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18 温泉のふたり

 のぞみと楓は再び、石段を降っていった。登る時よりも降る時の方が、ずっと恐ろしく感じられる。楓はぴょんぴょんと跳ぶように降りていった。のぞみはそれをゆっくり追う。

 すぐに下の山門にたどり着き、ふたりはバス停でバスを待つことになった。

 観光客らしき老夫婦がベンチに座っていた。のぞみと楓は、老夫婦とわずかに距離をおいて立っていた。

 五分ほどしてバスが到着し、ふたりはバスに乗って、白緑山温泉へと向かった。


 冬場であるから風は冷たく、カラッとしているが、厚着をしてきたせいか、のぞみの下着は、彼女の汗ですっかり湿ってしまったらしい。素肌はわずかにむず痒く、熱を帯びているようだった。こうなると、バスの暖房の中では、余計にじとじとと布地が貼り付いてきて落ち着かないので、のぞみは大きなお尻をむずりと座席の上でずらした。

(はやく温泉に浸かりたいな……)


 温泉街といっても山の中であるから、山道に旅館が並んでいるだけである。ふたりは、途中で下車をした。それから、のぞみの知っている日帰り温泉の施設へと歩いていくことになった。大きな白い建物で、古めかしい旅館とは装いが異なるが、新しい感じもしない。ふたりは重たいガラスの扉を引いて、薄暗い室内に、ぐんぐん足を踏み入れていった。

 腰の曲がった優しそうなおばあさんが、カウンターに出てきたので、ふたりは代金を支払った。

「一人、五百円だよ……」


 赤い暖簾の先の脱衣室には、鍵のついたロッカーと、昔ながらの木の籠の置かれた棚が、両側に並んでいた。目の前には鏡があり、ふたりの姿が映っている。


 のぞみは靴と靴下を脱いで、裸足になると、板張りの床の冷たさに驚いて、親指を小さく曲げた。

 のぞみは、緑色がかった上着を脱いで、明るい色をしたトップスのセーターも脱いだ。それからゆるめのボトムスを履いていたので、これも脱いでしまう。

 のぞみは背中に手をまわし、淡い桃色のブラジャーのホックを外すと、それを乳房からするりと外した。のぞみのほのかに暖かくなった素肌は、張り詰めた冷たい空気に当たって、鳥肌を立てていた。ショーツも脱いで、一糸もまとっていないのぞみは、白いタオルを持って、楓と共に浴室に移動した。


 のぞみは、シャワーを浴びる前に、濁った黄金色(こがねいろ)の湯から漂ってくる匂いを嗅ぎながら、手桶で湯をすくって、白くなめらかな肌にその黄金色の湯をかけた。湯は、のぞみの素肌を、重たく押しつぶすようにかかった。のぞみは、あつっと小さく声を漏らして、腰の位置を数センチ後ろにずらした。大きなお尻が風呂椅子からはみ出して、思わず転倒しそうになる。体はわずかに跳ねあがり、汗の混じった飛沫(しぶき)を目の前の鏡に飛ばして、鏡は汚れた。のぞみの呼吸は乱れて、体勢を直そうとする。お尻を浮かせると風呂椅子がカタンと音を響かせた。のぞみはふうと息をついた。その後も胸は心拍と呼吸に挟まれたように、なめらかに揺動(ようどう)を続けていた。ようやく怒りを静めたように大人しくなった、と同時に白く湯気が舞い上がっていた。

(熱かった……!)


 もう一度、湯は胸元より下にそっとかけられた。白い肌を滑るように流れて、下腹部の脂肪の膨らみを伝って、小さな風呂椅子の上にしゃがんだのぞみの、左右の太もものあたりからバシャバシャとタイル張りの床に落ちた。その水は、排水口からどこかへ流れてゆく。

「ふう……」

 のぞみは生き返ったような気持ちになる。これが体のケガレを清める行為なのだと、よく分からないことを考える。

 蛇口の取手をひねって、シャワーからお湯を出し、のぞみはじっとりと張りついていた汗を流していった。

 のぞみが体を洗い終えて、露天風呂に出て、湯に浸かろうとした時、楓はすでに湯に浸かって、小さくなっていた。

「ういー」

 と楓が唸っている。

「どう?」

 とのぞみが尋ねる。

「なんかすごい色の温泉だね」

「体にいいらしいよ」

「うん。なんか、めっちゃ体に染みてきてきもちいよ」

 と楓は満足そうに感想を述べた。


「いい眺めだね。崖の上なのかな」

 と楓は言った。実際、露天風呂からは、付近の山並みが一望できた。ここが断崖絶壁にあることを意味しているのだった。

「そうかもね。昔、覗こうとした男が男湯から伝ってこようとして、崖から転落死したことがあるらしいよ」

 と楓があまり知りたくないだろう情報を、のぞみは説明した。


「そういえばさ、犯罪ということで思い出したんだけど……」

 と切り出してきたのは、楓の方だった。

「うん?」

「あの観音堂で、殺人事件が起こったって話。ちょっと気になるよね」

「ああ、なんだろうね……」

 のぞみもずっと気にはなっていた。

「観音様の呪いかな」

 と楓。

「観音様に呪いなんて……!」

 信心深いのぞみはすぐに反論したくなったが、観音の呪いがあるかどうか、そもそものぞみはよく知らないことに気づいて、口をつぐんだ。


「犯人は捕まったのかな。まあ、そこまで興味があるわけじゃないけど……」

 と楓は言って、両手で湯をすくい、自分の顔に塗るようにかけた。

「観音様ってさ、普通、顔は一つじゃん?」

 と楓は続けた。

「そうだね」

「でも、あれはさ、十一面観音なわけ。十一個の顔があるわけ」

「うん」

「それって、つまり変化(へんげ)しているわけじゃない。それって密教仏ってことだよね。だからさ、呪術的なところはあると思うんだよね」

 と楓が語りはじめたことが、のぞみにはすぐには飲み込めなかった。のぞみは、密教に詳しいわけではない。


「そうなの?」

「うん。つまり、千手観音とか、十一面観音とか、普通の観音さまじゃないじゃん。手が千本あったり、顔が十一個あったり。それって変化観音(へんげかんのん)なんだよ。それはなんでかっていうと、そういう姿の方がより呪術的な力を持っているとされたからだよ。平安時代以前の仏教と呪術は、切っても切れないものだったと思う。そしてそれは人の病を治癒することだけじゃなくて、人を懲らしめることにも利用されてきた。飛鳥時代に、聖徳太子が物部氏(もののべし)との争う際に、四天王に戦勝祈願をしたわけだし、平安時代には平将門(たいらのまさかど)追討の際には、千葉県の成田で不動明王に戦勝祈願したわけ。それって、やっぱり仏には人を呪い殺す力があるってことじゃん」

 と楓は、今まで仏教に興味がないと語っていた人とは思えないことを語り出した。のぞみはさすが、民俗学者を父に持つ、史学科の学生だと思った。


「でも、仏様には慈悲心があるというのに、人に頼まれてたからって、人を呪い殺したりするかな」

 とのぞみは率直な疑問を口にする。

「うん。まあ、そうね。そこはわたしもわからない。そういう力って、慈悲とは矛盾しているよね。まあ、わたし、お父さんと違って、あまり深く考えたことないんだ……」

 と言って、楓は話をはぐらかした。

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