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タルパ  作者: 真谷真
2/10

少女の名前

0.


 いつの間に眠ってしまったのだろう。目覚めると既に彼女の姿はなかった。僕は、昨夜のうちにまとめておいた荷物を手に病室を後にする。昨夜はあんなことを言っていたけれど。それが本気の言葉である筈がない。夜明け前の雰囲気にお互い少しロマンチックな気分になってしまっただけ。正直、思い返すと身悶えするほど恥ずかしいけど、それを言うなら相手は僕の比じゃないと思う。

 あの女の子はここの患者に違いなく、夜中目が覚めてなんとなく徘徊しているうちに僕の病室に行き着いたのだろう。言ってることもよくわからなかったし、総論するに、いわゆる電波さんとかいうやつなのかもしれない。

 だけど、彼女の言葉に落ち込んだ気分が楽になったのは確かだから。一言礼を言いたくて、僕は近くを通った看護師を呼び止めた。

「あ、境谷さん。退院おめでとうございます!」

「ありがとうございます。今回はみなさんに迷惑をかけてしまって」

「お気になさらないで下さい……でも、もうあんなことしちゃいけませんよ、絶対に」

「わかってますって」

 僕はひらひらと手を振りながら本題を口にする。

「ところで、ここの患者さんで、髪の長い、綺麗な女の子を探しているんですけど」

「……は?」

 男の僕が急にそんなことを口走るものだから、当然と言っていいだろうか、彼女はいぶかしげな表情で僕を見返した。

「いや、昨晩、迷ってしまったのか、彼女が僕の部屋に入ってきちゃって。少し話しをしたんですよ。そしたら、なんだか励まされて。でも、名前を教えてもらえなかったんですね。僕は今日で退院するわけだし、一応お礼を言っておこうかと」

