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arc-en-ciel(アルコンスィエル)#4

arc-en-ciel#4

-HIROMI-


私は神奈川県で産まれた。

実父が大阪に旅行で来ていた時に当時高校1年の母をナンパし駆け落ちした。


1年後、祖父が母の居場所を突き止め、迎えに行くと、私が母の手に抱かれていた。


祖父が母と私を大阪へ連れ帰って私は母と2人暮らし。


母は自分が1番正しいっていう人で、気に入らないとすぐ怒る、怒鳴る、手を上げるなんて当たり前で、今の時代なら虐待で訴えられる可能性のある人。


何に対しても全否定されるから、自分の意見なんて持たない、というか持てなくなった。抑える事に慣れて行って、外でも感情の出し方が分からなくなり、小学校でも友達付き合いはどうしたらいいのか解らないからせず、人は寄り付かなかった。ずっと1人行動。学校が終われば、図書館に行き、日が暮れたら帰って、台所漁って何か食べる。


小学校高学年頃にはそれが私の当たり前の生活やった。


私が小学校高学年になると母は遊びに出ている事が多くて、週初めに1週間のお小遣いがテーブルの上に置かれていて、あまり顔を合わさなかった。小さい頃から長期休みは祖父母の家に預けられていたから、長期休みは温かい食事に毎日ありつけたし、福祉人なおじいちゃんに連れられてボランティア活動に参加させてもらったりして、ボランティア活動では周りの大人に可愛がってもらって、こんな私にありがとうって言ってくれる優しい世界で、生きている事を実感出来た。


長期休み以外はモノクロの世界で息をしていただけ。


中1の5月、朝礼で担任が転校生を紹介した。5月からって珍しい。


席は唯一空いていた私の隣で、背の高い綺麗な女子がニコニコ挨拶してくれた。

どうせ、私なんかと話す奴は居ないから適当に会釈した。


昼休み、私は毎日購買で買ったパンとコーヒーを持って屋上に行っていた。ほとんど人が来ないから、午後が面倒くさい時はそのまま屋上で昼寝していた。


「お隣の子だよねぇ?」


誰も来ないと気を抜いていたら後ろから声をかけられて心臓が止まるかと思った。


「ど、どーも」

「一緒にご飯食べていい?」


少しなまりのある転校生…返事しない内に隣に座った


「お名前聞いていい?」


「高月 海美…」

「キレイな名前だねぇー」


「ごめん…名前…」

「天久珠莉です」

「教室で食べないの?」

「開放感求めて屋上来ちゃったーそしたら、高月さん見つけたの。入学1ヶ月経ってる教室って仲良しグループみたいの?もでき始めてるし、入りにくいよねぇー」


「私と話してると友達できないよ?」


「どぉして?」

「私に近寄る人なんて居ないから…」

「すっごい綺麗なお顔なのにもったいないよぉ!私は高月さんとお友達になりたいよぉー」


友達になりたいなんて、初めて言われた……


天久さんは毎日昼休み、屋上に来て一緒にご飯を食べる様になって、教室でも話しかけてくれて、自然と毎日一緒に居た。


放課後も一緒に居る様になって、休日も一緒に居る様になっていた。


私には初めての友達という存在……でも気づいたら、私は珠莉の笑顔が可愛くて仕方なくて、離れたくなくなってしまっていた。同性の珠莉に初恋をした……けど、女同士⋯こんな奴から好かれてるとかキモイやろ⋯関係を壊したくないから、恋心は封印した。高校も珠里と同じ学校に入学が決まって、その頃に母ができちゃった再婚する事になって、1人暮らしをする事になった。


1人暮らしを始めるとほとんど毎日、珠莉は私の部屋に入り浸っていた。


高2の夏、突然母が連絡をしてきて、度々継父との子の陽のお世話を命じてきた。


私が福祉大学の大学生になると、珠莉は看護学校に通っていた。家に帰ったら陽が玄関前に座り込んで居る事もあって、珠莉も陽を可愛がってくれて、3人で過ごす事も多かった。


