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学校祭前日。みんな準備のために、いつもより早く登校してきていた。
あたしもすこし早めに登校して、教室ではなく談話室に向かった。作業を進める時間が足りなくなってきたからだ。
一度教室に行って荷物を置こうか迷ったけど、雅行と鉢合わせするのがこわくて逃げてしまった。下駄箱に外靴があったから彼はもう登校済みだけど、きっと生徒会の仕事をしているから教室にはいないはずだった。
予鈴が鳴った頃には帰ってくる。そのとき雅行は、みんなへの挨拶をどうするつもりなのだろう。
『俺、七海以外とハグしないから』
その宣言が本当なら、きっと雅行はみんなのハグを拒否する。ただでさえあたしの宣言があった後のことで、クラスもそれなりにあたしと雅行の関係に気を配っているというのに。これ以上変化があったら、それこそ視線がこわい。
千鶴はまだ、学祭準備にはいれない。女バレはたしか早朝練習中で、外からかすかにランニングの声が聞こえてくる。
ケータイをマナーモードにしないと。視線を画面に向けながら談話室の扉を開けると、ふいに声をかけられた。
「おはよう、なっちゃん。早いね」
「……おはよう」
啓一くんだった。
彼はソファーに座り込み、長テーブルの上に置いたノートパソコンを覗き込みながら朝ごはんを食べていた。コーヒー牛乳のストローをくわえながら、あたしを見てにこりと笑った。
「邪魔だったら出るけど?」
「ううん、平気。むしろあたしのほうこそ、邪魔だったら出てくけど……?」
大丈夫、と言いながら啓一くんがサンドイッチをかじる。おはようのハグをする気配はなく、あたしもそのまま向かいのソファーに座った。
「ごめんね、行儀悪くて。でも朝ごはん食べないと力でないんだよ」
「もしかして、いつも朝ここでご飯食べてるの?」
「いや、今日だけ。昨日ビラ配りして疲れてさ、寝坊してあわててすっとんできたんだよね。朝のうちにやりたいことあったからさ」
眼鏡をくいとあげて、真剣なまなざしで啓一くんはキーボードを叩く。作業の邪魔をしないよう静かにしていようかと思ったけど、意外にも彼のほうから話しかけてくれた。
「そっち、順調?」
「なんとかね。学校祭には間に合わせるよ」
「女子は細かい作業で大変そうだね……」
応接セットの長いテーブルに次々道具をならべていくあたしを見て、啓一くんは目を細める。どうぞ、とアーモンドチョコレートを一粒くれた。
「こっちもなんとかすすんでるよ。僕らも肉体労働でへとへとだけど、学校祭が明日だと思うと、なんだかドキドキしてくるんだよね」
あいかわらずパソコンをにらんだまま、啓一くんは淡々と喋る。いつも穏やかな彼がドキドキする様子なんて思い浮かばなくて、あたしは思わず笑ってしまった。
「でも学校祭ってあっという間だよね。準備してるときが一番楽しいんだって、あたし毎年あとから気づくよ」
「雅行は早く終われって昨日うめいてたけどね」
雅行。思わぬところから名前が出て、あたしはマジックを握る手を止めてしまった。
――俺、七海以外とハグしないから。
その言葉が、昨日からずっと、離れない。
抱きしめられたあのとき。雅行の力強さ、汗の香り、息づかい。ほんの一瞬のことだったはずなのに、深く頭に残ってしまっている。
事実上、あれは雅行の告白だった。
いってしまえば、あたしと雅行は両想い。あのときあたしも喜んでこたえればよかったものを、受け入れられなかった。
あたしは雅行のことが好きだ。そしてたぶん、雅行もあたしのことが好きだ。でもどうして、こんなに落ち着かないのだろう。
嬉しいことであるはずなのに。どうして喜べないんだろう。