表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロゼ・ワールド  作者: 鈴藤美咲
廻る、空の想い
3/22

サテライト

 リレーナを抱きたい。

 僕の勝手な欲求に、リレーナは応えてくれるのだろうか。


 リレーナのすべてに口づけをしたい。

 僕が乾涸びるをさせたくない欲望にリレーナが拒んだら。と、恐れもあった。


 僕の枯渇を潤して欲しい。

 僕は、知らず知らずリレーナを求めていた。


 一方で、既に想い出になっていた愛おしいが、甦ってしまった。


 僕の愚かな煩悩をリレーナに打ち消して欲しいというのは姑息だろうが、術がなかった。


 僕は、温い水の中で游ぐ魚。淡水では游ぐことが出来ない魚。

 曹と言う箱に浸された温い水で、游ぐを強いたげられていた魚だった。


 僕は、大海原を見たかったーー。



 ***



 学生に講義する内容を作成する為の準備室。

 僕が普段使っている部屋に入るのが出来たのは大学院生であって校内で助手を務めるリレーナだけだった。


 僕の『仕事』は、リレーナが効率的に資料を用意してくれるで成し遂げられていた。

 僕だけでは絶対に無理だという準備も、リレーナが素早く対応していた。


 情が湧かない。と、いうのは僕にはなかった。


 助けられていた。

 僕は、リレーナにいつも助けられていた。


 はっきりとした言葉は言えなかったが、僕はリレーナが大切だと、心に刻ませていた。




 今日は別の場所で。と、僕はリレーナを誘った。


「勿論、喜んで」

 リレーナは頬を薄紅色に染めて、僕に言ってくれた。


「僕もお酒を頑張って呑む。頼むよ、リレーナ」

「どんなことにかしら」


「僕が先に酔い潰れたら、だけどね」

 僕は、繁華街の飲食店でリレーナと夕食を摂った。滅多に呑まないお酒を食事と一緒に注文をして、僕はなんとか飲みきった。


 飲食店を出たあと、リレーナは僕の右腕をしっかりと抱えていた。

 僕はリレーナの身に纏う服の上からだったが、柔らかい感触を、豊満な柔らかさを直に腕から確かめていた。


 別の場所。


 僕は、街の外れにある宿泊施設にリレーナと入った。

 建物の外観、内装。まるで御伽噺の中に入ったかのような造り。部屋の中に入って真っ先に見えたのは、飾られていた幻想的な世界を彷彿させるオブジェだった。


 オブジェから光が放たれ、見上げた天井いっぱいに光の粒が輝いていてた。


 リレーナが僕を見ていた。

 リレーナの横顔に僕は高揚する。


「あ」と、僕に抱きしめられて口づけをされたリレーナが僕の口の中へと甘い息を吹かせた。


 僕はリレーナの息を吸い込んで、リレーナへと息を吹き込んだ。


「タク、ト……。」

 リレーナは、声を振り絞って僕のことを呼んだ。


 僕はリレーナの柔らかい膨らみを見るために、リレーナが着ている水色のセーターの裾をグレー色のタンクトップの裾と一緒に目繰り上げ、リレーナの手へと持たせた。

 僕は、見えた赤と黒の縦縞模様のブラジャーのカップの上にリレーナの膨らみを垂らす。


 僕はリレーナの膨らみに頬を押し当て、擦る。そして、口づけをして唇を桜色の先端へと這わせ、口に含む。


 リレーナは、悶えていた。

 息は絶え絶え、吐くのもやっと。僕でもわかるほど、リレーナが僕の行為に悶えていた。


 僕はリレーナと一緒にベッドへと移動をして、仰向けになっているリレーナが履く黄色のタイトスカートのホックを外してファスナーを下げる。


 僕の高揚は、昂り続けていた。僕はリレーナのありとあらゆる素肌に口付けをして唇を這わせた。


「限界」

 リレーナが僕からの口づけを、唇に口づけをしようとしている僕の唇を、ベッドのシーツの端で遮ったーー。



 ***



 僕たちは、ベッドの中で一眠りをした。


 リレーナは僕の腕の中にいた。

 真夜中に目を覚ました僕たちは、肌と肌を重ねて何度もキスをした。


 僕は、リレーナの白くて美しい肌に惜しみなく、ありとあらゆるところに口づけをした。


 容姿やしぐさがなまめいて色っぽいリレーナは「見て、見て」と、僕に囁いた。


「泣いた烏がもう、笑っている」

 僕は、リレーナをからかった。


 リレーナはベッドから起き上がり、僕を仰向けにさせると僕の腹部の上に跨がった。



 リレーナは花園の扉を開いて、僕の高揚を預かったーー。



 ***



 日常は、普通だ。


 僕が『仕事』をこなす中で、いつも思うことだった。


「先生、そこをなんとか」

「却下」


 校内にある指導室に僕はいた。

 僕が受け持つ科目を必修している男子学生と込み入った話し合いをしていた。


「先生の付き人で、どうにか」

「意味がわからない」

「用心棒でもいいですので」

「おまえは、馬鹿か」

「先生専属の整体をしますから」

「生憎、肩こりとは縁はない」


 僕は何を話しているのだろうと、自分でも呆れていた。


「ください」

「無理だ」


 僕は時間を気にしていた。

 今日の僕がする講義はとっくに終わって時間はあったのだが、ひとりの学生と長々と話し合いをするような時間はなかった。


 特に、今日は教授からの雑用を引き受ける。違った、何についてかはわからないけれど、打ち合わせをするというのが待っていた。そろそろ教授との約束の時間になる。僕が何度も説明をしているのに、目の前にいる学生がちっとも席から立たないことに、僕は苛ついていた。


