132 遺書らしき怪文
あれほど激しい吐き気に苦しんでいた相馬先生のことだ。今頃、自分の部屋で寝ていることだろうと踏んで、羽黒祐介をはじめとする、胡麻博士、円悠、柿崎慎吾、のぞみ、楓の六人は、まさに祖霊たちの群行さながらに鶯張りの廊下を歩いて、相馬先生の部屋に向かった。
相馬先生が宿泊している部屋の襖を開くと、果たしてそこには人の姿はなかった。
「いない……。まさか逃げ出したのかな」
と胡麻博士は、心配そうに一流旅館の客室のようなその畳敷きの部屋を見まわした。
「トイレじゃないですかね……。逃走するとも思えませんが。相馬先生は、自白寸前といった様子だったので……」
祐介は、そう思いながらも相馬の奇行に不安を感じていた。今の彼だと、何をしでかすか分からない気がしたのだった。
敷かれている布団の枕元になにやら一枚白い紙が置かれている。
「まさか遺書……」
そう言いながら胡麻博士がそれを手に取ると、このような文章が書かれていた。
私の父母の魂は今尚わだつみの国を彷徨っています。
荒御魂のままきっと、あの深き海の底に。
私はそのことから目を背け続けてきました。
二年前のあの日。
雪降る夜の補陀落山、護摩炉と食器、燃えあがる供物、心真言を唱える声。
金剛杵の金色が真紅に染まりたる時、私は罪人の煩悩の能断を信じていました。
杖も刀も折れてしまうというのに。
あの罪人の脳は呆気なく砕けてしまいました。
足跡のない雪に浮かぶ八角形の山。
私は補陀落山だと信じています。
なぜなら私の知らぬところで、観音の神変が起こったからです。
あれから骸は二つとなりました。
奈良元興寺の智光・頼光。
頼光のように智光の生まれたるところを知ろうとしてもいまだに叶いません。
おかげで無間地獄がすぐそこまで迫ってきています。
三つ目の骸を見た時、私は観音の神変を信じ畏怖しました。
今こそ無間地獄の罪業を浄化し、彼岸に達するべく、御仏の前で心真言を唱える時が参りました。
唵摩訶迦嚕尼迦娑縛訶
「これは一体、何ですか。何を意味しているのでしょう……」
と羽黒祐介は用語が難解なあまり、意味を理解できずにその文章を見つめている。
「わだつみの国というのは、海神の国のことで、海中の他界だ。そこを彷徨っている父母の霊、つまりはサスケフラワー号の海難事故で亡くなった両親のことを指しているのだろう。
荒御魂は、いまだ生前の罪業が浄化されずに荒ぶっている状態の魂で、怨霊や御霊といったニュアンスに近い。つまるところ父母が非業の死を遂げたということだ。
それより最後の文だが、彼岸に達するべくというのは、あの世にゆくということであるから、これはやはり遺書ではないかね」
「それはまずい。すぐに彼を追いかけましょう! しかしどこに行ったのでしょう」
「ここに「御仏の前で心真言を唱える時が参りました」とあるのから、彼が向かったのはあの旧観音堂ではないかね!」
六人は慌てた様子で、その紙を握りしめたまま部屋を飛び出した。そもそも、まだ初動捜査が続いているのではないかという気もしたが、相馬はいかにも自殺をしそうな様子であったのはのぞみの目にも明らかなので、このまま放っておくわけにもいかない。それに熱心な十一面観音信者が、罪を作って死んでゆくのを見過ごすわけにもいかないのであった。
相馬の遺書には、さらに不可解な文章がいくつも並んでいることは、読者諸君もお気づきのことと思う。
金剛杵の金色が真紅に染まりたる時、私は罪人の煩悩の能断を信じていました。
杖も刀も折れてしまうというのに。
あの罪人の脳は呆気なく砕けてしまいました。
この文章は、何を意味するのか……?
奈良元興寺の智光・頼光。
頼光のように智光の生まれたるところを知ろうとしてもいまだに叶いません。
この意味も、相馬自身が、事件の真相を伝えているのであるが、一体何を物語っているのだろうか。
それと相馬本人の心理描写でも分かる通り、第一の殺人の折、観音堂のまわりに足跡が一つもなかったというのは、相馬自身も身に覚えがなく、理解のできぬことだった。そして第三の殺人で、相馬が観音の神変に恐怖し、失神したのも演技ではない。それでは一体、何が起こったのだろうか……?