「はぁ……、髪の長い子ですか。いくつくらいの子ですか?」

「ええと、たぶん中学生くらいかと……。髪は、腰くらいまであったと思います」

「そんなに長いんですか? そんな子、いたかしら……」

「……うん? あっ、いました、彼女ですよ」

 考え始めた看護師の後ろに、いつの間にか昨夜の少女が立っていた。

「どの子ですか?」

「ええと、あなたのすぐ後ろにいますよ、君、昨夜は相手してくれてありがとうね。でも、勝手に他人の病室に入るのは関心しないかな」

 僕がにこやかに話しかけると、看護師は振り返った後、いよいよ怪訝な顔をした。

「……あの、誰と話してるんですか?」

「いや、そこにいるでしょ」

「からかわないで下さいよ、まったく……」

 胡散臭い目で僕を一瞥した後、看護師が気だるそうに去ると、それまで黙っていた少女が突然くすくすと笑い始めた。

「見えないのよ、あの人たちに私は」

「……は? 何言ってんの?」

「だって、『つながってない』んだから」

「ごめん、意味がよくわからないんだけど……」

「あなたはあの晩、『つながった』のよ、そしてそのまま途切れなかった。だから私を見ることが出来るし、こうして触ることだって出来る」

 彼女が僕の腕をとる。暖かいけど、指先はひんやりとしていた。彼女は確かにここにいる。

「繋がったって、一体何が?」

「……回線?」

「……はい?」

 あぁ……、もしかしなくても電波さんだった。それも、超一級品じゃないですか……。

「人間の脳って、普段ほとんどの部位が使われてないって知ってる?」

 彼女はこちらの半ば呆れた様子も気にせず、無表情で続ける。

「あなたは臨死体験の結果、何故かそういう普段使ってない脳の部位が活性化したってわけ」

 勝手に決め付けないで下さい。ていうか、それよくある設定ですよね。僕は若干めまいしながらも、彼女の話に付き合ってやることにした。

「だから、君が見えると」

「そう。だけど、あの人たちには見えない。でもいいの、こうして会話できる人を見つけられたんだから、それだけでもラッキーだと思わなきゃ」

「悪いけど、僕今日で退院するんだ」

「昨日言ったこと、もう忘れたの? 私、ついていくわよ?」

「なっ!? あの……本気、だったの?」

「あなた、私のこと何だと思ってるの?」

「え……、ここの患者さんでしょ?」

「だったらどうして、あの看護師には私が見えなかったの?」

「えと……それは、その……。あなたが、中二病だからではないでしょうか……」

「ちょっと何よそれ! 違うわよ! とにかく、もう決定してるから」

 うわっ、めっちゃ強引だ……。参ったな、まるで自分が人間ではないように話すけれど、僕そういう年頃じゃないし。邪気眼持ってないし。

 ていうか、ついてくるってどういうことなんだろう。そんなん常識的に考えて無理なんですけど。

 僕は困った顔をしていたが、目の前の相手はさして気にする様子もなく、僕の隣に並んだ。

「あのさ、君ってもしかして幽霊とかいうんじゃないだろうね?」

「うん? そうだけど? たぶん」

 ため息をつこうとした僕は、次の瞬間廊下を駆け回る男の子が、かわいい笑顔で彼女の身体をすり抜けたのを見て卒倒しそうになった。

 あれ……? もしかしてこれ、マジなの? 認めたくないっていうか、これまで気付いてきた常識が必死に抵抗しているけど、認めるしかなくね? 彼女は言う。

「大丈夫だよ、危害を加えるとかしないし」

 いや、それ以前の問題なんです、考える時間を下さい。道を歩いてたらいきなりUFOが目の前に着陸したくらいの衝撃なんです察して下さい。僕は固まってしまった思考回路を解きほぐす間、しばらくその場で直立不動でいるしかなかった。

「……嬉しがってる」

「いや、違うからね!?」


1.


 病院の入り口の回転ドアをくぐると、セミの声が一段とボリュームを増す。冷房の効いた部屋で聞いていた時は、ちょっと風流があるかもなんて感じていたのだが訂正、直射日光下でのこいつらは鬱陶しいだけだ。

 じりじりと音が出そうなほど熱せられたアスファルト。少し遠くを見やれば、陽炎がもやもやと立ち昇っている。

 夏は、こんなにも暑い。

 一ヶ月の間寝たきりだった身体にこれはきついかもしれない。といっても、アパートと病院の距離は徒歩でなんとかなる範囲だし、タクシー代程度とはいえ財布から消えるのは、今の僕には厳しい。

 ちょっとでも冷気を感じようと、僕は商店街を通ることにした。

「~~~♪」

 商店街の中心部から外れた、閉め切ったシャッターが目立つ区画で、一人の女性がギターを抱えて演奏していた。素人にしては上手だと思う。たまたま通りがかった僕にも感じられるくらい、何か心に訴えるものを持っていると思った。

「夢があるって、いいねぇ」

 僕は誰にも聞こえないほど小さな声でそうこぼすと、その場を通り過ぎた。ちなみに、病院でのストーカー宣言女、もとい幽霊さんは今も僕の隣である。

「なんか、今の嫌味っぽかった」

 無視だ。もう無視するしかない。この超常現象と口を利いてしまったらその時点で僕は危ない人間の仲間入りしてしまう。

 気弱になっていたと時、話をしてくれたことには感謝しているし、女の子としてちょっと気になったりもしたけれど、残念、相手は幽霊でした。……馬鹿げてる。夢だこれ、夢。あと、僕はロリコンではありません。

