こんなんでましたけど~占い師、裁判員をやるの記3~
所詮は、日銭を稼ぎ、おおむねお客様あいてにテキトーなことを語り告げる、売れない占い師、すなわちネット用語でいう「売れない師」ということであろうか。自分自身の未来を正確に見通すことなど、オレにはできていなかった。
肩書き上、占い師ではありはするが、基本的にはただ単に「運が良い人」というのが知人たちのオレを評価する見解である。まことしやかに「占いの成果だ」とホラを吹き鳴らすが、正直、宝くじを当てたり、じゃんけんで勝ち続けたりというのは、オレにとっては占いをするまでもなく、なるべくしてなってしまうことなのである。
この感覚は、他の人もそうなのかどうか良く分からないのだが、そうした運が巡ってくるとき、視界に入っているものの見え方が微妙に変わるのだ。見つめた対象だけが極端に拡大されて見えたり、相手の瞳孔の微細な動きが精密に見てとれたり、身体から感覚だけが遊離して、対象物のそばに目だけが飛び出していったような感覚になる。
細筆使いの職人、たとえば、米粒のなかに何文字もの字を書き入れる人などは、ルーペなどを使わず、裸眼で米粒と筆先が拡大されて見えると聞いたことがある。おそらくこれに似ていると思う。また、武術の達人、とくに剣を使う人間は、相手の筋肉の動きなどなどがスローモーションで見えるときがあるというが、これにも似たものを感じる。
あるいは、唐突にゲームの話で恐縮だが「逆転裁判4」というゲームにでてくる「みぬく」という感覚は極めて近しい。ちなみにこのゲームは、ゲームというメディアをとおして「裁判員」について広告する役割ももっているようで、オレがこれをプレイしたのはずいぶん前のことだが、裁判員をやるにあたって、なんらかのヒントにはなりそうである。
自分の意思で、常にこの極大感覚に至っておく、ということはできない。もしかしたら薬物の摂取のいかんによっては……、と思わなくもないが、人為的にその感覚になったとしても「運命学」の理論のうえでは、あまり意味はなさないと思われる。何より、薬物が法に触れるのであれば、その法が「なぜ」それを禁じているのか考えるべきであって、オレとしては考えた結果、自分の安寧を乱すことになると結論づけるので手を出す気は毛頭もないし、余人にオススメするわけにもいかぬ。
話がそれたが、オレの占いというヤツは、目の前の対象の心理と脳裏を読み解き、通常に起こりうるだろう未来の現象を想定し、そのうえでよりよい未来を選択できるよう、クライアントの目を啓かせることがメインである。言い方は格好よいが、実際にクライアントの満足感は、ほとんど「愚痴をきいてもらえるから」とのことであるから、それなり技術も知識もあるが、占いのテクニックそのものよりもどうやら真剣に話を訊く態度のほうが重要なようである。
まったくもって、水商売と大差はない。それどころか、オレの場合、お客様に酒を供すわけではないので、水商売と呼ばれるものよりアコギな商売である。
むしろ、詐欺師に近い。「いかに相手を気持ちよくさせるか」である。相手が騙されたことに気づかないほど気持ちよくさせるのが彼らであり、あくまでも占いは騙しの道具ではないにせよ、あやふやな情報で誤魔化すことも少なからずあるのだから、似通っているとはいえる。
オレの職業倫理としては「仕事とは肉体を酷使してするものか、さもなくば、相手を気持ちよくさせるものでなくてはならない」という感覚が青春時代からあって、これに該当するのは、職業といえるのかどうか甚だあやしいが「天使」とか「性風俗関係」とか「看護・介護」とか「宗教家」とか、まことに清らかなものと一般に汚らわしいとされるものとの両極を行ったり来たり振り子のように考えられる。ここに、オレは「占い師」という場所をなんとか見つけ「あたりゃしない」といわれながらも生計をひらくに至るわけだ。
あたらない占い師であるから、とくに、未来の想定に関しては、傲慢で思い込みの激しいやりかたをすることが多い未来視であるから、自分が本当に裁判員になるとは考えていなかった部分もあるし、また、裁判員になったら、とある議員の選挙事務所に車が突っ込んだ事件になるのではないか、などと思い込んだわけであるが、あとからやってきた「未来」という現実には、あたっていなかった。
