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タルパ  作者: 真谷真
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「なーんか、ハードっぽい話だったねぇ」

「お前、つまらなさそうな顔して途中でどっか行っちまってただろ」

「だってさ、正直興味なんてないんだもん。誰が死のうが、それがよく知らない人なら関係なくない? 真くんだってそう思ってそうじゃない。態度に示してやればよかったのよ」

「それはちょっと冷たすぎるだろ」

「どうしてよ? みんなそうじゃない。目の前で死なれたらともかくさ。みんな良い子ぶってるだけで、自分に関係ないと感じられることについては興味なんてないのよ」

「それは真実かもしれんが、そういう見方で楽しいか?」

「じゃあ、悲しんでるふり、同情してるふりをするのが楽しいの? それってずるくない?」

「知らんがな」

「うんうん、それでいい。知ってしまえば、つまらないものってたくさんあると思うのね。それをあえて知ろうとするのは、愚か者のすることよ」

「お前、今日はちょっと哲学者みたいだな」

「見直した?」

「お前、今日もちょっと中ニ病みたいだな」

「変な風に言い直した?! しかも、“今日も”って何よ」

「事実だ、問題ない。だいたい、つまらん話題だからっていちいち態度に出してたら人間関係上手くいかないよ、当たり前のことだろ」

「へいへい、私はどうせ中ニ病とかいうやつですよ……っと」

 サトルの足音が聞こえてくる。

 楓とテレパシーで会話出来たら便利かもしれない、と一瞬思ったがそれはそれで不気味なので遠慮しておこう。

 仕事に関しては、週五一日八時間、最初は店番をしておくだけでよいそうだ。助かった、サトルが気を利かせてくれたのだろう。来週から配達もちょくちょく挟むそうだが、さすがにその頃には体力もだいぶ戻る筈だ。

「じゃあ、今日はこれで」

「はい、明日からよろしくお願いしますね」

 店のドアをくぐり、商店街から少しだけ外れた牛丼屋へ入る。最近のチェーン店同士での価格競争で、消費者にとってはちょっと高いカップ麺より安いという素敵な値段となっている。

「お前ね、食費はタダとか言ってなかったっけ?」

「ちょこっとくれるだけでいいからさ、ねぇねぇ」

 女の子に甘えられるとどうしても弱くなってしまう。たぶん楓はそれがわかって利用しているのだろう……。

「じゃあ、僕の半分食べていいから……」

 結局、牛丼の半分は味がしなかった……。

「……ぬぅ、不可解な食べ物と化してしまった」

「……真くんなんか不機嫌? 意外と器小さくない?」

「そうですね、小さいですね、貧乏は敵ですね」

「あの……、ごめんね。楽しくって、ちょっと調子乗っちゃったかも」

 そういわれると、何とも言えないというか、残り半分も食べさせてやりたい気持ちになる。そもそも、別に腹が立っていたわけではない。

「いや、違うんだよ、ちょっと嬉しかったから」

「嬉しい? 何が?」

「ここ数日、本当に悪くないってことだよ」

 一緒にいて、楽しいということ。直接それを口にするのは恥ずかしかったから、僕はそんな言い方をした。それでも楓は、顔をリンゴ飴みたいに赤らめていた。

 結局、僕が今まで億劫に考えていた日常は、一人でいたことが原因なのかもしれない。そりゃ今の状態だって慣れてしまえばいつか退屈に変わるのだろうけど、そんな贅沢、今の僕にはとても想像できない。

 こんなのも悪くない、そう、悪くない――。

 翌日の目覚めは爽快といってよかった。

 楓はどこかへ出かけているようだったし、日差しが弱くて夏にしては気温も落ち着いていた。

 朝食も、ちゃんと味がした……。

「今日からよろしくお願いします」

「先輩、俺に対して敬語とか別にいいっすよ」

「そうはいかないよ、これはけじめだ」

 最初は敬語をやめるよう言ってきたサトルも、僕が態度を変えないでいると諦めたようで、特に指摘はされなくなった。ただし、店の外では普通に話すように念を押されたが……。

