81 恋愛至上主義論
次の授業は、石造物の調査法に関するものだった。楓はスクリーンに映し出された薄汚れた庚申塔を見上げながらも内心でははやく授業を終えて、あの橋の上に立つことを考えていた。この授業の後には、大勢の学生が帰宅するためにあの橋の上を渡るのである。彼がその中に混じっている可能性は十分高いと楓は思っていた。
ところで楓は授業中、ノートにこんな文章を書いていた。楓の心は、相馬の虚無的な思想に対抗するために、こんな哲学もどきのものをノートに記していたのである。
わたしの主義は恋愛至上主義
胡麻楓
人生の目的は恋愛であり、人生の最高の喜びは恋愛なのである。
それはなぜか? ふたりの心と心がふれあうからである。ふれあった心は何倍にも何百倍にも膨れ上がり、破裂して無数の星屑を生み出す。その星屑はまたたく間に私たちの人生を包み込んでしまう無限の小宇宙なのだ。
わたしは知っている。あの時、あの人がわたしの目を見たことを。それでわたしはあの人の心の中まで覗けるんだ。あの人の心の中にはわたしがいた。わたしの心の中にあの人がいるように。
幸せはわたしを包み込んでしまった。それが突然、電灯が切れてしまったように真っ暗闇に投げ出される。不安になる。すべてがつらくなる。それも恋愛だ。それでもそこに光が戻った時には、私はきっと生きている喜びを取り戻すだろう。それまで私はおそらくこの暗闇の中をさまよわなければならない。でもきっとまた光に出会えると信じてる。
私たちは心の世界に生きていて、心の世界から一歩も踏み出せずにあくせくしている。それが私たちの生き方だ。心の中で生きていて、一番幸せなこと、それが恋愛だ。心と心が出会ったらたちまち万華鏡のように色とりどりの光を放つことだろう。
だけど、もしあの人が私のことを愛していなかったら、私はこの先どうやって生きてゆけるだろう。ただあの人が好きという心を抱えたまま。どうやっても生きていけないんじゃないか。泣いても泣いてもきっと涙が枯れることはないだろう。私が生きているのは、まことにそういう崖っぷちの恋愛至上主義なのだ。
楓はここまで書いているうちに、だんだん不安になってきた。もうあの人と出会えないんじゃないか、という気がして吐き気がした。嫌な胸騒ぎがした。ふと顔を見上げると授業が終わるところだった。チャイムが鳴った。楓はノートを鞄に突っ込むとあの橋の上に向かって走って行った。




