第四章 インシデント
私はいつしか熟年と言われる歳になった。孤独な生活を続けていたが、残された人生がそんなに長い訳ではないことに気付き、こんな自分でも支えてくれた社会に恩返しがしたいと思い始めた。私に出来ることと言えば…社会奉仕活動だろうか。私は役所に相談し、紹介されたのがボランティアでの学童擁護員。小学生の登校時の安全を守るため、毎朝通学路に立つことになった。
「おじさん、おはよう!」
独り身の私には当然子供もおらず、そのため小さい子に声を掛けられると、とてもうれしい。子供は純真無垢だ。本当に可愛らしい…
「おぅ、おっちゃん。今日も立ってんの?ずいぶんヒマだねぇ。ちゃんとまじめに仕事しろよっ、…って俺のかぁちゃんが言ってた、へへっ。」
「…」
いくら小学生と言えども高学年になると最低だ。私の置かれている状況をだいたい理解し、卑下してくる。それも人が言ったことにして責任を逃れようとするこの狡猾さ。私は以前働いていた工事現場での事故で片足に少し障害がある。それもからかわれる一因なんだろう、こいつには何言っても大丈夫だろう、と。
私の両親は既にいない。元の世界には兄がいたが当然ながら長い間音信不通だ。兄にはかわいい姪がいたが、どう育ったことだろう。せめて人を思いやる心を持っていて欲しいものだ…
特に生活に不安がある訳では無いが、物足りなさがある。毎日が平凡すぎる。これでも昔はミュージシャンとして少しは名が通っていた時もあった、元の世界の話だが…それから比べると今の日常は静かすぎる、あまりにも…
「静かにしろっ!」
「!!!」
突然私は口を塞がれ、顔にナイフを突きつけられた。
(な、何だ?何が起きたんだ?)
私を後ろから押さえる男は、顔こそ見えないが、その皮膚感から私よりずっと歳を取っているようだ。しかし力が強い。とても抗えそうにない。強引に近くの空家へ引きずり込まれた。
「命が惜しければ大人しくしてなっ!」
私には将来の夢がある訳でも無かったので、いつ死んでもいいとさえ思っていた。が、実際ナイフを突きつけられると例えようのない恐怖心に襲われる。考えてみれば自殺する人はこの死への恐怖心を乗り越えて我が身に終止符を打つのである。その心境たるやいかばかりのものだろう…
やがて家の周りにパトカーが数台止まり、たくさんの警官に囲まれた。
「犯人に告ぐ!我々は完全に包囲している。大人しく投降しなさいっ!」
拡声器から聞こえる警告はテレビドラマそのものだった。男は私を押さえたまま窓から顔を出し叫ぶ。
「おいっ、よく聞け!俺はな、明日寿命を迎えるんだ。でもおかしいだろ。俺はまだピンピンしている。コイツよりずっと元気だ。なのに何で死ななきゃいけねぇんだっ!」
そう言えば最近、法定寿命が七十七歳になったとのニュースを聞いた。
「おいっ、大統領に伝えろ!俺はな、まだ生きたいんじゃ。認めねぇとコイツ刺すぞ!」
私は驚いた。この世界の人々は人生の定年制を当然のように受け入れていると思っていたからだ。定年制に反対する人なんて聞いたことがなかった。
「…お前さんには悪いが仕方ないんだ。俺だってこんなことしたくねぇ。でもこうでもしなきゃ俺は殺されちまう。全くこっちの世界の奴らは頭がイカれてる。」
「こっちの世界?」
「へっ、お前さんは笑うだろうけどよぉ、俺は知らないうちに別の世界からこっちの世界に来たんだ。」
「えぇっ!?」
「おかしいか?そうだろ、そう思うだろ。頭がヘンだって思うだろ。こっちへ来てから誰一人として俺の話を信じねぇ。もう何度も病院に押し込まれた。」
「…もしかして、元の世界じゃ戦争の後も天皇制は存続してた?」
「んっ?そうだけど…、何でお前さんそんな事聞くんだ?」
「いや、別に…」
