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はじめまして

▼二百七十三日前

 至って平凡、特筆するべき物なんてないそんな人生。

 変わり映えの無い目次通りの日々が、今日から変わった。

 僕は目が覚め眠い目を擦ると見慣れた木目と今日も挨拶をする。

 僕の住む相生(あいおい)は海から何キロか離れていて山に囲まれた盆地であり、さらに言えば人口が少なくなんの活気も無い。昔は多少地場産業で栄えていたようだが、今となっては落ちぶれてしまった、そんな街だ。

 僕は中学三年生でクラスに10人程度しかいない分校に通っていて、休日の今日は家から対角にある公園に行く。家なんかに居てもしょうがないからだ。

 僕はのっそりとベットから起き上がり、いつも着用する楽なパーカーに黒のパンツを履いて父の形見であるギターを持って部屋のドアを開け階段を降り1階に向かい、家族と顔を合わさないために朝食も食べずドタドタ廊下を歩き玄関の前まで着く。

 ドアノブに手をかけ僕は無造作に玄関を開け放つ。

 外は夏に近い春で、過ごし易い環境ではある。

 しかし運動不足の僕には暑すぎる気温であり、しっとりと頬に汗がにじむ。

 憂鬱な気持ちになり、ため息を吐きつつ僕はせっせと早足で公園へと向かう。

 公園自体は緑豊かな広い土地で、そこらへんにベンチが乱立している。

 割と最近にできたのでとても綺麗だが、人は決まって僕しか来ない。それは公園の隣にある施設が原因だろう。

 相生サナトリウム

 昔はサナトリウムと言ったら結核患者を隔離、治療する為の施設という意味であったが今の時代のサナトリウムに入れられる患者は“黒死病”患者だ。

 黒死病とは、何年か前にイタリアで発見されたかなり新しい病で日本でも最近発症者が見つかった。相生の市長がサナトリウムをここに国の補助金目当てで誘致したのだ。

 奇しくも、いや喜ばしいことにその隣に公園が新しくできてしまった。

 未知の病気を受け入れるための日本唯一の施設、高くて白い壁に囲まれたそこは、まさしく黒死病患者達の死を待つ人の家だ。

 サナトリウムの隣の公園に足を進める時はたまに黒死病患者やその家族の身を案じてしまう。

 噂では黒死病に罹ると体の至る所が黒色に変色し、自己の体と嘯く肉塊になるらしく、大抵の死因はそれが生命維持の観点から重要な所に発症することらしく、それはとてつもない苦痛を伴うだろう。