 根っからの後輩気質なのかもしれないな、あいつは。

 楓も、どこで調達してきたのかエプロンを巻いていた。

 よくよく考えると、彼女は物に触れないのだから、服など着れない筈だ。

 つまり、楓の服は彼女の一部ということなのだろう。なにそれこわい。

「私も頑張るわよー」

「いや、それ無理だろ……どうやって頑張るっていうんだよ」

「うーん、メンタル面で手伝う!」

 つまり、適当にだべりたいってことね。バイト初日からそういう態度よくないからね。そりゃ、サトルは今配達に行ってるから、めちゃくちゃ気張ってる必要はないんだけど。

 いろんな種類のバイトをしてきたので、レジ業務や客への対応などはそつなくこなせた。来週から入る配達の仕事も、この調子だと問題なさそうだ。

「真くん、何だか楽しそうだね」

「とりあえず肩の荷が下りたからな」

「そうだね、この先どうするかとかどうでもいいよね」

「お前ね……、欝なこと言うのやめれ。フリーターに対して禁句だからそれ」

「冗談だってば、まいける『それもう飽きたから』」

「ひどっ!」

 いや、駄洒落とかダメだろ、ダメすぎだろ。黒服の男と命の十字路で会っちゃう系か? 

 それきり会話は続かなかった。人には丁度良い距離感というものがある。僕はもちろん、楓もそれを決して侵そうとはしなかった。ゆえに、会話がないからといって気まずくなどない。出会ったのはつい最近と言っていいのに、ここまでかみ合うのは正直不思議だったが。

 昼頃になり、いよいよセミがうるさくなってきた頃、サトルが配達から戻ってきた。

「先輩、ちょっと出ませんか? 昼飯おごりますよ」

「いや、悪いって……」

「いいからいいから」

 無下に断るのも悪いので、腰を上げる。

「やっぱこのハゲ、真くん狙ってるよね。お尻隠した方がいいんじゃないの?」

「安心しろ、それだけはない」

「ん? どうかしましたか?」

「いや、なんでもないなんでも」

「先輩ってどちらかと言うと無口だと思ってたんですけど、結構独り言は言うんですね」

「あ……、あはは……そうかもねー」

 愛想笑いでなんとかごまかす。幽霊と会話してるなんて言っても、精神科の受診を勧められるのが関の山だし。

「何食います? 何でもいいっすよ」

「ええと……、僕も特に希望はないかな」

「ふーむ、じゃあ行きつけの店でいいっすかね?」

「うん、そこにしようよ」

 サトルに連れられて入ったのは、量がウリの定食屋だった。

 茶碗ではなくドンブリいっぱいに白飯が運ばれてきて、同じようなドンブリで豚汁が満たされている。さらには、トンカツが十枚近く。

 力仕事だとこれくらい食べなければやってられないのだろう。白米のおかわりは自由らしく、サトルは合計ドンブリ3杯も食べていた。

「ハゲの豚汁飲んじゃった」

 楓がしてやったりという顔で親指を立てていた。

「お前、飲むなら僕のにしろよ!?」

「先輩、何言ってるんですか?」

「いや……その、なんでもないですはい」

 これは非常にまずいんじゃないんだろうか……。気が気でない僕をよそにサトルは豪快に白飯を豚汁と共にかきこんだ。

「……? 先輩、俺の顔になんかついてます?」

「いやさ……、味とか、変じゃなかった?」

「え? 別に普通でしたけど……、何か入ってたんですか?」

「いや、それならいいんだけど、はは……、あの、ちょっと飲ませてくれる?」

 ……、やはり味がしない。

 楓が僕をおちょくったわけではないようだ。と、すると、彼女が食べたと称するものの味を感じられないのは、僕だけなのか。“回線が繋がっている”から。

 回線ってなんだよ、どんだけ電波なんだよ……とも言えなくなってるのかもしれない。 まぁ、とりあえず迷惑をかけなくてよかった。

 僕は、楓の言う“回線”について考えてみる。僕だけが楓を認識できるということ。いくら楓の存在を認識できなくても、食べ物の味がなくなっていれば気づくだろう。

 違和感、そう、この不安の正体は違和感だ。

 まだこれを放置するのか、気づかないふりをしていて良いのか。

 ――やめよう。考えてどうにかなることでもないのだから。

 楓がもし僕の前から去ったらと考えると、それだけで辛い。

 貧弱な男だと、自分でも思う。何たる女々しさだと、なじりたくなる。

 だけど、少なからずそういうものなのだ。誰もが口には出せない弱さを抱えている。僕が怖いのは、ふと自分の意識がついえてしまうこと、つまり物理的な意味での死などでなくて、苦しんだ末精神的に死んでいくことなのだから。