間違いない。この男も私同様、パラレルワールドへ迷い込んだ彷徨い人だ。一瞬、私も彼と同じ様にこの世界に迷い込んだ事を告白しようかと思ったが…、元の世界で私は定年制を訴えていた。もしそのことに気付かれたらどうなることか…
いつしか事態は膠着状態に陥った。さっきまでは興奮状態にあった男も落ち着きを取り戻しつつあった。
「…もしよければこっちの世界に来たきっかけを教えて欲しんだけど…」
「えっ、興味あるのか?なんだお前さん、SF好きか?まぁいいだろ。俺の話をまともに聞こうって奴はこっちの世界じゃお前さんが初めてだ。…へへっ、俺はなぁ、生来の女好きが高じて、ついにどこぞの組長の女に手を出しちまったんだ。で、指をハネるだけじゃ収まんねぇ、命を狙われた。」
(なんて向こう見ずな人なんだ…)
「俺は追い詰められ、いよいよダメだって時に…、な~んも起きずに俺は何度も刺された。へっ、ダメだって時に奇跡が起きたって思っただろ?」
(こんな状況でひっかけようとするとは何て…)
「で、俺は殺された、はずだった。…でも気付くと無傷で倒れてた。俺は助かった。奇跡が起きたんだって大喜びしたさ。でもぬか喜び。すぐにここは俺が居た世界とは違う世界だと気付いた。そしてこの世界じゃ人生に定年制があるって知って驚いた。これじゃ俺は二度も殺されることになる。神は、仏は一体何を考えてんのか…しかも周りは誰も俺の言うことを信じねぇ。俺はこの世界ではずっと孤独だったよ。」
私は彼の話を神妙な面持ちで聞いた。
「お前さん、今の話で笑わねぇのか?」
「えぇ…、分かる気がします、あなたの辛さが。」
「ほぅ、お前さん、気に入ったよ。この世界の人間とは違う匂いがする。…しかしこんな形でお前さんみたいな奴と出会うとは、つくづく皮肉だな。」
私は一人、あの女を除いて誰にも過去を打ち明けなかったので、病院送りこそならなかったが孤独で辛い時期が続いた。この男の場合は周りから変人扱いされ、私よりももっと辛い思いだったろう。男の半生を想像するとやり切れない思いになった。
…昔ストックホルム症候群という言葉を聞いたことがある。私は同じ境遇にあるこの男に強い親近感を覚えた。そして…、そして将来に希望も何も無い私が、この男の代わりに命を捧げようと…
「…あなた、私の分まで生きてくれますか?」
「…、何言ってんだお前?」
「私はもういい。未練は無い。私の寿命は後、二十年くらいある。その分、あなたに生きてもらいたい…」
「…」
私は押さえられていた男の手を離し、窓から身を乗り出し叫んだ。
「俺を殺せ!俺を殺して代わりにこの人を助けてやってくれっ!」
『ビュンッ!』
とっさに振り向くと男が撃たれて倒れていた。特殊部隊が私と男が離れる瞬間をずっと狙って待っていたのだ。這うようにし、私は男の元に近寄る。男は血に染まった赤い手で私の腕を掴んだ。
「…ありがとうよ。いいんだこれで。俺は最後にお前さんに会えて…うれしかった。それで十分だ。うん、そうだ…十分だ。…けど、お前さん…、どっかで見たような…、そう…言えば…」
男は消えゆく意識の中で口を動かしているが言葉にならない。…そして止まった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
私が窓から身を乗り出して叫んだ言葉、それが人々の興味を誘った。あの短い時間の中で一体犯人と被害者の間に何があったのか?警察は当然としてもマスコミにも執拗に聞かれた。しかし私は一切その問いには答えなかった。本当のことを話しても頭のヘンな男が偶然頭のヘンな男を人質に取っただけ、と思われるのが関の山だ。
しかしこの事件をきっかけにミュージシャンだった私の過去が明らかになった。そしてかつて作った私の曲が広く一般に流れた。
