隠遁賢者の事始
人間は考える葦であるとかなんとか、どこかのえらい人が言ったとか。
考えなければ、ただの草って言うのだろうか。
となれば、現状、ただの草は辛うじて脱しているだろう。こうして思考しているのだから。
とまれ、この状況はいかんともしがたい。
自らの年齢も分からず、性別はさすがに自分の体なので把握したが、言語という物を、話すにしろ、読むにしろ、書くにしろ、何一つ理解していないことに、気が付いたのだ。
いや、こうして思考している『私』という存在がある以上、自己で理解できる言語という物は存在している。
だが、少なくとも、この体になってからの言語を、私は理解していないのだ。
こんなことを言えば、気が触れたのだろうと思われるだろう。
少なくとも、会話をしている人間が、真面目な顔をしてそんなことを言い出したら、私は病院をすすめた方がいいのかと考えるだろう。
話がずれた。あまりの事態に、思考さえもままならない。
まずは、自らを落ち着けるためにも、順序立てて今に至るまでを振り返ろう。
ある日突然、私は浮かび上がった。
まさしく浮かび上がったというのが正しい状態だった。ぽっかりと空いた何かに、浮かび上がってはまりこんだと言うのが、私の感じた一番最初の物だったからだ。
突然開けた視界に驚き、きょろりと私は辺りを見回した。
落ち着いてきたので、ゆっくりとぐるりと一周見回す。自分の感覚からすれば、随分と大きな部屋だ。高い位置に窓があり、窓にはレースのカーテンと、分厚いカーテンが二重に掛かっている。
日の射し込んでいる今は、レースのカーテンだけが引かれていた。カーテン越しの日差しは柔らかく、ぽかぽかとして、春めいた物を感じる。
うとうととしてしまいそうな自分を奮い立て、私はそっと立ち上がってみた。
ふらりと重心がままならない。だが、何とか立ち上がることは出来た。視界が高くなったが、相変わらず窓は高い。
立ち上がっても、さほど高さが変わらない時点で、この体の年齢が高くないことは予想できた。
何より、まともに立ち上がれないのだから、一桁であろうと予想する。
自らの年齢すら分からない状況に、叫び出したい気持ちになるが、目覚めたばかりの私には、今がどういった状況かが分からない。
叫んでまずいことになったら、この体では抵抗をする間もなく殺される可能性もある。そのためにも、最優先は、自分が何を出来るのかを把握すること。
捕らわれているのならば、穏便に逃げ出したいし、そうでないのなら、何故、ここにいるのかを把握したい。
養われてはいるのだろうとは思うのだ。少なくとも衣類をまとっているし、やせ細った雰囲気はない。
ただ、子供をただ1人、こんなところに放置しているのを思うと、疎まれているのではないかと考えてしまう。
いわゆる、ネグレクトにしても、念が入っている。
目が覚めてからこちら、誰もこの部屋に来ないのだ。この年齢の子供であれば、目が離せない。なにをかした拍子に、死ぬことだって珍しくはないのだから、常に1人、誰かが見ているのは無理だとしても、目の届く範囲にいるか、ちょくちょく覗きに来るものだろう。
それとも私の感覚が、ここでは可笑しいのだろうか。
そんなことを考えたところで、比較対象者がいないのだ。今それを思い悩んでも、時間を無駄にするだけ。
子供の活動時間は短い。有効活用しないと、何もしないまま、寝てしまうかもしれない。
年齢にそぐわぬ重い溜息を吐くと、よろよろと壁際に歩いてたどり着く。
立てるのだから、どんなによろけようとも、歩きたい。いや、高速でハイハイをするのも良いのだろうが、後々を考えれば、両手を地から解放するのは、急務だろう。
壁づたいであれば、少々ふらついても何とかなる。二足歩行の練習を兼ねて、よろよろとした足取りで、壁を点検するように歩いていく。
窓の下を通り過ぎ、部屋の角までたどり着いた。
