呪われし角と、科学魔法の助手
あの騒動から数週間が経過した。
レーヴェンタール侯爵の屋敷の天井はすっかり修理され、アルスの「研究室」も別棟に移されることになった。表向きは「学習棟」、だが実態は実験と開発の拠点である。侯爵は表情こそ渋いものの、息子の異常な知性と才能を警戒しつつ、同時に国家的価値を見出しているようだった。
(とはいえ、一人じゃ限界がある……)
アルスは考えていた。前世でも実験には助手が必要だった。材料の調達、観測データの記録、そして時に思考の壁を破る他者の視点。それはこの世界でも変わらない。
(理想的なのは、魔法に精通した相棒……できれば、魔法理論に柔軟な頭脳を持った相手……)
そんなことを考えていたある日、アルスは侯爵の許しを得て、隣国との交易地・ガレミナ辺境市に視察と称して出かけることになった。侍従を数人連れた小規模な旅――だが、アルスにはひとつの狙いがあった。
(人材を探す。人間の枠に囚われず、自由な発想を持った存在を)
ガレミナは辺境ゆえに治安も悪く、魔物や亜人種との交易、あるいは闇取引も横行している。だが、それは裏を返せば、「はみ出し者」が多く集う場所でもあった。
そして、出会いは突然だった。
「次だ。ほら、見ろよ、この出来損ないの魔族。角も片方欠けてる!」
ガレミナの一角、奴隷市の陰で、怒号と笑い声が交錯していた。アルスは思わず足を止めた。鉄檻の中にいたのは、痩せ細った少女――年の頃は十歳ほどだろうか。頭にはねじれた角が一本だけ残っており、もう一方は根元から折れていた。紫銀色の瞳には敵意も諦めもなく、ただ虚無が広がっている。
「これは特売だぜ。魔族だが魔力量が雀の涙。家畜にもならん。実験素材向けだな」
周囲の男たちが笑う中、アルスはゆっくりと近づいた。
「魔力量が少ないだけで、売り物に?」
「おうよ。この種族、“シャル=アズ族”って言ってな、魔法操作は極めて精密だが、出力が極端に低い。しかもこのガキ、元々集落からも追い出されてよ。んで人間に捕まって、こうして売られてんのさ。ハハハッ」
アルスは少女と目を合わせた。無言。だが、その瞳の奥に、微かに――ほんの微かに、光があった。
「いくらだ?」
「へっ、買うのか? こんなガラクタを?」
「値段を聞いている」
商人が急に真面目な顔をした。侯爵家の紋章が刺繍されたアルスの服に気づいたらしい。動揺しつつも、相場の五倍はふっかけてきた。
「金は渡す。だが、もうこの子に手を出すな」
「も、もちろん! 感謝いたします、レーヴェンタール坊ちゃま!」
アルスは静かに檻を開け、手を差し出した。少女はしばらく見つめた後、意を決したように震える手でそれを取った。
「……名前は?」
「……レミア。レミア=シャルアズ」
「僕はアルス。今日から、君は僕の助手だ」
その瞬間、少女の目がわずかに見開かれた。命令でも、従属でもなく、“助手”と呼ばれたことに反応したのだ。
それから数日、屋敷に戻ったアルスはレミアに清潔な服を与え、食事を与え、寝床を整えた。そして、彼女の反応を観察しながら、魔法操作の訓練を始めた。
結果は驚異的だった。
「レミア、この『術式回路』、君の魔力で再構築できる?」
「……はい」
彼女はわずかに指を動かし、空中に複雑な魔法陣を描いた。通常の魔導師なら30秒かかる工程を、わずか5秒で完成させたのだ。
「これは……! 精度が完璧すぎる。これほどまでに安定した魔力操作ができるとは……!」
魔力量の少なさゆえに、一点集中で魔法を研ぎ澄まさざるを得なかった。結果、彼女は「微細な操作に特化した才能」を極めていたのだ。
「レミア、君の魔力量は少ない。だが、それは“制限”ではなく“制御性”という才能なんだ」
「……制御性?」
「そう。君は“魔力のレーザー彫刻刀”みたいな存在だ。僕の科学理論を、君の魔法操作で“形”にできる」
レミアはぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに小さく笑った。
「……私、初めて褒められた。『角が折れたから呪われてる』って、ずっと言われてきたから」
その声には、微かな震えと、強い感謝が混じっていた。
それから数週間、アルスとレミアは二人三脚で装置開発に没頭した。レミアの魔力操作によって、アルスの描く科学魔法理論は現実のものとなり、ついに「第二号エーテルリアクター」の試作品が完成した。
「レミア、起動だ!」
「はい、アルス様!」
装置が起動し、周囲の空気が静かに振動する。今度は暴発しない。魔力の制御が完璧だからだ。中央の魔石が青白く輝き、魔力と物質の流れが可視化された。
「これは……もはや“魔導炉”だ……!」
アルスは震えた。前世の科学知識と、今世の魔力制御が融合した瞬間だった。
そして、レミアはその光景を見ながら、呟いた。
「私……アルス様に一生ついていきます、アルス様のために……」