第10話 四才 初陣
それからボクたちは戦の準備を始めた。とはいえボクたちの準備は非常に少ない。
まず装備だが、今回ボクは戦神化して戦うので武器も防具も必要がない。
そしてリーゼも竜化して戦うから必要がないらしい。
母さんとテラとセフィも自前の装備を持っているから改めて用意するようなことはしない。
だから用意するのは消耗品(おやつ含む)だけだった。
魔法戦を得意とする母さん。
接近戦を得意とするテラ。
その両方をバランス良くこなすセフィリア。
三人ともそれぞれが違う部隊へと配属されていった。
だからボクとリーゼの部隊には顔見知りがいない。
これはボクが父さんにお願いしたからだ。
もし近くに母さんやセフィリアたちがいたら、ボクがヴァレリアであることがバレてしまうだろう。
バレてしまえば、政局に巻き込まれてしまう可能性もある。
そしてこの案には母さんも反対しなかった。
母さんは可愛い子供を嬉々として千尋の谷へ突き落とすような人なので、むしろ『自分で言い出しておきながら、もし無様な姿など見せようものなら……』と背筋の凍るようなことを言っていた気がする。
ガクガクブルブル……。
全部隊の出撃準備が整うと、俺たちは城を出発して決戦の地『ガルガンド要塞』を目指して進行を開始した。
『ガルガンド要塞』は魔族領からの侵攻を食い止める最初の砦であり、四年前の大戦でも落ちることがなかった堅牢な要塞だ。
人間たちはその頑強さを信じ、再びそこで防衛線を張ることになったらしい。
俺は城を出発する前から『戦神化』して、『シノブ』という名前を名乗っていた。
そしてその肩には竜化したニーフェが乗っている。
偽名を名乗っているのは当然正体を隠すため。
そしてテラやセフィリアが近くにいないので、今は普通のメイド様が甲斐甲斐しく俺たちの世話をしてくれていた。
この娘というのがまたダークエルフにしては実に初心で可愛らしくてハァ……ハァ……。
要塞に到着すると、戦を前にした緊張感が辺りを支配していた。
そんな中、父さんは作戦会議に参加すべく、すぐに連合本部へと出向いていった。
俺たちはというと、待っている間は特にやることもないので仕方なくのんびりとおやつに舌鼓を打っていた。
道中、俺たちは同族であるダークエルフからすらも奇異の目で見られ、誰一人として近づく者はおらず、完全に孤立してしまっていた。
何でも俺たちはダークエルフ秘蔵の秘密兵器と思われているらしい。
とはいえ、俺が自分から警戒心をむき出しにしている知らない人に話しかけられるはずもなく、結果としてやることがないのでまったりとおやつをパクついているという次第である。
そしてメイド様に入れて貰った美味しいお茶をいただきながら優雅なひと時を過ごしていた。
という風に見せかけてはいるが、実は胃に穴が空きそうなほどに緊張しているのである。
周りの人たちが殺気立っていて非常に怖い。
俺がちょっと足を組みなおすだけで、周囲がビクっと反応する。
明らかにみんなの意識が俺に集中している。
俺はお仲間ですよ?皆さんの敵じゃないですよ?
そう笑いかけると、目が合った人が顔面蒼白になってこの場から離れていった。
ふっ、勝った……って睨めっこじゃないから!
はぁ……そんなに味方に見えないかなこの姿。
ため息を付くとまた三人ほどビクっとして離れていった。
お前らそれでも誇り高きダークエルフか…。
こんなところを母さんに見られたら問答無用でおしおきされちゃうぞ!
お、オシオキ……母さんの……オシオキ……キ……。
俺は自分のトラウマを何とか抑えようと、自分の首に手を添え、深い深呼吸を繰り返す。
はぁ……はぁ……はぁ……はぁ…………。
程なくすると次第に呼吸が治まってきた。
ふと顔を上げると、この場には俺とリーゼと初心なメイド様以外誰もいなくなっていた。
なんなんだよもう…………。
「お兄様。ようやく二人っきりになれましたね。うふ」
そう言って擦り寄ってくる爬虫類が一匹。こいつはちょっと頭がおかしいのかもしれない。
「メイド様。こいつの頭にヒールをかけてやってくれ」
「相変わらずつれないお兄様。でもどうせかけるならそこな雌のヒールじゃなく、お兄様の白く濁った体液を……」
「ほら、かけてやるよ。ほら、ほらほら」
そう言って俺は紅茶についてたミルクをリーゼにぶっかけた。
「うわっ、ぷっ、何をしますか!」
黒い龍の顔がホルスタインのように斑模様になっていく。
ぷぷっ、ホルスタゴンの出来上がりだ。
「うぅ…………お兄様の(紅茶のミルク)で顔がどろどろになってしまいました。ですがまさかお兄様にこんな趣味があったなんて…………」
「…………は?」
こんな趣味って何だ?
