丸い部屋
その部屋には窓がなかった。
外部からの光を一切遮断された部屋は黴臭く、そして孤独だ。
男は鉄格子の向こうで口を噤み、だらしなく伸びた髪の中から白髪を探しては抜いて、という行為を繰り返している。
男は自分が鉄格子の内側にいることにたいして、これといった違和感を感じておらず、寧ろこここそが自分にとって相応しい場所だと考えている。何せ何の恨みもない老人を三人も殺したのだ。罪人には罪人の、相応な場所がある。男は世間で言う不況の波に浚われ、失業した者のうちのほんの一人だ。金は底をつき、食料も居住地も失った。ことごとく荒廃した男の体に、悪魔が取りつくのには時間などいらなかった。
――しかし。
男は白髪を摘んだまま手を止めて、冷ややかで孤独な牢獄をぐるりと見回した。
窓がないことも、鉄格子の内側にいることも、大した違和感ではない。
しかし、男はただ一つ、強烈な違和感を抱いていた。
この部屋の造形である。
丸いのだ。角という角をそぎ落とされ、滑らかなカーブを描いている。お陰でこの部屋には、隅っこ、というものが存在せず、部屋の真ん中で座っているのもどうも落ち着かない。男は長い間、切っても洗ってもいないバサバサの髪を掻きながら、冷たいコンクリートでできた壁に指を置いた。ひやっと、体の芯から熱を奪っていくようなそれの温度に、男は驚いてすぐに手を離した。
格子の向こうの廊下は、鮮やかな世界に続いている。
しかし男は気が付いていた。
永遠に自分は光を目にすることはないということを。
きっと裁判長は、最も重い刑罰を男に下すだろう。
男は控訴するつもりは更々なかった。
これ以上裁判を続けても、同じであることを察していたからだ。
別世界のようにも見える廊下では、一つの足音が響いていた。
それは孤独な牢屋の中に、ひしひしと伝わる。
足音は、最も男に近い位置で止まった。男はゆっくり振り返る。どうせ悪い知らせを引き連れた、警察官か何かだろう。そう思っていた男は、その光景に目を剥いた。子供だ。そこには子供が立っている。五歳程度の、背の低い男の子だ。全身に黒い衣服を纏った子供は、大きな瞳を男に傾けて、やがてゆっくりと笑みを浮かべた。
「こんにちは」
男は久しぶりに警察官以外の人間に話された気がした。思わず会釈すると、クスクスと子供が笑った。
「どう?この部屋。僕が作ったんだけれど」
子供は陽気に笑い、男の方に指を差した。正確には男を指したのではなく、この部屋全体のことを指したのだろう。男は目を見開いた。まさか、こんな子供が、こんな物を作るものか!
「丸い部屋は死の証だよ。世間からの軽蔑や罵倒を柔軟に受け流す。そのための円形なんだ」
子供は笑った。黒い服はそのまま闇に溶け、子供の笑い声だけが、廊下中に響き、やがて薄れて消えていく。男は丸い部屋を眺めた。死の証であるその場所は、自分をしっかりと抱擁してくれていることがわかった。
その翌日、男の判決は裁判によって下された。男は弁護士の言う言葉を振り切って、その判決を認めた。――丸い部屋に帰らなければ。裁判所の外にあったカメラやマイクなどの機械を見たとき、男は確かにそう思った。
黴臭くて、冷たくて、孤独な、あの丸い部屋に。