133 山中他界の鬼たち
奥の院と観音堂へと向かう山道を疾走する羽黒祐介と胡麻博士。のぞみたちもそのふたりの背中を必死に追いかけていた。今は山中他界が、極楽とも地獄ともつかぬ、宵闇の恐ろしさに包まれている。それは、魑魅魍魎たちよ出でよ、怪異よ起これ、と日本人なら誰でも呼びかけたくなるほどの幽玄なる隠り世の顕現であった。
まさに祖霊たちの魂が彷徨い、宙を飛び交い、憑依したような虫たちがのぞみの頬に幾度となく当たった。
(こんな時間にこんなところに……)
森の奥から一斉にけたたましい笑い声が聞こえてきたかと思うと、それは風にそよいだ枝葉が騒いでいるだけであった。
旧観音堂のあたりは、ほの明るく、警察官たちの姿が見えていた。初動捜査は今尚、続けられているのだ。
「相馬先生が来なかったか……聞いてみましょう……」
祐介はそう言うと、旧観音堂のある石段の上へと駆け上がった。
藤沢警部の部下の袴田刑事が、腕組みをして立っていたので、祐介は話しかけた。すると祐介の顔を見るなり、
「羽黒さん。今は相馬先生どころじゃありませんよ」
と叫ぶと、祐介の肩を掴んで、なにか耳打ちをした。
「えっ……。それは本当ですか。滝沢先生が……」
祐介は振り返って、胡麻博士の顔を見た。胡麻博士も何事だろうという表情で祐介の顔を見つめている。ふたりはしばし互いに魅了され合っているかのように顔を合わせて、時間をかけて以心伝心をしようとしている。
「言葉で教えてくれ……」
と胡麻博士がようやく口を開いた。
「すみません。実は先日、東京で起こった強盗事件の犯人グループがこの山に潜伏していて、現在、滝沢先生を人質に取っているということなのですが……」
「なに……。滝沢先生を……」
「それ、あの、もしかして……」
のぞみが声を上げる。もしかして自分が命を狙われたあの強盗団ではないだろうか、いや、そうに違いない、という直観が、彼女の脳裏に起きて、一陣の衝撃となって全身を駆け抜けてゆく。そのままのぞみは手で口を塞いで、二、三歩引き下がる。
「この山は間もなく戦場となりましょう。勿論、滝沢先生のことは心配です。しかし相馬先生のことは……」
と円悠はやけに落ち着いている。
「相馬先生は先程、この観音堂に現れて、滝沢先生のことを聞いたら、そのまま姿が見えなくなってしまいました」
と袴田は言うとさも忙しそうな様子で、六人に背を向けた。
「相馬先生は、彼岸に渡る気だ。しかし恩師である滝沢先生の危機に、捨身行のつもりで、犯人グループの潜伏する山の奥へと向かったのだろう。
ところで強盗団というのは一体、何なのだ。いきなり情報量が増え過ぎではないかね……?」
と胡麻博士は、出来の悪い推理小説に直面している読者のように、あからさまに困惑の表情を浮かべた。
「わたし、その強盗団、知っています……!」
のぞみは必死の声を上げた。五人は一斉にのぞみの方に振り向く。
「数日前に上野でわたしを襲った強盗団です。きっとわたしを殺しに来たんです……!」
「君はその強盗団に殺されるような重大な秘密を握っているのかね」
「さあ。それは分かりません。わたしの居場所をどうして突き止めたのかもわからない。もしかしたら、ただの偶然かも……」
のぞみは急に心配になって、話を誤魔化した。
「いえ、しかし、それなら辻褄が合います。森永さんは知らないし、自覚していないかもしれませんが、犯人グループが森永さんに秘密を握られていると思い込んでいる可能性は十分にあります。そして森永さんの居場所を突き止めて、この山にやってきた。そして滝沢教授を人質に取ったのです。犯人の狙いはそれならば明確であるはずです。森永さんの命です……」
と羽黒祐介は簡潔にそう状況をまとめると、なにか話し込んでいる袴田に横から耳打ちをし、その返答を描いてから、すぐに五人のもとへと戻ってきた。
「今、犯人グループは、奥の院の向こう側、羅漢堂のあたりにいるそうです。相馬先生もそのあたりにいることでしょう。僕と胡麻博士は今からそこへと向かいます。残りの四人は危険だから宿坊に戻ってください」
「何故、わたしも行くことになっておるのじゃ……」
と呟く胡麻博士の言葉に重ねるようにして、のぞみが前に歩み出した。
「羽黒さん。わたしも行きます。犯人グループがわたしを狙っているのなら、わたしが囮になれるはずです」
「いえ、危険です。四人は宿坊に戻るように……」
「そうじゃぞ。わしもまだ行くとは一言も言っていないが、この山中他界は、古くより風葬や林葬のための墓所があり、荒ぶる死霊たちが宙空を彷徨い、鬼にも天狗にも化身して、迷い込んだ人間を取り殺してしまう恐ろしいところなのじゃ。今、潜伏している犯人グループはまさに、その鬼そのものではないかね。立ち入るでない。立ち入ったら殺されてしまう……」
胡麻博士はそう言うと、のぞみの前に両腕を広げて立ち塞がった。




