53 上野恩賜公園の芸術論
のぞみは横断歩道を渡って、上野恩賜公園に入った。階段を登ってゆくと有名な西郷隆盛像にたどり着けるのだった。
上野に来た以上は、まずこれを拝まなければならない、とのぞみは思っていた。
しかし西郷隆盛像を見上げても、のぞみは何の感慨も起きてこなかったので、そのままふらふらと美術館のある方向に向かって歩いて行った。
芸術、芸術、芸術なんてものは公園を歩いているとどこにもないのだった。のぞみがそれを芸術と心から信じるものは芸術になり得るけれど、その信念はあくまでも自然に起こってくる感覚に基づかなければならず、意識的なものではあり得ない。
のぞみの心は今、西郷隆盛像を芸術にすることはできなかった。それがたとえ芸術品であってもだ。
心と心が見事に共鳴した瞬間しか、芸術品は芸術になり得ないのだ。
そうしてみると、のぞみは今、なにか明確な芸術のイメージを心の底に持っていて、そうした芸術品と出会うことを欲求していながら、それが叶わずにいる状態なのだった。
のぞみは芸術を夢中で探した。探そうとすればするほど、芸術は逃げてしまう。焦る心がすべてを曖昧してしまう。こうなると芸術そのものの存在が危うくなる。そんなものが果たして存在するのかのぞみは疑わしくなる。
(きっとどこかにわたしの心に響く仏教美術があるはずだ。それは美術館の中にあるはずだ……)
のぞみはそう思う。のぞみは仏教を学んでいる芸術家だから、仏教美術に芸術の最大の可能性を求めるのは当然のことだった。
(芸術は精神的な表現であるばかりでなく、日常生活におけるカビの生えた固定観念を破壊してゆく……。そして、生命の生々しい躍動をわたしたちは取り戻すのだ……)
しかしそれが芸術の定義ならば、果たして来迎図は芸術なのだろうか。阿弥陀如来の来迎図は、精神的な表現ではない、それは日常生活におけるカビの生えた固定観念を破壊することもない、生命の生々しい躍動を呼び起こすこともない、そこからロマンティックに漂ってくるのはひたすら金色の阿弥陀如来が極楽浄土の幻想的な美しさなのだ。
(わたしはなぜ阿弥陀如来の来迎図を求めているのか……)
こうは考えられないだろうか、とのぞみはある推測をした。芸術は、日常におけるすべての価値観の次元を一気に高める効果を持たねばならない。つまり日常の争い事だとか、怒りの感情のような、取るに足らない無益なものを一気に超越してしまう解脱的な感覚。それが芸術には必須だとのぞみは思っている。だとしたら、阿弥陀の来迎図には、死のロマンティシズムといわれるような、日常からの超越的な感覚を呼び起こす効果が秘められているのではないか。
(それは危険な思想だ。でも、来迎図に宿る極楽浄土の美しさを前にして、わたしたちの苦しみは、確かにどうでもよくなってしまう……)
のぞみはしかし、それだけではないとも思った。わたしたちは死ぬために生きているわけではない。いくら死ぬことにロマンを抱いても、実際に死んでしまったら終わりだ、とのぞみは思った。芸術は生きることの表現だ、とのぞみは信じていた。そんなことを考えながらひとつの美術館の前に到達した。そこで仏教美術展を開催しているということだったのだ。
(さあ、見てみようか……)
のぞみは興奮した様子で、門に張り出されたポスターを見上げる。「仏教美術展」と筆で記された横には、鎌倉時代製作の金剛力士らしき筋肉の隆々たる仏像の写真が大きく印刷されていた。のぞみは、にんまり笑うと、美術館の方に足を進めて行った。