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ロゼ・ワールド  作者: 鈴藤美咲
廻る、空の想い
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想い、鮮明〈前編〉

 気候は陽気爛漫、日中は眠気との闘い。


 講義中は気を張りつめているが、休憩を兼ねて準備室のデスクに向かう度に困ってしまうものだった。


 本日、リレーナは大学院で講義を受ける為、助手の仕事は休み。だから、僕がひとりで何もかもしなけばならなかった。


「寝不足気味ですな。随分と精が出ている証拠だ」


 准教授に僕の欠伸を見られてしまい、切り返す言葉にさえ考えてしまう始末だ。


「なるべく早めの就寝を心掛けていますが、何かとやるべきことに時間を費やしてしまうものですよ」


 僕が言ってることは、本当だ。帰宅してもひとりでやることがあるからだ。


「はっはっはっ、そうだったな。独り身は確かにその通りだよな。つい、変な想像をしてしまった。お詫びに今日の夕食を奢らせてくれ」


「是非、よろしくお願いします」


 僕も現金だ。夕食の献立を考える手間ひまが省ける理由で准教授の申し出に賛同をした。


 そう、目的はあくまでも食事。それ以外は断じて気を許すまいと、僕は頑として誓った。


 筈だったーー。



 ***



 僕は、呑まされてしまった。


 准教授が夕食に連れていってくれた飲食店は、繁華街では一二を争うと有名な高級肉提供店だった。


 注文した品物は、どれもこれも食卓に並べるのは夢のまた夢の食材が使われていて、特に切り口が5センチはあるだろうの国内産ザブカウ肉のステーキに心が踊った。


「どうした。どんどん呑んで食ってを堪能しなさい」

「ああ、しっかりと楽しんでいます。本日は、僕のような者を畑違いの場所へのお招きに感謝を申し上げます」

「自分をさげすむはよくないぞ。タクト、キミは我が大学に於いては絶対的な存在なのだ。もっと胸を張りたまえ」


 准教授の社交辞令かもしれない。

 呑んでしまったとはいえ、気を許すわけにはいかない。


「ああ。其れにだ、私のことは『ルベルト』と呼んでくれ。いっちいち肩書きで呼ばれるのは何かと疲れる」

 准教授はワイングラスに口をつけて、中身を味わっていた。


「はあ、随分とらしくない要望ですね」

 僕はステーキ肉をフォークに刺してナイフで切り分けていた。


「私も老いた。次々と、しかも初々しい才能を発揮する若者には太刀打ち出来ぬ。近いうちに大学にもその節を伝える」


「『ルベルト』さん。お話しの続きは、場所を変えてで良いですか」

 僕の、僕が酔いの勢いで突いたではない本気の言葉だったーー。



 ***



 明日が休みに限ってお決りのような情況がすっかり定着してしまった。

 僕は、自宅に『ルベルト』さんを招いた。


「あり合せですが、召し上がってください」

 僕は《ささってきゅうり》の酢漬けと《だらサーモン》の燻製を小皿に盛り付けて『ルベルト』さんに勧めた。


「ほう、旨いな」

「酢漬けは手製です」


 僕は熱いお茶をカップに注ぎながら、ルベルトさんが串に刺した酢漬けを頬張って噛み締める音に耳を澄ました。


「ルベルトさん。単刀直入ですが、お話しの続きをよろしくお願いします」

「ああ、そうだったな。だが、私はあのまま語っていても構わなかったがな」


「よくありませんよ、あなたは先程僕と入った店の常連客。立ち聞きされることだってあり得ると、僕が思ったわけです」

 僕は、ルベルトさんの顔をじっと、見た。


「私は、大学を辞める」

「いつから、お考えをされていたのですか」

「学生が春の休暇時期に入る前からだ」

「理由は」


「私が大学を去ったら、うち明かす」


 僕が見たルベルトさんの顔は難く、夕食をご馳走になった店では見せていなかった顔を、僕に見せていた。


「少しばかり、心が軽くなった。タクト、世話になったな」

「すぐに大学をお辞めになるのではないのでしょう。と、いうより、今一度お考えをなおされるのはーー」


「決めたのだ」


 ルベルトさんの頑な一言に、僕はどうすることも出来なかったーー。



 ***



 朝からすっきりしない空模様だった。

 テレビの天気予報番組を観たら、1週間降水確率が高いと気象予報士が告げていた。

 傘は荷物になるから、なるべくは持ち歩きたくない。勿論、折り畳み式傘も含めてだ。


 僕は『出勤』の身仕度をしていた。

 今日は他の学部の学科目を臨時で講義をすることになっていた。

 僕が今日赴く学部の校舎は、別の地域に設立されている。移動は交通機関で片道だけでも一時間は掛かる。勿論、大学の校舎から校舎の距離だ。


 いつもより軽装で僕は赴いた。

 蒼いワイシャツを着込み、ネクタイは着けない。履くのはグレーのスラックスに黒のソックスと茶色の革靴で、僕は筆記用具と講義で使う参考資料を詰めた鞄を持って『現地』に赴いた。


