雫
時は、刻一刻と迫っていた。
〈育成プロジェクト〉の為に集われた6名の子ども達のひとりが、家庭で家族とコミュニケーションを図っていた。
「シャーウット。あなたなら、大丈夫よ」
「お母さん。どこから『大丈夫』だなんて、言い切れるの」
「あなたが選ばれたからよ。だから、絶対にやり遂げられると、ね」
食卓には、好物ばかりが並べられている。
シャーウットは複雑だった。
明日から〈プロジェクト〉に向かう自分の為に母親が腕を振る舞ったのはわかるが、此処まで豪勢にする必要はあったのかと、シャーウットは複雑な思いを募らせていた。
「お母さん、あのね」
「やり遂げれば、将来は安定。あなたのこの先を《団体》が護ってくれる。そう、あなたの一生を《団体》はサポートしてくれる。何でもなれる、何でも出来ると《団体》は約束してくれた」
シャーウットは母親が切り分けたローストビーフが盛られた皿を受け取る。母親は、嬉々とした顔でシャーウットに能弁をしていた。
「“最後の晩餐”みたい」
「何、シャーウット」
「ひとり言よ。いただきます」
シャーウットは、フォークにローストビーフを刺して、口の中へと頬張ったーー。
***
カナコは自宅の部屋にいた。
就寝はしていたが、ベッドの中で何度も寝返りをしていた。
カナコは眠れずにいた。寝ようとすればするほど目が冴えて堪らないと、とうとうベッドから起き上がることをした。
部屋から出たカナコは、素足で間接照明が灯される廊下を歩く。
「どうした、カナコ」
「うん、ちょっとね」
カナコはリビングルームに行った。部屋に入ると照明灯が照らされていて、長椅子にひとり腰かけている母親と目を合わせた。
「不安なのだな」
「正直に言えば、たぶんお母さんのいう通りだと思う」
「カナコ、私も同じだ」
「そうなんだ」
母親はカナコを手繰り寄せて、腕の中に包み込んだ。
「お母さんに抱っこされたの、もうずっと前だった」
「まるで、私がおまえのことをほったらかしにしていたような言いぐさだな」
「そんな意味で言ったのではないわ。お母さんはお母さんで大変だったは、わたしだってわかってた」
「苦労をさせて、すまない」
「逆でしょう。わたしがお母さんを困らせていた」
「親を困らせるのは、子の特権だ。親が子に心配をさせるのは、不名誉なこと。私は、そう思う」
「よくわからない」
「まあ、よい。しかしだ、カナコ。明日からの事をおまえが重荷になるは必要ない。今ならまだ間に合う、おまえがどうありたいかを私にうち明かして欲しい」
「帰ってきたら、お母さんに抱きしめられたい」
母親の腕の中にいるカナコは、声を震わせていたーー。
***
「司令官、お休みをされては如何ですか」
ある軍事施設で司令塔にいた男性幹部官が、上官である男に促した。
「あのう」
返答しない上官に男性幹部官は、恐る恐る声を掛けた。
「夜食はどうされますか、司令官」
幹部官が訊ねても、男は黙ったまま司令塔の窓際でじっとしていた。
「バースさん。就寝か夜食、どちらかを選んで下さい」
「飯がいい。熱々並々のコンソメスープとキノコとチーズがたっぷりのリゾットでな」
「了解」
男性幹部官は男に敬礼をすると、駆け足で司令塔を出ていった。
「くっくっくっ」と、苦笑いがする方向にバースと呼ばれた男が振り向いた。
「笑うな、タッカ」
「貴様は、相変わらず可笑しな奴だ。何故『肩書き』で呼ばれるのを拒むのかが、此方としては理解できない」
「性分じゃない。何べんも同じことを言わせるな」
バースは近くにある椅子に腰を下ろした。
「腐れ縁。おまえと俺は、いまだにこうして役割を続けている」
「俺は、さっさと解放されたい」
「無理だ。貴様が背負っているものを、誰も替わることは出来ない」
「都合が良いときだけ、担がれる。うんざりだ」
「話しは変わるが『例の件』で、タクトが同行するという情報を入手した」
タッカの話しにバースはぴくりと、頬を痙攣させた。
「何故、黙っていた。しかも、明日から【現地】に向けて移動が行われる」
「俺に食って掛かるな、貴様の子ども達だって選ばれたのだぞ。そっちを阻止しなかったのはどんな意味だと、此方が訊きたいほどだ」
