初デート
その日もアンジェリーナは登城の日だった。
勉強会が終わりお茶の時間になった。いつものように殿下とジェラルドがやってきた。
「アンジェリーナ、公爵がいらしたわよ。アンディ様もご一緒だわ。」
ジェラルドは蕩けるような優しい笑みをたたえている。
アンジェリーナは、ドクンと胸が高鳴った。
アンジェリーナは最近、ジェラルドが心からの優しい笑みを浮かべているのを目にすることがあった。
いつも穏やかな表情でアンジェリーナに余所行きの顔を向けていたジェラルドが、その仮面をどこかに置き忘れてきてしまったように表情が豊かなのだ。
例えば、王城でのお茶の時間、夜会でのエスコート中、晩餐での食事中……
席を辞して二人きりになると、ジェラルドはどこか緊張した面持ちで、落ち着きがなくそわそわしている。アンジェリーナはいつもと様子の違うジェラルドに困惑した。ジェラルドは悪戯っぽい表情で言った。
「これから内緒で市井へ行ってみないか?」
アンジェリーナはジェラルドの顔を見て呆気にとられた。
ジェラルドの気の抜けた笑顔はどこか幼くて、とても可愛く見えた。
「旦那様の笑顔……可愛い!」
アンジェリーナは思わずそんな言葉を零してしまった。
ジェラルドはその言葉にさっと頬を赤くした。耳の先も赤くなっている。なんだかよくわからないが、恥ずかしいらしい。今までとは少し違う態度に、アンジェリーナも自然と笑顔になった。
二人にとっては、これが人生初のデートだった。
「手を!」
市井につくと、ジェラルドが左手を差し出してきた。
アンジェリーナは、優しく手を握られてなんだか嬉しくなった。初めて仮面を外したジェラルドと接して、アンジェリーナはその温かさをいつまでも感じていたかった。
手を繋ぎながら道を進み、色んな出店を渡り歩いた。アンジェリーナはジェラート屋の前で足が止まった。ジェラルドが列に並んで買ってくれた。アンジェリーナはジェラルドから大好物を手渡されると、思いっきり顔が綻んだ。
ジェラルドは、その花が綻んだような笑顔を見てドキリとした。
「ありがとうございます。」
二人は近くのベンチに腰掛けて、小さなスプーンで掬って口に入れた。
「これ、食べづらいね。このままだと溶けてしまいそうだ。」
ジェラルドはそのままガブリと齧りついた。
「アンジェリーナも齧りつくといい。」
アンジェリーナは躊躇ったが、エイっとそのまま齧りついた。
ジェラルドはその様子に、くつくつと喉を鳴らした。そして、二人で声を上げて笑い始めた。
ジェラルドは、パチパチと目を瞬いた。いつも見ていた風景が彩やかになり光輝き始めたからだ。
二人は若葉が芽吹き爽やかな薫風が吹く優しい時間を過ごしていた。
どれくらい時間が経ったのだろうか……
アンジェリーナは、こちらをジッと見ている女性に気づいた。泣いているような笑っているような何とも言えない表情をしていた。
アンジェリーナは確信していた。この女性はマリアンヌだ!とうとう会えたのだ!ずっと待ち望んでいた、筈なのに……
アンジェリーナは急に不安が襲ってきた。何度もこの時を想像しどう振る舞うのかも考えてきたのに、心臓がバクバクして動けない。
アンジェリーナは、心の中は不安でいっぱいになっていた。もし、マリアンヌがアンジェリーナとジェラルドが身体を度々重ねていることを知っていたら。ジェラルドが言葉で伝えることはないだろうが、何かの拍子に気づいているかもしれない。そうだとしたら、マリアンヌは怒っているはずだ。感情のコントロールが効かなくなるかもしれない。
ジェラルドはアンジェリーナの目線の先に目をやり、大きく息を吐いた。アンジェリーナの気持ちを察したのか、ジェラルドはそっとアンジェリーナの頬を両手で包み込んだ。覗き込むようにして視線が合わさる。
「大丈夫か?」
アンジェリーナはコクリと頷いた。
ジェラルドはそっと額に触れるだけのキスを落とした。しばらくしてアンジェリーナの手を取ると、マリアンヌの元へ近づいていった。
「マリアンヌ嬢、久しいな。こちらは妻のアンジェリーナだ。アンジェリーナ、以前公爵家の使用人をしていたマリアンヌ嬢だ。」
アンジェリーナは、公爵夫人としての笑顔を必死に繕った。
「はじめまして、マリアンヌ様。聞いていた通り、同じ髪色に瞳の色なんですね。」
アンジェリーナは持って生まれた色が同じだから、マリアンヌの隠れ蓑として今ここにいるだけなのだ。と伝わるように言葉を選んだ。
「はじめまして、公爵夫人。」
マリアンヌは引き攣った笑顔で応えた。
「こちらをずっと見ていたようだが、わたし達に何か用かな?」
「いいえ、公爵様がこのような場所に女性といらしゃるのが珍しかったものですから…」
「そうだね。女性と一緒に市井に来たのは初めてだよ。」
ジェラルドはそう言い残すと、アンジェリーナと手を繋ぎ来た道を戻っていった。
アンジェリーナは気が気でなかった。
「――あの旦那様、よろしいのですか。マリアンヌ様は大丈夫なのですか?傷つかれたのでは?」
「わたしは本当のことしか言っていない。マリアンヌが傷つこうがアンジェリーナはわたしの大事な妻だ。」
「旦那様、本来の目的をお忘れになってはいけません。マリアンヌ様との愛を貫くためにわたくしがいるのです。」
「アンジェリーナ!場所を弁えてくれないか。」
アンジェリーナはハッとして口を噤んだ。今日は驚くことばかりだった。