その1
見知らぬスナックで私のビンタが響き渡る。
もちろん、見知ったスナックなんてないのだけれど。
「ハハハハハッ!!!」
男が突然笑い出した。
「何が可笑しいんですか!!」
「いやぁ、グーで殴られるくらいの覚悟はしてたからさ。ビンタで済んで良かった良かった」
男はケラケラと笑っている。
カウンターにいる女性は呆れたと言った表情でタバコを燻らせている。
私はすっかり呆気に取られてぼうっと立ち尽くしてしまった。
「とりあえず座んなさいな。」
女性に促されるままにカウンター席に座る。
初めて座るスナックのカウンター席は、普段の教室の椅子よりも高くて、足が床に届かなかった。
なんだか幼い頃にワガママを言って大人用の椅子に座らせてもらった時の事を思い出す。
「お茶で良いわね。」
そう言うと女性は私の返事も聞かずに、手際よくグラスに氷を入れ、冷蔵庫の中のペットボトルからお茶を注ぐ。
私はそれを躊躇せずに口に運び、一気に喉に流し込んだ。
自分でも驚くくらい喉がカラカラで、冷たいお茶が喉を通り抜ける快感がたまらなく気持ち良い。
ふぅ。生き返る。大げさかもしれないが、それくらいの感想を抱かずにはいられない。
「今まさに生き返ったって感じね。」
女性に心を読まれたようだった。
「一体何があったのよ。」
女性が男に声をかける。
男はビンタされた方の頬をさすりながら、私の隣に座り、聞きなれない名前のものを女性に頼む。
ツケはだめだからね。そう言いながら女性はカウンターの奥にあるビンを取り出し、小さなグラスに注ぐ。
「あなたは一体誰なんですか?」
他にも聞きたいことは沢山ある。
でもとりあえず、目の前にいるこの男が誰なのか知りたい。
見たこともない飲み物をその男はグッと飲み干す。
「もう一杯。」
やれやれと言った顔で女性はグラスに再び液体を注ぐ。
それを男はまたもや一気に飲み干す。
ふぅ。満足げに息を漏らし、グラスをカウンターに置く。
「もう一ぱっ
男の注文は私のビンタによって遮られた。
1日に二度、それも同じ相手にビンタするなんて。
「だからあなたは、誰なんですか!!」
怒鳴るように尋ねた。
普段は誰かに怒りをぶつける事なんてめったに無かったのに。お茶を飲んで落ち着いたと思っていたが、気持ちはまだまだ高ぶったままで、つい二度も手が出てしまった。
「ふざけてないで、ちゃんと話してあげなさい。」
女性が諭すように男に言いながら、空になっている私のグラスにお茶を注いでくれる。
「ありがとうございます。」
怒鳴った事で乾いた喉をお茶で潤す。
「やれやれ、年下の女の子から1日に2回もビンタされちゃうなんてな。」
「それじゃ、お嬢ちゃんの疑問にお答えしていこう。」
男はようやく話すつもりになったようだ。
「まず、俺が誰かということだが…それはとりあえず、置いておこう。何事も説明には順番が大切だ。」
「嬢ちゃんは俺の正体が一番気になっているのかもしれないけど、それ以外のことについて答えよう。」
確かに他にも気になることは山ほどある。分かりやすい順番があるなら男に任せようじゃないか。
「嬢ちゃんはこの世界に魔法があると思うか?」
答えると言っていきなり疑問を投げかけてきた。
「魔法、魔術、あるいは超能力、異能力。超自然なものの存在を信じることが出来るか?」
「答えはイエスだ。」
「だってそうだろ?昨日までの嬢ちゃんなら、こんな事聞かれても鼻で笑って終わりだろう。あるいは、そんなくだらない妄想をしている事を微笑ましく思うとかな。でも、今は違う。なぜなら、その目で、身体で、見て、感じて来たからだ。物理学の枠に収まらない暴れる巨人に、空飛ぶおっさん、どこでも納屋だ。信じない方が無理ってもんだ。」
「回りくどくなったが、何が言いたいのかと言うと。」
男は持っていたグラスをカウンターに置き、真剣な眼差しで私を見る。
「この世界に、魔法は存在する。」
男は私の目をじっと見つめる。
私も男の顔を見つめ返す。
言葉が出ない。確かに不思議なものを見てきて、命の危機に瀕して、五感全てで非現実を味わってきた。
それでも、改めて言われると頭がついていかない。
「魔法、あるいは魔術、超能力。ありえない存在が確かにこの世にはある。」
「それは今に始まった事じゃなくて、嬢ちゃんが産まれるずっと前から存在していた。それが表舞台に出る事が無かっただけで。」
思わず、ゴクリと唾を飲み込む。
あんな化け物がこれまでも当たり前に存在していたなんて。しかもそれに気づいていなかったなんて。
私が気づいていないだけで、家族や先生、大人はみんな知っているのか?未成年は教えてもらえないだけなのではないのか?
