Creeper (クリーパー)
アモンが死んだ。僕が殺した。
3年間、飼っていたカワウソのアモンを僕は陸橋の上から道路へ向けて投げ捨てたのだ。
アモンは交通量の多い二車線の道路の上へ運良く車を避ける形で地面へと落ちた。
陸橋の上から見た限りでは、アモンは肩口辺りから道路へ落ちたようだった。
衝撃で気を失ったのかアモンは動かなかった。僕は後ろを振り返りこちらへ向かっている車を確認した。
先頭は乗用車で続いて中型バイクが向かって来ている。並走する宅急便の大型トラックがどういう訳か速度を上げた。僕は欄干から身を乗り出すような姿勢を取り道路を見下ろした。
目を覚ましたのか微かにアモンが頭を動かしていた。
「アモン起きろ!早く逃げないと車に轢かれるぞ!」
僕はそう叫んだ。その声がアモンに届いたのか、アモンはその小さな四つ足で必死に身体を動かしていた。
「アモン、右だ。右手に中央分離帯がある!そこへ逃げ込め!」
更に大声で叫んだ。アモンは頭をキョロキョロと動かした。僕の声が聞こえているようだった。
「アモン!」
僕の3度目の声の後、アモンは右手へと動き出した。
「そうだ!そっちに逃げるんだ!」
僕の声を掻き消すように、キィッというアモンの鳴き声と同時にその小さな身体の上を車線変更した宅配便のトラックが通過していった。
小さな前足が千切れ分離帯へ向かって飛んだ。尾っぽが宙に浮き、続いて来たバイクの運転手のハーフヘルメットのシールドにぶつかった。突然、前が見えなくなった運転手はハンドル操作を誤り、分離帯へ直撃した。
運転手はバイクから投げ出され反対車線を走っていた車のボンネットの上へぶつかりフロントガラスを転がり上がってから道路へ落下した。
そこへ荷台に沢山の花を積んだ花屋の軽トラックが突っ込み前輪で運転手の頭を踏み付けた。
ヘルメットが割れる音に混ざり運転手の手足と胴体が再び道路にぶつかり跳ねた。
前輪が浮いてバランスを崩した軽トラックは横転し歩道のガードレールへ衝突した。荷台の花が飛び散り道路や歩道を鮮やかに彩った。
僕は一連の事故を一部始終目撃した後、握っていたリードをポケットに押し込み、その場から立ち去った。
このような事をしたのには理由があった。それはアモンに対する僕の愛情が本物か確かめる為だった。
確かにアモンは可愛いカワウソだった。鳴き声も餌を食べる姿もお風呂の中で泳ぐ姿も僕にくっつき一緒にお昼寝をする姿もとても可愛かった。けれどある時、僕は思った。可愛いと思う気持ちと愛しているという気持ちは別物ではないのか?と。
可愛がるから愛していると言えるのか。世の中には可愛いと思うものは無数にあるが、だからと言ってそれら全てを愛しているかと問われれば誰だって違うと答える筈だ。
だからアモンに対する僕の気持ちが本当の愛で満ちているのか、それを知るに1番良いのは死別ではないかと言い考えに僕は行き着いたのだった。
アモンが死ぬ姿を見せてくれれば、きっと僕の気持ちが露わになる。感情が揺さぶられ泣き崩れる。その時、僕がどれだけアモンを愛していたか知れる筈だ。そうなると思っていた。そうなる筈だった。
だけど僕はアモンがぐちゃぐちゃに踏み潰され死んでしまっても何も感じなかった。その結果から可愛いと感じる気持ちと愛情とは別物だと僕は気づいた。
陸橋の階段を降りながら、僕は思った。動物には愛情を注げなかったとなれば、僕が愛情を注げられるものは何だろうかと。
階段を降り切り、しばらく歩いていると手ぶらの小学生の男の子が3人、笑いながら僕の側を駆け抜けて行った。その無垢な笑顔に僕はとても可愛いなと思った。
僕は足を止めて走り去って行く小学生の姿を見守った。そんな僕の視線に気づいたのか、3人の子供達が走る事を止めてこちらへ振り向いた。
「馬鹿山早くしろよ!」
1人の小学生がそう叫んだ為に僕は馬鹿山?と思った。その後、何故か僕は自分の苗字を復唱していた。僕の苗字には山は付かない。ならあの小学生に呼ばれたのは僕じゃないという事だ。
