第6話 古えの治癒魔法
「あの小娘、本当に大丈夫かのぉー」
「あら? アルテちゃんはあの子が心配なのかしらぁ?」
「ふん、そういうレモネードだってそうじゃろ?」
「……まぁね」
「じゃが、攻撃魔法が使えるなら心配は無用じゃな。ファイヤーボールでオークなぞ一撃じゃろ」
「使えるわけないでしょ。だってあの娘、引きこもりニートだったのよ? 攻撃魔法の練習なんて出来るわけないじゃない。それにあの娘から感じられる魔力の量は、大したレベルじゃなかった。仮に攻撃魔法が使えても直ぐに魔力切れで気絶しちゃうわね。間違いなくオークの餌食よ」
「……うむ、そうか。じゃがギルドのルールでは助けることはできんのじゃろ?」
「ええ、表向きはね」
「表向き?」
煙草に火をつけ、長いパイプを燻らせる。大きく煙を吸い込むと、けだるげにフーっと吐き出す。この仕草が実に似合っている。そのたびにどこか悲し気な顔をする。レモネードが単に勝気な肝っ玉姉さんではなく、人望を集めているのはパイク同様に面倒見が良いからだ。
「あたしが個人的に髑髏の子をサポートするのは問題ないわ」
「フフン、なるほどのぉ。では我があやつの後をつけて陰から手助けするとしよう」
「何言ってんの。あんたは受付嬢なのよ。ここに居なきゃ誰が依頼を捌くのよ。それにノーパンの後期高齢者をダンジョンに行かせるなんて、できるわけないでしょ」
「グゥ……で、ではレモネード、お前が行くのか?」
「はぁ? あたしがここに居なきゃ、あんた仕事を覚えられないでしょ? それにあたしは攻撃魔法とか武器とか使えないし、そもそも戦闘向きじゃないのよ」
レモネードは壁際にある紐を強く引っ張った。カランカランと鈴音が響き渡る。音源はとなりのフロアだ。すぐにスキンヘッドのピチピチのシャツの男が現れた。副マスターのパイクだ。
「パイクぅ、さっき来た真っ黒な服装の髑髏ちゃんが、1人でダンジョンにオーク狩りに出ちゃったよの」
「ふん、わかってると思うがギルドは知らぬ存ぜぬの立場だぜ」
「ええ知ってるわ。だからギルドは手を出さない」
「そうだ。わかってりゃいい。新米冒険者の無謀な挑戦なんて、いちいちフォローしてらんねぇ」
パイクはそう言うと、壁に掛けてあった片手斧を取る。そして徐に鎧を着けた。
「お出かけかしら?」
「ああ、急に休みを取る用事ができてな。ちょっとダンジョンまで行ってくる。ま、これはあくまで俺の個人的な用事だからな、わかってるだろうな?」
「もちろん。せいぜいお休みをエンジョイしてきてねぇ~」
急に真面目顔になるパイク。大振りの片手斧を肩に担ぎ上げると、鼻先をこする。彼が照れている時の癖だ。
「酒場の方、頼むな……。受付の方はエルフの嬢ちゃんでいいだろう」
「ええ、大丈夫よ。留守は任せて」
「んじゃ、しばらく出てくるぜ」
にっこりと笑うと、レモネードとパイクは阿吽の呼吸で話を進めて行った。2人とも新人が死ぬとわかっていて、放っておくことなどできない。
「なんじゃ、面倒なやり取りで事を進めておるのぉ」
「うるさいわねぇ、事情ってモノがあるのよ、いろいろと」
「それにしてもあの男、口も態度も悪いが、骨の髄までお人好しじゃな」
「”お人好しのパイク”これがあだ名ね。本人は否定するでしょうけど、腕っぷしだけじゃなくて、あの人情味あふれるところが、副マスターの理由ね」
「人間もいろいろなヤツがおって面白いのぉ」
それから昼過ぎまで、アルテは休みなく働いた。支払い処理がメインだったが、行列が出来るほどたくさんの冒険者がやってきた。午前中に来る連中は、大体がその日暮らしの初級冒険者か、小銭を稼ぎに来ている連中だ。支払いが終わると同時に、また小銭が稼げる小さな依頼を請けて行く。だから午前中は忙しくなるのだ。
「……ふぅ、もう午後3時じゃぞ。腹がへったのぉ」
ちょうど客足が途絶えた頃、控室から美味しそうな匂いが漂ってきた。レモネードが朝食兼昼食を取っている。腹が減ってフラフラなので、アルテも控室にちょっとだけ引っ込むことにした。
「あら、ちょうど今呼ぼうとしてたところよ。賄いは豪華にしていおいたから、お腹一杯食べておくといいわ。今日は夜も長そうだしね」
テーブルにはぎっちりと皿が並んでいた。肉料理に野菜料理、チーズにパン……アルテが魔王時代に食べていた食事に比べればそれでも見劣りするが、十分素晴らしいラインナップだった。