「無視しないでよ真くん」

彼女が僕の腕をぐいぐいとつねってくる。痛い、夢じゃない。ていうか、幽霊のくせにアグレッシブ過ぎるだろ」

 あと、普通に名前知られてた。たぶん病室の名札を見られたのだろうけど。

「名前」

「ん? なになに?」

「名前、なんていうんだよ。幽霊なんだろ? 生きてた頃の名前、教えてくれよ」

 あぁ、とうとう会話してしまった! いやだって、結構本気で痛いんだもん。

「だから覚えてないんだってば。私はたぶん、未練とかそういうので幽霊になったわけじゃないと思うし。だから、生前の記憶なんて持ってないわけ、これ常識よ?」

 霊界の常識なんて知らんがな。

「だからまぁ、あなたの好きに呼べばいいんじゃない?」

「アグレッシブ幽霊女」

「あなたが私のことをどう考えてるかわかったところで、蹴るわね?」

「バイオレンスハザード」

「単なる悪口よね?」

 いや、単なる事実です……。

「……楓」

「なんだ、ちゃんと覚えてるじゃないか」

「今つけたのよ、あなたに任せてたら名前のどこかに横文字が入る気がするから」

 冗談だったのに。僕は、斜め前方に見える楓という料亭の看板を見ながらそう思った。

 彼女の外見は、血色が悪いとか、口から血がこぼれてるとかいう、いかにもな感じからは程遠い。

 それだから僕は彼女を初めて見た時、幽霊だなんて全く思わなかったんだが。枝毛の一本すらない完璧な髪。伏せ目がちにした時に特に映える、長い睫毛。形の良い輪郭。美人度なら文句なしだろう。もし彼女の姿が通行人に見えたとしたら、振り返る者は決して珍しくないだろう。

 もちろん、外見が幽霊ぽくないということは、彼女に大して恐怖を感じない理由の中の一つに過ぎない。彼女には記憶がないという。それは、自分が何者かわからないということだ。それが、どういう不安をもたらすのか、僕には想像もつかない。自分の名前すら看板を見て決めてしまうほど無頓着な彼女の心の中には、僕なんかよりもずっと大きな空洞があるのかもしれない。って、何幽霊に同情してるんだ、僕は。他人のことより、まずは自分のことをなんとかしよう……。現在進行形で、絶賛ニート街道爆進中だよ! とりあえずバイトの求人誌を手に取って、そのまま帰路に着いた。

「ここがあなたの家ね」

「うん、じゃあそういうことで」

「え? あっ、ちょっ」

 僕は二頭筋をフル活動させて素早くドアを引いた。

「ちょっと、開けなさいよ!」

「それ以前に、自然に入ろうとしないで下さい」

「いいじゃない、食費光熱費保険費、その他もろもろ全部タダよ!」

「自慢になってない上に、そういう問題じゃないし。ていうか、よく見たらお前の手、ドアに挟まっとるぞ」

 実際は指が透けてドアの隙間から生えていると言ったほうが正しいが、なんだかキモいからやめておく。なんというか、まったく抵抗なくドアが閉まるものだから、挟んでいたことに気が付かなかった。

「あれ? ほんとだ、痛い、痛い。ごめんなさい、ごめんなさい」

 素晴らしい棒読みだな。それと、鉈も持ってれば完璧だな。

「ふーん、結構綺麗にしてるのね」

 普通に入ってきてるよこの人!

「……遮蔽物のすり抜けの自粛を強く求めます」

「なんでよ? 凄く便利なのよ?」

「いや、ぶっちゃけた話、ドアから顔が半分出てたりすると、マジでキモい」

「初めて言われた、結構ショックかも……」

 楓は両手で自分の顔をぺたぺたと触った。

「ていうか、ここではっきり聞いておきたいんだけど。どうして僕について回るの?」

「うーん、運命的な何か? ほら、前世的な」

「頼むから、真面目に答えてね」

 僕は少しいらついた声で促した。

 初めて会った時の印象は、ちょっと高飛車な印象を受けるほど落ち着いていたのだが……。でもそれは、外見で判断した僕の勘違いだったらしく。あと、幽霊でもそれなりに人見知りはするらしく。つまりは、本来の楓はかなりノリがいいタイプのようだ。

「あながち嘘でもないわよ? まず、気が付いた時、まぁ、イコール私が自意識を持った時、初めて私が見た光景と言えば、あなたが凄い顔して路地裏に入っていくところなんだから。興味本位で付いて行ったら、ひどいものを見せられたけど」

「あぁ、そりゃ悪かったって――ちょっと待て、お前が幽霊になったのって、そんな最近なのか!?」

「うん、丁度一ヶ月前くらいかな。だからまだあんま実感湧かないんだよねー。生前の記憶もないし。まぁ、幽霊初心者ってとこね」

 なるほど、こいつからしたらトイレの花子さんとかが上級者なわけか。楓に霊的な恐怖を感じないのは、彼女に幽霊としての自覚がないからかもしれないな。

「最初は普通の人間のつもりで街を歩いていたけど、どうやら周りの人には私は見えないらしくてさ。ぶつかった筈の人が私をすり抜けていった時の驚きといったらなかったわよ。誰とも接点持てないし、本当につまらないなって思ったの。私、何のためにここにいるんだろうって」