「Long Journey*1」
ただそれだけで 諦めるようじゃ
誓いの言葉には足りないだろう
ただ繰り返す 無情の日々
都会の暗闇のその中で
光る ストーリー
響け心の奥底へ
笑ったりするな けなしたりするな
人を 夢を
何も語らず 行き交う波に
あらがう力さえ吸い取られて
誰ひとりして 惹きつけられぬ
自分の居場所さえ見つからず
それぞれに 生きる道が
ひとつだけ 限られないと
すべったりしても 痛くはないのさ
きっと 何度も
歩いてた 旅のその時さえ
探していた 名も知れぬ丘
そこへ 決めた
ひとりじゃない
ほら、見て この手につかんだ夢
幻じゃない
今ここに来て 見違えるような
自分の姿にも 興味は無くて
もう戻れない 青春の日々
昔の自分にはどう映る
長い旅路の果て どこにある
*1:(C) 2010 One Trick. 作詞作曲 Toru Yoshida. Performed by Space Hijack LE.
私の曲は図らずも評判となりヒットした。私はこの世界へ来て、売れようと必死にもがいた。しかし今に至り、苦労は報われたのだろう。が、あまりうれしさは感じない。奇妙なことに私の今の状況と昔書いた歌詞がシンクロしているかのようだ。貧乏生活は抜け出せたが、もはや元の世界の頃のようにお金を贅沢に使おうとは思わない。そして私は相変わらず孤独であった…
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(えっと…、ここか。)
私はあの立てこもり犯、いや、同じ世界から来た同胞の墓参りに来た。てっきり彼は無縁仏になっていると思っていたのだが、墓があると言うことは…
「すいません。」
振り向くと三十代半ばくらいだろうか、スーツを身にまとった女性が立っていた。
「私、週刊ザ・真相の三宅と申します。昨年の立てこもり事件についてお聞きしたいことが…」
事件から既に一年以上経過している。最近は事件に触れるマスコミはほとんどいなくなっていたのだが…
「悪いけど事件について何も言うことはないよ。もう終わったことなんだ、そっとしておいて欲しい。じゃ…」
せっかくの墓参りを邪魔され私は少々腹立たしく思い、むっとした表情で女性の横を通り過ぎようとした。
「待って!…記者としてダメならば、小山の娘として…、お聞きしたいのですが…」
(娘?)
そう言えば彼女の手には菊の花がある。
「あなた、彼の娘さん?」
「…どうしてもお聞きしたいんです。父の死に顔はとても安らかで…、父のあんな表情はそれまで見たことがありませんでした。一体あの日、何があったのですか?」
彼女の目は潤み、その今にも溢れそうな涙に私の心は揺れ動く。しかしこの世界しか知らない彼女に荒唐無稽な話をしたところで果たして意味があるのだろうか?
「父とは長い間音信不通でした。しかし数年前、入院していると聞き、思い切って面会しました。でも…、でも父はあっちの世界だとかこっちの世界だとか訳の分からない話を繰り返すばかりで…」
「…お父さんはね、孤独だったんだよ。ただただ、話を聞いて欲しかっただけなんだと思う。私も長年孤独でね…、あの状況でヘンな話だけど、馬が合ったというか…」
「…そうですか。残された私たちも苦しかったのですが、父も父なりに苦しかったのでしょう。せめて私が受け止めてあげられてたら…でも、最後の最後で父は浮かばれたと思います。本当に、本当にありがとうございました。」
私は深い礼をする彼女の肩に手を置き慰めた。彼女から涙の匂いがした。私にはこれだけ自分のことを想ってくれる人はいない。少し、少しだけ、彼に嫉妬した。