ぐるりと見回したときに見えた棚には、まだもう少しある。
年齢から考えて、文字を読めるとは思えないが、もとより、この意識が浮上してから、言語という物は、今、自身で連ねている言葉以外ない。ふつうに考えれば読めないとは思うのだが、情報が少なすぎるのだから、読めない本でもないよりはましだ。
挿し絵があれば、予測が出来る可能性もある。
ただ、遠目で見えた本の厚さを鑑みるに、絵本といわれる類はなさそうなので、絵があったとしても、それから何かを推測するのも難しいだろう。
とりあえず、何事もチャレンジだ。
よたよたと本棚にたどり着き、一番下の段の本を引っ張り出そうと手をかける。
意外な重さにバランスを崩しそうになる。この体を考えれば、納得の重さではあるが、この体になれていない私は、ここまで重いと予想できなかった。
辛うじて、後ろには転ばなかったが、ぺたりとその場に座り込む。後ろに倒れていれば、頭を打って、運が悪ければ、そのまま目を覚まさないことにもなりかねない。本当に上手い具合に尻餅をついて良かったとほっとする。
そんな死がちらついた作業の結果、どうにかこうにか、本を引き出し終わり、床の上に転がしたまま、開いてみた。
全く持って分からない。
いや、予想はしていたが、文字と言われても、どれが単語としてまとまった文字の羅列なのかすら分からない。
未知の言語過ぎて、横の柄にしか見えなかった。
これはもう、本から知識を得るのは無理だと、早々にあきらめる。
とは言え、物は少ないが、部屋は広い。扉もあって、部屋は思ったより色々とありそうなのだが、自身の身長を考えると、扉を開けるのは難しいだろう。
こればかりは今すぐどうこうできるものでなし。もう少し体がしっかりとしているのであれば、本棚の本を使って踏み台を作るという手も使えるのだが、立っているのがやっとのよちよち歩きでは、踏み台を作れたとしても、登ることが出来ないのは明白だ。
八方手詰まりを感じ、溜息を吐いた。
自分自身を知ることも出来ず、だからと言って、誰かに尋ねることもままならない。人間のコミュニケーションは、言語に頼りすぎているのでは無かろうかと、無駄に哲学的になりかける。
突き詰めると、狂う気がするので早々に思考放棄という睡眠を貪ることにした。
どのくらい経ったのか、ガタガタと音がし始めた。誰かがこの部屋に入ってきたらしい。ようよう目を開けてみれば、なにやら食事の準備をし始めている人間がいた。
ぼんやりと眺めるが、誰も私を気にした様子がない。もしかして、ここで自分たちの食事をするのに準備をしているのかと思えるくらいの存在の無視ぶりだ。もしかして幽霊なのではないかと、一瞬考えてしまったが、全ての準備が終わると、一人が私を抱き上げて、椅子に座らせた。
子供用の椅子だが、落ちないように補助もされていない。全ての準備が終わると、さあっと人が引いていった。
カトラリーも準備されている。食べられないことはないが、この年齢の子供に一人で食べろというのは些かどうかと思う。
おままごとのようなテーブルと椅子。並べられているのは、離乳食ではないようだ。歯は生えそろっているのだと、今頃気が付いた。
とりあえず、食事をするかと、カトラリーを手に取ってよく分からない肉っぽいものを切り分ける。
一口食べてみて味の薄さに眉を顰めたが、食べ物があるだけありがたい。美味しければなおのことだが、現実問題、文句を言うことすら出来ないのだから、黙っていただくことにする。
しかし、ここまでくると、私であった者の扱いは異常だな。
私が浮かび上がってくるまでの私は、いったいどうやって過ごしていたんだろうか。放置されている間は良いが、こうやってやってくるときと、この食事の様を見たらどう思うのか考えただけで恐ろしい。
ある程度食べた後、ぐしゃぐしゃにしておくか。
食べ物を粗末にするのは大変気が引けるが、異常な育てられ方をしていた『私』が、普通にお行儀良く食事をするはずがないことは、さすがに私も分かる。
