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105 地獄絵図

 相馬は、展示室で偶然遭遇したふたりの女学生と別れると、展示室をしばらくの間、一人で彷徨っていた。

(恐ろしいことだ……)

 相馬の脳裏に無間地獄の情景が浮かび上がってきていた。それは比叡山の僧侶、源信、いわゆる恵心僧都が平安時代にしたためた「往生要集」に描かれた情景であった。

 今、相馬は自分が地獄に落ちることを確信していた。そしてそれが永久に拭い去れない人生の呪縛のように感じられていた。今、相馬の目の前にあるショーケースには絵巻物の地獄絵図が広げられていた。地底のような薄暗い世界、燃え盛る禍々しき焔、もがき苦しむ罪人、それを見届ける残忍な鬼たち……。そのおどろおどろしき世界は、今、相馬にとって決して美術鑑賞の対象などではなかった。自分自身に突きつけられている鋭利な切先、そしてそれは相馬の胸中を完膚なきまでに切り裂いてしまうのだった。相馬は怯えた目つきでその地獄絵図を見つめていた……。

 相馬は、大学に入学する頃まで、徹底した無神論者であったし、極めて現代的で、科学的な関心をもった人間であった。彼が仏教文学を専攻したのは、平安時代の人々の精神文化に客観的な興味があったからに過ぎない。その相馬が突然、阿弥陀如来を信仰し始めたのには訳があった。


 その瞬間、相馬は、大学生の頃のことをふと思い出した。あの日、相馬はとある客船に乗っていた。不慮の海難事故があって、相馬の両親は無惨に海に沈んだ……。


(違う……!)

 相馬は因達羅の雷撃を受けたように、頭を押さえると、目の前の地獄絵図を睨みつけて、今にも消えて無くなりそうなか細い声で低く呻いた。そして、きごちなく背筋を伸ばすとふらふらとした頼りない足取りで、展示室の中を彷徨った。

(俺は阿弥陀如来を信仰した。しかしそれは裏切られた……!)

 相馬は、顔を両手で覆いながら、展示室の隅にあるベンチに腰を下ろした。空気はじっと止まったままで不気味なほど静かだった。相馬はただ、宙空を睨みつけていた。


 今昔物語集第十五巻の第一話を飾るのは、奈良元興寺のふたりの僧侶の往生に関するものであった。相馬は、大学時代、その物語を熟読し深読みしていた。極楽浄土に往生するのか、それとも地獄に落ちるのか、海難事故の後、相馬の脳裏にはその問題が常に彷徨っていた。

(あの一文が無ければ……わたしはとっくに阿弥陀の教えのままにこの身を滅ぼし、阿弥陀の本願によって、極楽浄土に往生することができた。それがあの一文のせいで、わたしは無間地獄の責苦をたとえ想念の中だけであっても永久に逃れることができない。それからだ。生きることの全てがただ地獄へと続く道を辿ること、それだけのことに成り果ててしまったのは……)

 相馬は、展示室の地獄絵図の情景を必死に振り払おうとした。それは、あの海難事故の光景と一体となって、相馬の胸中で醜くうずくまっているのである。


 展示室の前の廊下からは、先ほどのふたりの少女の高らかな笑い声がまだ響いてきていた……。

(おそろしいことだ。あの子たちにとってはこの世が極楽浄土と寸分も違わないのであろう。ところが、俺にとっちゃ、この世がもうすでに無間地獄なのだ。それから逃れるには、観音の補陀落浄土に往生する道を見出す他ないのだ。しかし補陀落浄土がどこにあるのか、それを知るものはいない……)

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