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44 胡麻博士の説法は長く続いている

 祐介が、蓮根の天ぷらを箸でつまんで、一口頬張ると、さくっと音が響いて、甘みのある風味が口内に広がった。あまりにも美味しく感じられて、このものの本質が(くう)であることなど、祐介はもうどうでもよくなってしまった。

「この世のものは、夢のようで幻のようで泡のようで影のようだと先生はおっしゃいますが、この蓮根の美味しさはやはり本物ですね」

 と探偵の癖で、祐介はついつい目の前の論客に反論してしまう。

 

「その通り。夢のようで幻のようで泡のようで影のようなものであるその美味しさは、君の心によって確かにそこに存在しているのだ。だからこそ、君はその美味しさにとらわれることがなく、その美味しさをとらえることができるのだ」

 祐介は、胡麻博士が何を言っているのか、ちっとも分からなかったが、天ぷらを二つ食べたところで腹がすっかり膨れてしまった。煎茶をゆっくりと飲む。目の前にはさまざまな料理がそのままになっている。


「先生。もう食べられません」

「羽黒君。まだこんなに残っておるではないか……」

 胡麻博士は、日本酒を先程から飲んでいるのですっかり顔を赤らめている。見た目がサンタクロースのようになっている。


「到底、ふたりで食べきれる量ではありませんね。かといって、他の人に食べてもらうわけにもいきません。さて困りました……」

 祐介はそういいながら、残すわけにもいかないと思って、大根の煮物に箸を当てて、ふたつに切り分ける。切り分けるばかりで口に入れようとしない。

「困りましたね……」

「困った困ったというが……。困っているということは困っていないのだ。そうして、困っていないということがあるからこそ、君は困っているのだ」

 これは金剛般若経こんごうはんにゃきょうに頻出する言いまわしである。祐介はそんなことを知らないから、奇妙なことを言うなぁ、と思った。

「困っているのと困っていないのとはまったく反対の感情です」

 と祐介は反論する。


「さよう。君はね、自分の感情を信じておるのだろう。しかし感情にしたところで、やはり本質は(くう)というものだ。瞑想してみたまえ。こうしている間も、感情というものは、絶え間なく生じては滅している。変転する心は、本来とどまることを知らないはずのものなのだ。ところが、自我意識というやつは、その感情の潤滑(じゅんかつ)な流れを滞らせる作用がある。君も体験していることだろうが、日常生活において、少しでも嫌なことがあると、自分というものがひどく気になって、感情はどこかにとどまってしまい、そのイメージに長い間、固執して苦しむことになる。これは自我意識、つまり末那識(まなしき)に心がとらわれて、さまざまな錯覚を引き起こしている、つまり虚妄(こもう)の観念にとらわれている状態だからそうなるのだ。こうした苦しみもやはりその本質は空であり、夢や幻や泡や影のようなものなのだが、君はそれをなかなか信じることができず、苦しみから救われることができない。なぜならば自我を滅却することは難しいからだ。ところが、心というものは本来、涅槃(ねはん)といわれる静寂の状態こそが自然なのだ……」


 祐介は、胡麻博士の言っている難解な話を聞きながら、目の前のご馳走の山をどうにしようかと考えていた。胡麻博士も日本酒を飲むばかりで、もう料理に手をつけていないようだった。


 ふたりが話に夢中になっているうちに、若い従業員たちはもう部屋から出て行ってしまっていた。

「でも、先生のおっしゃる通りだとしますと、自分の意識を(くう)だからと滅却しますね。同じように他者というものを(くう)だからと滅却する。すべてを滅却した末にはなにが残るのですか?」

 と祐介の反論はいつも鋭い。


「すべてを滅却した末にはなにも残らない。残らないがゆえに、すべてのものはありのままに残っているのだ。この大自然も、心の変容も、一瞬咲いて散る花も、その甘い香りも、この伊万里の大皿も、その上に盛り付けられた刺身も、ありのままに残っている……」


 胡麻博士はいまや赤ら顔のサンタクロースである。サンタクロースはもともと恐ろしい鬼のようなものだったなんて話を祐介は本で読んだことがあった。それがいつのまにか聖ニコラスになって、サンタクロースになったとか、そんな話があった気がするが、はっきりとは覚えていない。窓の外をちらりと見ると暗闇に月が浮かんでいる。つまり祐介は仏教の話を聞きながら、まったく違うことを考えている。それというのも、手元の煎茶がひどく美味しかったからだ。


 祐介は胡麻博士の話を聞きながら、白緑山寺の本尊、阿弥陀如来坐像を思い出す。

「すべてのものが(くう)であるというのが仏教の真理なのでしたら、仏はなぜあのように煌びやかな姿をして、我々の前に現れるのでしょうか?」

 矛盾していることが気になるのがミステリー小説の探偵というものである。


「それはだね。こう考えてみるとよい。我々は所詮、夢や幻や泡や影のようなものにすぎない。我々の感情も、夢や幻や泡や影のようなものにすぎない。この世のありとあらゆるものもやはり夢や幻や泡や影のようなものにすぎない。しかし我々は、その夢幻の中でのみ生きていられる凡夫(ぼんぷ)なのだ。だからこそ、我々は姿も形もないはずの空の真理を、かえって有相(うそう)の仏を見て知るのである。なぜならば、空の真理は知覚することができないし、概念でとらえることもできないからだ。だから仏は、我々の目に映るように、あのような美しい姿形となって現われて教えを説くのだ」

 と胡麻博士は言うと、むくっと立ち上がる。


「お便所へ行ってくる……」

 そう言って胡麻博士は、のろのろと部屋から出て行こうとしたが、赤ら顔でなにか言おうとした拍子によろめいて、床の間の方に数歩片足飛びをしたかと思うと、達磨大師の掛け軸を掴んで、床の間に倒れ込んだ。

「あっ、胡麻先生!」

 祐介は、呆れて立ち上がった。

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