人を好きになれない人
部屋に漂う酒と油の臭いに吐き気がする。
口々に昔の話をしては盛り上がり笑い声が上がる
酒の入ったテンションでこの部屋の温度が高くなっているように感じる。
グラスに入った烏龍茶を一口のみ横に座る伊藤 秋人の顔を横目で見る
こちらに気づいたのか笑いかけて声を掛けてくる。
「祈織!久しぶりに会えてよかったよ
何年ぶりだっけ?あー!そうそう、聞いたよ
新曲!あれめっちゃ人気だよね〜」
肩に触れられ眉を寄せ睨み上げた。
これ以上、このイカれた空間に居たくないそう思い席を立とうとした時だった。
高校の同級生だった奴らも集まって来て話しかけてきた
「そうそう!超人気だよな!しかも、有名な歌手に歌ってもらってんだろ?」
秋人の肩に腕を置きながら偉そうな態度で見下ろされる
「SNSでも、すげーバズってたよな!いやー、俺らよく一緒にいたじゃん?
仲良くしてた奴が有名人!て、鼻がたけーよな」
金髪の髪を証明に照らされながらゲラゲラ笑う
「…俺も、聞いたよ。凄く、いい歌だった」
僕の向かいに座った奴がそう言った。
仲が、良かった?何を言っているんだ、こいつらは?
「そうそう、俺の彼女もすげー好きでよく聞いてるんだよな
俺の幼なじみが歌作ってるって言ったら会わせて!だって!」
秋人が興奮気味に言ってそれに同調したように
「彼女と言えば、お前らもうすぐ結婚するもんなー
丁度いいじゃん、祈織に歌作って貰えよ!」
それを聞いた瞬間に立ち上がり声を荒らげた。
「…仲が良かった?……本気で言ってるのか?
巫山戯るのも大概にしろよ!僕らが仲良かった事が1度だってあったか?
お前、お前ら自分が何を言ったのか覚えてないだろう
あの歌詞が良い曲?何も知らないから言えるんだ。
僕の感情をあの歌詞に乗せたんだ、お前らなんかに聞かせるものじゃないんだよ!
なのに、なのに、どうして僕がお前なんかの為に歌を作ってやらなきゃならないんだ!?
お前のせいで僕は人を愛せない、人を疑って生きるようになってしまった!なのに、どうして……
人を馬鹿にするのも大概にしろよ。
忘れるな、人の人生を狂わせた事を忘れるな!
僕の歌詞を聞く度に、僕の歌が何処かで鳴り響いている度に、お前らはどれ程憎まれているのか知るんだ。
結婚?良かったな、お前の加虐性が彼女に向かないことを祈っててやるよ!
今日、会って分かったがお前らは学生の時から変わってない。
何も、変わってなかった。本当は来たくなかった
でも、もしかしたらと……思っていたのに。
………来なければよかった」
そこまで言って肩で息をしながら辺りを見渡すと静まり返り皆がこっちを見ていた。
「……楽しい場に、水を差して悪かったよ。
もう、二度と来ないし。……誘わないでくれ」
静寂の中、僕の小さな声だけが響いた
そこから逃げるように部屋を飛び出した。
店から出てすぐの所で後ろから腕を掴まれた。
驚いて振り返ると先程向かいに座っていた中村 秀翔が立っていた。
腕を振り払おうとしたが力を入れられ外れなかった
睨みつけると複雑そうな顔をして俯き呟いた
「…ごめん」
その一言で固まって力を入れていた腕を緩ませると自然と手が離れていった。
「…ずっと、謝りたかった。
今更、しかもお前にあんな風に言ってもらってやっと言う事が出来たなんてダサいんだけどさ。
本当に、今日会えたら謝ろうと思ってたんだ
あの時は本当にごめん」
深く頭を下げて後悔のまじる感情の籠った声が聞こえた気がした。
突然の謝罪に驚いているとまた後ろから声を掛けられた。
「…何、してんの?」
聞きなれた声に顔を上げるとそこに立っていたのは同じ音大の友人、清水 征司だった。
「…帰るぞ」
そう言って手を取られ歩き出した。
一度だけ振り返って見えたのは泣きそうな顔をしたままの中村と、店から慌てて飛び出してきた秋人の姿だった。
こんな事になるなら本当に来なければ良かったと後悔だけが残った。
征司の車に乗りこみゆっくりと進み出す。
「…その様子だと駄目だったのか?」
信号待ちにこちらに視線を向けたが、青になり前に視線を戻すその目を追うように前を向く。
「…やっぱり駄目だったよ。人はなかなか変われない
あいつら僕達の歌が好きだって…ふっ、はははは!」
窓を向き腹を抱えて暫く笑っていた