 傘は邪魔だったが、仕方がなかった。

 移動途中での雨避けで使うことになった。

 小雨とはいえ、雨は雨。

 濡れるのが嫌で、僕は緑色のジャンプ傘をさす。

 僕は徐々に大きくなる雨の音を、傘に落ちる雨粒が跳ねる音を聞きながら今日の『勤務先』である校舎の門を潜った。



「お、棚からぼた餅先生」

「そっちこそ、腰巾着先生」


 学部の講義準備室に入る早々、顔を合わせた講師との嫌み混じりの挨拶だった。


「お高くとまってるな」

「除外」

「広く、浅くの講師。こっちの学部ではそう、言われているぞ」

「消去」

「おい、あのな」

「削除」


 僕は、相手の挑発ともいうべきの口の突き方を尽く突っぱねた。


「お子さま」


 僕と相手。どっちに対して言ったのかわからないが鼻で笑う女性の、聞き覚えがある声だった。


「いっ、何故ーー」

「私、今日だけですが臨時で講師の助手を務めることになったリレーナと申します。此方にタクト=ハイン講師がいらっしゃるとお話しを伺っておりますが、まだ来られていないのでしょうか」


 リレーナが来ていた。しかも、僕とは初対面な言い方。気にはなったが、僕の真横にいた相手の態度が瞬時に変わったことに気をとられてしまった。


「俺。いえ、私がーー」


 僕は、見逃すはしなかった。

 相手は、僕のなりすましをするつもりだ。しかも、目つきが矢鱈といやらしい。


 当然だ。と、僕は思った。


 リレーナが露出度が高い服を着てる。色は鮮やかな赤で身体のしなやかさがはっきりと表れている、胸元がぱっくりとして谷間はくっきりと、肩から下と膝から上の肌丸出しのワンピース。履くのは踵が高い銀色のヒールだ。