呼び出し状を受け取ったのが10月、呼び出し状にて呼ばれているのが12月。
さて、間の11月に、選挙事務所の事件に関しては裁判員裁判が開始された。
と、いうことは、オレが裁判員になれる可能性があるのは、その事件ではないわけだ。
ここで、大いにオレの想定はずれ込んできた。
2011年が、オレにとって「大切なことを身につける時期である」ということは2008年に占いをたてたときに分かっていたことである。が、人生において、大切でない時期など、本質的な意味においてはありはしない。だから大して意に解していないように、手記には感慨が述べられている。
が、実際、2011年という未来を歩くと、どうだろう。日本というものが、地震や津波や台風や、あれやこれや自然災害を多く体験しながら、ぽつりとした島国が、どうやって日本として今までやってきたのか、多くの人が忘れ去った、手を携えた島国根性をもってやってきたということを痛感させられたではないか。
その過程で、オレの個人的な総仕上げは、裁判員というものを体験することらしかった。
12月、呼び出し状のとおりに、水戸地方裁判所に足をはこぶ。呼び出し状のとおり、と、言いつつ、あまり行かない地域であるため旅程時間が分からず、呼び出されている時刻のほぼ一時間前には到着していた。
そこで「裁判員選任手続き」が行われることとなる。
裁判員候補は18人くらい呼ばれているのだろうな、と思ったわけだが、これも大きな想定ミスであった。すでに4人ほどが着席して待っている「選任手続き」の部屋は、全部で30席ほどあった。
それぞれの席に番号のプレートがおかれ、オレは、オレの席「9番」に座った。部屋の、入り口から一番遠い列であった。
席に着く前に、おおむねを目の端で確認すると、ナンバープレートは最後尾が48番だかそこいらへんまであった。オレの席の後ろが12番で、オレの席の前が7番である。
つまり「呼び出し状」の返信「質問票」で、すでに何人かは、裁判員になることを辞退済みだということだろう。8番や10番の人は、親の介護や、子の育児や、自分の病気や、年の瀬の仕事を抜けることができない事由から、すでに辞退している、ということだ。
席について、オレはあの不思議な極大感覚を味わった。確信してしまったのは、ここからくじ引きをするとして、それが確実にあたるだろうということであった。その天眼鏡をあてがったような視界で、オレは「事件概要」という書類に目を通した。
ここで「選任手続き」でもっとも重要な書類作成になる。被告人、被害者、証人など、知人がいないかどうかを確認する作業だ。もし知人があれば、その誰かに感情移入しすぎ、公平な裁きとならないので、裁判員になれない。ここで嘘いつわりがあると、大きな問題となりうるだろうと思うが、実際に知人かどうかは自己申告によるわけだ。
世捨てを理想とするオレは、エッチな関係にある友人たちしか接する機会がないので、と傍証するのもあれだが、裁判員は県内の各所から集まるわけで、県内のまったく近づかない地域の幾人か、といわれて知人であることなどないのではなかろうか。
被害者のひとりに飲食店の店長があり、こうしたひとには知人が多い可能性があるし、あるいは裁判員候補のなかには、仕事の関わりのうえで、他の被害者で社長であるひとと知人であるなどということはあるかもしれない。
ともかく、オレには、知っている名前がなかった。
そこで、公平な判断ができそうか、知人はいないか、などと質問される調査票にチェックを入れて、呼び出しに書かれていたとおり、暇つぶしにもってきたドイツ語原文の童話などを読みふけって、ひたすら待った。
窃盗、および、強盗致傷。
計3件の事件を、いかに考えるべきか。
オレは、これから目にすることになるだろう被告人の、生涯を、とくに幼少期をぼんやりと思い浮かべながら、鼻にかぐわしい香りを感じた。
……隣に座った男性が、イケメンだったのだ。
こんなオレが、被害者や被告人や証人は、裁判員としてふさわしいと思うのだろうかと訝りながら、もう選ばれることが分かってしまった興奮も冷めて、ひとり自嘲したのである。
~つづく~
逆転裁判シリーズ。
うん、好きです。