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35 のぞみと金剛鈴

 のぞみの内部に燃えたがっていた不快な心は、映画館に入って「ローマの休日」を見たこと、楓と連絡を取ったこと、ジャズ喫茶のマスターに出会ったことを通して、跡形もなく消え去ってしまった。非常に晴れ晴れとした気持ちである。となると、あの心はなんであったのか、のぞみにはもう説明がつけられない。

 映画館を飛び出して、とぼとぼと狭くて暗い帰り道を歩きながら、円悠が以前語っていたことを思い出す。

「心は勢いよく川を流れる水のようなもの、絶えず流れていて、とどまることを知らない。あるいは燃えさかる灯火のようなもの、そこにある火は実にその刹那に消滅している。しかし、次々と生み出されてくる火を見ていると、あたかもそこに火がとどまっているかのように錯覚してしまう」

 その錯覚を起こす心こそ、ひとつは言葉や概念をつかさどる意識(いしき)といわれる心で、もうひとつは自我をつかさどる末那識(まなしき)という心なのだ、と円悠は語っていた。


「とどまる心と、とどまることを知らない心……」

 のぞみはぼそりと呟いた。暗く狭い路地裏に、声が不思議と響いて消えた。

「声は消えてしまう。それでも、わたしはその声をずっと聴いている。心の中で」

 心には存在を留め置く作用があるのかもしれない、とのぞみは思う。しかし、実際の存在は刹那に消えてゆくのだ。そして刹那に消えゆくものに実体という印象を与えているのはきっと自分の心なのだ。しかしその自分の心そのものも刹那に消えゆく存在であるとしたら、すべての変転するものを実体化していながら、そのものが実体ではない心とはまったく不可思議な存在である。


「まったく分からなくなってきた……」

 のぞみはまたわずかに不快になった。せっかく真実が掴めそうになったのに、分からなくなってくると、また不快感にとらわれてしまった。それがなんとも残念で仕方なかった。


 円悠が語ることの断片からは、まったく仏教の全体像が見えてこないのだった。あるでもないし、ないでもない。そんなことだらけだった。結局、のぞみは仏教が分からなくなると、阿弥陀仏の来迎図(らいごうず)に戻ってしまう。

 阿弥陀仏の来迎図は、暗い山並みから天人をしたがえて、下ってくる金色の阿弥陀如来の美しさが、死というものをどこまでも華やかに荘厳(しょうごん)している。

 そして白緑山寺の本堂の阿弥陀如来坐像を見た時の衝撃も、のぞみにとって忘れられない経験となっている。

 のぞみはやはり芸術家だから、どこか直観的なものを好む。


(阿弥陀さまの金色の美しさと、円悠の語る深淵なる仏教思想は矛盾しているんじゃないかしら……)

 そう思わざるを得ない点がある。のぞみは、仏教は永遠の魂の流転を説くものではないかと思っていた。前世があって、今世があって、来世がある。死後には極楽浄土があって、そこには阿弥陀仏がいて、そこに旅立った死者のために信徒は供養をする。

 それがそのようなものははじめから何もなく、この世のすべてのものは仮の存在であり、はじめからないものをあると思うのは自らの心の錯覚であると説く。そして錯覚する心を滅しようとする。そしてあらゆるものにとらわれることのない心を手に入れた時にはもはや心すらもない。ならば、本堂の阿弥陀如来坐像や、阿弥陀の来迎図の語るものはすべて錯覚なのだろうか。

(わからない。まったくわからない……)

 のぞみは、仏教思想と仏教民俗が歴史の中で決定的に分かれてしまったような気がした。

(だとしたら、ある程度、割り切って考えるしかないのかな。つまり仏教の教えと文化が分かれてしまっていても……)

 のぞみは諦めた。

 しかしこの問題こそが、のぞみが後に関わることになる殺人事件の真相と直結しているなどとは、のぞみはこの時知るよしもないのであった。


(なんだろう。視線を感じる……)

 その時、のぞみははっとして振り返った。視線を感じたのだ。それでも路地裏には誰もいない。


 そうこうして、のぞみが路地裏を歩いていると、その道の角を曲がったすぐのところに、どういうわけか白い布地の上に奇妙な形をした小さな金色の鈴が置かれているのを発見した。

「こ、これは……」

 のぞみは思わず立ち止まってそれを見つめる。それは密教法具の金剛鈴(こんごうれい)である。

(なんで、こんなところに金剛鈴が……。それもこれ、最近のものじゃない……)

 それは楓の持っていた金剛杵と同じように、不思議と年季を感じさせるものだった。高さは十五センチ程度だろうか。おそらくどこかの寺の文化財だろう。


(でも、これをここに置いたのは誰。まさか仏様……?)

 のぞみはほとんど奇蹟ともいえるこの事態に、震える手で、その金剛鈴を握ると、そっと鞄の中にしまった。

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