少し残念な気持ちで僕は向き直り再び歩き出した。その時、身体の前に3つものランドセルを抱えた小学生が顔を真っ赤にしながら、
「待ってよう」
と先で待つ3人へ向かって言った。
その姿を僕は愛おしいと思った。
僕はつい手を伸ばしてその子の背負ったランドセルを掴んだ。そして抱えていた3つのランドセルを無理矢理奪い取ると、中身をぶちまけ、1つ1つ道路へ放り投げた。こんな可愛い小学生に3人の醜い小学生のランドセルなんて持たせてたまるか。僕は3人を睨みつけた後、側にいる。小学生の頭を撫でた。そうだ。動物には愛情を注げないなら、人間すればいい。可愛い可愛い小学生にすればいい。僕はその子の身体に腕を回し抱え上げた。
「おじさん俺らのランドセルに何すんだよ!」
3人の中の1人が言った。
「は?あの3つのランドセルの事か?」
「そうだよ!」
「あのランドセルはお前のじゃない。この子のだ。何故かって?自分のランドセルなら自分で背負ってる筈だろ?」
「馬鹿山がじゃんけんで負けたから……」
「可愛くないな」
僕は呟きその子供の鳩尾を爪先で蹴り上げた。
そして抱き上げた子供を連れて再び陸橋の階段を登って行った。途中まで来ると子供が暴れだした。
余りに酷い暴れようだった為、僕は一旦その子を下ろして、頬を打った。これも愛情表現の1つだからだ。
子供は泣きじゃくり始めた。僕は再び子供を抱え階段を登り切った。そしてアモンを落とした場所へ行き、欄干にリードを括り付け、残りを子供の首に巻きつけた。その後で子供を欄干の上へと立たせた。
「あんな奴らに馬鹿山だなんて言わせちゃダメじゃないか」
僕は子供のランドセルを掴んだまま後ろを向いた。
先程よりも車の台数が増え、少しばかり渋滞が起こり始めているようだった。
僕は向き直り子供を見上げた。
「僕が言った事、君は理解出来たのかい?」
子供は僕の返事を無視するように泣き続けていた。
「貴方!子供に何してんの!」
いきなり声がして、そちらを向くとそこにはいい歳して髪を赤く染めたおばさんが立って僕を睨んでいた。咽ぶような香水の匂いが僕の鼻をつく。舌打ちするとおばさんは僕の腕を掴んだ。
「他人には関係ないでしょう」
僕はおばさんの腕を振り解き、その手でおばさんの髪の毛を掴み力任せに欄干へぶつけてやった。おばさんは欄干に額をぶつけ背中から転げるように倒れた。
「良いかい?あんな奴らは友達なんかじゃない。
馬鹿呼ばわりするそんな奴等の友情なんか偽物だよ。ね?わかるよね?」
僕はいい、ランドセルを掴んでいた手を離した。
子供は欄干の上で両腕を回しながら身体のバランスを取ろうと足掻いていた。身体が前後に揺れ、その度に不安定な自分の体勢に子供は悲鳴を上げた。
その危うさの中にある必死な頑張りを見て、僕は深く感情が揺さぶられた。これこそが愛なのだと思った。僕は未だ欄干の上に立っている子供のランドセルへ向けて再び手を伸ばし、軽くランドセルを押してあげた。
子供はいとも簡単に欄干から道路へ向けて落ちた、と思った。急いで道路を覗き込んだ。
欄干と子供の首にリードを巻きつけていたおかげで、この子が道路へ落ちる事はなかった。額に脂汗が滲み出る。手の甲でそれを拭いながら、この子が道路へ落ち車に跳ねられアモンやバイクの運転手のように死なずに済んで本当に良かったと思った。
僕は陸橋と道路との中間で手足を振り回して暴れるランドセルを背負った子供を別角度から見たくて階段の方へと駆けて行った。
そして、そこへ辿り着いた時、宙ぶらりんの子供は殆ど動いていなかった。その姿を見て僕はぎゅっと胸を鷲掴んだ。微かに傷む胸を摩りながら、やっぱり愛を注げるのは人間であり、小さな小学生だと思った。
込み上げてくる感情に目頭が熱くなった。僕は涙を拭う事もせず、動かなくなった子供へ向けて手を振った。
僕は愛に満たされた笑みを浮かべながら、新たな可愛い小学生を見つけようと思い、手摺りに触れながら、ゆっくりと階段を降りて行った。
了