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桂川を渡るとき

作者: 島津恭介

 天正十年六月二日。


 丹波亀山を発った軍勢は、老ノ坂を越えて沓掛で休息していた。

 兵を率いる光秀は、床几に腰掛けながら数日前の愛宕権現での連歌の会を思い出していた。


 あの日、自分が詠んだ発句。


 ときは今 あめが下しる五月かな


 あの句を詠んだとき、里村紹巴の表情が変わったのを思い出す。

 ああ、そうだ。

 あれを詠んだいま、もう後戻りはできない。

 紹巴が何かの弾みで前右府にこれを密告したら、自分は身の破滅である。

 厳しい表情を崩さぬまま、爪を噛む。

 徳川右近権少将の癖が移ったか。

 この後のことを考えると、落ち着いてはいられない。


「殿、そろそろ出立せねば」

「わかっている」


 斎藤内蔵助がやってくる。

 計画のすべてを知っているのは、この男だけだ。

 前右府を殺す。

 畿内に覇を唱える権力者を倒すなど、不意打ちでしか成せぬ。

 その奇襲の企てのすべてを、この男と計画してきた。


「大丈夫でござる。すべて、うまくいき申す」


 内蔵助にとっては、死活問題である。

 ここで前右府を殺さねば、女婿の長宗我部宮内少輔もろとも沈む未来が待っている。

 激しい織田家の生存競争に生き残るために、いま動かねばならなかった。


「弥平次は、もうだいぶ進んだか?」

「はっ。桂川まで半ばというところでござろう」

「我らも急ぐぞ」


 明智弥平次は、信頼のおける光秀の片腕である。

 計画は打ち明けているが、内蔵助のようにすべてを知っているわけではない。

 だが、それでも何も言わず彼は従ってくれた。

 その信頼には、応えねばならぬ。


 沓掛を発つ。

 道が違うと、訝しむ兵もいるようだ。

 京で前右府の閲兵を受けると、内蔵助が触れ回っている。

 確かに、兵を見せることになるだろう。

 ただし、味方としてではない。

 そのとき、前右府はどう出るだろうか。

 野生の獣のような武勇を持つあの男なら、この状況でも逃れるすべはあるのだろうか。


 桂川に向けて馬を進ませる。

 息が荒くなるのがわかった。

 逸る気が、抑えられないのだ。

 割れ鐘のように鼓動が頭に響いている。

 口の中が、からからになるのがわかった。


「殿」


 内蔵助が、竹筒を差し出してくる。

 栓を開け、水を流し込んだ。

 まったく味はしない。

 が、身体が賦活するような気持ちになる。


「桂川にござる」


 うっすらと夜が明け始めている。

 もう、京は目の前だ。

 光秀は、馬の沓を切り捨てさせた。

 足軽にも、草鞋を履き替えるよう指示を出す。


 明らかな戦闘準備に、将兵に緊張が走った。


「敵は本能寺にあり」


 宣言とともに、全身が解放感に満たされた。

 前右府を、殺す。

 ついにそのときが来た。

 高揚感とともに、光秀は笑う。


 桂川を渡るのだ。

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