車はハザードを点滅させて道端に停まった。
「…なんで停まっ」
振り返って途中迄出た言葉はもうでてこなかった
隣の男に頬を包むように触れられ涙を拭う仕草をして離れていった。
触れられた熱を辿るように指先で触れると僕は涙を流していた。
「…無理するな、それにあの歌詞は俺達の大切な歌だった筈だ。
彼奴らへの憎しみだけで作ったのか?…違うだろう?」
眼鏡越しに見える彼の瞳は僕を捉えて離さなかった
僕はこの目に弱い。
彼の頬に触れながら僕にした仕草を彼にし返してやった。
「…そうだね、あれは僕達の歌だよ。
そして僕が君の音を支配したいと思って作った歌詞でもあるね?」
ふふっと笑いかけると彼の頬に触れたままの手に上から重ねて猫のように擦り寄った。
「…お前になら俺の音を支配されたって良い。
それを許すのはお前だけだ」
先程まで猫のようだったのに今は虎のように獰猛な目をしてこちらを見ていた。
頭をわしゃわしゃと掻き混ぜてやるとズレた眼鏡を元に戻して車を出した。
暑い日差しに照らされ被った帽子が更に暑くて汗が滴るほどで、おまけに顔に熱がこもってきっと真っ赤だった。
それに横には大好きな子がいて余計に暑さを感じた。
背負ったリュックを両手で戻して振り返ると後ろには幼なじみとその友達が数人いた。
こちらに気づいた幼なじみが目が合うとニヤリと笑った。
「あー、顔真っ赤じゃん
お前、─ちゃんが好きだもんなぁ!」
皆に聞こえる大きな声でそう言うと驚いてみた隣りは
こちらを見て戸惑った顔をしていた…気がする。
分からない、まともに顔なんて見られなくて下を向いた。
「えー!マジかよ!」
「─ちゃん、つきあってやれよー」
可笑しそうに笑ったり馬鹿にしたようにはやし立てられた。
「…いのりちゃんのことすきじゃないからむりだよ
いのりちゃんっておんなのこみたいだからよくあそぶだけだし!」
顔を赤くしてそう言われた
それを聞いた周りの奴は笑っていた。
僕はその場に居たくなくて走り出していた。
後ろからまだゲラゲラと笑い声がしていて何がそんなに面白いのかと帽子を抑えながら走った。
家に駆け込んでまだ逃げるように自分の部屋へと走った。
母さんが心配そうに声を掛けてきたけれど僕はろくに返事もせずに耳を抑えて泣いていた。
耳にこびりついていた皆の笑い声が聞こえなくなるまで耳を抑えて縮こまっていた。
伝えるつもりの無かった僕の幼い恋心は他人によって暴露され、育てた心は枯らされた。
それから僕は教室に入る事が出来なくなり保健室通いになった。
懐かしい夢を見た、僕の初恋が他人によって踏み躙られた。
今もまだ耳にあの嘲笑が聞こえてくる消えない、もうずっと消えないんだ。
耳を押えて蹲っていると扉からノックの音がした。
肩を揺らし扉を見ていると聞き馴染みのある声が聞こえて力を抜く
「…入るぞ」
少しの間を開けてから入ってきた彼は僕の姿を見ると傍まで寄ってくる。
「…良いか?」
と、ベッド脇にしゃがみ混み、膝を抱えて耳を押えている僕の目線に合わせて優しい声で問う。
それに僕は頷くと彼は僕に腕を伸ばし優しくそっと包み込んでくれた。
包み込まれた僕は彼の心臓辺りに耳を寄せ少し早い心音を聞きながらその温もりに安堵する。
此処が僕の安心出来る場所、彼が居れば僕は大丈夫。
そう思える様になったのはそれでもここ最近なんだ
彼はずっと僕に真心を尽くしてくれていたし、誠実だった。
彼は僕を嘲たりしないし、僕を貶したり傷つけたりしない
外界から、彼はもうずっと僕を守ってくれている。
彼、清水 征司とは音大からの付き合いだ。
この頃の僕はとても不安定だった。
薬はもうずっと飲んでいたし、不眠で新しい環境にストレスで死にそうだった。
本当は通いたく無かったけれど、母さんと父さんが家からあまりにも出ない事に焦り大学に行く事を薦めた。
このまま会社員になるのはきっと無理だという百歩譲った親なりの優しさだったんだろうけれど…
それでも、かなりショックではあった。
こんなに恐怖や不安を抱いているのに外に放り出されるのかと最初は思ったけれど。
やっぱり、このまま世話になり続けるのはきっと親からも見放されるんじゃないかと思ったら行くしかなかった。
そこで、僕はどうせ学びに行くのならば音楽を学びたいと親に伝えれば好きにしなさいと言われたので音大に入った。
