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14 ふたりで白緑山寺へ

 のぞみは楓を連れて、白緑山寺に行くことになっている。

 その日、朝八時にふたりは家を出て、駅前のバス停から白緑山寺行きのバスに乗った。一番後ろの左側の座席にふたりは並んで座る。のぞみは、楓が山の景色がよく見えるようにと思って、彼女に窓際の席を譲ったのだった。


 ふたりを乗せたバスは、ビル街を貫く大通りをまっすぐ山側に向かって進んでゆく。

 バスは、昔からあるという汚れた外装のデパートの前を通り、お洒落なドーナツ屋や銀行、インド料理店の前を通って、今では人気がなくなってしまった商店街の中を抜けた。のぞみは、その剥げた看板に何が記されていたのかわからなかった。

 バス停で止まった後、再び走り出したバスは、今度は裕福そうな民家の間を抜けて、小さな川にかかる橋の上を渡り、田んぼの広がる田舎道に迷い込んだかと思うと、すぐにうねうねと曲がりくねった山道へと入ってゆく。


「帰りは白緑山温泉に寄って帰ろうよ」

 とのぞみが言うと、そうしようねと楓はすぐに小さい声で答えた。

 のぞみは実のところ、楓に白緑山寺を紹介することをわずかに躊躇していた。自分に芽生え始めている信心を楓に一蹴されやしないか、そのことをずっと気にしていたのだ。

 白緑山寺がたとえ面白くないところだと楓に思われたとしても、白緑山温泉で温泉饅頭でも勧めれば、最低限の満足感は与えられるだろうと思っていた。

 そうすることによって、楓の批判を交わして、白緑山寺に対する感情をかき回されないようにしたかったのだ。


 挿絵(By みてみん)


 のぞみは、オレンジ色の髪を撫でて、楓越しに窓の外を眺めていた。

 バスが走る山道沿いに今にも崩壊しそうな土産物屋や、旅館がぽつりぽつりと建っているのが見えていた。そのうちに人の賑わいが感じられるようになってきて、観光客のリュックサックがちらちら見えるようになる。バスは山の内側にもぐりこむようにして森林の木陰を進み、ようやく温泉街に到着した。

 白緑山温泉というバス停で数組の客が降りて、またバスは走り出す。

 この道の先に白緑山寺はある。白緑山寺に近づくにつれ、六道の地蔵とか、奇妙な名前のバス停が増えてきた。


(白緑山温泉か……)

 温泉と霊場は結びつきやすいものなのだろう、きっと温泉というより、霊泉などと呼んだ方がよいものだったに違いない、とのぞみは思っていた。

 のぞみは歴史に詳しいわけではないが、江戸時代の頃は、旅行といえば寺社参りか湯治がメインのレジャーだったとなにかの本で読んだことがある。

 その本によると、当時の庶民にとって伊勢参りなどの参拝旅行は一世一代の大イベントで、江戸を出て、東海道を歩いて、伊勢神宮にお参りし、高野山を詣でて、さらに中山道をぐるりとめぐって信州の善光寺まで参拝した末に、江戸に帰ってきたものらしい。

 きっと信仰と観光が合わさったような参拝スタイルはその頃に普及したのだろう、とのぞみは勝手に思っていた。

 寺や神社というものは、どんなに高尚な信仰によって始まったものだとしても、この江戸時代の庶民の観光混じりの信仰を通して、今の世に伝えられたものは比較的多いのだろう、とのぞみは思う。

 それを肯定するのか、否定するのか、のぞみはまだはっきりとした考えを持ち合わせていなかった。


「バスが入れるのはここまでなんだ……」

 とのぞみは言った。

 バスは、森の中に大きな山門のそびえる、広い駐車場のようなところで停車した。ふたりはお金を払って下車した。空気は肌を刺すように冷たかった。あたりはスギの巨木が並び、天に向かって太い幹をまっすぐ伸ばしているのだった。

「ここからは、わりと歩くから無理しないでね」

 とのぞみは言った。


 楓は山門をじっと見つめて、なにか他のことを考えているようだった。そして彼女ははっとして、のぞみの方を向き、

「ああ、うん。でも頑張れるよ」

 と言った。

 のぞみは、楓が何を考えているのか分かりかねた。のぞみが仏教の文化財を前にして考えるのはなによりも自分の心の問題だ。それは言い換えれば、自分の人生観のことかもしれない。自分自身のことから一歩離れてみると、(いにしえ)より生と死の間で、信仰に身を捧げてきた無数の人々のことを思うのだった。

 それが楓の目にこの山門がどう映るのか、何を彼女が考えているのか、のぞみには想像もできなかった。


 ふたりは、細い山道を歩いていった。ほとんど崩れかけた石段が何百段も続いていて、手すりもないので、のぞみは、もし転ぶようなことがあれば、命はないだろうという気がした。

 ふたりは山道に沿って、形が崩れたような地蔵菩薩像(じぞうぼさつぞう)が祀られているのを何度も見た。


「今から行くお寺ってさ」

 と楓が息を切らしながら言った。

「うん?」

「縁結びなんかも効果あるの?」

「縁結び?」

 のぞみは素っ頓狂な声を出した。


 ここは死者の霊魂が集まる山岳の霊場、霧深き山寺に祀られている金色の阿弥陀如来、禅問答のようなことを語る奇妙な若い僧侶、神仏に問われる自分の心の複雑な問題……。

 のぞみのそんな高尚な感覚を、ぽかんと打ち払うような楓の「縁結び」の一言。


「縁結びかぁ。どうだろう。でも、お寺だからお願いは叶えてくれるんじゃない?」

 のぞみは適当なことを言った。円悠に尋ねるとなんて答えるだろう、と思った。

「そうか、そうだよね」

 のぞみはあっと思った。楓はさっき山門を見て、縁結びのことを考えていたのか、とのぞみは思った。

(楓は、誰かと結ばれたいと思っているのかな……)

 のぞみは、最近の楓の言動を振り返った。縁結びか、どうもそんな気がしてきた。のぞみは、そんなことを考えだすと、今まで難しいことを延々と考えてきた自分の頭もすっきりとしてくるというものだった。

(それが普通の人の感覚だよね)


 山道はついに終わり、眼前に巨大な山門がそびえているのが見えてきた。実は、石段の下の山門よりもこちらの山門がメインなのだ。

 この山門は太い柱が六本、横並びとなっていて、その上に人が五十人は乗れそうな二階を構えた巨大な楼門(ろうもん)であり、瓦葺の入母屋造(いりもやづくり)の屋根が反るようにして宙に(すそ)を伸ばしている。

(白緑山寺だ……)


 その時、のぞみはふと、円悠に会いたい、と思った。

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