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25 不動明王の滝壺

「なんの因果か、こんなところに来てしまった。しかし来てしまったら、もう来るところはないということだ。なにしろすでに到着してしまったのだから。いやはや、悩ましい問題だ……」

 と胡麻博士は頭を抱える。

「いえいえ、そのような問題は一旦片隅にでもどけてしまいましょう。それよりも元来た道を戻りましょう。そうすれば、あの千手観音の石仏があったところに戻れるでしょうから」

 と祐介は言うと、胡麻博士は頭を抱えて動こうとしない。祐介は、胡麻博士を残してでも、元来た道を戻ろうと思った。しかし一度振り返ってみると、鬱蒼と草木の茂る道は、もはや道とはいえない道なのだった。


「これは参ったな……」

 と祐介が呟くと、胡麻博士が後ろからゆっくり近付いてくる。

「これも定めだ……」

「いや、違いますよ。とにかく戻れるだけ戻るんです」

「迷ってしまっていると思うのは自由だが、あそこに白緑山寺の五重塔が見えているので、最悪、迷って死ぬことはないだろう。つまり我々には目標が見えているのだ。そこに達するための道のりは見えなくてもな……」

 と胡麻博士は、杉の枝の間から見えている、盛り上がった山の上にある五重塔を指差す。

「すると、先生は、あの千手観音の石仏のあるところに戻るのではなく、あの五重塔に向けて、道なき道をゆこうというのですか」

「道なき道ではない。この山は、山岳信仰の聖地であるから、このようなところでもちゃんとした修行の場であって、踏み荒らされていない草の上であろうとも、いつのことかはわからぬが、修行僧が走りまわっていたに違いないのだ。そう考えるならば、いくら道がわからぬとは言え、このようなところで迷うというのは本来おかしいのだ」

「なるほど。しかし、まあ、迷っていることは事実ですからね」

「まあ、それはたしかにそうだ。わしらは迷っている。戻ろうという提案には賛同しよう。わしが言っているのは、つまりあの五重塔が見えている限りは死ぬことはないということだ。さてさて、それじゃ、羽黒君。あの石仏まで案内していただこうか……」

 そんなことを呑気に言っているので、祐介は胡麻博士を本当にこの山道に残していきたくなった。そういうわけにもいかないので、歩いてきた道を少しずつ歩いてゆく。


「こんなに下り坂だったかな。羽黒君」

 と胡麻博士は突然、押し潰したような、不安そうな声を出した。

「たしかに違和感がありますね。もう少し歩いて行ってみましょうか」

「もしも、これで元の道に戻れなくなってしまったらどうしよう……」

「いえ、あの、そんなことはないと先程、先生おっしゃってたじゃないんですか」

「そんな昔のことは知らぬ。心は刹那に移ろい変わる。わしが迷うことはないと語った時からずいぶんと時が経ってしまった。そして肝心の五重塔はもうどこにも見えない」

 胡麻博士は不安そうにふうとため息をついた。


「まあ、先生。その、なんと言うのでしょう。スマートフォンを持っているので、万が一の時は連絡をすればよいのですよ」

「なんと、スマートフォンね。そいつは今、どんな法具よりも頼りになる存在だね。しかしわしらは自分がどこにいるのかもわからぬのに誰かに連絡をしてもしょうがあるまい」

「そうは思いませんが……」

「とにかく歩けるところまでは歩いてみよう」


 ふたりはそれから、ずいぶんと長い道のりを歩いた。自分たちが一体どこにいるのかも分からぬまま、あきらかに人の通った形跡のない山の奥深いところに入ってゆく。しばらくゆくと、山の上の方に五重塔が建っているのが見えた。

「しまった! こんなに遠ざかっている……」

 胡麻博士は頭を抱える。先ほど見た時よりもずいぶん離れてしまったように思える。

「でも、ここにもなにかあるようですよ」

 と祐介は言った。

 というのは、ふたりの向かっている先になにか赤いものが見えているのだった。歩いてゆくと、どこかで小川とつながっているような広々とした池があって、アーチ型の赤い日本橋がかかっているのだった。そこには小さな滝が降り注いでおり、小さなお堂がある。中を覗き込むと、不動明王の仏像が立っている。不動明王らしく、憤怒の表情を浮かべた一メートル程度の木彫像で、炎の光背を背に剣を握っている。


「よかった。どうにか人の行き来するところに出れたらしい」

「問題はここがどこかってことです」

 と祐介は首を傾げる。

「ここは一言で表現するならば、お不動さんのお堂があるところだよ。さあさあ、お不動さんに感謝しなければならぬぞ」

 そう言って、胡麻博士は熱心に不動明王の真言を唱える。

「なんだか、五重塔をまわりこんで、向こう側に来てしまったようですね。なんとか本堂に戻れないでしょうか」

「羽黒君。こうしてお堂のあるところに出れたからにはもう心配することはないよ。つまりだね。この赤い橋から続いている道をたどって歩いてゆけばどこかしらの施設に着くことは間違いないのだ」

「それはたしかにそうです」

「それでは早速、この道を歩いて行こうじゃないか」

 胡麻博士は、そう言うと赤い橋をすたすたと渡って、道を歩いてゆく。祐介もそれを追って歩いてゆく。またしても登りの石段が見えてくる。それは遠見には壁のように見える。

「やれやれ、本堂に行きたいだけなのにこんなにも苦労するとはな……」

 と胡麻博士は唸るように言った。

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