タッカはバースに胸ぐらを掴まれていた。そして、その手を振り払い除けて襟元を整えた。
「タクトがいれば“作戦”が白紙になる」
「バース、貴様は妙な言いぐさをするのだな。タクトがいたら“作戦”の何に差し支えるのだ」
「タクトは、世界を繋げる“扉”の鍵そのものだからだ。もし《団体》がタクトに細工をしたならば、どんなことが考えられるか」
バースの激昂に、タッカは身震いをした。
「貴様の子ども達も捲き込まれる」
「それだけではない。世界は完全に《団体》の手中となる」
「決めつけるな、バース。何の為に『あの頃』の奴らが動いている。何の為に、奴らが集ったのか。タクトが何を思い、自ら敵の懐に入り込んだのか。貴様は木偶の坊となってしまった。俺が知っている貴様は行き当たりばったりだが、信念は貫く。それが、貴様だった」
「なんだ、タッカ。俺がまるで感無しと容赦なしのような言い方だったぞ」
「其処だけにしか、頭に入っていないのか」
バースは「ふ」と、鼻で笑う。
「癪だが、おまえにはいまだに頭があがらない」
「ははは、無理して言うな」
「敵にまわせば恐ろしい。それくらい、俺だって承知だ」
「まあ、いい。俺たち以外で今回のことに。いや、タクトの世話をやいている。そっちは奴らに任せよう」
「で、貴様はどうするのだ」
「先回りをしない。それだけだ」
バースは運ばれてきた『夜食』を味わっていたーー。
***
前を見るのみ。
タクト=ハインは自宅で明日に向けての準備を調えていた。
ボストンバッグのファスナーを開くと愛読の書物を3冊並べて底敷きにさせ、丸く畳んだインナーを上下5組詰め込んだ。
さらに緑で無地のTシャツと、柄がプリントアウトされている白を基調にした長袖のTシャツ。そして、愛用している紺のポロシャツを押し込む。
ズボンは軽量で通気性が良いグレー色のジャージ下と同色のスラックスに、滅多に履かないジーンズ。
洗顔用具、タオル類、迷いはしたが赤のストライプ柄のパジャマを一組を入れて、ボストンバッグのファスナーを綴じた。
いつ、家に帰れるのか。
事を先走りにしたわけではないが、タクト=ハインは漠然とした思いに更けていた。
【現地】で本格的な〈プロジェクト〉が実施される。内容は【現地】で呈示される。選ばれた子ども達は、合宿でその準備を兼ねた訓練を積み重ねた。
自身も平行して《団体》が計画する“人材育成”を受けた。
〈プロジェクト〉が終了しても、身は《団体》に。探るは取り越し苦労と、何度も思いを振り払った。
自分は『今』を護る為に、今を選んだ。臆に恐れて志を踏み捻るは赦されない。
我が為に背中を押してくれた絆。
ひとつ、ひとつの想いは生きる糧として、心に刻ませる。
タクト=ハインは部屋を消灯させ、就寝した。
そして、ついに『当日』を迎えたーー。
***
時は、早朝の刻。
〈プロジェクト〉に向けての集合場所は《団体》の本拠地だった。
【サンレッド】は【現地】の入口。だが、移動手段は今日まで聞かされなかった。
元、企画部部長のホーロウが語ったことが真実ならば《団体》の計画倒れだろうが、屈折をしないのが《団体》の体質だと、タクト=ハインは心を研ぎ澄ませた。
手段を選ばないのが《団体》だと、タクト=ハインが《団体》に入り込む以前に『あの頃』で学んだことだった。
集う子ども達は、至って冷静。
遠出気分等の雰囲気はなく、言葉数さえ少ない重苦しい空気。それが、タクト=ハインにとっては荷重になっていた。
「先生。母から預かったものがありますが、受け取ってもらえますか」
タクト=ハインは、背中に指先で押される感覚がして振り向いた。其処には、カナコが満面の笑みを湛えてタクト=ハインを見ている姿があった。
「僕に、キミのお母さんが」
「驚くことの程ではないです。わたしから見ても先生は危なっかしいし、世話がやけて堪らないと思いますね」
カナコはタクト=ハインの掌の中に母から預かったと言った封書を押し込みと、鼻唄混じりでタクト=ハインから去っていった。
タクト=ハインは堪らず赤面をした。
渋々と、渡された封書を開封して折り畳まれた便箋を取り出して開いた。
〔己が吹かせる風を濁らせるな〕
一行でしたためられた便箋に、タクト=ハインは苦笑いをするしかなかったーー。