 店を出て、歩く度に胃の中で豚汁が動いているのがわかる。正直言って、あの量は僕にとっては殺人的だった。

「先輩、ちょっと一緒に来てもらっていいですか?」

「うん? 買出しかなんかか?」

「いや、そういうわけじゃないんですけどね……また姉貴のことなんで、嫌なら無視してもらって全然いいんで……」

 サトルはそこで言葉を切り、おもむろに花屋へ入っていった。

「すいません、これください」

「あ、二宮の……。いつもありがとうございます」

「ユリの花?」

「はい、姉貴が好きだったもんで……。ユリと由香利って音がちょっと似てるっていうだけの馬鹿みたいな理由なんですけどね」

 それから少し、歩く。

 手向けの花を供えにいくのだろう。この辺に墓地はない筈だから、もしかしたら由香利さんは事故で亡くなったのかもしれない。

 あたりを生ぬるい風が吹き抜けていく。

 せっかく梅雨を抜けたというのに、八月を過ぎると、また雨が降る……。

 沈んだ日々をようやく過ぎたのに、こうして唐突に悲しい気分になるサトルの心は、それに似ているのかもしれなかった。

「姉貴の奴、自殺なんですわ……、親父たちと喧嘩して飛び出したと思ったら、ビルから飛び降りやがって……。まぁ、そこのビルなんですけどね」

 彼が指差す先には、何の変哲もない百貨店ビルが建っている。

 そこの入り口では笑顔の人々が普通に行き交いしており、過去にそこが自殺現場になったことなどにわかに信じられないほど、明るい雰囲気に包まれていた。

「で、まぁ気が向いたら花を供えるようにしてるんですわ」

 花が新しい。一昨日会った時にどこか忙しそうにしていた彼は、きっとあれから花を供えに行ったのだろう。

 サトルは、ゆっくりとしゃがみこむ。

「……ほら姉貴、先輩が来てくれたよ」

 僕は、どうしていいのかわからなかったけど、とりあえずサトルと同じようにしゃがみ、黙祷を捧げた。

「馬鹿なことするのね……、もうそこには誰もいないのに」

 楓の声が、直接脳裏に響く感じで聞こえてくる。

 僕は、そこで初めて楓に腹が立った……というよりも悲しくなった。

「先輩、辛気臭いことにつき合わせて申し訳ないっす。今日の時給弾むんで勘弁してください」

「いや、いいってそんなの、気を遣われたらこっちも困るよ……、それよりさ、由香利さんって僕の話を家でよくしてたの?」

「いいえ、先輩の話題が出ることはそれほど多くありませんでした……、そもそもウチは家族でそこまでしゃべるわけでもないんで。まぁ、先輩の名前を覚える程度には聞かされていたっていう程度ですわ」