「ちっちゃいこに擬似体液をかけた映像でしかおっきできないんですよね?」
お、おっきってお前忘れてるかもしれないけど俺たち仮にもプリンセスだぞ!ちょっとは自重しろ!というか……。
「いつもいつもお前俺をどんだけ変態に仕立て上げるつもりなんだよ!そもそも今のお前はただの爬虫類でしかないから!」
「これは年増ナイトも苦労しそうですね……はっ!ま、まさか!」
「……今度は何を言い出すつもりだ?」
「若返りの魔法を覚えてちっちゃくなった年増ナイト相手にヨーグルトとかかけてはぁはぁするつもりじゃ……」
ちょ!俺はそこまで変態じゃありませんよ!?ちっちゃい頃の姫なんて……ち、ちっちゃい姫?あ、あれ?よくよく考えてみるとそれってかなり良くないか?
うわ!やばい!想像したらめちゃくちゃ可愛い気がしてきた!
すはすはしたい!めっちゃはすはすしたい!
いや、決して性的な意味じゃないよ?そんな邪まなことはほんのちょびっとしか考えてないですよ?
「お兄様、よだれよだれ」
「じゅるり……おっといけない」
ふむ、若返りの魔法か。これはチェキだな。
ちっちゃくて高圧的なかりちゅま姫……やばい。ジークじゃないがこれは激しく萌える。
「お兄様、よだれよだれ」
「じゅるり……おっといけない」
そして気が付けばメイド様もいなくなっていた……。
でもいいんだ……。俺には姫が待っていてくれているのだから……。
要塞に到着して一週間、ついに魔物の群れがその姿を現した。
多い。いや、多すぎる。城壁の上から眼下を見下ろすと地平線の向こうまで魔物の群れで覆い尽くされていた。
あっはっは、見ろ!魔物がゴミのようだ!あっはっはっはっは!ふぅ……、やめよう。
作戦は防戦一択らしいけど本当に大丈夫なのか?
この要塞の最大の特徴は、魔族領側に門がないこと。
まさに魔族領からの攻撃を遮断するためだけに作られた要塞である。
しかしそれゆえに堅牢。
そして遂に敵の攻撃が始まった。
城壁へと押し寄せて来る敵歩兵部隊は尽きることがなく、人間、ドワーフ、そしてドラゴンハーフの軍勢は間断なく迎撃に追われた。
これが夜になると、夜目が利くダークエルフ、ビースト、エルフと交替する予定となっている。
今迫ってきている敵は魔物の中でも雑魚もいいところらしい。
現に城壁の上で防衛している他の部隊も容易にその侵攻を防いでいるように見える。
城壁の上より防衛できる数はおよそ四千。
確実に体力は削られているが休憩を挟むだけの人員はいる。このままだとジリ貧なのは敵の方だろう。
ヒーラー部隊による支援もあるためこちらはほとんど死人が出ていないのに対し、補助魔法や回復魔法による支援のない相手側は確実に死者を出している。
数の差が縮まればそれだけこちらの方が有利になる。
それが明白であるにも関わらず、敵の無意味とも取れる突撃をひたすらに繰り返している。魔物だから知性がない?いや、それは違う。奴らを指揮する魔族は我々と同等の知性を有している。つまりこれには何か裏があるとしか思えない。
城の前にはただただ死体の山が築かれていく。
「相手の狙いはなんだ?」
リーゼに意見を求めた。
「こちらの疲労を待っている……というわけではないでしょうね」
「なら何を待っているんだ?天候の変化か?それとも内応か?いくらなんでも内応はありえないだろ」
さすがに魔物を使役している魔族に従おうなんて破滅しか見えないような未来を望むものはいないはずだ。
「分かりません。が、防衛作戦を取ったのは失敗だったようですね。篭ることしかできないリーゼたちは後手に回らざるを得ません」
「そうだな…………」
「夜になれば戦況は動くでしょうか」
「どうだろうな…………、さすがにこの規模の戦闘は経験がないから分からない」
そして遂に夜がやって来た。
人間たちは戦いながらも少しずつ俺たちダークエルフの部隊と入れ替わっていく。
俺たちダークエルフにとって暗闇などアドバンテージにしかならない。
「『疾風斬!』」
スキルを発動させて魔剣を薙ぎ払うと、刀身から風の刃が迸り、城壁に群がってくるオークやコボルトたちを切り裂いて地面を深く抉った。
城壁の正面に堀が掘られているため、敵が少々死んだくらいではそれを踏み台にして登ってくるようなことは不可能となっている。
俺は不安を覚えながらも、仲間たちと共に敵を切り裂いていった。
もう既に敵は一万ほど死者を出していることだろう。
このまま何事もなく終ればいいんだが…………。
やがて日が昇り始め、俺たちは再び人間たちと交替した。
結局夜の間も敵は戦法を変えることなく、盾を持った歩兵を無駄に城壁へと突撃させるばかりであった。
しかしその戦況も人間たちと交替して二時間後に大きく動いた。
敵がある一点を集中して地上と上空の二面から攻めてきたのである。
敵が一万匹以上もの魔物を犠牲にしてしようとしていたこと。
