145 足跡のトリック
楓と慎吾は、すっかり山中他界に迷い込んでいた。羅漢堂のあたりまで辿り着くと、山の奥から銃声が響き渡っていて、眼下で強盗グループと警察が激しい銃撃戦を繰り広げているのが想像できた。
(うわっ、ここは本当に日本なのか……)
楓はひどい違和感に悩みながら、杉の木の裏に隠れて、山道の崖から見下ろした。どっぷりとふけた闇夜で、漆塗りもいいところだ。どこに強盗グループがいて、どこに警察がいるのか、銃声の聞こえる方向だけではまったく判断できない。
「こんなところで流れ弾でも食らったら……」
慎吾はそう言って辿ってきた道を引き返そうとしたが、今度は、ふたりの背後から銃声が聞こえてきた。こうなるともう後戻りができない。
「前に進もう。羅漢堂まで突っ切ってしまった方が安全だ」
ふたりは懐中電灯を消して、離れ離れにならぬよう、手を繋ぐと山道を進んでいった。
楓はとにかく慎吾を頼りにしようと思った。もしも今晩、慎吾ともに死ぬのだとしたらそれも運命だろう、という気がした。そうして、ふと空を見上げると、乱層雲が風に押しやられて、切れ目より月明かりが一条差し込んでいるのが妙に印象的だった。
「強盗グループの一人だろう」
慎吾の声が響いた。楓が目をこらすと、山道に男性が一人、倒れている。すでに事切れていると見える。
ふたりが山道を突き進んでゆくと、奥の院の前へと辿り着いた。お堂の入り口の前には、羽黒祐介、胡麻博士、円悠、のぞみ、そして滝沢教授の五人の姿があった。
「柿崎君。どうして君はここに……」
祐介が驚いて声をかけてきたので、慎吾はなんと答えてよいものか悩みながら、あれやこれや理由をつけている。そしてもっとも説得力のある五重塔で見つけたコートの話を出した。
「このコートです。おそらく、事件の決定的な証拠でしょう……」
「そのようだな……」
と胡麻博士が言うと、羽黒祐介は頷いた。彼の中でなにか決心がついた様子であった。
「一旦、この七人でこの奥の院の中へと入りましょう。ここでは強盗と警察の争いに巻き込まれる恐れがあります。警察による強盗グループ狩りは、滝沢先生が人質から解放された今では、いよいよ時間の問題でしょう。事件の謎解きをする時が参りました。もしも自分の推理が正しければ、これは相馬先生の実験殺人に続いて、驚くべきホワイダニット(動機)が潜んでいる犯罪です」
「是非、教えてくれたまえ」
と胡麻博士は唸り声を上げた。
七人は、奥の院の中へと入り、関東仏教の祖ともいうべき円仁と勝道の霊廟の壇を前にしながら、円を描いて、立ち尽くした。そこで羽黒祐介は事件の真相を語り始めた。
「まず、第一の事件ですが、田崎弥生さんが相馬先生の実験殺人の被害者となりました。彼女は、生前に仏像の首狩りをさせられ、五逆の罪を負わされた状態で、密教の儀式の後に、金剛杵で撲殺されたのです。この時、すでに雪は降り積もっていたはずです。それなのに、第一発見者の旅行者は、観音堂の周囲の雪には足跡がついていなかったと証言しています。これこそが相馬先生が語る「観音の神変」のひとつです」
「その通りだな。彼はこのことがあったために、観音の呪力を次第に信じるようになっていった……」
というのは、胡麻博士である。
「これはタネを明かしてしまえばなんでもない話なのです。相馬先生と田崎弥生のいた観音堂には、ちゃんとふたりの足跡がついていました。
第一発見者の旅行者がはじめ観音堂と思っていたのは、実は隣の薬師堂だったのです。
薬師堂と観音堂は構造上、外観がそっくりに出来ています。ただひとつ違うのは、建物の外壁の色で、観音堂は濃い緑色の彩色が施されていたのに、この薬師堂はそれが赤褐色という点でした。
しかし旅行者は、色覚障害があったため、赤と緑の区別がつけられなかったために、お堂を勘違いしてしまったのです。
現在ならば、薬師堂には、薬師如来が祀られ、脇侍として日光菩薩、月光菩薩が祀られていますから、一眼見て「これは薬師堂だ」とわかります。しかし当時は、薬師如来と月光菩薩が、東京の上野にある美術館に運び出されていましたから、残されていたのは日光菩薩一躯ということになります。
第一発見者の旅行者というのはハイキングコースの登山者で、お寺目的ではありませんから、仏様の種類などわかりません。それに彼はハイキングコースから遭難して薬師堂に辿り着いただけなので、場所もわかりませんでした。ただ、薬師堂から、道を辿って、五つに分かれたヒトデ型の道の真ん中を突き進み、本堂に寄って、お坊さんに一部始終を告げました。お坊さんはすぐに「それはどこのお堂か」と尋ねたことでしょう。旅行者は、お堂と祀られている仏像の外見を必死に伝えようとします。すると話を聞いたお坊さんは日光菩薩の外見の表現から「それはきっと観音菩薩だな。この人は観音堂のことを言っているに違いない」と解釈してしまうことでしょう。なぜって日光菩薩と観音菩薩の外見は非常に似ていますからね。お坊さんをしたがえて、旅行者は来た道を戻っていきますが、特に目印もないヒトデ型の道ですから、方向感覚が狂って、お坊さんの案内で、観音堂への道を辿ったとしても気がつきません。観音堂の周囲には、相馬先生と田崎弥生の足跡がしっかりと残っていますが、これは旅行者が立ち入った時の足跡と思われてしまったのです」