大学卒業前、珠莉と買い物に行って、2人で家に帰ると陽がすごい熱で玄関前に倒れていた。


珠莉のお父さんの病院に運んで熱は下がったけど、陽は声を出せなくなっていた。


大学を卒業し、私は就職が決まらなくて、家に居ると、インターホンが鳴り、ドアを開けると陽が立って居た。


腕には痣が見えてる。


私は福祉大学で手話を取得していて、陽は病院でリハビリの1つで手話を習ったらしい。

陽は、あの高熱で倒れていた日の1週間前から、母が帰っていなかった事、継父も夜遊びが激しい事、声が出なくなって、母と継父に何も気持ちを伝えられなくて、イライラした2人から手を上げられる事を教えてくれた。


母にメールすると、お金は振り込んでやるから陽は預かれと返ってきて、直ぐに陽の荷物を持って来た。


その2日後、珠莉は看護学校の卒業式を終えた夜、家族と縁を切ったと転がり込んできて、1週間後、珠莉と私は椿ホームへの採用が決まった。


3人で暮らすには狭いマンションやったから、陽が寝た後に、珠莉と居酒屋で相談していたら、美華ちゃんが絡んできて、arc-en-cielにおいでと誘われ、どこより安かったから、私と珠莉と陽はarc-en-cielに入居した。


あれから早くも12年…私は去年介護主任に昇格した。


初恋の気持ちを封印した珠莉もこんな私とずっと仲良くしてくれていて、最近、陽のにこやかな表情を久しぶりに見て、色々な人との縁がarc-en-cielへ導いてくれた現在に凄く感謝している。


。。。。。。。。。。。。。。。。


-JYURI-


私は沖縄県に産まれて、ひいおじいちゃんが医者で沖縄では大きな病院を建てた。おじいちゃんに代替わりして、私が中1の時、おじいちゃんは沖縄と大阪に病院を建てて私の父に大阪の病院を任せると言い、私は大阪に引越しをした。

新しい学校。沖縄にのびのび居たから慣れない都会。。


しかも5月。微妙にクラスに入り辛いよね。


担任の先生に紹介されて、席に行くと、隣の子はめっちゃ綺麗で、ドキドキした。。一目惚れしてしまった。絶対仲良くなりたい。


昼休みに話しかけたかったのに、お隣の子はすぐに出て行ってしまった。教室を見渡すと、メイクする子、踊ってる子、騒いでる子、どの子にも話しかける勇気はなくて、お弁当持って、校内を冒険。

屋上があると案内板で知り、空気が吸いたくて屋上に行くと、お隣のお席の子を見つけて、嬉しくて話しかけた。


私は小さい頃から、人を好きになった事がなくて、周りの友達の誰がかっこいいとかに全くついていけなかった。海美は話せば話すほど優しくて、笑った顔は可愛くて、不器用だけどすっごい素直でまっすぐで、好きな気持ちが大きくなっていく子で…今でこそ、同性愛もおかしくない世の中でも、当時の世間一般の恋愛は異性愛。

海美とずっと仲良くしていたいから私は伝えないと決めた。


いつか海美に好きな人が出来て、海美が誰かと恋愛するなら、私は海美の幸せを祈ってずっと友達でいたい。


看護学校の卒業式前日、私は両親に呼び出された。

父の手には3枚の医師の写真。


一人っ子の私に伴侶を選んで、父の病院を継ぐ様にと言われた。


私は、好きな人が居る事、それが同性である事をカミングアウトし、両親の要望には答えられないと言うと、両親は怒って、翌日の卒業式の後には家を出て、考えが変わるまで帰ってこなくていいと言った。


私は、変われないと思うから、

育ててもらった感謝の手紙は母に残して、家を出た。


行くとこなくて、海美の家に行ったら、陽君も居て、すぐに、就職もarc-en-cielへの入居も決まった。


あれから12年。私はずっと海美への想いを胸に持ち続けて、いつかくるだろう海美の幸せを祈る日々が来るのを不安に思いながら、ずっと海美のそばに居る。。本当はずっとずっと海美のそばに居たいなぁ……


。。。。。。。。。。。。。。。。。

-HIKARU-


俺は小さい頃からしょっちゅう姉ちゃんに預けられてた。姉ちゃんは異父姉弟。父親は違う人で母親は一緒。小さい頃はよくわからなかったけど、家では、朝起きても、まだ母親は起きてなくて、手が届くとこに置かれているバナナやお菓子を食べて、1人で遊んでた。昼過ぎに姉ちゃんの家に行ったら姉ちゃんは、美味しいご飯を食べさせてくれるし、おやつも食べさせてくれるし、家と違って遊んでくれる。

