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30 胡麻博士の気持ち

 本堂は、丈六(じょうろく)の阿弥陀如来坐像を中心に据えているが、それをぐるりと取り囲むようにして、色々な仏像が並んでいた。その一つ一つの前に線香や賽銭箱が置かれていて、蝋燭の灯が揺らめいている。

 白緑山寺はいまや独立単一宗派だが、元々は天台宗の寺院であったものらしい。この寺は、こうした山寺の御多分に洩れず、平安時代以前から続いている土着の山岳信仰と結びつきながら、天台教学を主軸にして展開し、庶民への布教を続け、実際に庶民からの信仰を千年以上に渡って集めてきていた。


 平安時代のはじめ、伝教大師最澄でんぎょうだいしさいちょうが唐の天台宗を日本に持ち帰って、滋賀の比叡山(ひえいざん)において、法華経(ほけきょう)の教えを中心とする天台宗を起こしたのは、日本史上のもっとも偉大な出来事だったといえるだろう。


 天台宗というのは、天台教学だけでなく、浄土教も密教も禅もやる。朝題目に夕念仏ということもある。とにかく多種多様な教えを伝える、総合的大学のようなものであったといわれている。後に仏法を世に弘めた栄西も日蓮も道元も法然も親鸞も、はじめは比叡山で学んでいる。そうしたことが天台宗を日本仏教の母体といわれるまでに高めた。

 天台宗は密教もやるわけだから、千手観音や不動明王のような密教仏もぞろぞろと祀られているわけである。


 そもそも密教は、伝教大師最澄や弘法大師空海が天台宗や真言宗を持ち帰る以前から、日本に存在していた。それらは天台宗や真言宗などの純密(じゅんみつ)に対し、雑密(ぞうみつ)と呼ばれ、日本古来から伝わる山岳信仰と結びついて厚く信仰されていた。

 実際に、奈良時代の仏像などを見まわすと、十一面観音や千手観音などの多面多臂の諸仏が多いことがわかる。どこかおどろおどろしく神秘的で、摩訶不思議な祈祷を行い、呪術的な色彩を持つ密教は、日本人の心をとらえ、それまで理論的で難解なものだった仏教を、より貴族や庶民に馴染みやすいものにしたのである。


 ということは勿論、祐介にとってはまったく分野外のことなので考えもしない。これらはすべて胡麻博士の回想であった。

(まったくこれほどの仏像が揃っておるのとは……!)

 胡麻博士は唸り声を上げる。


 日本の仏像には大きく分けて、飛鳥時代の仏像、白鳳時代の仏像、奈良時代の仏像、平安時代の初めの頃の仏像、平安時代中期から後期の仏像、鎌倉時代の仏像、室町時代の仏像、江戸時代以降の仏像があるということができるだろう。

 目の前の本尊阿弥陀如来坐像のような定朝様(じょうちょうよう)の仏像は、平安時代中期から後期にかけての仏像といえるだろう。


 その特徴は、お顔がふっくらとしていて、お月様のように円満な仏であること。全体的には左右対称。衣のしわである衣文にしても流れるような柔らかな曲線がそれほど立体的ではなく、上品な加減で彫り込まれている。金箔はところどころ剥げているが、当時は全身が黄金色に輝いていたのだろうと思わせる。

 運慶(うんけい)快慶(かいけい)の仏像に代表されるような鎌倉時代の仏像の、生々しいほどのリアリズムや、立体的で現実的な衣文の彫り込まれ方とは一線を画する、夢のように美しい仏である。まさに平安貴族好みというやつである。


 しかし胡麻博士が、本堂の中に祀られている一メートル程度の仏像を見て歩いてゆくと、そのほとんどが鎌倉時代や室町時代の仏像だった。おそらく時代と共に作られていったのだろう。


 一周して、本尊の阿弥陀如来坐像の前に戻ってくる。


(楓も、この阿弥陀仏を拝んだのだろうか……)

 胡麻博士は自分の娘がこの阿弥陀仏に感動したものか心配になった。娘も、小さい頃は道端の地蔵菩薩像に手を合わせるように教えると、「わたし、のんのするー」などと言って、信心深く合掌して、胡麻博士の教えた真言まで綺麗に唱えたものだった。

 それがこの頃は、さっぱりやってくれない。街の石造物めぐりも、仏像の特別展にも付き合ってくれない。それでも江戸時代の歴史に興味を持って、史学科に入ってくれたことだけはよかった。

(楓はこの阿弥陀仏に何を思ったのだろう……)

 胡麻博士は小さく唸った。


 挿絵(By みてみん)


 胡麻博士は寂しくなってきた。娘が成長し、どこか遠くにいってしまう気がした。子供の頃の楓の顔が脳裏に浮かんだ。途端に喉元になにかが込み上げてきた。胡麻博士は震えた声で、

「か、楓え!」

 と叫んだ。それでも、お堂に並んでいる諸仏はしんと静まり返ったまま、変わらずにその場にいる。近くに立っていた観光客の老夫婦が、胡麻博士の声に驚いて後ろを振り返り、すぐになにかを察した様子で顔を背けて、足速に遠ざかっていった。


(よいのだ。娘は旅立つもの。わしの思い通りになどならなくて、それでよいのだ)

 胡麻博士はそう微笑むと、阿弥陀如来坐像の顔を再び見上げた。


(先程よりも微笑んでおるな……)

 と胡麻博士は思った。それは自分の心が微笑んでいるからかもしれない。

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