147 南京錠と鍵のトリック
羽黒祐介のこの言葉に特に驚愕を感じたのは胡麻博士と円悠であった。ふたりは堰を切ったように祐介に突っかかってきた。
「そんなことがあるかね。あれほどの大人物は、この世にそうそういるものではない。一体全体、法導和尚が何のために、死体と仏像を動かしたというのだ。強盗団のグループに恫喝されていたのかね」
「いえ、強盗団には、わざわざ仏像を移動させる理由がありません。これはあくまでも法導和尚の着想であり、宗教的な手立てであったのです。それについては後で説明いたします。
それに法導和尚ならば、旧観音堂の密室を生み出すことが容易にできました。このトリックは、南京錠とそれに対応している鍵が、キーポイントでした。この鍵は、僧坊の金庫の中にあって、防犯カメラの監視の下、一年近く前から誰も取り出しておらず、円悠さんが今日の夕方、はじめて取り出したものと見える。したがって、長期間に渡り、誰にも持ち出されていない鍵でありますから、観音堂に死体や仏像を運び入れることは誰にもできなかったとされているわけです。
そして死体発見時、円悠さんが、旧観音堂の南京錠に鍵を差し込み、開錠できたことから、この鍵が正真正銘、旧観音堂の南京錠のものだということが証明されているのです。
これにはちょっとしたマジックを用います。まず、見た目がそっくりな(つまり同じデザインの)南京錠と鍵のセットをもうひとつ用意します。これは倉庫に余っているものか、他のお堂で使用されているものを借用したのでしょう。便宜上、これを偽物の南京錠と鍵と名付けます。それをあらかじめ、僧坊の金庫を開けた時に、本物の旧観音堂の鍵とすり替えてしまうのです。外見が同じであれば、それが何の鍵であるか、判断することは誰にもできなかったはずです。このようにすれば、誰にも気づかれず、鍵を持ち出し、旧観音堂の本物の南京錠を開けて、死体と仏像を運び込むことは容易だったはずです。
問題は、その南京錠と鍵をどう戻すか、です。円悠さんが旧観音堂を開けようと突然言い出したのは、法導和尚には予想外のことでしたでしょうから、円悠さんはこの時、金庫にしまわれた偽物の鍵を持ち出したことになります。このままゆくと、持っている鍵が旧観音堂の南京錠と合わず、すり替えられていたことが円悠さんに分かってしまいます。
そこで法導和尚は、早急に手を打った。旧観音堂に赴いて、本物の南京錠を開錠し、代わりに、偽物の南京錠を観音堂の扉にとりつけたのです。法導和尚は、本物の南京錠の鍵を所持していますから、本物の南京錠を開錠することができますし、偽物の南京錠も、これはオートラッチシステムの南京錠ですから、鍵がなくても、シャックルすなわち差し金を押し込むことで、施錠することができるものでした。
円悠さんが、旧観音堂で、偽物の鍵を使い、偽物の南京錠を外した時、実際、誰もこのことを疑うものはいなかったはずです。法導和尚は、開錠後に、偽物の南京錠と鍵を、本物とすり替える必要がありました。そのために彼はあらかじめ、旧観音堂で我々を待ち伏せしていたのです。円悠さん、外した南京錠は観音堂の外壁に立てかけましたね。それでは南京錠の鍵はその後、どうしたのですか?」
「法導和尚に手渡しました……」
「この時に、法導和尚は、偽物の鍵を本物とすり替え、南京錠も本物とすり替えていたのです。このようなことができたのは、死体発見現場に居合わせた法導和尚だけだったのです……」
「実は驚くべきことだ。して、その偽物の南京錠と鍵とやら、どこにあったものなのだね」
「柿崎君の話にもあった通り、五重塔に施錠されていた南京錠がしばらく見ぬうちに姿を消していました。おそらく、この南京錠と鍵で間違いないでしょう……」
「見事だ。実に見事な手品だよ。しかしだね、法導和尚は、どうして強盗団のグループが殺害した吉田咲を、警察に通報しないで、仏像と共に旧観音堂へと移動したのだね?」
「それはおそらく、法導和尚に尋ねるのが一番よいと思うのですが、僕の推理では、法導和尚は、はじめから一連の事件が、相馬先生による実験殺人であることに気付いていたのでしょう。そこで、観音の神変を表現することによって、彼に観音の利益が現実のものであることを彼に飲み込ませようとしたのです。彼の業は、無間地獄に落ちる不安を因とするものでありました。そのために幾度となく無益な殺人を犯してきたのです。その根本の不安が浄化された時、彼はもう無間地獄に怯えることはなくなります。他者を犠牲にすることも無くなるでしょう。そのためには、観音の神変を具現化することによって、彼に心真言の有効性、観音の呪力の絶対性を擦り込ませなければならなかったのです。以前、胡麻博士もおっしゃっていましたが、仏教においては、悟りへと導く手立てとして、このような嘘も積極的に行われるものです。これを方便といいます。
現実に相馬先生は、このことで観音の呪力を確信し、心真言を唱えることで、五逆の罪が浄化されることを確信しました。そしてもう犠牲者を増やすことなく、自ら死を遂げようとすら考えていました。法導和尚の手立ては成功したと言えるでしょう。
このため夜間、法導和尚と松倉正善はふたりで、人見を盗んで、死体と仏像を旧観音堂へと運んだのです……。死体発見は、円悠によって予想よりも早く進んでしまいましたが、それも南京錠と鍵のトリックで、どうにか誤魔化すことができました」
「しかし金庫内の南京錠と鍵をあらかじめすり替える時間的な余裕はなかったはずじゃなかったかね。吉田咲が殺されたのは突発的なことで、昨夜のことというし……」
「ええ。それは確かにそうです。実際、金庫内の鍵をすり替えたのはずいぶん前のことだと思います。しかし、そもそもこの計画に「死体」は別に必要ありませんでした。仏像さえ移動できれば、相馬先生に相当なインパクトを与えることができたはずです。だから初めは仏像が移動するだけのトリックだったのです。強盗団による吉田咲殺害を急遽、トリックに利用したために話がややこしくなっているのです……」