異常であることが普通だった私が、普通のことをする方が異常だというのは、どうにも皮肉な気もする。
普通なら、どうにか意思の疎通を図り、自分の状態を知りたいところだが、こんな異常な育て方をしている人間とは、まともな会話を楽しめるとは思えない。
出来ることなら、今の私という存在を気付かれないようにしたい。
あれから数日。だいたいの一日のリズムというものも分かり、ひっそりと息を潜めてなにもできない振りをする。元より、私のことなどよく見ていないのか、私の演技のたまものなのか、不審がられてはいないようだ。
とはいえ、一日に出来ることは少ない。必死に歩行の練習をしているが、一朝一夕で歩けるようになるものではないし、相変らず文字は何かの模様にしか見えない。模様のパターン性が分かってきた程度で、それが何であるかは理解できない状態では、刺繍のパーターン画と変わらない。
そんな私の生活の中で、ほんの少し変わったところがあった。
それは、お風呂に入れられたときだった。私の世話をしている人間が、ぶつぶつと何かを呟くと、温水が溢れて、バスタブに溜まったのだ。
魔法のようなその出来事に、私は驚いた。何も無いところから水が出てくるなど、私の持っている常識の中では無かった。ここは、私の持っている常識が通じないことは分かっていたつもりだったが、まだまだ知らない常識外はあったらしい。
その日から、私は何か光るものを目にするようになった。
暗い部屋が明るくなるとき、私がわざと汚したものを綺麗にするとき、世話をする人間は小さく何かを呟く。すると、周りに居る光りが、ひらめいて、部屋が明るくなったり、床が綺麗になったりする。
ここまでくると、これは、魔法のような、ではなく、魔法なのだろうか。その魔法の元が、あの光るものなのか。
注意深く見続けていると、光りは至る所に存在していて、なにより、私の周りには異常に存在していることに気が付いてくる。
こんなに目立つものが今まで見えていなかったというのも不思議な話だ。
私が注意を向けていなかったから、視界に入らなかったのだろうか。それにしても、前が見えなくなるのではないかというほどにたかられるのは、どうにかして貰いたい。
そのうち、何かを呟いて、光りがひらめいたとき、呟いた人間から何かがするりと抜けていくことに気が付くと、一つの仮説が立った。
体の中の何かを差し出せば、願い事を叶えてくれるのではないかと言う説を思いついたのだ。
その際の呪文は、あまり意味がないのかもしれないとも。
世話をする人間のつぶやきは、何を言っているのかは理解できないものの、同じ響きではないことくらいは聞き分けられた。
同じ現象が違う言葉でも起きるのであれば、呪文という認識ではないのかもしれない。
正確な呪文がなければ、魔法が成功しないとなれば、私にはお手上げだ。
相変わらず、私はこちらの言語を理解していないのだ。音が分かったところで、意味が分からないそれは、言葉として認識できない。
このまま何もしないのでは、現状が変わることはないだろう。ダメでもともと。これ以上、下があったとしても死ぬくらいだ。いや、死にたくは無いのだが、生きながら死んでいるようなことになるくらいなら動いた方がはるかにましではある。
心を決めると、私は私の使える言語で、周りの光りに願いを伝える。
「言語を理解できるようにして」
音に出して呟くと、一際激しく周りに漂っていた光りが瞬き、体の中から何かがごっそりと抜かれた感触がして、次の瞬間、ぶつりと意識が途切れた。
どのくらい気を失っていたのだろうか。ゆっくりと意識が浮上すると、たいそうな数の人間が喋っている声がする。
ぼんやりとした意識でつらつらと取り留めなく思考を飛ばすが、周りがうるさすぎて、まとまらない思考がさらに霧散する。何故こんなに煩いのか分からないが、黙って欲しいと、私はそのままを口にした。