「もちろん、学校じゃ教えてなんかくれない。そもそも先生は知っちゃいないさ。魔法については生まれた時から知っているか、特別なきっかけがない限りは決して知る事ができないようになっているんだ。」
まぁ説明するより、見た方が早いか。
そう言うと男はポケットから金貨を一枚取り出した。
五百円硬貨と同じくらいの大きさだが、厚さが倍くらいあり、やたらと金ピカな硬貨だ。
「ママ、これで頼むよ。」
男は、それまで黙って見ていた女性の前にコインを置く。
「相変わらず、シケてるわね。」
「金がないのは知ってんだろ?良いからそれで頼むよ。」
そう言われ、女性はカウンターの奥にある扉から隣の部屋へと消えた。
「あの女性はお母さんなんですか?」
「嬢ちゃんはおかしな事聞くね。スナックのママはママだよ。」
男はケラケラと笑っている。
よく分からないが、実の母親ではないらしい。
「ママが戻るまで少し時間がある。この場所について話そうか。」
「嬢ちゃんはココがどこだか、わかるかい?」
また疑問を投げかける。答えると言いつつ質問するのがこの男の説明方法なのか。
「スナックですよね?私、スナックなんて来た事ないからどこのスナックだなんて…でも、裏山の神社の納屋の中に入ったはずなのに…」
「そう!嬢ちゃんの言う通り、ココはスナックだ。そして、確かに神社の納屋に入ったけど、ここは納屋の中ではない。」
そう言うと、男はテーブルに置いてある紙ナプキンを取り、目の前に広げると何やら絵を描き出した。
どうやらそれは日本地図のようで、男は、その中に二つ黒い点を打つ。
「こっちの点は嬢ちゃんの住んでる町。」
上にある点をペン先で指し示す。
「そしてこっちが、今いる場所。」
男はもう一つの点をペン先で指し示し、私の方を見つめる。
どうやら、え!?私って今は〇〇にいるの!?信じられない!と言うリアクションを期待しているようだ。
しかし、小さな紙ナプキンに描かれた日本地図では、その点がどこの町なのかは全くわからない。
男は私の気持ちを察したのか、コホンと咳払いをして。
「このスナックナターシャは、東京の新宿にあります!!」
男はドヤ顔だ。
え!?私は思わず、驚きが声に出てしまう。
だってそうだろう。私の住む田舎町と東京じゃ数百キロ離れていて、もし遊びに行くなら往復2万の新幹線のチケットを買わなければいけないのに。
「納屋と東京が繋がるなんて…これも魔法の力なんですよね?」
男は私が驚いている事がよっぽど嬉しいのか、得意げな表情で続きを語る。
「そう。魔法の力だ。まぁ正確に言うと、繋がっているわけではないな。ある特定の2点の距離をものすごく縮めているって感じ。今回ならあの納屋とこのスナックだね。そして、納屋からスナックまでの道を横ではなく縦にして、更に落下速度を緩やかにする魔法を使ったんだよ。」
なるほど。あの時の背中から落ちていく感覚は間違いではなく、本当に落下していたのか。
「でも、あの巨人から逃げるならなにもそんないくつもの魔法を使って東京まで来なくても、大丈夫だったんじゃないんですか?」
魔法を使う事にどれだけの労力がかかるのかは、知らないが、少なくとも三つも魔法を使うというのはそれなりに大変なんじゃないのか。そこまでして巨人から離れる必要性はあったのか。巨人の攻撃から身を守るためなら学校から離れるだけでも良い気がするけど。
「するどいな。目の付け所が良い。」
褒められた。
「なぜ東京まで逃げたのかについては、もう少し待ってくれ。ママに頼んだやつが来てから教えよう。」
先ほどのコイン1枚で頼んだ何かが必要という事なのか。男はママと呼ばれた女性が入った扉をチラッと見たが、開く様子は特になかった。
「その前に、東京と言う街と魔法について教えよう。嬢ちゃんは東京って聞くとなにを連想する?」
「そうですね、東京って言ったらやっぱり大都会で商業施設とかの建物がたくさん。あと人が物凄く多い、外国人とか、若者とか。」
そのどちらも私の町にはないものだ。
周囲を山に囲まれ、中心部に少しの市街地と点在する集落。若者の数は年々減り、学校の統廃合が進んでいる過疎化する町。
「そうだな。東京ってのはそんな街だ。」
男はまたもや、紙ナプキンを取りその右側に、今私が挙げた東京のイメージを書く。
「んじゃ次の質問。東京に魔法を使う人はいると思いますか?」
東京に魔法か。さっきの話だと、昔から気づいていないだけで、存在しているものだと言っていたからな。東京なら知られていないだけで沢山の魔法の何かが存在しているのかもしれない。昔見たテレビでスカイツリーが陰陽道の何かって話してるのを見た記憶があるし。
「たくさんいると思います。これだけの人口がいるんですから、気づいていないだけで大勢が魔法を隠しながら生きているんじゃないんですか。」
