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3 モダンなアパートと女の子

 楓は正直、講義などどうでもよかった。教授や大半の生徒よりも一足早く講義室から飛び出ると、すぐに学内にある図書館に向かった。楓はあの青年が忘れていった一冊の本を右手に持っていた。楓は、あの男性に関する情報をなにか得られるのではないかという期待を胸に、急いで大学図書館に向かっているのだった。

 楓が17号館の建物から飛び出すと、辺りはすでに暗くなっていた。提灯のような外灯が暗い道の両側にぽつりぽつりと吊されていて幻想的である。その道の先には図書館の建物がそびえており、下から美しくライトアップされていた。


 図書館に入るとそこは大きな円形のホールで、三階まで吹き抜けになっており、間接照明が天井をほのかに赤っぽく照らしている。正面には受付のカウンターがあった。楓はなんと説明していいものか悩みながら、受付に座っている黒縁めがねの男性にぎこちなく近付いていった。

「あの……」

 黒縁めがねの男性は小さな目で、楓の顔を見上げた。

「はい」

「この本……あの、どなたか、忘れていったみたいなんですけど」

 と楓は自分の説明が不十分なことを感じつつも、その本をカウンターの上に置いた。

「この本がどこかに残されていたということですか」

「あ、はい。持ち主の方が忘れていったみたいで、よく見たらここの本だったので」

「そうですか。わかりました。こちらで預かります」

 そう言って、黒縁めがねの男性はその本を手に取った。


(あ……)

 あの男性と再会するきっかけを失ってしまう、と楓は焦った時には、黒縁めがねの男性はその本をしまいこんでしまった。


「あの、その本、どなたが借りたものかわかりますか」

「それは勿論わかりますよ」

「あの……」

「ただ個人情報ですので、あなたに教えるわけにはいきません」

「ええ」

 楓はそう言われてしまうとこれ以上どうすることもできなくなり、不器用にお辞儀をするとカウンターから離れた。

(上手くいかないもんだ)

 これで帰るのはなんとなく心残りだったので、楓はエレベーターに乗って、男性がいそうなフロアを探した。父親の胡麻博士の全集の棚にも行った。しかしそこに男性の姿はなかった。

 楓は大切な本を図書館の職員に渡してしまったことを後悔しながら、図書館を後にした。もし学内であの男性に遭遇することがあっても、肝心の本が手元にないのでは会話のきっかけが掴めないのだ。

 楓は暗い道をとぼとぼ歩きながら自動販売機で缶コーヒーを一本買うと、それをゆっくり味わって飲んだ。冬の夜に舌に触れるコーヒーは暖かくて美味しかった。駐輪場に戻り、自転車に乗ると、楓は暗くなってしまった車道をよろよろと走って行った。


 吹き付ける風がひどく冷たく感じられた。

(指がちぎれてしまいそう……)

 楓の小さな体は今や冷たい風の中にあった。そして楓自身もその冷たい風に同化してしまったかのように体温をみるみる失っていった。

(寒すぎる)

 楓は自分の住んでいるアパートに向かって自転車を走らせていた。大学から離れ、駅からも離れて、古い建物がひしめき合う川沿い、入り組んだ路地を奥へ奥へと進むと純白のモダンなアパートが現れた。

 楓は今、ここに住んでいる。


 楓は現在、このモダンなアパートに大学の友人とふたりで住んでいた。もともとは楓が一人で住んでいたアパートなのだが、どうもその友人は下宿先の親戚と喧嘩をしてしまったらしく、ぷいと下宿先を飛び出して、楓の住むこのアパートに転がり込んできた。

 ひどく風変わりな芸術家志望の女の子だった。

 楓は当初、この子との共同生活なんて到底考えられなかったが、ふたりで暮らし始めて半年が経った現在、なかなか上手くいっている。

 楓がアパートのドアを開けると、その子が奥のリビングの床にあぐらをかいて、カップ焼きそばを食べていた。目の前のちゃぶ台の上には漫画雑誌が開かれている。この漫画を読みながら、カップ焼きそばを食べているところだったのだろう。

「おかえりー」

「ただいま」

 ショートボブのオレンジ色の混じった髪の毛がくしゃくしゃになっているのも気にしない。

 この子の名前は森永のぞみという。単純にマイペースな女の子というだけでは説明のつけられない代物である。スレンダーでやたらと足が長い。そのくせ、白いシャツの胸元はご立派に張り出している。マネキンのようなスタイルに恵まれ、モデルもこなせる美貌でありながら、何にも束縛されない自由人の気質を持ち合わせているのはどこか不公平な気すらした。


「なにかあったの?」

 とのぞみは勘がよいので、楓の顔色を見るなりなにかあると察して、尋ねてきた。

「どうして?」

「なんか、ぼーっとしているから」

 楓は自分の頭の中があの青年のことで一杯になっていることに気がついた。しかしそのことをのぞみに話してよいものか悩んだ。そんな一目惚れのような恋を他人が理解してくれるわけがない気がした。自分の気持ちを曝け出してしまうことが恐ろしかったし、上手く説明する自信もなかった。

「ううん。特に何も」

 そう言って楓は誤魔化したのだった。

「そう」

 のぞみは意味ありげにふふっと笑った。

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