「うるさい」
出た言葉が、二重に響くのが分かる。言語が理解できるようになったが、元の言語を破棄したわけではないのかもしれない。
不思議な感覚がするが、気持ち悪くはない。
兎に角現在私は、もう一つ言語を理解できるようになったと言うことだ。これでやれることが増えるのではないかと、一人心の中でニヤニヤとした。
「ああ目が覚めた」
どこからともなく声がする。しかも一人二人じゃない。
騒がしくておちおち気を失ってもいられないと、体を起こすが、酷くだるい。きっと何かを抜かれたせいだとは分かるが、この声の出所が分からない。
「ん?」
周りに人は居ない。居たとしても、広い部一杯に人が居るなどと言うことは有り得ない。だが、響く声はそのくらい沢山ある。
人はいない。私の周りにあるのは、あの光りだけだ。
そこまで思い至って、私は、自分が望んだことを今一度反芻してみる。
「言語の理解」
そう。私は人の言葉とは限定しなかった。そうなると、私が理解できるようになった言語とは、もしかして、あの光りたちの言語なのか。
「そうだよ。おしゃべりできるねぇ」
嬉しそうに響く声に、私は頭を抱える。
のぞみが漠然的すぎたのが敗因だとは分かるが、さすがに、この光り達に、言語が存在するとは思っていなかった。
いや、呪文で意志を伝えていたのを鑑みれば、光り達に言語があると推測はたったはずだ。
けれども、私は、呪文という物を重視しなかった。なくてもどうにかなるものとして片づけたのだから、言葉が存在するという認識は、放棄される。
その結果、私は、未だこの世界の言語を理解しないまま、別次元の言語を習得したわけである。
本当に意味が分からない。
かくて冒頭である。
振り返って現状を把握しようと努めたが、上手い説明など混乱に陥っている自分が出来るはずもなく、むしろこの状況を説明してもらいたいくらいだ。
説明をこの光り達が出来るのか、大変怪しいが、情報を得ることが出来るのは、この光り達だけだ。
現状、理解できる言語は、彼らのものしかないのだから。
「おしゃべりは良いんだけど、しゃべる人数を1人にして貰えないか。煩くてかなわない」
同じ事を言っているので、理解できないわけではないのだが、コール&レスポンスで、会話する状況を思い浮かべて貰えれば分かりやすいだろうか。
これで会話をするのは耳が死ぬ。
「わかったよ」
以外とあっさりと受け入れられて、ほっとする。
ごねられたら、どうすればいいのか分からなかった。
「まず、君らはなんていう存在なの?」
この世界は未知だ。だから、私の質問は漠然としたものになりやすいようで、光り達は困ったように明滅した。
「私のような姿をした人たちには、なんて呼ばれてる?」
対象を限定すると、明滅が止まった。
「力とか、見えるなら妖精、かな?」
光りは曖昧だが、はっきりとした返答。私と同じ形の者以外はなんと呼んでいるのかは、分からない。
「君らが不思議な現象、ほら、お湯を出したり、部屋を明るくしたり、部屋を綺麗にしたり、をしてるわけ?」
「そうともいえるかな」
どうやら、光り達は私が考えているような単純なものではないらしい。けれども、彼らが現象を引き起こす手伝い、もしくは発端を担っていることには代わりはないようだ。
「君らと会話の出来る私は、より明確に現象を引き起こせるってこと?」
どうしたいかを明確に言葉にでき、意志疎通が図れるのは、大したアドバンテージなのではなかろうかと思ったが、やはり、物事は単純ではないらしい。
「言葉で分かるなら可能だね」
「あー」
思わず間延びした声を上げた。
言葉で説明ができたとしても、それを共有できる認識がなければ、指示は上手く通じない。それでも、思ったものを上手く形に出来るかどうかを、先に確認できるのは、無駄がない気がする。