「タクト先生。まだ、此処に居られたのですか」

 指導室にリレーナが入ってきた。


「ああ。ご覧の通り、まだ此処に居たよ」

 僕は男子学生を睨み付けた。


「単位」

「講義に出席をしていなかった。おまけに他の学生に口裏合わせをしていた。不正を見逃すは、僕にはない」


 僕は男子学生を指導室に残して、リレーナと一緒に部屋から出たーー。



 ***



 教授は準備室で僕のことを待っていた。


「この時期は、決まって必ずひとりはいる」

「僕だって、いい気はしませんよ。本人がどんなに弁解しても、事実は事実。労力と時間を考えると割に合いません」


 僕と教授は準備室に備えている椅子に座って話しをした。


「体つきは大人なのに、考え方が伴っていない。困ったケースですね」

 リレーナが、淹れた珈琲を僕たちに持ってきてくれた。


「ウム、淹れ方が上達したな」

 教授は珈琲カップの取っ手を右手で持って、器の淵に口を付けた。


「タクト先生に鍛えられたので」


 リレーナの言うことに、僕の身がすくむ。

 珈琲の器を持つ手が思わず震えてしまい、中身を僅かに溢してしまった。


「あら、先生。何かやましいことでも考えたのですか」


 リレーナ、僕のことを先読みし過ぎだよ。

 確かに、その通りですよ。

 僕はリレーナが言ったことに、別の意味を思い浮かべた。


「ははは。珈琲豆の挽き方は意外にも加減がいる。と、いうのは僕の知り合いから教わったことだよ」

 咄嗟とはいえ、僕の誤魔化しだ。だけど、僕が言ったことは本当だ。


「この珈琲の味を出せるのは、誰かはワシも存じておる。そうか、タクトの知り合いだったか」

「教授とはどんなお繋がりなのですか」

「友の娘婿だ。ここ数年は、友との交流はないがな」


 教授は珈琲を飲み干した。

 僕は、教授の顔を見た。


 僕は『あの頃』を思い出した。


『あの頃』教授は僕のことを教授の友人から聞いていたかもしれない。

 教授は滅多に自分のことは語らない。

 僕が今、色々と教授に訊ねても教授は応えてくれない筈だ。


 そういえば、ロウスさんどうしているのだろう。この前、シーサから全然話しを聞くことが出来なかった。


 シーサが此処に入学していたことでさえ、僕は知らなかった。だから、ロウスさんとはずっとお会いしていなかったし『あの頃』のみんなとは、連絡すら取り合っていなかった。


 シーサに話しを聞くでも良いだろうが、僕は頭のなかで否定をした。


 今、何かが起きようとしている。

『あの頃』と同じようなことがまた、起きようとしている。


 僕は今、大学で働いている。

 情報は絶対に入ってくるに違いない。

 僕が動いたら、大学に迷惑を掛けるに決まっている。


 僕は、待つことを決めた。



「タクト、そろそろ本題に入らせて貰うがよいか」

「はい、何なりと申されてください」


 僕は椅子に腰掛けたまま、背筋を伸ばして教授と正面に向き合った。


「ある企業団体でプロジェクトが発足された。それにともなって、わが大学に支援を要望してきおった。内容を明かしてないくせに、ひとつ返事など出来るわけない」

 教授が珍しく感情的になっていた。

 鼻息を強く吹いて、下唇を噛み締めている。テーブルの上に乗せている右の掌を拳にして今にも叩きそうな様子だった。


「教授は、教授が直々にご指名をされてしまったのですか」

「奴らは先を読んでた。ワシのように教授の肩書きを持つ者は断るを読んでたかのように、一部の講師と学生を駆け引きにしおった」


「『一部』の。随分と絞りこんでいますね」

「タクト、ワシは返事を無理矢理強いるはしない。おまえには、拒否をする権利がある」

「もう、完全に僕限定というのを教授はおもいっきり発言されていますよ」


「リレーナ、すまぬが珈琲を淹れてくれ」


 教授は話しを反らした。と、僕は思ったーー。



 ***



 教授は珈琲を飲み干すと帰ってしまった。


「言うだけ言って、逃げた。と、私は思うわ」

「内容が内容だけに、教授もかなり伝え方を選んでいた筈だよ。結果的にはしり切れとんぼだったけどね」


 僕はリレーナの剥れる頬を両手で挟んで萎めた。


「怖いわ」

「キミが恐がってどうするのだよ」

「私、いなければよかった」

「教授がキミを同席させた。僕はそれはそれで良かったと思うよ」


「どうして」

「どうしてだと、思う。リレーナ」


 僕は、リレーナを抱き締めた。


「素直に『ありがとう』を言うわ」

「どういたしまして」


 リレーナが、僕のことを抱き締めてくれたーー。

 


