第74話 家族の覚悟
部屋に戻ろうと、リビングのドアノブに手をかける。
ガラス越しに見える見知った後ろ姿と、ドタドタと走り去っていく足音。
「由比!」
「すみません! 盗み聞きするつもりはなかったんです」
なぜ逃げるのか分からず、俺が慌てて呼び止めると、由比は叱られた子犬のように肩を震わせた。
「いや、別に謝ることはないよ。隠すようなことを話していた訳じゃないし。でも、リビングに用事があったんでしょ? 何で入ってこなかったの?」
七里に苛立ちをぶつけてしまった先ほどの二の舞にならないよう、努めて優しい口調を心がけて問う。
「入れなかったんです」
「どうして?」
「だって、お姉ちゃんと兄さんが、あまりにも『家族』だったから」
由比が寂しげに呟く。
「他人ごとみたいに言うなよ。由比はもう俺たちの家族だろう」
「そう言って貰えて嬉しいです。でも、兄さんは今も私に気を遣っています。お姉ちゃんにしたみたいに、ストレートに気持ちをぶつけてはくれません」
「それは、本当にたまたまだよ。偶然リビングに七里がいて、話をして落ち着いたから、今は普通に話せてる。それだけだ」
もし、リビングに由比がいても、同様に俺は話しかけていただろう。もっとも、それで七里のように俺の迷いがふっきれるような会話の展開になったかはわからないけど。
「そうかもしれません……。でも、私には、七里ちゃんのように、兄さんが今回の依頼についてどちらの答えを出したのか、わかりませんでした」
由比は自嘲するように笑った。
「……結論は七里も知らないよ。だって、話してないんだから。俺がどちらか一つの答えに行きついたことには気が付いていたみたいだけど」
「いいえ、お姉ちゃんは気づいてますよ。私は、家族と歴史は浅いけれど、お姉ちゃんとの友達としての付き合いはそれなりだからわかるんです。兄さんと以心伝心な七里ちゃんが羨ましいです。私は七里ちゃんと比べればただの『偽物』の義妹ですから」
由比が確信に満ちた口調で断言した。
本当に七里は俺の答えまでわかっていたのだろうか。まあ、それはどうでもいい。今、重要なのは、由比がそう思い込んでいるということだ。
「……じゃあ、由比にも今から俺の出した結論と、その理由を今すぐに教える。そしたら、『家族』として心を開いてることになるかな」
由比の不信がどうやったら解消するのか、俺にはわからなかった。せいぜい思いつく手段はといえば、今、心に秘めてる思いを正直に白状するということくらいだ。
「や、やめてください。私は兄さんの答えを聞き出したかった訳じゃないんです。……ごめんなさい、私、矛盾してますね。答えが分からないなんて催促するようなことを言っておいて、今更、聞きたくないなんておかしいですよね」
由比が目をきつく瞑り首を振る。
「何かあった? 例えば、ご両親のこととか」
「――兄さんは何でもお見通しですね」
小声で呟き、儚げに微笑む。
大したことじゃない。
単純な消去法だ。
さきほどまではわりかし冷静だった由比が、今になって不安定になる理由なんてそう多くないのだから。
「聞かせてくれる? これでも、一応、俺は由比の兄だからさ」
由比の気分を少しでも軽くできるように、わざと陽気な調子で言った。
「はい。……あの無神経な女が連絡しろって言うから。久しぶりにあの糞共にメッセージを送ってやったんです。どうせ、いつもみたいに何の音沙汰もなしだと思ってました。だって、そうでしょう? 私が兄さんの家に転がり込んで、数か月経っても、何にも言ってこないようなな人たちですから」
由比は瞳に憎悪の炎をみなぎらせて、震える声で語り始める。
「……何かひどいことを言われたの?」
「それならまだマシでした。メッセージは――私に来たメッセージは――」
由比から親とのやりとりを記したメッセージが送られてくる。
由比が送ったメールは、近々、命を失うかもしれないという、見方によっては自殺を仄めかしているようにも読めるもの。
それに対して、由比の両親から送信されてきた言葉は――、語尾をちょっと変えただけで、全く同じ文面の、自殺を諌める言葉だった。
