるんだ。今の普通の人間なら腕が裂けて骨が丸見えになるはずだ」
「え?」
血の気が引いていくのが分かる。
…なぞっただけじゃないか。腕を見ても触ってもいつも通り。もしこいつの言うことが本当なら…自分が渡邊で心底よかったと実感した。
「言っただろ?俺たち鬼はお前を傷つけられない。たとえ殺しても歯が割れて食えない」
そうか、俺は鬼からの直接攻撃には耐性があってもいざ包丁で刺されたり、硬いもので殴られたら死んでしまう訳か。だが、そうしたところで食う事はかなわない。本当に渡邊でよかった。
鬼は何度も涙をたらしながら「俺は安全だ」と訴える。仕舞いにはお願いしますと敬語まで使ってくる。
…ばあちゃん、あなたの言葉はもう呪いのように俺を縛ってしまったみたいだ。
「分かった。名前は?」
鬼は満面の笑みで何度もありがとうと呟きながら縋るように俺の腕をぎゅっと掴み、顔をスリスリと擦っていた。ああ、鬼の鼻水が糸を引いて鼻水ブリッジが俺の手の甲に建設されてる。
「柊だ」
「俺は渡邊智樹。柊、俺の言うことを聞かなかったらすぐに追い出すからな」
「ありがとう」
涙をごしごしと拭くとへにゃへにゃな安堵の表情で小さく返事を返した。
引っ越し二日目にして、俺は鬼との同居が決まった。