「これは、全部レモネードが作ったのか?」
「ええ、そうよ。私が酒場の裏方を手伝うこともあるから、このくらいの料理はできるわよ」
「す、凄いの!」
「アルテちゃん……じゃなかったわね。見た目に騙されるところだったわ、考えてみれば1800歳に”ちゃん付け”はないわよね。これからはもうアルテって呼び捨てにするわよ?」
「別にどうでも構わん。それより早く食べたいのじゃが」
「いいわよ。どうぞ召し上がれ」
腹ペコ元魔王は獣のような勢いで食べ始めた。
「あらぁ? ガッついてる割にはテーブルマナーがなってるわねぇ。もしかして”イイトコのお嬢様育ち”なのかしらぁ?」
「わからん。何しろ記憶喪失じゃからの。だが体が勝手に動くのじゃ」
「それにしてもよく食べるわねー。しかも早いし」
気が付けば、レモネードの用意したたっぷりの賄いのほとんどがアルテの細い体に収まっていた。
「痩せの大食いってやつかしらねぇ。ここまで綺麗に食べてくれると、作った方としては気分がいいわ」
「うむ、レモネード、お主の料理はなかなかじゃ。いつでも食してやるぞ」
「何言ってんの。明日はあんたが賄い作る番よ」
「我は料理なぞしたことがないぞ」
「……やっぱりお嬢様育ちなのかしらねぇ、このババア。お年寄りらしく昔懐かしいレシピとか期待してたんだけど……」
「それはどうかわからんが、薄っすらと記憶に残っておるのは、たくさんの使用人が全部我の面倒を看てくれていた光景じゃな」
「たくさんの使用人? それはもうお嬢様っていうか王国貴族の世界ね。街の富豪程度じゃまずないわ」
料理をたらふく食べてご満悦のアルテ。口の周りを拭くと、椅子から立ち上がって軽く背伸びをした。その拍子に首から下げていた金属プレートがカランと音を立てて床に落ちた。レモネードが気が付いて拾う。
「そういえばアルテの名前って、この街の名前と同じよね?」
「ん? 何の話じゃ」
「アルテリーナ・フォリア・スピネル。家族名が”スピネル”なんてこの街では聞いたことがないわ。相当珍しいわよ」
「まぁ、名前なぞどうでもよいじゃろ」
「どうでもよくないでしょ。記憶を取り戻す手掛かりになるかもしれないのに」
「取り戻したところで、悪い記憶かもしれぬぞ。今が良ければ我はそれでよい」
今のアルテにとって、正直過去の記憶はどうでもよかった。それよりも今の世界がどうなっているのか、人々が何を考え、どう生きているのかが知りたかった。生来の好奇心旺盛な部分が、魔王という肩書がなくなったことで、前面に出てきている。アルテが魔王になる前、つまりエルフとして暮らしていた頃の”素”の自分になっているのだ。が、やはり元とはいえ、魔王。フラッシュバックして時々よみがえる記憶は、凄惨なものばかりだ。
「さすが貫禄のノーパンエルフね。考え方が前向きすぎるわ。私だったら失くした記憶が気になって夜も眠れないもの」
「考え方とノーパンは関係ないじゃろ!」
「ウフフ、ホントあんたって見てて飽きないわねぇ」
レモネードと食後の会話を楽しんでいると、カウンターの方から野太い声が聞こえて来た。
「おい、受付嬢! いないのか!?」
「さてと……戻って仕事ね。あたしは食器とか片付して酒場の方に入っているから」
「うむ、何とか手順はわかってきたからの。すべて我に任せよ」
ニヤリと微笑むレモネード。いよいよ夢の長期休暇が取れるかもしれない。そんな淡い期待が膨らんで来た。さっさとアルテに仕事を全部引き継がねばと心に堅く誓った。
アルテがカウンターに出ると、重い鎧に身を固めた厳つい連中が立っていた。血の匂いが凄い。ギルドの受付ホール全体が血臭であっという間に満たされてしまう。魔物の血ではなかった。人の血だ。
「た、頼む! 回復、いや治癒魔法を今直ぐ!」
おそらくベテランであろう冒険者達だ。装備品は重く高価で実用的、武器も相当使い込まれた跡がある。何より仲間が四肢を失っていても、冷静に動ける精神力。くぐっている修羅場も相当な数に違いない。
「お、おい、受付嬢はレモネードさんじゃないのか!? 手足を失って出血が酷い。俺達の回復魔法程度じゃ、一時的な止血が限界だ。早く彼女の治癒魔法が欲しいんだ!」