それなりの成績ではあったし、問題なく入学ができた。
講義で席が隣だった僕らは最初、挨拶以外話さなかった。
僕は人に話しかけられないし、征司もまた他人に声を掛けるタイプでは無かったからだ。
彼は常に無口で、無表情で何を考えているのか分からなかったし、僕は嫌われているのかもしれないと不安が募っていた。
彼とは隣にならない様にと思っていたけれど僕らは必ずと言っていい程隣になっていた。
その内、征司が僕に話し掛けるようになってきて
僕らが案外、相性がいいのだと思うようになっていった。
それに、僕は彼の奏でる音が大好きだった。
彼の美しいピアノの音は時折、激しさがありとても情熱的だった。
あの、普段の静かさと言うか他者への興味の無さがまるで嘘のように強く、激しく音が響いていた。
その音は僕の身体を貫き凄まじい衝撃に気が付けば僕は歌い出していた。
僕の中に秘めていた言葉を、感情を、彼が引き摺り出したんだ。
それはとても怖くて、苦しくて、歌と言うには美しさの欠片も無かったけれど
その支配される感覚に僕は恐怖を覚えながらも心地良さを知ってしまった。
いや、思い知らされたんだ。
全てを吐き出した僕は過呼吸になり、その場に崩れ珍しく必死な顔をした征司を見てその頬に触れた。
袋で息を整えた僕は落ち着きを取り戻して、過去にあった事や僕が抱えている問題について話した。
ピアノの前に2人揃って座り僕の手を握ったまま征司はずっと僕の話を聞いてくれていた。
話しを全て聞き終わった彼は僕の手を鍵盤の上に置き人差し指で音を鳴らす。
そして、僕の目をじっと見詰め鍵盤に視線を移し、目を閉じると僕から手を離し音を鳴らした。
そのまま引き続ける彼が再び目を開け僕を見た
彼は一言も声を発さなかったけれど、気が付けば僕は歌いながら彼の音に合わせて指を動かした。
この心地のいい感覚に身を委ねこうして、僕達の初めての歌が出来上がった。
僕はそれからずっと征司と一緒にいた。
いつでも一緒だし、僕に話しかけるときは必ず征司が応答してくれていた。
征司に任せてばかりだから大変だろうからと僕も頑張るよ?と言ってみたけれど征司はそれを断った。
「…俺は大丈夫だ。
それより、祈織が辛い思いする方が俺は嫌だから」
そう言って僕宛てのメールや連絡、社会に出てからは仕事の話しまで全て彼がしてくれるようになった。
抱きついていた僕は体を離し平常を取り戻した。
「おはよう、征司」
征司は眼鏡を正しい位置に整えベッドから立ち上がった。
「おはよう、祈織。…朝飯、出来てるぞ」
それだけ言って部屋から出て行った
僕もベッドから降りてカーテンを開き部屋から出た。
部屋から出た僕の鼻を擽るのは美味しそうな味噌の香りと、卵焼きの香り、それから魚の芳ばしい香りだった。
席に着くと征司も座り二人で食べた。
それから作業室に籠り二人で話し合い音を聞いて
僕は歌ったり、呻いたり、黙り込んで歌詞を書き殴っていた。
散らかった紙を時々、征司が片付けてくれていて僕は構わず書き続けていた。
漸く、完成した歌を征司のピアノの音に乗せ僕が歌って支配した。
この音は僕のもので、その音を奏でるこの男も僕のものだと分からせるように
彼は歌う僕と目を合わせその虎のような瞳でじっと見ていた。
その視線に笑い掛けると征司がたまにする目を細めた僕の知らない感情を込めて見詰めてくる。
その目をされると僕はよく分からなくなって今度はその音に支配された。
その音に心地よくなっていた時だった普段鳴らない携帯が鳴った。
その音に一番に反応したのは征司だった。
「…誰からだ?」
訝しげな顔をした征司が僕が携帯を取る前に征司が電話を持ち上げ画面に出た番号を僕に見せた。
見覚えのない番号に首を振ると征司が電話に出た。
「誰だ」
開口一番それが言えるのは征司くらいだと思う。
電話の相手は戸惑っているようだった征司があぁ、と何かを察した様な声を出すとこちらに視線を向けた。
携帯から耳を離し声が通らない様にすると誰が電話の相手なのかを教えてくれた。
「伊藤 秋人」
その一言だけ言うと彼は僕にも聞こえるようにした。
「…祈織は、お前とは話したくないと言っているが」
僕は何も言わなかったのにそう言ってくれて少し安心した。
どうして、どうして僕の番号を知っているの?