 そんなに惜しみなく脚だの腕だの胸だのを、思いっきり強調をさせなくても良かっただろう。

 リレーナに妙な虫が取りつくのも嫌だったが、もっと頭にきたのは、僕の目の前で堂々と欲情的な目をした『奴』にだった。


 僕の中で、怒りと哀しみが入り雑じっていた。


 僕は『奴』の欲望からリレーナを護るために。もとい、相手のいうことを遮る為、相手の右脚の脛に革靴の踵で、右足を軸にして脚を水平にした状態で蹴りつけた。


「僕ですが、講義といってもセミナー形式だから、学生に配る教材の準備は僕ひとりでも大丈夫ですよ」


 僕に蹴られた『奴』の激痛でもがく姿なんてのは知ったことではない。

 僕はリレーナとは初対面のふりをして、リレーナに話しかけた。


「まあ、そうですか。でも、馴れない場所だと疲労感があとから来ると思いますよ」

「お心遣いありがとうございます。しかし、身体に負荷が掛かるような労力ではないですので」


 激痛から解放されたのか『奴』が僕に反撃をしようとしていたのがわかっていた。


 僕だって、身を構えていた。


「補助は、私の『仕事』ですけど」

「いや、如何なる理由でも手を出したら駄目でしょう」


「正当防衛。証人は、先生で大丈夫です。勿論、一部始終を私もしっかりと説明します」


 背中を丸めて膝を床に付けている『奴』の姿に、僕は掌を合わせた。


 リレーナが相手の何処を足で狙って、しかも見事に当てた為にだったーー。



 ***



 僕が講師で務めたのは、学科の中では基本の基本の内容だった。

 教室は少人数定員、僕が説明したあとに学生同士で語り合う方式での講義を務めた。


「【マジランネ】では懲罰の対象にならない。何が基準なのかさっぱりだよ」

「サングスが言ってるのは、刑法についてだ。タクト先生の、話しの意味を取り違えている」

「いや、いや。法律には変わらないだろう。例えばだ、道端に小銭が落ちている。拾うか、拾わないかをどう、処理するかはーー」

「それ、普通の常識を語っているだけだと思う」


 僕は、けして学生たちに難しく語ってもらうつもりではなかった。

 段々と、しかも僕抜きでの学生たちの語りとなっているような雰囲気が、僕にとっては重苦しくて堪らなかった。


 早く。いや、今すぐに終わりの鐘が鳴って欲しい。と、思ったーー。




 ***



 完全に、僕の準備不足とも呼べる講義。と、反省をした。

 あれから数日経っているのに、僕の頭の中では切り替えが出来なかった。


 リレーナは大学院生だ。本日、助手の仕事は休みだった。だから講義の準備は、僕ひとりでととのえた。


 そういえば、シーサとは最近直接顔を合わせることが減ったような気がする。

 今日の講義でも教壇から彼女の姿を目で逐った。

 僕から視線を反らす。目を合わせようとすればするぼどシーサは違う方向へと視線をむけていた。


 何故か、僕は寂しさを覚えた。


 僕は、理由がわからない哀愁を払拭したかったーー。



 ***



 今日もリレーナは休みだった。

 机の上で放ったらかしにしている雑務が日に日に積み上がっていた。

 でも、僕は帰る身仕度をして準備室を出た。


 僕は夜道を歩いていた。

 暑い季節独特の、身体を蒸らす温くて湿っぽい空気を吸い込みながら、僕は我が家を目指していた。

 住宅街の街灯が僕を照らしていた。僕が歩く道には当然、僕の影が落とされていた。

 時間帯は、一家団欒。

 夜風に混じって美味しい匂いと石鹸の薫りがふくよかに吹く度に、僕の鼻腔を擽らせた。


 僕は時々、回り道をして帰宅する癖があった。

 そんなときは決まって、頭の中がいっぱいだった。

 ひとりで時間を過ごす、自宅にいて少しでもひとりで過ごす時間を短くしたい。人が聞いたら滑稽だと思われるだろうが、僕にとっては本気の煩悩だった。


 孤独を感じたとき、人は何を求めるのだろう。其れが、僕の頭をいっぱいにする理由だった。


 今日の回り道は、長かった。

 長くてよかった。と、思った。

 まっすぐと家に帰っていたら、どうなっていたのだろうかと考えると、ぞっとした。


 僕は、見た。


『あの頃』も、そうだった。

 僕は『あの頃』見た薄紅色の瞬きを今でも覚えている。


 薄紅色の瞬きが、遠回りをして帰る僕の目の前で見えた。

 ぽつぽつ、と、僕の前で瞬く光の粒が何処から翔んできてるのだろうかと、僕は逐った。


 僕は逐った。

 逐う度に、光の粒が真っ暗な夜道を照らす程、夥しく見えていた。


 そして、とうとう僕は辿り着いた。



「相変わらず、わかりやすい」

「どんなことにだ」

「あなたの『今』の感情ですよ」

「私は、哀しんではいない」

「でも、おもいっきり翔んでました」


「気づかなかった」


「嘘は、駄目です」

 僕は、両腕をひろげた。


「何度も、引き返そうとした。だが、出来なかった」

「何故、ですか」

「今、此処に私がいる。おまえは、どう思うのだ」

「十分な、理由です」


 僕は、抱き締めた。

 僕は、腕の中に手繰り寄せた。


 今でも、僕の想い出の中で美しく瞬く薄紅蛍。


 僕の心は震えてた。

 越えたくて堪らないと、震えていた。


「汗ばんでいますよ。よかったら、僕の家の浴室を使ってください」

「私に気を使う必要はない」

「駄目です。あなたは女性ですよ、お肌の手入れはちゃんとしましょう」


「馬鹿め」


 僕は、家に帰った。

 僕の隣には、アルマさんがいた。


 僕は、アルマさんの手を引いて家に帰った。

 玄関の扉を開き、廊下の照明灯を照らした。

 夜道でははっきりとしなかったアルマさんの姿が、僕の目にくっきりと映った。


 顔が蒼白く、暑い季節なのに寒そうな顔のアルマさん。

 僕は、見た。

 寒い季節の中にいるようなアルマさんの顔を、僕は見てしまった。


 玄関の扉に錠をしても、すぐには靴を脱がなかった。


 玄関の壁にアルマさんの背中をくっ付けて、アルマさんの顔を真っ正面で見る。


 そして、僕はアルマさんにした。

 僕は、アルマさんに口付けをした。

 アルマさんは僕の背中に両腕をまわすと、そのまま僕のことを抱き締めてくれた。



 深くて熱い口付けを、僕はアルマさんとしたーー。


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