「ふむ、手足を全部斬りおとされておるな。何があった?」
「そ、それよりも早くレモネードさんを!」
四肢を失ってぐったりしている剣士は、意識を失いそうになりながら、青白い顔をしている。周囲にたむろしていた冒険者たちも、凄惨な光景に声一つ上げることができない。何しろこのパーティーはギルドでも有名な上級者達だ。滅多な事では怪我もしない。実力は、城の騎士団員より上ではないかと噂されているほどなのだ。それが無残な姿を晒している。生きている方が不思議なくらいの重傷だ。誰もが閉口してしまう。
「レモネードは酒場の方で忙しい。どれ……代わりに我が治療しよう」
「あんた新人の受付嬢か? 治癒魔法が使えるのか?」
「アルテリーナじゃ。アルテと呼ぶがいい」
「そうか、じゃあアルテさん、早くコイツの命を救ってやってくれ!」
アルテは、左手をかざして傷の様子を素早く診断した。切断面に魔力は感じない。単純な物理攻撃で斬りおとされたものだ。
「ふむ、これならば心配なかろう……」
「し、心配ないって、これだけの大怪我だぞ。いい加減な事を言うなよ!」
「うるさいのぉ。黙って見ておれ」
右手を軽く振ると、アルテは魔力を込めて横たわる剣士の肩口に触れた。剣士の全身が青く淡い光に包まれる。溢れる光に、フロアにいた冒険者達全員が思わず目を瞑ってしまう。しばらくして目を開けると、そこには四肢が元通りになっている剣士がいた。
「お、俺の手が……足も……全部戻ってる。何だこれは、奇跡か?」
治された本人も、周囲に居た冒険者達も全員が目を見開いたまま呆然としている。そう、この時代の治癒魔法はせいぜい止血して、切断面を皮膚で覆うことくらいが限界である。それでもかなり優秀な治癒魔法使いでなければできない。
アルテの治癒魔法は、それこそ死んでいなければすべてを元通りに治す魔法だ。さらに高位の治癒魔法を使えば、生死にかかわらず肉体の一部さえあれば、生き返らせることもできる。魔力の消費量が桁違いに大きいので、魔王時代のアルテでもさすがに数回しか使ったことはないが。
「ふん、ただの治癒魔法じゃ、何を驚くことがある」
「え、あ、いや……治癒魔法って、止血だけじゃ……」
「止血だけじゃと? そんなもの治癒魔法に入らんな」
アルテの言葉に、フロアの全員が耳を傾けていた。
「ほれほれ、治ったのじゃからもうよいじゃろ。重装備でそこに突っ立ておったら、商売の邪魔じゃ。さっさとフロアの端にでも寄らぬか」
面倒くさそうにアルテが移動を促す。だが、フロアの全員が未だ奇跡の魔法に震えていた。
「す、すげぇ!」
「無くなった手足が元通りに、ありえねぇよ」
「何だよ、コレ……とんでもねぇよ! 奇跡の魔法だよ!」
「こんな事が起きるなんて……」
アルテは何事もなかったように、カウンターに座った。昼食後に魔力を使ったので、消化が悪くならないか気にしていた。大ぐらいのアルテにとって、食後の行動は大切なのだ。
「「「ウオォォォォォォォォォォォォォォォーーーーッ!!!」」」
のん気に構えるアルテとは対照的に、フロアの全員が大興奮していた。治癒した剣士も、涙を流して喜んでいた。
「ったく、うるさき人間達じゃのぉ」
「一体何の騒ぎぃ?」
大声を聞いてレモネードが酒場のフロアから戻って来た。アルテの魔法で治癒した剣士が素早く駆け寄ると、興奮気味に話しをまくしたてた。
「レモネードさん! 今度入った美人エルフの受付嬢さん、半端ないっすね!」
「何のことかしら?」
「治癒魔法っすよ、治癒魔法!」
「あのノーパンエルフ、治癒魔法が使えたのかしら?」
「ただの治癒魔法なんかじゃねぇっすよ。千切れてなくなった手足も一瞬で再生させちまうんですよ? とんでもない人ですねぇ」
「ふーん……なくなった手足を? そんなわけないでしょ。治癒魔法でもそこまではできないわよ。馬鹿なこと言わないで」
「いえいえ、本当なんですって。ほら、みてくださいよ。現に俺の手足、ちゃんと治ってるでしょ!」
「そうなの? あたしには事情がよくわからないんだけど……」
騒ぎになったフロア。受付に面倒くさそうに座るアルテ。レモネードがツカツカと近づくと、アルテの耳を引っ張り、無理やり控室に連れ出した。
「イタタタ、耳を引っ張るな、この小娘!」