「せっかく、この世界の言葉が分かると思ったのに、大誤算だけど、これはこれでありか」
ぼそりとつぶやくと、光り達はチカリと一つ瞬いた。
「なに? この世界にある言語を習得したかったの?」
「そうだよ。あの本が読みたかったんだ」
そう言いながら、本棚を指さした。
あそこには知らない知識が眠っている。
何をするにしても、この世界を多少でも理解しているかどうかは、今後の行動にも関わる重要な問題だ。
「それなら簡単だよ。君は僕らの言葉を、直接理解してるわけじゃない。別のフィルターを通して理解できる言語に変換して聞いているんだ。そのフィルターを使えば、ほかの言語だって理解できる」
光り達の言葉に、私はひどく驚いた。
この二重に響く言葉は、何かしらのフィルターを通しているからこその現象らしい。
光り達の言葉を疑っているわけではないが、私は急いで本棚に向かうと、手近な一冊を抜き取って、パラリと適当に開いてみた。
やはり、そこにあるのは理解できない模様だった。
しかし、そこに何が書いてあるのかは、理解できる。不思議な話だが、文字を理解しているのではなく、自分の理解できる言語に、自動的に変換され、その意味だけが理解できるのだ。
便利なのか不便なのかわからない。
話せるし、読めるが、確実に文字を書くことは出来ないだろう。もっとも、光り達に頼んで、私の文字を変換することは可能かもしれない。
それを繰り返せば、いずれ、書くことが出来るようになる可能性はある。
気が遠くなりそうな作業なので、今やりたいとも思わないが。
とにかくこれで、私は、この世界に対するアクセス方法を手に入れたのだ。
これは偉大なる第一歩だ。
問題はどこに踏み出したかではあるのだが、今それを気にしても仕方が無い。私は私の現状理解と、この世界の環境を知り、自身がどうするかを決定したい。
少なくともここにずっと居るなんていう選択肢は存在しない。
どうやってここを抜け出した後も生活をするかは、最優先事項だ。
「うん。いい感じだな」
一時的に自身を成長させることになんとか成功した私は、今日、ここを出て行くことにした。
あれからそう日数は経っていないが、光り達と話が出来るようになってからの私は、出来ることの幅がとんでもなく増えた。
まず第一に、魔法みたいなあれだ。亜空間とも言える空間を作ることに成功し、そこに隠れ家を作ることが出来ることが分かった。
目指せ自給自足ではあるが、まずは自給自足をするためのものを、揃えなければ話にならないことが分かった。
完全なる無から有を作り出すことは、不可能だったからだ。
亜空間とも言える場所は広さの限定こそされないものの、ただの空間でしかない。そこには、水も土も草も存在できない。そのための物資は、余所から調達しなければならない。結果、私は、まずこの部屋から外界に出ることが必要と言うことになった。
それからは、どうやってここから抜け出すかを模索する日々。
人に見つからず、かつスピーディーに、外に出るのは、思っていた以上に難解な問題だった。
まず、ここが屋敷だったとして、私はこの部屋が、どこに存在しているのかが分からない。分からない場所から外に出るためにはどうしたらいいのか。
それを日々考えていたのだが、光り達と話をした結果、彼らには壁などの存在はあってなきがごとし。移動の妨げになることは無いのだという。
私がでてみることは出来ないが、光り達の見たものを、私に投影などの方法をとって、見せることは出来るのではないかと思った。
今までも、ダメでもともとと思っていたのだから、聞くだけでも聞いてみるのが正解だろうと、私は外を見ることが出来るかを確認した。
「それって君たちの見てきたものを、私が見ることも出来るの?」
そんな疑問を投げかけたところ、簡単にできることが分かった。数日間悩んだのが、たいそう馬鹿らしいほどにあっけない。あまりのあっけなさに、しばし立ち直れなかった程だ。