 ***



 帰らなければよかった。


 今日に限って学校に泊まってまでの『仕事』がないことに、不満さえ覚えた。


 僕は、疲れている。だから、幻が見えている。そう、そうに決まっている。

 自宅の玄関前に座っているのは幻だ。触れば消える、消える筈だ。


「ちゃんと食材も持参したから、食糧の心配はご無用よ」


 僕は触れるのを躊躇った。

 膨れ上がっている買い物袋とスッキリとしている鞄を抱えながら、僕が幻と思いたい女性が満面の笑みを湛えて僕のことを見ていた。


「シーサ、あのね。お願いだから、今回きりでーー」


「わたし、特に卵焼きが得意なの。料理はお父様からちゃんと習っていたから、味も安心してね」


 僕は、また負けた。


 シーサは僕が勤務している大学の学生だ。

 そこまでは良いが、僕はあることで頭を抱えていた。


 シーサの僕にお構い無しの行動。

 この前もそうだったが、僕の自宅に押し掛けて来た。


 シーサに何があったのか。

 彼女の幼い頃を知っているから尚更だ。


 今日はシーサだけ。だから、僕は気が気でならない。


 断っとくけれど、僕はシーサに何もしていない。

 シーサが僕の受け持つ講義を受けているなんてことも、最近になって知った位だからだ。


 頼むよ、シーサ。

 なるべく、いや、かなり激しくまわりに誤解を招くようなことは止してよーー。



 ***



「ダメッ」


 僕はシーサに止められた。

 シーサはキッチンに立って、食事の仕度をしていた。

 僕がキッチンに入ろうとしたら、目くじらを立てて僕のことを追い返した。


「あのね、シーサ」

「あっちに行ってっ」

「だからね、シーサ」

「邪魔よっ」


 聞く耳を持たないとはこういうことだな。と、呑気に感心するわけにはいかない。


 ちょっと動くだけでもシーサは怒る。

 食器を用意してあげようとしても退かされる。

 兎に角、シーサは僕がやることなすことを尽く突っぱねてばかりだった。


 諦めるしか方法がない。


 僕は今、繰り広げられているどうしようもない情況を黙って見るしか出来なかった。

 なにもすることが出来ないのがこんなに苦痛とは思いもしなかった。



 僕は、リビングルームでじっとするしか方法がなかった。



「はい、お待たせしました」


 僕は対面式のキッチンカウンターへと、やっと振り向くことが出来た。


「シーサ、キミはーー」

「うん、タクトさん。そうよ、お父様が『あの頃』みんなの為に作ってくれた料理をどうしてもタクトさんに食べてもらいたかった」

「よく、覚えていたね」

「わたしは、お父様の娘よ」


「そうだったね。僕は、キミのお父さんが作ってくれたご飯が大好きだった」


 僕はカウンターの席に座って、料理が盛られて並べられている皿のひとつひとつを見ていた。


 僕は魚が好物だ。

 僕は『あの頃』食べた魚料理の味を今でも覚えている。

 〈任務中〉にある出来事が起きてしまい、途中で時間調整の為に停まった場所でひと息をしたともいう思い出の中に、シーサの身に起きてしまったことがあったも同じくだ。


 最初に口にしたのは、緑黄色野菜がたっぷり入っている汁物。それから《ふくれ魚》の煮付け。主食である《鉄砲豆》入りライスと、スプーンとフォークを交互に手にしてはすくって刺して口の中へと含ませて租借をした。


 美味しい。

 おだてではなく、本当に心から思った。


 僕は、心配していた。

 だから、思いきってシーサに訊くことにした。


「お父さんと何かあったの」


 シーサは食後のスイーツまで用意してくれていた。シーサが僕の座るカウンターの上に乗せようとしている《岩かぼちゃプリン》が入っている器が危うくひっくり返るところで僕が持ってあげた。