「黙りなさい、ノーパンババァ! どうして治癒魔法が使えるって言わなかったの?」
「聞かれなかったからじゃ」
「はぁ~。まぁいいわ。治癒魔法使いはギルドに必要だからね。それにしてもどういう治癒なのかしら? さっきの剣士、うちのギルドでも実力派なんだけど、真面目で嘘を言うような子じゃないわ。彼がでたらめを言っているようには思えない」
「わっ、我は普通に治癒魔法を掛けてあやつの四肢を再生させただけじゃ。そ、それが、悪いか! 確かにギルドを騒がせたのは悪いと思っておる。迷惑をかけてすまぬと思っておる。だが、我が治癒魔法を使わなければあの男は1分と生きられなかったのじゃぞ! 仕方あるまい」
「四肢を再生……やっぱり」
レモネードはアルテの長い耳を放し、腕組をして考え始めた。アルテの治癒魔法は、常識では考えられない。簡単に四肢が生えてくるような魔法があったら、冒険者は誰も苦労しない。怪我を畏れて装備を増やし、防御の技を鍛錬し、生き延びる技を覚えるのだ。が、アルテの治癒魔法はそれらすべてを否定する。おとぎ話のような魔法だ。
「……1800年前ね。きっとノーパン、いえアルテの生きていた時代の治癒魔法は、それが普通だったのかもしれないわね」
「我の治癒魔法は元勇者から教わったものじゃ」
「え? そうなの?」
「そうじゃ。使い手は我と勇者、他にも何人かおったかのぉ」
「ゆ、勇者ですって……? ア、アルテ、あなたは一体何者なの?」
勇者といえば、おとぎ話や伝説に登場する最強の英雄だ。ちょうど1400年前に魔王と相打ちになった史上最強の戦士とされている。その力は凄まじく、剣と魔法を極め、魔物を尽く打ち滅ぼしていったという。その勇者が使った魔法が殲滅魔法、あるいは神域魔法と呼ばれる奇跡のような魔法だ。
伝説にしばしば登場するのが、欠損した肉体を瞬時に再生させる治癒の術である。が、これはあくまでも伝説。街のアカデミーは、勇者を英雄視するあまり、普通の治癒魔法に”尾ひれ”がついて後世に伝わっただけ、という公式見解を出している。
しかし、それを真っ向から否定する人物が目の前にいる。世紀の大発見どころの話ではない。世の中がひっくり返る話だ。
「我は記憶喪失だからよくわからんと言っておるだろうが。レモネードも頭が悪いのぉ」
「ま、まぁとりあえずいいわ。治癒魔法が使えるならあたしは大歓迎よ」
必死で焦りを取り繕うレモネード。同じ治癒魔法を使うからこそ、アルテの魔法の凄さが身に染みてわかる。が、これを表沙汰にしたら大変な騒ぎになる。といって隠し続けるのは、もう難しい。レモネードは腹を括った。逆にアルテを奇跡の受付嬢としてプロデュースすることを。
「アルテ、今日からあんたは受付嬢補佐じゃないわ。受付嬢ナンバー2よ!」
あくまでもナンバー1の座は譲らないレモネードである。その辺はいかなる時も女のプライドが許さない。
「任せておけ。我はしっかり務めてみせるぞ」
「じゃあ、今日からじゃんじゃん治癒魔法を使っていきましょ」
「我はそれでも構わんが、ギルド的には大丈夫なのか?」
「うっ……鋭いわね、さすがは年の功。正直あまり目立ちすぎるのもよくないわ。野次馬が増えて困るもの。それにアカデミーの奴らが嗅ぎつけたら大事になっちゃうわ」
「アカデミー?」
「そうよ、スピネルの街には本部があるから、その権威はかなりのものよ」
この時代には”アカデミー”なる組織が全土にある。単に研究をして情報を集めるための学術組織ではない。攻撃魔法や新兵器を研究開発する秘密の機関でもある。もちろん、表向きは学究活動をする平和的な組織として普通に街に居を構えている。
しかし、各国の王族や大貴族がパトロンになっているので、実質は国の一機関のようなものだ。組織は強大な権威と政治的な発言力を持っているというわけだ。彼らが技術提供している国は栄えるが、提供されない国は戦いに敗れ、寂れて行く一方。知識と技術を武器にして、国を陰から支配する知能集団が”アカデミー”なのである。
「……治癒魔法は使わぬ方がよいか?」
「重傷患者の時だけ使いましょう。使う時は必ず控室でこっそりと。で、治療した冒険者には必ず口止めすること。いいわね?」
「承知したぞ」
アルテは腕組をして大きく頷くと、安易に治癒魔法を使い過ぎないよう、自分自身にしっかり言い聞かせた。