そんな状態から脱し、この世界を色々と見せて貰うことに成功した。
街並みは、レンガか石造りのようで、生活水準は、魔法らしき力が存在するため、予想が付かない。馬車のようなものも走っているようだし、私の知る限りで考えれば、あまり水準が高くなく見えるのが、どうにも問題な気もする。
しかし、言葉の問題がなくなったからといって、積極的に人と関わるのかと問われると、微妙としか言いようがなかった。
私の他人の基準が、どうしてもここの人間になるからだ。
頭では、ここの人間のような人たちは少ないのだろうと思うのだが、いかんせん、比較対照がない状態で、ここまで来てしまっている。
個人的には、あまり人と関わらないで、必要最低限をまかないたい。
なにより、人と関わらないのであれば、生活様式の違いなどは、あまり意味がない。拠点は人の目のつかない別の場所にあるので、オーバーテクノロジーだろうが、やりたい放題で遠慮はいらない。
植物なども、この拠点で繁殖させるのであれば、どのような品種改良をしようと大丈夫だ。
問題は生活をするためのお金だろうか。
何をするにもお金は必要だ。ないものは作れないし、説明できないものも作れない。自分で調達できないものは、金銭取引で手に入れるのが世の常だ。
生活水準は分からないが、都市型構造の街を見れば、何かしらの貨幣が流通しているのは確かだろう。
拠点を作ると同時に、お金の工面を考えなければならないのは、いささか世知辛いが、生きるために必要なものは意外と多い。
食事のことも問題だ。私が果たして食事を作れるのかも未知数。ここにいれば、勝手に出てくる食事も、ここから脱出すれば、そういうわけには行かなくなる。
問題は実は山積みだが、一刻もここにはいたくない私は、行き当たりばったりを選ぶことにした。
何もない空間に足を踏み入れ、出口は光り達が見せてくれた、人気のない森の中にする。
見える場所ならば移動もできると言うのだから、本当に光り達様々だ。
様々なお願いの度に、なにかしらが抜かれているようなのだが、言語を願ったときのようなことは、全く起きておらず、むしろ抜かれた感覚すらない。
こんなに簡単に便利に使って良いのだろうかと、いささか心配になって、光り達に確認したが、光り達の言うところの対価は払っているとのことで、問題はないらしい。
会話が出来るものは、少ないらしく、こうしておしゃべりするのも楽しいと言われれば、私としても嬉しい。私だって、話し相手がいるのは欲しいのだから、相手の負担ではないと分かればなおのことだ。
端から見れば1人でぶつぶつしゃべっている危ない人なのだろうが、それは気にしたら負けだ。
ここが何であったのか分からないまま、私はここを出て行く。
それはほんの少し心残りではあった。
私のような子供が、ほかにもいるのかもしれないと思うと、こうして1人逃げ出すことは、心苦しいと感じるからだ。
だが、私自身、力のない子供で、生きられるかも分からない場所に、他人をつきあわせることはしたくないし、共倒れをしてあげられるほどお人好しでもない。
少なくともここにいれば、飢えて死ぬことはない。人間らしさを犠牲にしてではあるが。
いずれ力がついたなら、私のような子供がいれば、助け出そう。
心ができあがることなく、死んでしまった私になる前の私を助けることが出来ない、罪滅ぼしもかねて。
「さあ、出かけよう」
チカリと光り達が瞬くと、扉が浮かび上がった。
ノブを回し、扉を開けば、そこはむせかえるような緑の森。
私の隠遁生活はこうして始まった。
私には当たり前になりつつことが、この世界では非常識で、扱う力は他に類を見ず、金銭を得るためにたまに街立ち寄る幾つかの街で、ひっそりと賢者などと呼ばれるいることはつゆ知らず。
ひたすらに、自分のお家の居心地向上に邁進する日々を過ごす私を、光り達は楽しげに見つめていた。