珠莉さんもよく一緒に遊んでくれて、俺は家より姉ちゃんの家の方が好きやった。

小学5年の時、朝起きると母親は居なかった。

小学校に行って、帰ってきても母親は居なくて、キッチンの棚にあったカップ麺を食べて、シャワーして寝た。

翌朝起きてもまた母親は居なくて、前日と同じ、カップ麺を食べて、父親は夜中に帰って来るから、カップ麺とお菓子、朝のパンもないから買って欲しいと置き手紙した。

翌朝起きると、テーブルの上にお金が置いてあった。

そんなのを続けて1週間。その日は土曜日で学校は休み。

朝起きると、身体がダルくて咳が酷い。

喉が痛くてちゃんと歩けない。

家に両親共居なくて、俺は姉ちゃんに助けを求める事にした。

姉ちゃんの家に辿り着いて凄く安心したところで記憶は途絶えた。

目覚めると、白い天井。

横には姉ちゃんと珠莉さんが居て、助かったんだとホッとした。

姉ちゃんと呼びたいのに声のだし方が解らない。

お腹に力も入らない。

口をパクパクさせる俺に医者は、お腹に力を入れてと言うけど、入らなかった。

解熱し、担当医は、声が戻って来るまでの表現の手段として、リハビリに手話をいれてくれて、心療内科を紹介されて、退院してからは心療内科に通院する事になった。

しかし、両親は手話が解らないし、声が出なくて筆談で両親に何かを訴えても、辛気臭いと言われ、イライラした母親には手をあげられ、突き飛ばされた。


俺は姉ちゃんに会いたくて、姉ちゃんの家に行った。

姉ちゃんが手話を勉強してるのは知っていた。

俺は姉ちゃんが出てきて、顔を見たら安心して、涙を流しながら姉ちゃんに両親の事を手話で伝えた。


姉ちゃんに温かい食事とお風呂をもらって出てきたら、俺の服や学校の制服やカバンが姉ちゃんの家に届いていた。


姉ちゃんに、姉ちゃんの家にずっと居ていいと言われて嬉しかった。


その後、珠莉さんも姉ちゃんの家に来て、1週間くらいで、arc-en-cielアルコンスィエルに引っ越した。


毎日、七瀬さんが美味しいご飯を作ってくれて、姉ちゃんと珠莉さんが居て、外では俺は小さい頃から女顔で、名前もヒカルやから何をするにも仲間に入れては貰えなかったし、発熱以降は俺が話せないから、誰も面倒くさがって寄り付かないし、誰かに毎日挨拶してもらえたり、手話を少しでも覚えようとしてくれたり、行ってらっしゃいとおかえりって言葉が貰える環境は本当に毎日温かかった。

高校3年の時、大学は姉ちゃんの勧めで姉ちゃんの母校を受験し、合格した。

けど、俺は声が出ないから、毎日1番後ろの窓際の席で授業を受ける。


大学2年になって帰宅したら新しい住人が居た。若い子。同じ歳くらいか?


数日後、帰宅しくつろいで居たら肩を叩かれ、振り向くと、新住人の子が手話で話しかけてきた。

びっくりした。俺なんかと仲良くなりたいって。

穂稀はニコニコと手話をつけて話してくれるし、同じ歳の子とこんなに楽しく会話したのって、話せなくなってからは初めてやと思う。


翌日、いつもの席で授業の準備をしていると、穂稀が隣に座った。

俺の隣なんかに座ってくれて、若干聴力が弱い俺がノートを取れずにいると、見つけて手話で説明してくれる。グループワークまで嫌な顔ひとつせずに、発表は必然的に穂稀が行かないと行けないのに一緒にしてくれて、こんなに授業って楽しめるものなのかと思ったし、それ以降、毎回授業の時は隣に穂稀が居て、しんどくなったら離れていいって言ってるのに、気にしなくて良いって言ってくれる。一緒に登校して、授業受けて、夜に一緒に課題したり、七瀬さんと珠莉さんは少し手話を覚えてくれてるけど、最近は穂稀が通訳してくれるから、姉ちゃんがいなくても会話に参加出来て、部屋に居る時間が少なくなってて、こんなに朝を迎えるのが楽しみな彩りのある生活。

俺、生きてる。本当にこんな楽しい日常がくるなんて思わなかったな。神は不平等やと思ってたけど、ちゃんと平等に見てくれてたんやな。


#5へ続く

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