それは一番守りの弱い場所を見抜くことだったのだ。
いくらステータスが分かっていたとしても、魔法とスキルのある世界。
一様な装備で一様な訓練を行っている火器のない時代の地球の戦争よりもそれぞれの部隊の実力差は戦闘技術や人員の組み合わせによって激しく開いてくるのである。
そしてこの長い城壁の中で最も戦力の薄いところを、弱いモンスターを捨て駒にして調べられていたのだ。
城壁の上というのは狭いだけでなく、裏からであろうとも登ることのできる場所が限られているために、すぐに人員を交替させることは叶わなかった。
地上からは足が遅いが図体が大きく、耐久力の高いバジリスクやバグベアー、そして上空からはキマイラやガーゴイルたちが群をなして押し寄せてくる。
人間たちは急いで強力な部隊を城壁の上へと送り込んだものの一度崩れ始めた戦況を覆すには至らなかった。
強力な飛行モンスターに攻められ、人間たちの部隊は次々と瓦解していく。
城壁上からの攻撃が薄くなったこと所為で、バジリスクの群れは次々とその巨体を城壁にぶつけ、少しずつではあるが確実に城壁へとダメージを与えていった。
そして遂に城壁の一部が崩れ落ち、その隙間に群がるように魔物たちの群れが押し寄せてきた。
勢いづく魔物たち。
しかしその進攻はあっけなく止められた。
それを為したのはなんと強靭な肉体を持つオークたちであった。
魔族側と敵対しているオークたちは魔物とは違い、文明を持ち、人間やダークエルフなど様々な種族と交流を持ち、ドラゴンハーフすらも上回る強靭な肉体と力をその身に宿している。まさしく近接戦闘のエキスパート。
恐らく信仰する神さえも違うのだろう。
そんな彼らが魔物の侵入を食い止めたのだ。
しかし、城壁の上は徐々に飛行モンスターに制圧されつつあり、この硬直状態は長く続かないことは容易に想像がついた。
そこで下された連合本部の決定。
それは後退であった。
このまま混戦に入るよりも、一旦後方の砦に後退した方が損害が少なく済むだろうという理由からだ。
しかし魔物相手に後退するのは容易なことではない。
足の速いエルフ、ダークエルフ、ビースト、ドラゴンハーフは逃げ切れるかもしれない。
人間も遅くはない。
だが、足の遅いオーク、ドワーフは少なくない犠牲を被る可能性が高い。
いや、下手をすれば全滅してしまう可能性だってある。
それでも本部は後退を選んだ。
理由はこの狭い入り口からならばそれほど多くの魔物が一度に押し寄せてくることはないだろうという安易な考えがあったからだ。
ここで問題となってくるのが、誰が殿を務めるか、である。
人間たちは自分たちが殿に付くことを嫌がった。
エルフたちは自分たちでは殿に向かないと主張した。
ビーストたちは素早い移動速度を利用して次の砦を飛行モンスターから防衛する役目を申し出た。
ドラゴンハーフたちは、連合軍の戦力を保持するためにも、自分たちは殿に付かないことを主張した。
理由などあってないものだった。
結局はオークかドワーフが殿を務めるしかなかったのだ。
そして殿を申し出たのはオークたちだった。
ドワーフを庇ったのだ。
ドワーフも戦闘もできるがどちらかというと鍛冶や工作のエキスパート。
そして何よりオークたちには種族としての誇りがあったのだ。
だから俺は…………。
「ははっ!凄い敵の群だな!せいっ!はっ!」
目の前に迫り来るバジリスクを一太刀で斬り捨てる。
ヴァルキリーヘイムの世界とは違い、切り跡から大量の血が流れ出し、大地を染め、死体となった肉塊がその場に残る。
「良かったのか?お前たちダークエルフは脆い。殿には向かないだろう?」
巨大な肉体を誇るオークがこれまた巨大な斧を振るいながら言った。
バグベアーの首が消し飛び、血の雨が降り始める。
「ククッ!言ってくれるな!だけどな、耐久力だけが生存率に繋がるわけじゃないってとこ見せてやるよ!おらッ!」
次から次へと沸いてくる魔物たちを切り捨てながらテンションを上げていく。
いくら斬り殺しても全然限がない。だがそれがどうした!無双ものなら俺に任せろ!
「物好きな奴らだ」
「目の前に敵がいる。俺たちダークエルフにとって戦う理由はそれだけで十分!らしいよっと!せいっ!」
俺は返事を返しながらも迫り来る敵を切って気って切りまくる。
「そうか、ふん」
オークの戦士が魔物の頭蓋を叩き割ると中身が周囲に飛び散った。
うおっ、グロいな。
「それに俺はこんなところで死ぬつもりなんて全くない!」
「……だが、この状況。そろそろ覚悟を決める頃だろう」
見渡す限り敵しか見えない。
こんなに視界いっぱいを敵が埋め尽くされるような状況はあのヴァルキリーヘイムの世界ですらなかった。
あの理不尽なゲームよりも理不尽な現実。
そんな状況にあるというのに、俺はこの世界における初めての戦いに胸を躍らせていた。




