12 のぞみと阿弥陀如来の来迎図
森永のぞみは、図書館のテーブル席の一つで、仏教絵画の画集を開いて、次々とページをめくっていた。
(やっぱり、これが一番好きだな……)
のぞみは、高校の美術部に在籍している頃、あまり仏教絵画に馴染みがなかった。森永のぞみが当時好んでいたのはセザンヌとマティスの絵画で、はっきりとした色合いとこってりとしたタッチを好んでいたので、素朴な印象がある、日本画にあまり興味を持っていなかったのも無理はなかった。
それがここ一年というものは、図書館の五階で、仏像と仏画の画集を眺めるのが日課になっていた。
(仏画は奥が深い……)
腕時計を見るともう午後六時だった。それでも、のぞみはすぐに帰る気にはなれなかった。
美術専攻であるのぞみにとっては、直感こそがすべてだった。仏教の深淵な教えは、概説書を読む限り、きわめて論理的なものだが、のぞみは、宗教とはもっと芸術的直感に基づくものであると考えていた。
のぞみが衝撃を受けた絵画の一つが、阿弥陀如来の来迎図だった。
金色に輝く阿弥陀如来が雲に乗って、多くのお供をたずさえて暗い山の峰を下ってくる、その姿の美しさを目にした時、のぞみは仏教絵画の奥深さやロマンティシズムに打ちひしがれたものだった。
(この美しさはでも、この世のものではない……)
死の世界が迫ってくる美しさ、この阿弥陀如来は他界しようとする人のもとに自ら下ってきているのだ、一体この美しさの中にどんな願いが託されているのだろう。
(そこに極楽浄土があるのかな)
のぞみは一年前、はじめて白緑山にひとりで登った時のことを思い返した。ちょうど雨が降り出しそうな灰色の空の下で、山は濃い霧に包まれていた。のぞみがバスを降りると観光客の姿はほとんどなかった。
のぞみは、自分が親戚と上手くいっていないことを想った。その日の朝も、ひどい口論になり、もはや居場所のないのぞみはただバスに乗って、この白緑山寺にやってきたのだ。
のぞみは以前より、自分のことを芸術家的不良と呼んでいた。幼少期の頃からまわりに合わせることを好まず、自分の美的な感覚や倫理観を頑なに信じていた。大人が言うことでも、曲がって思えることは認めなかった。そのため、中学生の頃は周囲から変わり者扱いされ、度々、教師に態度を咎められた。
そんな時、のぞみの心の中を、あまり論理的ではない、ある巨大な感情が支配していた。
のぞみはある日から学校を休みがちになった。そうかと思うと何の前触れもなしに姿を現すのぞみは、他の生徒にとってみれば、まさに異様だった。のぞみは幼少期から精神が不安定なところがあった。彼女が大人にがむしゃらに反抗することもしばしばであったが、彼女の行動を大人に理解されることは少なかった。それが自分の宿命のようにも、罪業のようにも感じられ、時々、人に見えないところで彼女は泣いていた。
のぞみはこのようにして、心を雑巾のようにぼろぼろにしながら、どうにか生きていたが、美術の才能はずっと評価されていた。
のぞみは、自分の感覚を言語ではなく、美術にすることがもっとも適切な表現方法だと考えるようになった。
両親はのぞみのこの肥大した才能をあまり好ましく思っていなかったようだった。それがのぞみの異質さを象徴していることは明らかだったからだ。
(のぞみは普通じゃない……)
両親の期待とは裏腹に、のぞみの方は、普通であることなどはじめから望んでいなかった。
両親の考えが変わったのは、のぞみが高校生の時であった。彼女が友人に勧められて、とある高校生対象の絵画コンクールに応募したところ、のぞみの作品が、福島県に住む高名な画家の目に止まり、最優秀賞を受賞したのだった。
このことから両親は、のぞみの才能が他人に認められるものであることを知った。同時にのぞみが「普通」に生きることを両親に諦められた瞬間でもあった。のぞみは晴れて、両親に芸術学部への進学を認められた。
のぞみは、芸術学部の大学生になり、両親から家出するような心境で、親戚の家に転がり込んだ。
ところが、のぞみの生活態度は芸術家として生きる意気込みのせいもあって、その異様さはエスカレーターしていった。のぞみは親戚と口論の末、わけも分からなくなって、白緑山寺に逃げて来た時には、自分が情けなくて、山の中で身を投げようかとすら思っていたのだった。
彼女が呆然としながら、霧深い山中を歩いていると、頭を美しく剃り上げた若い僧侶が、山道の地蔵菩薩像の前に立って合掌していた。彼は、のぞみの顔色を見て、なにか感じたのだろう、本堂に案内してくれることになった。
「あなたは今、自分がどこにいるのかもわからないのでしょう」
若い僧侶はそう言って笑った。
「しかし人間、誰しもがそうなのです。せめて足元をよく照らして、石ころにつまずかないことですね。そうしませんと、この霧はすぐに晴れるものではありませんので……」
僧侶の言うことは、のぞみにははっきりと意味がわからなかった。
霧の中に、白緑山寺の巨大な山門が見えてきた時、まるで竜宮城の幻のようだとのぞみは思った。
本堂の暗がりの中に祀られていたのは、平安時代の丈六の阿弥陀如来坐像だった。ところどころ剥がれながらも金色の体の美しさ、丈六仏というのは二メートル半ほどの大きさの仏像だが、のぞみの目にはひどく大きなものに感じられた。その瞑想しているようなその半眼に映っているのは果たして慈悲心だろうか。
(あっ……)
のぞみはその時に受けた印象から逃れることができなかった。それ以来、のぞみの美術のテーマは神仏がらみのものになっていった。
のぞみはそれから決心をして、親戚の家を出ることにして、今度は楓のアパートに転がり込んだ。
彼女が大学に戻って、はじめに手をつけたのは、密教の曼荼羅の画集を見ることだった。しかし正方形の枠の中に神仏が並べられた曼荼羅は、一体何を表しているのか分からず、のぞみには手強いものに感じられた。
のぞみは、仏教をテーマにした絵画には他にどんなものがあるか、次々と画集を手に取って開いていった。
(これだ……)
あの白緑山寺で受けた印象ともっとも類似していたのは、阿弥陀如来の来迎図だった。
のぞみは、そんなことを色々思い返しながら、阿弥陀如来の来迎図のページをとじた。そして、楓のいるアパートに帰ることにしたのだった。




