34 映画館
のぞみは、そのまま暗がりの商店街を歩いて行った。商店街から一本、脇に入った路地を歩いてゆくと、そこに昔ながらの映画館があった。赤いネオンで照らされており「BYAKUROKUSAN CINEMA」と記されている。壁には昔の映画のポスターが沢山貼られている。最近のインディーズ映画も公開されているみたいだった。
のぞみは、こんな日は映画を見てゆくのもいいだろう、と思った。
(そう、わたしは寂しがっているけど、すぐにアパートに帰りたいわけでもないんだ……)
入り口には正面にガラスの窓がついている受付があり、のぞみは受付の女性からチケットを購入することにした。
「すみません。チケットを一枚購入したいのですが……」
「何の映画でしょうか。今からすぐに始まるのは「ローマの休日」ですけど……」
「じゃあ、それを……」
のぞみはそう言いながら、
(その映画、見たことなかったな…….)
と思った。
お金を支払う。そしてチケットを受け取ると、のぞみは映画館の奥へと入って行った。
螺旋階段を降りたところに、狭いロビーがあって、そこでのぞみは係員にチケットを見せた。そしてその隣の売店でポップコーンとオレンジジュースを購入した。
(わたしは今から映画を見ようとしているんだな……)
一体この思いつきはどういうわけだろう、仏教について考えながら、寂しい思いで、商店街を歩いていたわたしが、今からレトロな映画館で「ローマの休日」を見ようとしているのは全体どういうわけだろうか、とのぞみは考えるが自分でも理由はよくわからない。
観音開きの扉を開いて中に入ると、そこは赤い椅子がずらりと並んだ、床に段差のないレトロな上映室だった。のぞみは取り憑かれたように、そのうちの一番前列の右側の端の席に座った。
(さあ、もうすぐ映画が始まる……)
のぞみはそれから二時間ほど「ローマの休日」を見た。スクリーンに映し出されたのは、白黒の古めかしい映像であったが、やはり永遠の名作と謳われるにふさわしい恋愛映画だとのぞみは思った。
映画が終わった頃には、のぞみはポップコーンを食べ終え、オレンジジュースも飲み干して、入れ物ばかり手元に残っていた。
(あっという間だった。わたしの気持ちも晴れた……)
のぞみはそう思って席から立ち上がった。のぞみは、それからロビーに戻って、スマートフォンをいじった。
『どうだった……?』
のぞみは楓に連絡をした。するとすぐに返ってきた楓からの返信には、
『会えなかったよー。でも、また明日がんばる』
と記されていた。
(楓は楓で大切な時間を生きている。わたしがそれを奪うことはできないんだ……)
ただ、ひとりになると時々、無性に寂しくなってしまう。
そういう時はこんな風に映画を見るといいんだな、とのぞみは思った。
「むっ、君は……」
突然、後ろから話しかけられて、のぞみは振り返った。そこに立っていたのは年老いたプードルみたいな白髪の男性。
(か、楓のバイト先のマスター……!)
彼は正真正銘、楓がつとめているジャズ喫茶のマスターである。のぞみは一度だけ遊びに行ったことがある。
「ローマの休日を見ていたのかね」
「え、ええ、はい……」
「どうだった?」
「あ、ええ。とてもよかったです」
マスターはふふふと笑うと、のぞみの方へと近づいてきて、
「どこがよかったか、と聞いているのだよ」
と言って笑った。
のぞみは、いえ、と口の中でもごもごと言葉を生み出そうとする。
「やっぱりオードリー・ヘップバーンは綺麗ですね」
「ふむふむ。最近の子もそう感じるかね。やはり彼女は不滅だな……」
そんなことを言いながらマスターは、のぞみと共に、階段を登っていった。
「マスターも映画を……?」
「そう、見ておった。何度見ても感動するよ。またいつでもジャズ喫茶に来なさい。いくらでも聴かせてあげるから……」
マスターはそう言うとのぞみに別れを告げて、路地を歩いて行った。