「笑っちゃうでしょう? 『自殺 止める』で検索して最初に出てくるサイトの丸々コピペなんですよこれ。ちょっと調べればバレるって分かってるはずなのに、二人とも何も考えずにこんなのを送ってくるんです。何でだかわかります? いざっていう時、自分たちは娘の自殺を止めたんだっていうアリバイを作るためなんですよ」
由比が笑いながら涙を流す。
「あの人たちの私に対する感情は『無』なんです。憎しみも愛情もなく、ただただ、あの人たちの生活に干渉しないでいて欲しい存在なんです。もし、私が死んだらあの人たちは喜びます。しれっとお金だけはかけた葬式をして、泣きながら心の中で喜ぶんんです――こんな私は、私は――」
「いるから。ずっと側にいるから。由比の望むだけ」
俺はやっとのことでそう言葉を絞り出して、彼女をただきつく抱きしめた。
由比の両親が本当に何を考えているかは、俺には分からない。もしかしたら、本当に由比の身を心配しているのかもしれない。でも、例え由比の両親が彼女を心配していたのだとしても、その人たちが現実に由比に与えているのは傷だ。
例え一面的な情報だとしても、俺は由比の方を信じる。家族らしいことは俺にはそれしかできない。
「兄さん……」
由比が俺をきつく抱きしめ返してきた。
彼女の嗚咽が泊まるまで、俺はただ由比の心音を身体で感じていた。
「兄さん……私、決めました。今回の依頼について。聞いてくれますか?」
やがて落ち着きを取り戻した由比がそっと俺から離れ、意を決したように呟く。
「うん。もちろん」
「ありがとうございます。――私の決断は……、兄さんの意見に従うということです。例え兄さんがどちらを選んだとしても、全力で兄さんをサポートします。もし、引き受けるなら、兄さんと一緒に作戦に命をかけます。もし断るなら、優しい兄さんはきっとあの子を見捨てたという罪悪感で苦しむでしょう。私は常に兄さんの側にいて、その苦しみを分かち合います。お姉ちゃんみたいに兄さんの全てが分かる訳じゃないけれど、これが、私の兄さんの『家族』としての覚悟です」
由比の告白に、俺は目を見開いた。
なるほど。そういう覚悟の仕方もあるのか。
「そうか。ありがとう」
心から、俺はそうお礼を言う。
「やっぱり……重いですか? 日和見みたいで卑怯だと思われませんか?」
由比ちゃんが不安そうに上目遣いでこちらを見る。
「そんなことはないよ。それも、立派な決断だと思う。由比は、俺のことを七里のようには分からないと言ったけれど、そんなことはない。十分に俺のことを理解して支えになってくれてるよ」
「お世辞はやめてください」
由比はそう言って首を振り、俯く。
「お世辞じゃないよ。由比は、いつも俺の言いにくいことを察して、わざと損な役回りを引き受けてくれてるよね。今日だって、由比が礫ちゃんにした質問は、本当はギルドリーダーの俺が引き受けなければいけなかったのに」
「気づいて……くださっていたんですね」
由比がはっと顔を上げ、女神のように顔を輝かせた。
「うん。だから、卑怯だっていうなら、むしろ、俺の方だよ。ごめんね」
俺は頭を下げた。
由比が質問したようなことは、もちろん、俺もいずれ礫ちゃんに問いかけるつもりでいた。
でも、悲惨な境遇にある礫ちゃんを見ると、つい言葉が出てこなくなってしまう。
ギルドリーダーなら、ああいう場面ではもっと非情にならなくちゃいけないのに。
「謝らないでください。私が勝手に先読みしてやったことですから。いいんです。私は嫌われても、薄情な女だと思われても。兄さんさえキラキラ輝いていてくれたら、私はそれで幸せなんです。しかも、それが兄さんにお役に立ったと思って頂けているのなら、こんなに嬉しいことはないんですから」
由比が俺の手をとって、そっとその頬にあてる。
人肌のぬくもりが、手の甲からじんわりと伝わってきた。
「……ありがとう。じゃあ、そろそろ俺は着替えて出かけるよ。石上に事情を説明しなきゃ。由比たちは先に寝てて」
「はい。風邪をひかないよう、温かくしてでかけてくださいね」
由比はふんわりと笑うと静かに俺の手を離し、リビングへと入っていく。
俺は、手に由比の温かさの余韻を感じながら、自室へと続く階段を一歩一歩登っていった。




