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囁きの輪郭

スタジオの扉をくぐった瞬間、玲美は胸の奥がざわついた。

まるで空気そのものが濃く、重く、押し寄せてくるような――。


「ここが……オーディション会場か」

隆司が声を潜めて呟く。普段は大声の彼も、今日はさすがに緊張していた。


スタジオの中には黒いカーテンが垂れ下がり、照明は最低限。

審査員らしき影が数人、奥に並んでいるが表情は暗くて見えない。


「……なんか、普通のオーディションっぽくない」

綾音が腕を抱えて小声で言う。その声に震えが混じっていた。


浩太はすでに顔面蒼白で、両手を汗でぐっしょり濡らしている。

「僕、やっぱり無理だ……」

「大丈夫。ここまで来たんだから」

玲美は浩太の手をそっと握った。冷たく震えているその感触に、自分まで心臓が早鐘を打つ。


「次、受験番号十二番から十六番。こちらへ」


低い声が響いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

その声は確かに人間のもののはずなのに、どこか空洞のように響いていた。


舞台のような空間に通され、玲美たちは並んで立つ。

審査員の影がじっと見下ろしている。


「まずは一人ずつ台詞を読んでもらおう」


台本の課題は二種類。

ひとつは「優しい兄の役」。

もうひとつは「狂気に飲まれる犯人」。


真逆の役柄を、短時間で演じ分ける――声優を志す者にとって避けて通れない試練だった。


最初に隆司が前に出る。

「俺が守る!」

力強い声が響き渡る。教室で笑われたあのセリフだ。


しかし今日は違った。

彼の声は空気を震わせ、会場の隅々まで突き抜けていく。

一瞬、玲美も聞き惚れた。


だが次の課題に入った瞬間、雰囲気が変わった。

「……お前を殺すのは、俺だ」


声は大きいが、狂気の色は薄い。

ただ怒鳴っているように聞こえる。


「……だめだな」

審査員の影が呟いた。その声がまた、ぞわりと耳を這った。

隆司は悔しさを滲ませ、黙って席に戻る。


次に綾音。

彼女は深呼吸し、静かに台詞を口にした。


「大丈夫だよ、君は一人じゃない」


その声は柔らかく、心に染み込むようだった。

玲美は思わず胸が熱くなった。


だが狂気の役に入った途端、その声は鋭く、鋼の刃のように変貌した。

「……あははは、壊れる音って、綺麗ね」


玲美は背筋が凍った。

まるで別人だ。声ひとつで人を支配できる――それが綾音の才能。


けれど、綾音は終わったあとに唇を噛みしめていた。

「……まだ足りない。玲美には勝てない」

その小さな呟きは、彼女自身の心の闇を覗かせた。


そして浩太の番。


彼は前に出た瞬間、足がすくんで動けなくなった。

会場に緊張のざわめきが走る。


「浩太くん……」

玲美が小さく呼んだが、彼の耳には届かない。


「……ぼ、僕は……」

ようやく口を開いたその声は、掠れて震えていた。


「大丈夫だよ。君は一人じゃない」

セリフを読むが、声は小さく、空気に溶けて消えた。


審査員の影が失望のため息を漏らす。

その瞬間――照明がふっと揺らいだ。


「ひっ……!」

浩太が悲鳴を上げた。


カーテンの奥から、囁きが流れ込む。


――声の迷宮に、居場所はない。

――お前の声は誰にも届かない。


玲美の耳にも、確かに聞こえた。

ただの幻聴じゃない。ここに、何かいる。


浩太は崩れ落ちそうになり、玲美は咄嗟に駆け寄った。

「聞こえなくていい! 私が聞くから!」

その言葉に、浩太の目がかすかに揺れた。


彼は震える声で、最後のセリフを絞り出した。

「……お前を……殺すのは……僕だ……」


掠れていたはずの声が、その瞬間、鋭く突き刺さった。

教室でいつも聞けなかった「芯」が、そこにあった。


最後に玲美が前に出る。

手のひらは汗で濡れていたが、不思議と恐怖よりも仲間の想いが胸にあった。


「……大丈夫。君は一人じゃない」


声を出した瞬間、会場の空気が変わった。

それは優しさでもなく、強さでもなく――ただ、玲美の声そのもの。


囁きがかすかにざわめいた。

――行方を選ぶのか……?


次の瞬間、狂気のセリフを吐き出す。

「……全部、壊してやる」


自分でも驚くほど、低く、冷たい声が出た。

背筋が震えたが、確かに会場を支配していた。


審査員の影が沈黙したまま、ただじっと見つめていた。


全員が終わり、会場を後にする。

外の空気を吸った瞬間、皆が一斉に息を吐いた。


「……やべぇな、今日」

隆司が額の汗を拭う。


「玲美、あんた……」

綾音は何かを言いかけて、唇を噛んで黙った。


浩太はまだ震えていたが、その瞳にはわずかな光が宿っていた。

「玲美さん……ありがとう。僕、初めて……声を出せた気がする」


玲美は静かに頷いた。

だが胸の奥では、囁きがまだ響いていた。


――声の迷宮は、終わらない。

――選ばれる声と、消える声。

――次は誰の番だ?


玲美は無意識に拳を握りしめた。


「……私たち全員で、この行方を掴む」


(つづく)

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