140 生命礼賛
「サスケフラワー号の海難事故の恐ろしい夜のことを俺は今でもよく覚えている。多くの人間が苦しみの中で喘いで死んでいった。海に沈んだ数多の魂のことを覚えている。あの人たちの可哀想な顔を俺はよく覚えている。父母の死人のような土色の顔を覚えている。そして俺は、海に向かう度に、あの亡霊たちの嘆きの声を耳にする。恐ろしい不安に取り憑かれるようになった。その不安は、ある日から無間地獄の恐怖と一体となった。自己の人格を擁護するもの全てを、取り去られて、俺は気がついたら五逆の罪を負わされている醜い罪人となっていた。そして俺はただ阿弥陀如来を信仰した。阿弥陀如来の魂の救済を心から求めた。絶対の慈悲を求めた。しかし俺は、五逆の罪を背負っているために、救済の対象からはじめから外されていたのだと知った時、俺は阿弥陀如来を自己を否定する象徴のように捉えるようになっていた。俺を否定する悪魔のような存在。俺は阿弥陀如来を恨んだ。そして俺は、観音の補陀落浄土を求めるようになった。なぜならば、十一面観音には、五逆の罪を浄化する御利益が備わっているとされるからだ。そして補陀落浄土に確実に往生するために、俺の同じく五逆の罪を負っている人間を集めて、観音の修法の後に殺す必要があったのだ。その人間たちが補陀落に往生することができれば、俺の往生も保証されるはずだったのだ……」
そう語る相馬は不気味な微笑みを浮かべていた。
「やっと答えが返ってきたのだ。あの観音堂の死体と仏像は、十一面観音からの返答だ。そうでなくてあのようなことが現実に起こるはずがない。ついに俺は救われたのだ……」
そういうと相馬は立ち上がった。その表情にはひどい嘆きのために醜く歪んでいるように見えた。円悠が歩み寄って、石の塚と向き直った。
「相馬先生。あなたの心は死の観念にとらわれている。あなたは涅槃を死のことだとおっしゃったそうですね。そうかもしれない。しかしあなたが目の前にしているこの巨石は、この白緑山の信仰の根源でありましょう。このような石を何故、古代人が祀ったのか、我々にもわかりません。しかしそれは遠からず、生命礼賛であったはずです」
「生命礼賛だと……。馬鹿な、白緑山はそれそのものが死後の世界の象徴であるはずだ。そこに生命礼賛などという下らない思想の入る余地があるはずがない……」
「この巨石は、神の依り代であったことでしょう。ここに神が憑依するのです。古代の人々はこの石に願ったのです。雨乞いや占いといった古神道の信仰は、やはり稲や麦の豊作を願うためのものだったことでしょう。それは死ぬためではなく、生きるためだったはずです……」
「そんなものは仏教以前の原始信仰に過ぎない。無知であるはずの原始古代の農民が、豊作を願って雨乞いしたことと、俺の父母殺しの罪業がどう関係しているというのだ。俺は五逆の罪を滅して、補陀落に往生しようとしているのだぞ……」
相馬は腹立たしそうにいうと、石の塚を見上げた。
「信仰の起源を探っても、俺の苦しみは決して癒されることがないのだ……」
円悠は静かに、相馬の顔を見つめると、彼の瞳がまだひどく怯えていることに気がついた。観音の神変を目にしても、まだ自分が往生できるか自信が持てないのだろう。
「いつだって信仰の大元にあるのは「人々の願い」であります。その願いの始まりは、この石の塚に過ぎなかったのです。やがて願いが集積して、このような仏教の霊場となった。ここまで大きくなったのであります。あなたはこの霊場を「死後の世界」であるという。そして生と死を対立させる。あなたは日本人が生に固執していると批判される。もっと死の世界へと向かうべきだとおっしゃられる。しかしその発言は、日本人が魂の不滅を信じ、魂が山中を彷徨い、祖霊となって、やがては神となると信仰してきたことの意味を、あなたが理解していない、なによりの証拠でありましょう。ここはその神々の御霊がこもる霊場なのであります。いいですか。死後の世界である霊場には、魂が彷徨っているのですよ。人々はそれを祀る。活発に生活の中に魂を取り入れ供養をする。神が生活の中に溶け込んでいる。それが稲穂を育み、豊穣へと導く。収穫した餅米を突き、出来た餅には魂がこもっているのであります。こうして命が繋がってゆく。それがすなわち日本人の生命礼賛なのです」
「詭弁を使うな。古神道の話など聞いてはいない。俺は阿弥陀の慈悲に裏切られたんだ。だから、観音の浄土へと旅立つだけのことだ。そのためにはどんな犠牲を払ってもよいのだ……」
「あなたは大悪人だ。しかし大悪人であるあなたのような人にこそ、阿弥陀如来は救いの手を差し伸べてくださることでしょう。南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
円悠は、静かにそういうと、その瞬間、山の奥の中から鋭い銃声が響いてきたのだった。それは、この場所から程ないところであるようだった……。
 