男は人差し指を一本立て、チッチッチッと舌を鳴らしながら左右に動かす。
「残念ながらそうじゃないんだ。この街には魔法を使う人間。いわゆる魔法使いはほとんどいない。もちろん観光で来てるやつはいるかもしれないけど、この街を居所にしてる魔法使は数えるほどしかいないのさ。」
「それはなぜか。さっきも言ったけど、魔法ってのはその存在を隠さなきゃいけない。人口が多い都市ってのはそれだけで、魔法に不向きなんだ。加えて最新のテクノロジーの存在。どれだけ優秀な魔法使いでも日々進歩する科学技術の目くぐり抜けて生きていく事は相当な難しさだ。」
「だから、嬢ちゃんの住んでる町のような田舎が一番良い。自然に溢れ、生活するために必要なものも全て揃う。」
おっと、田舎って言った事に悪意はないから怒らないでくれよ。
男は、両手を合わせ頭を下げ謝るポーズをする。
「ならつまり、えっと…ママさんは相当すごい魔法使いって事なんですか?」
突然私が現れても何も驚かなかったんだ、あの女性も魔法関係者に違いない。
男は指をパチンッと鳴らして私を指差す。
「本当にするどいな!まぁそれは本人に聞いてみるとしようか。」
扉が開き、中からママが出てくる。その手には30センチ程度の高さのビンを持っていた。
中にはコウモリのような不気味な生き物がホルマリン漬けになっている。
それを机に置くと、一仕事終えたと言わんばかりに大きなため息をつき、タバコに火をつける。
「ママ!嬢ちゃんが聞きたい事があるってよ!」
男の声は明らかにニコニコというかニヤニヤしていて、なにやら言ってはいけない事を言わされようとしている事が明らかに伝わってくる。
聞きづらい。
それでも男は、ホレホレ!さっきの事早く聞きなよ!と煽ってくる。
ママさんも、一体なにを聞くのかと私を見ている。
仕方ない。言うしかないようだ。
「ママさんは…すごい力を持った魔法使いなんですか?」
私は恐る恐る尋ねた。
すると、ママさんは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに目をつむりハァっと深いため息をつくと、男を睨みつける。
「アンタ、バカな事吹き込んでんじゃないよ。」
男はいやぁ参ったなぁなんて言いながらニヤニヤしている。
「アンタもこんなアホの言うこと、間に受けんじゃないよ。」
もしかして、この人は魔法と関係ないただのスナックの店員さんなのか。
「そもそも、私は魔法使いじゃなくて魔女よ!こんな綺麗な 女、魔女 に決まってるじゃない。」
ハハハハッ!男が今日一番の爆笑を見せる。
「出たよ!ママのこだわり!一昔前までは、女の魔法使いを魔女って呼んで区別してたんだけど、今じゃ男女平等だかなんだかの考えで、全部魔法使いになったって言うのに、魔女って呼ばないと怒るんだ。」
男は説明する。それが分かってて私に言わせやがったのか。
「それに私は大した力を持ってなんかいないわよ。ただのスナックのママの美・魔・女。」
いつの間にか美魔女になってる。
「そんな事言ってるけど、本当はすごいんだぜ。なにせ、どこでも納屋もほとんどがママの魔法だ。」
男が私に耳打ちをする。
「また、アホな事吹き込んでんじゃないわよ!」「なんでもないよ!」そんなやり取りをする二人。相当仲が良いんだな。
「そんなことより、これでしょ。」
ママさんは、テーブルに置いたビンを指差す。
そうそうこれこれ、男はビンを手元まで運び私に見せる。
「コウモリのホルマリン漬けですか?」
見たままを言ってみる。
「まぁそんなところ。これから、これを使ってなんで東京まで来たのか教えよう。」
そう言うと、男は三度紙ナプキンを取り出し、そこにミステリーサークルのような円形の模様を描く。
その上にホルマリン漬けの入ったビンを置き、ビンの上に右手をかかげ、目を瞑る。
すると、紙ナプキンに描かれた模様が青く光りを放ちはじめた。
光は次第に点滅をはじめ、徐々にその点滅が速くなる。
何が起こるのだろう。点滅は速度を上げ続ける。
すると突然、青白い光が周囲を包み、私は眩しさで目を瞑る。
目を開くとそこには、光ることをやめた紙ナプキンと、中身が空になったビンがあった。
「あの…さっきのコウモリは?」
男は得意げな顔をしている。
「さっきのは使い魔ってやつでさ。まぁいわゆるドローンみたいなもんだな。」
「それを俺の魔法で遠くに飛ばした。」
一体どこに?
男は立ち上がり、カウンターの端にあるテレビの電源を入れる。
古いタイプのテレビで相当な厚みがあり、画面は湾曲している。
「これがさっきのコウモリが見ているリアルタイムの映像だ。」
テレビに映った映像は白黒で荒い。それでもそこに何が写っているのかはっきりわかる。
これは、私の学校だ。
そして、あの巨人だ。




