第三話 鬼畜な妹
「何であんな子に育ってしまったんだろう……」
「完全な自業自得じゃん」
しくしくと泣きながら妹――遠山遊佐に弟の規制一歩手前の行動について相談するも、そんな一言で一蹴。そのアーモンド形の瞳でこちらを一瞥だけして、またジャガイモの皮むきに戻ってしまう。
なんて冷たい妹だ。俺の貞操が危ういかもしれないというのに。今日はカレーだろうか。
「何だよー。ちゃんと可愛がってやっていただろー」
「ど・こ・が? ぶっちゃけ見ていて可哀想だったんですけど。それなのにホイホイついてって、あっちこっち怪我して、ピーピー泣いて。止めとけばよかったのに。遊馬はブラコンだったからなー」
「お、俺なりに可愛がっていたんだよ」
「兄貴の兄貴なりは普通じゃないの」
はいはいどいてー、と言いながら後ろで体育座りになっていじける俺を蹴る遊佐。
悪魔だ。般若だ。鬼畜のようだ。
「うう、酷いよう、酷いよう。学校ではばれないように神経をすり減らして、家では弟に弄ばれて、おまけに妹は兄を労おうとしない」
「というか、何で兄貴は学校を『男』で通っているわけ? そこが不自然なわけでしょ」
「…………十四年間男で暮らしてきたんだぞ。いきなりそれを変えろってか? そもそも学校には公彦がいるのに」
「あ、そっか。学校には公兄ちゃんもいるんだっけ? 桐兄ちゃんや倉兄ちゃんは?」
「桐谷は別のクラス。倉岳は違う学校らしい。今度会いに行くつもりだけど」
へぇ、懐かしいなあ、と過去の思い出に耽りながら包丁はダンダンダンダンダンと休みなく動かす遊佐。怖いなあ。指切るなよ。
「私も前の友達に会ったんだけど、やっぱり小学校の友達っていつまで経っても友人だよね。すぐまた仲良くなったよ。今度家に誘ったんだけど、別にいいよね?」
「うん? ああ、そりゃいいけど」
「そ」
ふんふん、と鼻歌交じりになってやけに上機嫌になる遊佐。そんなに学校生活が楽しいのか。兄貴としても妹の中学校生活が順風満帆なのは嬉しい限りである。
……なんて、このときは呑気に考えていた俺だった。
このあとに迫り来る恐怖を知るのは、また後になってからの話。
「はい、でけた。料理持っていて」
「うい。わかった」
体育座りのいじけモードを解除して立ち上がる。妹がこちらに振り向き、皿に注いだ料理を手渡そうとしたとき――――若干落とした妹の視線がある位置に到達。やばっ、と冷や汗を流す俺。しかし時すでに遅し。
お互いに一時停止。しばらくして遊佐はため息をついた。
「…………兄貴」
「な、何?」
胸を両手で抱いて後ずさり。そのまま振り向きざまに逃走を図るが、そこで肩を押さえられる俺。ピンチ。
「…………何で、ブラしてないの?」
「いや、ほら、だって。あれ、苦しいじゃん。俺、男じゃん」
「お・と・こ?」
「お、おとこだよ。おとこだもん」
「ふーん」
怖い。怖いよ。なぜに妹の背後に三面六臂の阿修羅が見えるんだい?
「さ、サラシをしていたんだよ、ずっと。い、家ぐらい休んだって……」
無言で笑顔の妹。きょろきょろと視線を彷徨わせて助けを求めていると、階段を降りてくる遊馬を見つけた。ええい。ここは人を選んでいるときではない。
「ゆ、遊馬。たすけ――」
「えい」
「ひゃんっ!」
胸から痛みに似た甘い痺れが全身にビビビと巡る。助けを求めたその瞬間に、背後から妹に胸を鷲づかみされたみたいだ。しかもそれで離すどころか、遊佐の手は留まる所を知らない。まだ俺の胸をむにむにと玩具のごとく遊んでいる。
って、うぉい!
「は、離せよ! おい、馬鹿。ふざけるな!」
「えー。だってー、兄貴は男の子なわけでー、こんなことしたって別に何も問題無いんだよねー」
「お、男ならこんなことされな――ゃっ」
「うん? 何か言った?」
「い、言ってない。何も!」
「あ、そ。あーあ、ブラしてなくても兄貴は形崩れなくていいねぇ。大きいしねぇ。逆にブラしてないからなのかなぁ」
「いや、それはお前がただ小さすぎるだけで」
「何だとおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉ!」
「や、ちょ、あの、ごめ、や、うう、あ」
「Aカップで悪かったなあああああああぁぁぁっぁあ。この巨乳があああああぁぁっぁぁ。女の敵いいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃ」
「ひ、あ、お、おねが、あう、ややや、やめ、ひゃ」
ブラをしてないせいで薄い布越しに感触が直に来る。しかも胸の突起までめちゃくちゃに弄ってくるし、やばい。何がやばいとは言わないけど、もうやばい。
「ゆ、遊馬!」
もういっぱいいっぱいの涙の目で懇願する俺に、遊馬は硬直して突っ立ったまま。早く助けろよっ! ともう一度大きな声で呼ぶと、びくんと身体を震わせて、もう一度俺たちの様子を見てからごくんと喉を鳴らし………逃げた。
「何で!?」
「ああ。遊馬には刺激が強すぎたか」
ぱっ、と手を離す遊佐。がくん、と腰砕けになる俺。も、もう駄目です大佐。敵陣にて討ち死にしました。
「な、なにすんだよぉ」
「そんな欲情した雌の潤んだ目で睨んでも怖くないよー」
「よ、よよよ!? 何言ってんだ! お前! 馬鹿! 馬鹿だろ!?」
「はいはい。でも、これでブラをしない危険がわかったでしょー。家には遊馬だっているんだから気を遣いなさいよ。元男でしょ」
今だって男だ、と胸の内に不平を呟きながらそそくさと自室に帰還する俺。妹にここで口答えすることがどういう結果をもたらすのかは火を見るより明らかである。
とりあえず、妹の前ではブラを着けないと死を意味することは理解した。