「じゃあ、どうして僕に彼女が好意を抱いていたと?」

「……最近、やっと家族でも気持ちの整理がついてきましてね。あの夜からそのままだった姉貴の部屋を掃除してたんですわ……。そしたら、日記みたいなのが出てきて」

「日記……」

「はい。一応個人的な日記のことなんで詳しくは話せませんけど、そこで由香利は先輩のことを高校になってからもずっと好きだったんだなってことがわかったんです」

「そうだったのか……」

「俺たち家族はあいつの望むものをけなしてばかりで、何も与えてやれなかった。それが後悔でならなかったんです。そこでせめて、先輩に花でも供えてもらえたらって」

「うん、そういうことなら喜んで。ていうか、ここくる前に言ってもらえればよかったのに」

「断られたら、ここに来てくれないんじゃないかなって」

「そういうことを迷惑って思う人は問題があるよ、うん」

 僕は楓を少し睨みながらそう言う。

 サトルは僕に、何度も頭を下げていた。その姿は、花開いた向日葵がやがて頭を垂れていくような、そんな感じがした。

 バイトが終わり、僕は楓の気楽に話しかけてくる声を無視しながら、勢い良く自宅の玄関のドアを閉める。


「お前な……、ああいうことを馬鹿なことって、そりゃないだろうよ」

「でも、実際彼女はあそこにはいないじゃない」

「そうさ、確かにもうどこにもいないんだろうよ。でもさ、なんでそういう他人を思いやれない発言をするわけ? 昨日もそうだったけど、人間ってそんな単純じゃないんだよ」

「でも、真くんも一度は思ったことがあるんじゃないの?」

「ガキの頃はたまにそう思うこともあったけどな、今はちげえよ。それに、そういうこと言う空気じゃなかっただろ。とにかく、そういうことは二度と口にするな馬鹿!」

 思わず大きな声を出してしまう。

 楓は涙目になり、俯いたきり黙った。

 楓の外見くらいの年齢だと、どうしても生意気なこと、人と違ったことを言いたくなるのだろう。だけど、時にそれが人を傷つけることになることを、僕はどうしても知っておいて欲しかった。

 人は、何気ないささいな一言でもいつまでも忘れられないくらい傷つくことだってあるのだから。

「ごめんなさい……」

「僕に謝らなくていいから……、今度サトルに会った時にちゃんと謝りな、たとえあいつに聞こえなくても、それは意味があることだと思うよ」

「……うん、わかった。……あの、その、ごめん」

「ちゃんと反省したか?」

「うん、した」

「うーし、それじゃ遊びに行くか」

「……え?」

「いや、叱るなんてガラじゃねーんだ、わかるだろ?」

「で……、でも」

「いいから、ほれ」

「あんっ、お尻叩かないでよ……もう」

 辺りは既に暗かったが、僕は気にせず歩き出す。

 電線で狭く区画された夜空が、僕たちの上に輝いていた。

 楓は自分のことを幽霊だと言う。そうだとするなら、きっと死人がどこへ向かうのか知っているのだろう。だから、あのビルの下にはもう由香利さんの魂がないことを、僕たちなんかより遥かに理解していたのだ。

 死者への手向けは、生者が自らを慰める為にするものだということ。

 本当のところ、みんなそれがわかっているのかもしれない。極論すると、楓は正しいことを言っていただけなのだろう。それを口にしてよかったのかどうかは別として。

「さて……、どこ行きたい? 明日もバイトだから、あんま遠いとこはなしな」

「うーん、じゃあ普通においしいものでも食べようよ」

「お前甘いものが結構好きだったよな、まだ開いてるかわかんないけど、不仁屋でもいくか」

「うわぁ、なんかすっごい優しい……アメとムチってやつ?」

「まぁ、そんなところだ」

 不仁屋は、商店街を抜けて少しのところにある。

 閉店後のシャッターだらけの寂しい場所には、いろんな若者がたむろっていた。

 ただ群れたいだけの者、一人でも夢を追う者、逃げてきた者。

 そんな雑踏の中に彼女は今日も座っている。

 いつもの場所で、同じ歌を唄っている。

 美しい旋律は、本当に六本だけの弦で紡がれているのか疑いたくなるレベルだ。

 静まった夜だから、バラードでもよく聞こえる。

 思わず、立ち止まってしまうほど引き付けられた。

 昼間では周りの音に邪魔されて、これほど良い曲だとは感じなかった。

 彼女も僕が目の前で立ち止まったのが少し気分が良いようで、声の張りも強まった。

「すごくよかったですよ」

「ありがとうございます」

「その曲、自分で作ったんですか?」

「そうですよ、結構気に入ってるんです……まだ完成はしてないんですけどね」

「いつもやってますもんね」

「あ……、聞こえてました? 私、声が小さいから、昼間だとわからないものかと」

「もしかして、僕が見てたこと覚えてます?」

「そりゃ、目の前であれだけ騒がれたら、すぐには忘れませんよ」

 彼女はそう言っておかしげに笑った。

 そういえば、この人の前で楓と騒いだんだったな……、恥ずかしい。

 ってことは、どう考えても変な人と思われてるよな……。

「あの時はすいませんでした、演奏やめさせちゃったみたいだし……」

「いやいや、全然いいんですよ。私、結構長くやってるんですけど、ちゃんと立ち止まって聴いてくれたのってあなただけですし。それより、私こうやって話かけられたのも初めてで……、なんか緊張しちゃいます、どこかおかしいとこないですか?」