どうして僕に掛けてきたの?僕に文句を言う為?
また、同窓会に誘って僕を笑う為?それとも曲を作ってくれって言われるんだろうか?
「…頼むよ、祈織。そこに居るんだろう?
頼むよ、頼むから俺ともう一度会って話してくれないかな。
会いたくないなら会わなくてもいい、電話でもいいんだ。
お願いだ、話しだけでもさせて欲しい。
きっと、俺達の間に誤解があるんだ
俺は1度だってお前を傷つけようと思って接したことは無いよ?
いじめだって無かったし、あいつらだってそんな事してないって聞いたけど?
きっと、お前のなかで嫌な事があったのかもしれないけど、お前を傷つけたいと思ったことなんて本当に無いんだ」
あの頃が、あの日々が、僕にとってどれだけの痛みだったかを彼は知らないんだ。
自分達は悪い事をしていない、それを相手が傷つく事だと知らないんだ。
視界が歪み呆然と立っていると征司が僕を抱き締めながら言った。
「祈織に聞いていたよりずっと幼稚で驚いたよ。
第三者である俺が聞いてもお前が祈織と話したい理由は明白だろう
祈織に恨まれたままでは幸せに生きられない
昔の事を何としても祈織に誤解だと認めて欲しい。
そういう事だろう?」
僕の背を優しく撫でながら秋人の返事を待っていた。
「そんな事はない!本当に違うんだ!誤解だ!
お前に話してるんじゃないんだ。
祈織、祈織!聞こえてるんだろ?
俺は、本当にお前とはずっと幼なじみで親友だと思ってたんだ。
お前を傷つけたいと思った事なんて本当にない
俺は、お前を大事だとおも」
そこで征司は電話を切りそのまま着信拒否をして僕に携帯を返した。
「祈織、もうあいつが話しかけてきたり何かしらの方法で接触してこようとしても関わるのをやめろ
これ以上、祈織を傷つけるやつに心を傾けるな」
征司の胸に埋めていた顔を上げ涙で濡れて情けない顔をした僕を征司は仕方なさそうに笑い頭を撫でた。
「祈織、お前には俺がついてる。
お前の事は俺がずっと守ってやるから」
あの獰猛な瞳で見詰められいつもの心地良さでは無くどうしてか酷く恐ろしい落ち着かない気になった。
それから暫く何事もない日々が続ききっとあの時の違和感は僕の気の所為なのだと再び彼の音に心地よくなっていた。
「…あれ、無い」
いつも飲んでいる薬がきれている事に気がついて不安感が募った。
おかしい、いつも薬が無くなる前には必ず処方箋を貰いに二人で病院に行くのに
どうしよう、無い。
薬、薬がない、今は征司も居ない。
どうしよう、どうしよう、先生……先生に電話
電話しないと…
不安感が募り正常な判断も出来ずとりあえず働かない頭で思いついた先生に電話するを、する事にした。
征司、征司、どうしよう。征司が居ないと……
「……せん、せい」
それだけ声に出して言うといつもの穏やかな声が聞こえてきた。
「佐々木さん?どうしたんですか。
ゆっくり呼吸しましょうね…そう、上手ですよ
そうそう、そのまま。はい、良いですね
佐々木さんから電話を貰えて僕は嬉しいですよ
じゃぁ、何があったか教えてくれますか?」
ゆっくりと呼吸を整えさせてくれた先生は僕の説明を聞いてくれた。
「そうでしたか、そう言えば先週お薬何時もより頼まれるのが少なかったので早めに受診されると言ってらしたんですけどお仕事なら仕方が無いですね。
どうしましょう、僕から清水さんに連絡しましょうか? お仕事終わりなら夕方ですかね?
予約入れておきましょうか?」
僕の為に代わりに他の仕事を頑張ってくれている征司にこれ以上、甘えていいのだろうか……
征司が、離れていったら……どうしよう
「…先生、僕が行きます
今から予約取れそうですか?」
意を決してそう言うと先生は少し黙ったあと優しく聞いてくれた。
「…佐々木さんの頑張ろうとする所凄く素敵だとは思いますが…
今、佐々木さんはとても不安定な状態かと思います。
清水さんの帰りを待ってみるのは駄目なんですか?」
「…先生、僕、征司に頼ってばかりだからたまには、頑張ってみたくて…」
僕の言葉を聞いた先生は少しの間をあけて言った。
「…分かりました、佐々木さんいつでも大丈夫なのでゆっくり来てください。
途中で何かあればいつでも電話してくれて大丈夫ですよ
それでは、お待ちしてますね」
それに返事をして電話を切った。
そうだ、いつまでもこうではいられない
別に外に出られない訳じゃない。
病院への道のりは遠く感じたけれど、心配してくれていたのかソワソワと診療所の外へ出ている先生を見かけた。
「…!佐々木さん、無事こられましたね!
