50 ヴァジュラ
胡麻博士はそれからラーメン屋を後にすると、ただ元来た坂道を登っていった。いつの間にか雨が降っていた。冷たい雨に濡れた道は光の流れる海のようだった。眼鏡の雨粒は星屑のようになって、街灯を幻のように囲んでいる。風が吹き付けて、靴やズボンに雨が染み込んで、小指が曲がるほど冷たいのだった。
(ええい。これは苦行のようなものだな!)
先ほど見つけた地蔵菩薩像も、稲荷神社も先ほどと同じ状態で残されている。やはり雨に濡れて光っている。横目に見つめるとそれは暗闇の中でしんと静まり返っている。
(あの相馬という先生は、魂などないなどと言っておったな。心の深層に業の種子が溜まって輪廻転生するとインド仏教の死生観を朗々と語りおった。そして神仏は、心の顕現したものだと。まさに仏教とはそういうものだと思うし、それが仏典に忠実なのだが、たったひとつ間違っておることがある。わしらには日本人の精神性からくる霊魂信仰というものがあるわい。この地蔵菩薩も、稲荷神社も、日本人の霊魂観なくして、語れるものではないわ……)
そう思うと、胡麻博士は自分が仏教民俗学者であることを誇りに思うのだった。しかしあの相馬という先生が言っていたことも間違っているわけではないと思った。
また風が吹いてきたので、胡麻博士はコートに首を埋めて、坂道を登り始める。
(それにしても、なぜあの相馬という男は、阿弥陀仏を恐れているのだろう。阿弥陀仏を恐れるような理由がなにか思い当たるだろうか……?)
この時、仏教民俗学の権威である胡麻博士ですら、真相に気づくことは出来なかった。
(まあ、よい。こうしている間も、羽黒君はわしを心配しているというものだろう。はやく帰ってやらないと……)
その頃、雲行きがさらに怪しくなっていた。昼間はあれほど晴れていたのに、今では西の彼方の黒雲が低く、山の峰に差し掛かるように迫ってきているのが見えている。雨も強まってきている。雲の影に稲妻が走るのが見えた。
(あれは、雷雨にでもなるのだろうか……)
その時、稲妻が地面を引き裂くような音を立てて山の峰を走った。胡麻博士は、うわっと呻き声を上げて、恐ろしくなり坂道を駆け出した。
(まったくこれはヴァジュラだ! 帝釈天の雷撃だ!)
その時、ふと胡麻博士の脳裏に、ふと金剛杵という言葉が妙に引っかかったのは、なにか意味のあることかも知れなかった。すなわち金剛杵とは、雷のことである。帝釈天の雷撃は、いつのまにかあのような金剛杵となったのである。
しかし、現時点でこのことについて語ることは差し控える。物語が進行するにしたがって分かることであろうから。