 特に音楽に関心のない僕でも立ち止まったくらいなのだから、他に同じような人がいても何らおかしくはないと思うんだけどなぁ……。

「いや、全然大丈夫ですよ。何年くらいストリートで演奏されてるんですか?」

「ええっと、今年で五年目だと思います」

 僕もよく商店街には顔を出す方だが、彼女を見かけたことはなかった気がした。だけど、その顔には確かに見覚えがある。

「そうなんですか、さっきやってた曲は最近作ったんですか?」

「いえ、一応あれが一番新しい曲ではあるんですが、それも五年前のものですね。最近は作ろうと思っても、全く思いつかないんですよね……」

 ただがむしゃらにやればよいというものではないので、音楽作りというのは大変なのだろう。その時の気分とかの影響も当然大きそうだし。それにしても五年ってスランプ長すぎねーか? いや、本当の芸術肌の人間っていうのは、もしかするとそういうものなのかもしれない。

「ねぇ……、ケーキ食べたいな……」

 別に、楓のことを忘れていたわけじゃない。ただ、少し遠くに見える不仁屋の明かりはここに着いた時には既に消えていた。

 このままではかわいそうだから、帰りにファミレスでも寄ろうと思う。

「すみません、話が途中なんですが用事を思い出したのでこれで失礼しますね」

「あ、こちらこそすみません。いつもだいたいこの辺にいるので、よかったらまた話しかけてくださいね」

 そう言って彼女はにっこり笑う。やばい、かわいい。

 この子なら、ビジュアルがプロへの後押しに一役も二役も買うんじゃなかろうか。

「……人のことほったらかしにしといて、他の女にデレデレしないでよ」

 うん、そう言われても仕方ないですよね、すいません。でもかわいさは正義なんです。わざと放置プレイして遊んでたとかではなく。ほんとです。決して。

「いや、あれ見てみろよ。残念だけどここに来た時にはもうシャッター閉まってたんだよ」

「そんなのわかってる!」

「ふむ……。じゃあ帰るか」

「え……、う、うん。仕方ないよね」

 “そりゃないですよ、ていうか死ねばいいですよ”的な突っ込みをしてくるかと思ったんだが、やはり叱られたのを引きずっているのか、楓はいつもよりしおらしい。

 多分、内面では凄く残念がったり不満を言いたいのだろうが、それを態度に出せないのだ。

 正直、僕としてはそういうのも嫌いじゃないのだが、楓の場合は別。さっき、彼女をしゅんとさせてしまった時も感じたのだが、僕はどうやら彼女には常に笑っていて欲しいらしい。それはどういう気持ちから来るのか、実はよくわからない。好きとかいうのとは、少し違う気がしたから。

「嘘だってば。ファミレスなら開いてるし、そこでケーキなりパフェなり食わせてやるよ」

 まぁ、物理的に食べるのは僕なんだけど。味がないパフェって嫌だな欝だな。

「パフェ!? 食べる食べる!」

 いかん、パフェ食う気満々だ。……まぁいいか、楓の笑顔プライスレス。バイトもちゃんと決まったし、これくらいなら安いもんだな。


「で、どれ食うの?」

 ファミレスに近づくにつれて、楓のテンションも上がってきた。

 すぐに機嫌が直るこの性格は幼さから来るものなのだろうが、単純にかわいいと思う。僕の年齢くらいになると、いつまでもしつこかったり、過去の話を突然持ち出して怒り出す女性が多いという。といっても、それはネットで仕入れた知識なので当たってるかどうか知らないけど。

 周りから見ると、僕が一人で座っているようにしか見えないだろうから、楓は僕に合わせて僕の隣りに座っている。

 ていうか無防備にメニューを覗き込んでくるので、少し目線を下に落とすとワンピースの中が見える。そこには、ツンとした最高級さくらんぼが――。

「ぶっー、げほっ、がほっ」

 次の瞬間、僕は盛大に口に含んだ水を吹きだしていた。

 ノーブラとは予想外すぎた。いや、見た目年齢的にはそういう子もいるレベルなのか……!?