 奇しくもそれは、僕がずっと抱いていた感情。彼女がつまらないと言った意味が、やけに分かるような気がした。

「で、かなりへこんでたんだけど、ダメ元であなたに話しかけてみたら、ちゃんと反応があってさ。『もう、この人しかいない!』みたいな。まぁ、あなたはそのあとすぐ気絶しちゃって、一ヶ月も起きなかったんだけど」

「見えない人は回線とやらが繋がってなくて、僕は臨死体験の影響で脳みそが云々だからお前が見えるとか言ってなかったっけ?」

「それは、私の中に最初からあった疑いようのない概念なの。自分で考え付いたことじゃなくて、本能的な正しさをそこに感じる。だから、きっと真実なのよ」

 凄い根拠だな、さすが電波……。

「そばにいると、どうしても迷惑っていうなら諦めるけど、お互い一人ぼっちは嫌でしょ。この一ヶ月、誰も見舞いに来なかったわよ?」

知ってるさ、それが僕という人間が置かれている現実っなんだから。彼女と……、いや、自分以外の誰かと会話しているからふさぎ込んでいないだけ。きっと楓の姿が見えなくなったらすぐにでも、僕の心はこの街の底に埋もれてしまうのだろう。

 一度潰れてしまった心は、もう元には戻らないのかもしれない。……それを、耐えられるだろうか。僕が彼女を本気で遠ざけなかった理由がそこにある気がしてならない。人間ですらない存在と一緒にいるということ。自分でもおかしな状況だと思うけれど、それでもあの何もない空っぽの日々になど戻りたくなかった。

「まぁ、誰にも迷惑かけないっていうなら」

「ほんと? やったー! 断られてたら、毎晩枕元に立ってやるとこだった」

 あっ、それは割と本気でやめてください。

 溜まりに溜まった郵便物を確認していく。

 新聞はとっていないが、それでも郵便受けは満杯になっていた。大半のスペースはダイレクトメールとピンクチラシに占拠されている。

「資源の無駄遣いもいいとこだな」

「とかいって、真くんこういうの好きじゃないの?」

 楓が半目でピンクチラシをつまんでいる。すいません、実はちょっと嬉しい時もあります……だって、男の子だもん。僕はそれらが視界に入らないように、バイトの求人誌をめくっていく。できるだけ長時間勤務出来る方がいいし、この際多少の時給の差には目をつぶるか……。サービス残業があるところはなるべく避けたいのが本音だけど、選んでなどいられないのが現実。人間関係だけは入ってみるまでわからないから曲者だが、そこは当たって砕けるしかないな……変な人、いませんように。

 とりあえず、求人誌に載っていない募集もある筈だし、明日商店街をぶらついてみるか。

「ねね、さっきから何ぶつぶつ言ってんの?」

「ん、バイトを探してるんだよ。いい所ないかなって」

「ふーん、でもさ、そういうのってやる前から考えて何か意味あるの? 紙面からわかることなんて何もないんじゃないの?」

「まぁ、一理あるんだがね。でも、例えば通うのに一時間かかるところと、数分のところがあって、どっちも同じ条件ならそりゃ後者のがいいだろう?」

 言いながら候補を手帳にリストアップしていく。掛け持ちしないと生活していけないので、それぞれの時間帯が被ってはいけない。コンビニの早番などは結構狙い目だったりする。

「近場といえば、さっき通った酒屋さんがアルバイト募集してたわよ? 時給千円で週五だってさ」

「酒屋かぁ、尋常じゃないくらいキツそうだな。腰やっちまいそう。一応候補にはしておくけど……っと」

 瓶ダースを一度に何ケースも運ぶ想像をしていると、突然めまいに襲われた。やはり昼間歩いて帰ったのが堪えたのかもしれない。埃っぽい布団を払い、すぐさま横になった。

「もう寝るの? まだ七時よ?」

「悪い、疲れたんだ、ということでおやすみ」

 明日は大家さんに電話して家賃入れて、それから――、ダメだ、思考が上手くまとまらない。こりゃ、本格的に眠らないと……。意識が沈み、視界が完全にブラックアウトする前。楓が僕の知らない顔で、部屋を出て行くのを見た気がした。

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