「もう、いきなり何を訊くの」

「怒らないでよ。こう見えても真面目に訊いたのだよ」


 カウンター越しから見たシーサは、珈琲を淹れながら顔を真っ赤にさせていた。


「やっぱり、そう思った」

「勿論だよ。僕ではなくても心配するのが普通だよ」


「タクトさん、おいくつ」

「あ、ふたつで」


「いえ、お砂糖の数ではなくて歳」


 今度は僕が顔を火照らせた。


「31だよ」


 僕が言ったことに、シーサは驚いた様子だった。


「そうか。タクトさんはもう、そんなお歳になっていた」

「ははは。何だかがっかりさせたようで、申し訳ないよ」


「違うよ」

 シーサは首を横に振った。そして、間をおいてだったが、続けて言ってくれたことに僕はやっぱり歳をとってしまったと実感したのであった。


『“あの頃”のお父さまと同じ位の年齢のタクトさんになっていた』と、シーサが言ったことにだった。


 僕は、シーサの中では今でも『タクトお兄ちゃん』のままだった。


『あの頃』の僕は、あの子たちの『お兄ちゃん』だった。

 僕は弟のアルトを置いて、あの子たちが何処に連れて行かれるのかさえ聞かされないで《陽光隊》の一員としてあの子たちの護衛を務めた。


 ひとりひとりの名前は、今でも覚えている。

 でも【グリンリバ】に帰ってからは、誰とも会ってはいなかった。


 ただ、ひとりを除いてだった。


 シーサとは、僕が小学校教員でいた間だけ会っていた。

 担任ではなかったけれど、廊下で挨拶をする程度で会っていた。


 僕のことは、シーサの中では思い出であって欲しかったーー。



 ***



「風邪引いちゃうよ」


 僕はリビングルームに備えてある長椅子で寝ていた。僕の頭の天辺を指先で突きながら声を掛けたのはシーサだった。


「キミのほうこそ、まだ起きていたの」

「だってーー」


「何」

 僕は、けしてシーサのことを冷やかした訳ではなかった。

 シーサは、困ったといわんばかりの顔を僕に見せていた。


 僕は長椅子から起き上がり、腰を下ろした。


「今のアルトは『あの頃』のタクトさんとそっくり。本当に、そう思う」

「ずっと実家に帰ってないから、よくわからないよ」

「薄情な『お兄ちゃん』ね」

「違うよ。ただ、帰るにも帰れないから」


「『今』が忙しいからなの」

「ほぼ、その通り」


「あやふや」


 僕たちは、顔を見ながら笑いを堪えていた。


 しかし、笑顔は続かなかった。

 シーサがまるで雲に隠れた陽のように、晴が消えるような様子になってしまった。


 僕はシーサを長椅子に座らせて、キッチンに入る。そして、片手鍋で軽く温めたミルクをマグカップに注いで、シーサに飲ませた。


「『あの頃』のことを思い出すのは平気だけど、怖くて堪らないと思うことが最近増えてしまった。でも、でも……。」


「ご両親にはとても言えない、だよね」

「うん」


「そうか」

 僕は、溜め息を吐くのが精一杯だった。


 シーサの中で、間違いなく何かが起きている。

 でも、伝え方がわからない。

 僕に気付いて貰うまで、かなりきつい想いをしていた。

 証拠はシーサの頬を濡らす、シーサの目から溢れた涙だった。


「シーサ、もう安心して。だから、今日はおやすみなさい」


「うん、うん……。」


 僕は、シーサの手を握りしめることしか出来なかったーー。




 朝になると、シーサはいなかった。代わりに、リビングルームに備えてあるテーブルの上に文字が記された罫線入りのメモ用紙が置かれていた。


 〔たまにはアルトに会ってください〕


 何故、シーサが僕の弟のことを気にしているのかがわからなかったーー。