「ちょっとやだ、きったな!」

 メニューが水浸しになっている。いや、正確には僕の吐き出した水でびしょびしょになっている。ウェイトレスの視線が痛い。後でこっそり変なあだ名とかつけられてるよ絶対。

「いや、すまんすまん、つい大晦日に見た特番を思い出してしまった」

「吹きだしてはいけないとかいうやつ?」

「まぁそんなとこだ、ってか何でお前知ってるの?」

「私は、真くんが知ってることならだいたい知ってるよ」

「真面目に意味がわからん。お前はこないだ生まれたばっかって言ってたじゃないか」

「なんていうか、真くんの知識的なことがだいたい伝わってくるのよね。まぁこれも回線が繋がってるって証拠よ」

 いや、怖いんですけど……。ていうと、さっきの僕のハレンチ行為(たぶん死語)もバレてるってことか? それはまずい、すっげーまずい。

「許してくださいわざとじゃないんです!」

「はい? 何言ってるの?」

 ん……、どういうこと? これはそもそも怒ってないってことなのか、それとも知ってて僕をねちねちといたぶろうとしているのか、はたまた見られたことに気付いてないってことか。

「僕の考えてることがわかるんじゃないの? エスパー的な意味で」

「いや、そんなのわかんないわよ。私には私の思考ってのがちゃんとあるんだし、そこに別人の思考が流れ込んでくるとか普通に発狂するわよ。さっき言ったのは、あくまで真くんの知識ってこと。例えば、数学の公式とか、地理的なこととか、難しい言葉の意味とか」

 “おっぱいの形とか?”と聞く地雷を踏み抜く勇気は、僕にはなかった。

「つまり、どゆこと?」

「私に知られちゃ困るようなことは私には伝わらないってこと。具体的には、感情を伴うようなこと全部。本を読めば誰でも手に入るような知識しか、真くんからは流れてこないよ」

「あっ、そうなの……」

「ところでさっきの、“許してくださいわざとじゃないんです”ってあれどういうこと?」

「何でもない! 何でもないんだ! ほら、何でも好きなもん食っていいぞ」

 僕はテンション高めに呼び出しボタンを押す。

「……ご注文どうぞ」

 ひきつった笑顔でウェイトレスが寄って来る。

 嫌なデジャブだ。むしろ徐々に白い目で見られることに慣れてきてる自分が怖い。まこと恐ろしい子!

「んーっとね、これとこれとこれとこれと」

 楓がメニューを次々と指差していく。

「あの……マジで? 多くね?」

「なーんでも食べていいんだよね?」

「胃と財布が破壊されてしまう」

「お客様……、どうかなさいましたか?」

 あ、マジで引かれてる。いや、無理もないけど。

 僕は半ばやけになって、楓の言う通り注文していった。


「お会計四千八百円になります」

「ほぁい」

 口を開けることすら苦しくて変な声になった。恥ずかしい。とにかく胃のものが逆流しないように、デリケートな歩幅を保ちつつ店を後にする。

 楓があんな無茶言ったのは、絶対見られたのわかってたからだよね。ワンピースのリボンきつめに結びなおしてたし。

「ねぇ、さっきの八番席の客、マジウケたんだけど」

「あぁー、あいつね。 メニュー見てたと思ったら急に水吹き出すし、やたら独り言多いし。オーダーとりにいったら、スイーツばっかどんだけ頼むのよって感じだし」

「格好いいのに勿体ないよねー」

「マジマジ。外見だけならマジイケてるのに……。まぁ、さすがに挙動不審すぎてキモいけど」

「そだねー、マジキモい」

「『噴水男』って感じ?」

「きゃは、それウケるんだけど。何か本になったりしちゃう系?」

「でもそういうのって、何か掲示板に書き込まないとダメな系じゃない?」

「私は、別に構わないかな。あの人なら」

「サッチーマジ面食いすぎ。ぶっちゃけ顔だけとかありえないっしょ」

 ――とあるファミレスの閉店後に、こんな会話が繰り広げられていることは彼女達しか知らない。

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