凄いですよ、とてもいい傾向ですね!!」
満面の笑みで子供のように褒められたなんの悪意もないその笑みに僕もつられて笑ってしまった。
そのまま先生の所で話しをしてお茶までご馳走になって薬をもらって帰り道を歩いていた時だった。
突然僕の腕を引っ張られ路地裏へと引っ張り込まれた。
何事かと暴れたけれど僕より大きい身体で僕よりも力を持った人だったので全く抵抗が無意味だった
大声を出そうとすると口を塞がれた。
怖くてパニックになり更にバタバタと動くと壁へと強く押し付けられた。
「祈織、祈織、俺だよ!」
その声に僕の身体は固まってしまった。
「……し、秋人…ど、して?」
驚きに目を見開いていると秋人は僕の肩口に額を乗せた
それに肩を揺らしカタカタと身体が震えるのが分かる。
あぁ、まずい。く、薬。薬が無いと不安定……
カタカタと震える手で貰ったばかりの袋から薬を出そうとしたけれど上手く手が動かせなくて余計に焦る。
「…?祈織?どうしたんだ?」
僕が何をしたいのか察した秋人は薬を僕の手に出してくれた。
薬を口に含んだけれど飲めない。
飲み物を何も持っていなかったのを思い出して何とか飲み込もうとしたけれどなかなか飲めず更に焦りが増す。
徐々に、溶けてきた苦い薬を何とか飲み込んだけれど結局、むせて吐き出してしまった。
呼吸が段々と浅くなるのを感じるまずい、このままじゃ過呼吸になる…
胸を押さえて朝いい気を繰り返しながら自然と口にしていたのは
「…せ、ぃじ。せい…じ」
それを聞いた秋人は眉を寄せ酷く機嫌の悪そうな顔をした。
「…だから、誰なんだよそいつ!」
いきなり引かれた僕の身体はあっさりと秋人に抱き込まれ顎を掴まれ上を向かされると次の瞬間には噛み付かれていて
こじ開けられた口の中に苦味が広がったかと思うとそれを飲み込まされた。
「…ふっ、ぐぅ……」
苦しくて、苦くて、段々と遠のく意識の中で咆哮が聞こえた気がした。
「祈織!!!」
愛しい愛しいただ一人を抱き締め唸るように声を上げた。
「お、前!!!俺のに誰の許しを得て触れてるんだ??
あぁ?ノーマルの糞の癖に汚い手で触ってんじゃねぇ!!」
蹴り飛ばされた秋人は静かに殺気の籠る目で睨みつけていた。
「…お前か、征司ってのは祈織はずっと俺のものだった。
あいつが傷ついていたなんて本当に知らなかったんだ。
それに、祈織だってずっとずっと俺が好きだった筈だ
たまに間違えて他の奴を好きになってたみたいだけど俺はその度に思い出させてやってただけだよ。
祈織は俺が結婚しても、年寄りになってもずっと傍に居ると思ってたんだ
なのに何故だ?どうして俺が憎まれてるんだよ?
可笑しいだろ?駄目だ、駄目に決まってる。
そう、そうだ。全部、お前のせいだったんだな
お前のせいで祈織は勘違いをしてしまったんだ」
不気味な笑みを浮かべた男は腕に抱いた愛しい人を見ていた。
その目が気に食わず抱き上げ背を向け歩き出し
足を止め吐き捨てるように言ってやった。
「気持ち悪い野郎だな。とんだ勘違い野郎だ、それがどれだけ祈織を傷つけたと思っているんだ?」
幼稚どころかこの歪みを幼い頃から持っていたのだとしたらとんだ化け物だ。
「それはどっちだ、お前のものだと言ったが祈織はその気が無いんだろう?
そいつは人を愛せないと言ってたぞ」
その言葉に振り返ると近くまで寄った男がそっと祈織の頬に触れ俺を見上げた。
「結婚はしない、元々そこまで好きでも無かったしな。
流れで結婚って話しになっただけだしな。
近い内に祈織を取り返しに行くよ」
それだけ言って去って行った。