 ***



 僕は、結局シーサに背中を押されてしまった。


 実家に帰ろう。と、いう決心がついた。


「兄ちゃん。帰ってくるなら、帰ってくると連絡入れればよかったじゃない」


 実家の玄関で僕のことを迎えたのは、弟のアルトだった。


「帰ってきてほしくなかったのかい。だったらもう、帰ってこない」

 久しぶりに会った弟に、僕は心裏腹のことをつい、言ってしまった。


「酷い言い方だね」

「性分だから、仕方がないだろう」


「父さんは、出掛けているよ」


「長居はしない。ちょっとだけ上がらせてもらう」


 僕は、実家の敷居を跨いだ。


「ボクだって、板挟み状態で居心地悪い」


 僕はリビングルームのフローリングに直に座って、お茶を運んできたアルトを見上げていた。


「兄ちゃんがいないから、のびのびと自由に部屋を使えるだろう」

「そういう問題じゃないよ」

「父さんのことか」

「わかってるなら、なんとかしてよ」


「アルト。おまえまでこの家を出たら、父さんは本当にひとりぼっちになってしまう。おまえだけが父さんを支えてあげることが出来る」

 僕は、お茶を一気に飲んで腰をあげた。


「母さん、どうしているの」

「また、ホスピタルでの療養生活だよ。でも、長くは置いてもらえない。母さんが患っている病の専門医療施設に入る為の手続きはすんでる。もうじき、そっちに入っての療養になる」


「母さんに、会いたい」


 僕が実家にいたのは、ほんの僅かな時間だった。別れ際にアルトが言ったことは、僕でも辛かった。


「ごめん」

 僕がアルトに言えたのは、それだけだったーー。



 ***



 在学中の学生たちは、春の休暇時期に入っていた。

 校内は閑散としていて、開講中の賑わいがまるで嘘みたいに思える程、静寂な時間の中に僕は居た。


「はい、どうぞ」


 僕は校内にある教授専用の部屋に居た。


 開いている窓から春の薫りが、吹く風と一緒に僕の鼻腔を擽らせた。


「ん、ありがとう」


 僕はひとつ返事でリレーナが淹れた珈琲を、珈琲を淹れたマグカップを受け取った。


 僕は、電子器具を弄くっていた。

 教授の部屋には最新式の電子機材だの、内容が充実している書物が棚に並べてあった。


「教授、何処に行ったのかしら」

「さぁ、ね。あ、画面が固まった」


「貸して」

 リレーナの右手が、僕の右手の甲を掠めた。


「随分、詳しいね」

「タクト、あなたがスクロールを止めるキーを押してしまっただけよ。はい、もう大丈夫」


 リレーナの手が電子器具のキーボードから離れる。と、思った。


「こら、駄目だよ」

「息抜きは、必要よ」


 リレーナは僕の後ろへと回り、椅子に座ったままの僕に触り始めた。


 最初は僕の首筋、それから羽織るジャケットの襟元を潜ってワイシャツの上から僕の胸元を、リレーナの指先が何度も掠めていた。


「はあ、作業がちっとも進まない」

「あ、如何にも私の所為のような言い方」


 僕が嘆くとリレーナは僕を触る手の動きを止めるどころか、エスカレートさせていった。


「タクト。空は、まだ明るいよ」

「意地でも僕から誘ったことにするつもりなのかい」


「全然。ね、タクト」

「わかった、わかった。だから、たんま」


 僕は、リレーナを抱き寄せた。


 僕の耳元に吹き込まれたリレーナの熱く焚きついた息は僕に爽快感を与え、僕は次から次へとリレーナの全てに口づけをした。


 僕はまた、女の人を抱いたーー。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