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131 海洋他界と山中他界

「そ、それは実に見事な推理じゃ。おいっ、楓、よく聞いておきなさい。こういうのが見事な推理というのじゃ」

 と胡麻博士が興奮気味に叫ぶと、楓は慌てた様子で、

「わたし、探偵になる気ないから!」

 と叫んだ。

「しかし、これが仮に実験殺人だとして、相馬先生はどのような方法で、被害者が補陀落浄土に往生したという証拠を得ようとしていたのだろう」

 と胡麻博士は首を傾げる。

「それは相馬先生本人に尋ねてみた方が良いですね。なにしろ、彼はこうして首なし阿弥陀如来立像をこちらに手渡している。第三の殺人によって彼の心境が変化したことは明らかです。案外、すんなり自白するかもしれません」

 そう言って羽黒祐介が立ちあがろうとするのを、のぞみはここだと言わんばかりに身を乗り出した。

「でも、補陀落浄土って海洋他界ですよね。熊野では、船に乗って海洋に出て、南へと向かって漕ぎ出すのだから……。海洋他界と山中他界って別のものなんでしょ。こんな山の中に海洋他界である補陀落浄土を具現化しようとするのは無理なんじゃないですかね……」

 ようやく意見らしい意見が言えて良かった、とのぞみは内心ほっとした。すると周囲の人々はなんと答えてよいのか分からなくなってしんと静まりかえってしまった。のぞみは気まずくなり、貧乏ゆすりをした。しばらくして、のぞみの隣に座っている円悠が、それに答えたのであった。


「確かに補陀落浄土といえば一番、補陀落渡海の習俗が有名で、そのため補陀落浄土は、海洋の他界という印象を受けます。それはきっと、胡麻先生が仰るように、熊野の沖合に、常世(とこよ)という冥界があるとする海洋他界信仰を受け継いでいるものでしょう。

 しかし、仏典によれば補陀落山(ふだらくせん)はインド南端の八角形の山ということであります。また熊野三山はそもそもそれ自体が、補陀落浄土といえる観音霊場なのですが、ここは山中他界なのです。(それ自体が補陀落浄土とされる熊野三山から、補陀落浄土を目指して沖合へと船で漕ぎ出す人々というのは、いかにも謎めいているが、今ここでそんな壮大な謎を議論している余裕はないので割愛する。作者)日光山もまた元々は補陀落山(ふだらくさん)という名の観音霊場でした。「ふだらくさん」という呼称が転じて「ふたらさん」となり、「二荒山(ふたらさん)」という漢字を当てて音読みして「にこうさん」となり、現在の「日光山(にっこうざん)」となったと言われています。ここもやはり山中他界なのです」

 すると、ここで美麗にして聡明な名探偵、羽黒祐介が口を開いた。

「それに、おそらく相馬先生の胸中には、補陀落渡海の知識はわだかまっていて、補陀落浄土が海洋他界なのではないか、という疑問があったことはおそらく間違いありませんけれど、そもそも、彼は海洋恐怖症ですから、海洋他界になぞらえて儀式を行うことは不可能です。彼は、そうしたハンデからも、山中に補陀落浄土を具現化することを目指したはずです」

 これに対して胡麻博士も。

「その通りだ。それに彼は仏典に詳しい。少なくともわしが知っている補陀落山についての記載がある仏典の『華厳経』と『『十一面観世音菩薩じゅういちめんかんぜおんぼさう陀羅尼経(だらにきょう)』の両方において、それが海洋他界であるとする記載はなく、それは八角形の山であるとされる……」

「でも、そんなことをして意味があるのかな。見立てなんて宗教的に力を発揮するのかしら」

「大いに力を発揮することだろう。そもそも「見立て」とは本来宗教の特徴とも言える表現手段だ。たとえば、寛永寺の天海大僧正は「見立て」の思想を有し、上野寛永寺の境内を京都付近の寺々や自然に見立てておる。たとえば、不忍池(しのばずのいけ)は、琵琶湖に見立てられているし、清水観音堂は、清水寺に見立てている。そもそも古代に補陀落山と呼ばれていた日光山は、補陀落山に見立てられていたわけだし、奈良時代の東大寺と国分寺の関係は、華厳経の「一即一切」「一切即一」の思想に見立てているとも言える。高野山は、天空から見ると蓮の形をしているということが一つの見立てである。「見立て」とは「象徴」とも言い換えられる。宗教的象徴はすなわち思想や宗教世界を表現する有効な手段である。仏国土(浄土)を象徴する「見立て」が宗教的な力を発揮しないはずがない……」

 という胡麻博士の説明によって、のぞみはだんだん恥ずかしくなってきた。もう何の意見もしない方がいいだろう、という気がした。

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