 しかし人から人への感染は確認されておらず僕が罹患する事はないだろうが、たまに僕が黒死病になる事を妄想する。

 起きる事のない妄想に耽っているといつの間にか公園の入口についていた。

 僕は俯きながらいつもどうり敷地に入っていつもどうり一番奥のベンチに腰掛ける。そしておもむろにギターを取り出し演奏を始める。

 弾き語り等はしない。歌うのは苦手だし、そもそも僕は音楽が好きじゃない。

 ただ家に居たく無いので仕方なく休日はここに家族が僕を心配しない日が暮れる直前まで居るというだけのことだ。

 しかしギターを弾きながら僕は考え込んでしまう。最近はこうやって自分の将来について突拍子もなく考えることがある。

 僕は中学三年生で、ここは就職なんてあるわけ無い相生。

 分校の皆は相生から出て高校に通う。僕の成績はお世辞にも良いとは言えないし、勉強もする気が起きない。

 僕は分校を卒業したら、どうしよう。どうやって生きよう。

 受験勉強や将来の不安が積もる中、目の前をひらひらと季節外れの桜の花びらが舞い降りる。

 僕は様々な感情が渦巻く中々ふと、その花びらを掌に収めようと思った。

 左手でギターのネックを持ちながら右手を出し、そして力を込める。

 花びらを握った感触はなく、何事だとよく見ると、僕の右手は赤いマフラーを握っていた。

 ※

「おぉーナイスキャッチだねぇ。将来はプロ野球カナ?」

 声がした方に目をやると白い入院着のようなものからすらっと伸びた四肢に雪のように白く美しい肌をした年が同じくらいの悪戯っぽく微笑む女の子がそこに居た。

 僕が何も言えずにその女の子に見惚れていると、その女の子は僕の左側に座って首を傾げながら僕の顔を覗いた。

「良かったらそのマフラー、返して欲しいな。結構お気に入りのやつなんだよね。」

 僕は右手にこの女の子の物と思われる赤いマフラーの感触を思い出し、間髪いれずマフラーを彼女の元に返す。

 女の子は「ありがとう」と僕にお礼を言いながらマフラーを受け取り、笑顔を浮かべつつ首にマフラーを巻き上げる。

 首にマフラーを巻き終わると僕の膝の上にある物に目を向ける。

「それ、ギターだよね。弾けるの?良かったら弾いてみてよ。」

 僕は少し警戒しながらも、相手に不快感を与えないようにしながら言葉を紡ぎ始める。

「あまり上手くはないんだけど、それでも大丈夫ですか?」

 勇気を出した僕の発言を彼女は微塵も聞いてない様子で、歌を歌い始めた。

 その歌は最近流行ってる男性ボーカルが歌っている曲でテレビやユーチューブからも多く聞く歌だ。

 彼女は楽しそうに歌を歌いながら僕の方を見ていて、その目はまるで合わせて弾いてみて。と言っているようだった。

 僕はそれに応え、ピックを持ち弦を弾き始める。演奏の中隣から聞こえてくる歌声に耳を傾けると、この女の子はとても歌が上手いことがわかった。

 いや、上手いという形容詞でさえ彼女には似合わないほど、歌が彼女のための物かと錯覚するほど、彼女はその歌を自分の物にしていた。

 音程が合ってるだけではなく、抑揚やビブラート、果てには少々アレンジまで組み込んでいて、目を閉じ歌に集中する彼女はとても眩しく見えた。

 その曲が終わりを迎えると、隣の女の子はまた笑顔の表情をつくり興味しんしんといった声色で喋り始める。

「なかなか骨があるね。君の名前を教えてくれないかな?」

 初対面の人に名前を教えてもいいのだろうか、と一瞬思案したが僕の口は少し淀みながらも自然に動いた。

「僕は、霧島ナツキ、です。」

「いい名前だね。私は榛名彩音。君はとってもギターが上手いんだね。良かったらもう一曲聞かせてくれるかい?」

 優しく天使のような笑顔を崩さない榛名さんは僕の上手いとは言えないギターを褒めてくれ、さらにもう1曲を要求してきた。

 僕は思わず榛名さんの顔を凝視してしまう。

 長く背中まで伸びた艶やかな黒髪、最初に感じた美しい肌の頬はうっすら赤みをを帯びていて、綺麗な二重瞼を携えたどこまでも深い、濡れ羽色の黒目が存在していて、その目は僕に向いている。

 他の顔のパーツも見れば見るほど綺麗で飲み込まれそうになる。

 テレビの美人タレントにも勝るほど端正な顔つきの榛名さんを僕は初対面にも関わらず心から受け入れた。

「どうかした?私の顔に何かついてる?」

「いや、なんでもないです。少し、お腹が痛いんで、」

 僕が仮病を用いて榛名さんの顔に見惚れていたことを隠し苦し紛れに右手のピックを振りかざす。

 無常にも動揺のあまりピックは弦を振り切り柔らかい土の地面に突き刺さる。

「目は口ほどに物を言うってホントなんだねぇ、いや、君の場合目だけじゃなくて全身お喋り人間だよ。」

 ケラケラと笑いながら彩音さんは左手で地面のピックをひょいと拾い上げ何も言えないでいる僕の膝の上にぽんと置いた。

「あ、ごめんなさいありがとうごさいます。」

「どういたしまして。ってかもうこんな時間か、アンコールしといて悪いけど。家に帰らなくちゃ。」

 榛名さんは軽快にベンチをたち、スキップ気味に公園を後にする。

 公園の備え付けの時計をみると、まだお昼前であり、家に帰るという発言に少し疑問に感じた。

 僕は思わず左手に握られていたギターをほっぽり出して、彩音さんの去っていった道を疾走して辿り公園から出て左右の道路から榛名さんの姿を探す。

 しかしそこは見慣れたいつもの公園からの帰り道であり、そこに榛名彩音さんの後ろ姿は認められなかった。

 白昼夢を見ている気がした。

 榛名さんは突然現れて、霧のように消えた。

 僕は茫然自失になり先程まで座っていたベンチに戻り、無惨にも地面に転がっているギターを拾い直す。

 それからはいつも通り日が暮れるまでギターを弾いた。いつもと違う点としては、心ここに在らずの状態でギターを弾いた訳では無く、僕の頭の隅には笑顔を浮かべた榛名さんがそこには居たのだ。

 ※

 家に帰る頃には、既に二十時を過ぎていて、朝ご飯を食べていない僕は空腹を抑えられずリビングに向かう。

 リビングの真ん中には大きな机があり、その上には既にみすぼらしい食事が置いてあった。

 中に入ると床はベトベトで、食卓は濡れたティッシュや食事の残りカスがこびり付いている。

 その食卓を、僕の同居人達が囲んでいた。

 僕の同居人は三人。

 おばあちゃんと、おじいちゃんと、お母さんだ。

 この床と机は重度の認知症のおばあちゃんの仕業だ。

 頭の洗い方を忘れたため、床にはおばあちゃんのシャンプーが絡みついた髪の毛が散乱していて、ふきんという存在を忘れているが、机は拭かなくては、という思いがあるのだろうか。ティッシュで全てを解決しようとする。

 そのためいつも卓上はティッシュまみれで、ティッシュでは当然汚れは落とせないため食事の残りカスも残っているという訳だ。

 おじいちゃんは脳梗塞を二度発症して左半身がほぼ動かない。もちろんこっちも気が離せない存在だ。家の中で転びでもすれば大惨事なのだ。救急車を呼ぼうにもおばあちゃんは既に自分の名前すら分からない。電話をかけるなんてもってのほかだ。

 お母さんは朝から晩まで建設会社で働いている。薄給の上、激務。

 家に居る限り、常に家族の心配をしなくてはならないため気が抜けない。勉強なんかやる気すら起きない。

 当然、趣味も無いため休日はああやって現実逃避をしているのだ。

 別にこの家族を恨んでいる訳では無いが、僕はこの家庭が大の苦手だ。

 女手一つでここまで育ててくれたのは有難い。けど本当にここまで貧しい生活は大層居心地が悪いのだ。

 僕はせっせと味の薄い食事を済ませ、二階の自室に上がり、少しだけ榛名さんを思い出し、褥についた。

 僕の人生という名の目次通りの本はページを捲る度に色を無くしていったが、ここから僕の本は色濃く彩られていくことになる。

 来週も、榛名さんに会えるかな、布団の中で胎児のようにくるまっている僕は今日公園で出会った女の子の事を少し気になり始めていて、来週また会った時にはもっと話をすることを心に誓った。

 

 この日は珍しく十分に眠れた記憶がある。

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