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第7話

本日2話目の更新となります。

第7話



◇古書喫茶『ClamPon』、店内


「古書喫茶『ClamPon』。今日から、営業を再開したいと思います!」


 キャンプ場での死闘から、明けて翌日の朝。ナナは店内の中央で、高らかにそう宣言した。


「おー」

「お、おー?」


 ナツキとサギリが拍手する。色々あってずっと閉めていた古書喫茶だが、この度めでたく営業再開の運びとなった。


「そういえば、ここ喫茶店でしたね」

「いまさらぁ?」

「うん、名前は喫茶なんだけど、営業の形態としてはカフェなんだよね。おばあちゃんが居た頃は喫茶店営業許可証で開いていたから凝ったお料理とかは出せなかったんだけど、私は調理師免許を持っているから飲食店営業許可証をもらって、カフェとして開いているんだよ。バリスタのライセンスも取りたいなって思って勉強中なんだけど、これが結構難しくって。どうせなら国際資格を目指したい所だけど、かなりお金がかかっちゃうから考えものなんだよねえ」

「うぇ、あ、はい」


 何かを刺激してしまったらしく、ナナが突然捲し立てはじめる。一家言ある人に好きなように話をさせると面倒だと知っているサギリは、話題を変えることにした。


「そ、そういえば、このお店の名前って少し不思議な響きですよね。何か由来があるんですか?」

「サギリお兄さん、『やまなし』って知ってる? 宮沢賢治の。それに出てくることばで、ホントはクラム()ンなんだけど、おばあちゃんが読み間違えたままお店の名前にしちゃったの」

「へー。登山が趣味なのかと思ってました」

「とざん?」


 サギリの記憶では、アイゼンのことを、英語かフランス語ではそう呼んでいたような気がする。


「あれ、ナツキ覚えてないの? ナツキがまだ小っちゃい頃に間違えて覚えたのを、響きがかわいいからっておばあちゃんが気に入ってつけたんだよ?」

「えー! うそ初耳だよ!」

「あれ、じゃあ開いてからそこまでは経ってないんですね」

「この名前に変えたのは、確かに最近かな。――それで、話を戻すけど、今日のランチから営業再開します。それに伴いまして、新メニューを考えたので、試食会を開きたいと思います」

「やったー!」

「おぉ」


 これにはサギリも素直に喜びを表す。


「じゃあ今日は”ぶらんち”?」

「そうね。お昼時は食べる暇無いかも知れないから。……サギリ君も、オーダーとか、少し手伝ってくれると嬉しいかな、なんて」

「構いませんよ。美味しい食事もご馳走になってますし、その分くらいは」

「ありがとう助かるよー。ボディーガードもしてもらってるのに、申し訳ないんだけど」

「良いですよ、そのくらい」

「きちょーな男手だもんね」


 そんなこんなで、ナナは新メニューの支度に入る。出来上がるまでの間、若干手持ち無沙汰になったサギリは、そう言えば店内を落ち着いて見たことが無かったと思い至り、少し観察することにした。


 店内は、カウンターも含め十席程度の小ぢんまりとした規模だ。椅子や机はアンティーク調な一方、和モダンやシノワズリな調度品もそこかしこに置かれており、あまり統一感が無い。


 そして、何と言っても目を引くのが本棚だ。いくつもの大きな本棚が、どうやら分類ごとに配置されているようなのだ。


 洋書、小説、児童書にはじまり、週刊誌、漫画、参考書まである。……どうやら、”古書”と言う響きから連想されるような本以外にも、幅広く取り揃えているらしい。


(赤本まである……)


 その品揃えの雑食ぶりに驚きと呆れを覚える。姉妹の祖母というのは、一体どういった人物だったのだろうか。


 サギリは、何とはなしに、その中の一冊に手を伸ばす。かなり年季の入った週刊誌だ。大見出しは『目指せ玉の輿! 今狙おう、IT長者!!』


(時代を感じる……)


 十年以上前の雑誌だろうか、何となく情報が古い。その他の見出しは……


『熱愛報道! カメラが捉えた決定的瞬間!!』

『大丈夫? AIの判断 責任の所在は』

『特集:ロボットと過ごす未来 ~労働からの解放?③ マンマシンインターフェースの権威、烏丸彰隼教授』


(……)


 サギリはナツキの教育に悪影響がありそうなそれを、なるべく目立たなくなるように戻した。


「もうすぐできるから、準備してー」

「はーい」


 どうやらブランチの時間らしい。ナナが声をかけると、スマートフォンを操作していたナツキがキッチンへ小走りに向かう。


 サギリも配膳の手伝いに向かうことにした。






「はい。というわけで、新メニューのお披露目です! 今年はまだ暑い日が続くから、思い切って冷たいものにしてみました!」


 出来上がった新メニューはスープとパスタだった。じゃがいもの冷製スープ、ヴィシソワーズ。そしてトマトソースの冷製パスタだ。


「わー、びしそわーず! お店に出すことにしたんだ!」

「うん。あれから改良を重ねて、ようやく納得のいくものができたからね」

「それからこっちは、冷たいスパゲッティ?」

「スパゲッティじゃなくて、カペッリーニね。そっちも自信作!」

「ふーん。おそうめんみたいだね。いただきまーす!」

「……いただきます」


 どちらもまず、見た目が良い。料理に味が重要なのは勿論だが、見た目や香りといった要素も決して疎かにしてはならない。我々は五感を使って食事を楽しむのだから。


 ヴィシソワーズは白磁のように滑らかなスープに数滴のエキストラヴァージンオリーヴオイルが垂らされている。更に、緑色の薬味も散りばめられている。恐らくはチャイブ。見慣れない要素として、茶色の薄片が添えられている。クルトンか? いや、それにしては平べったすぎる。


「おいしー! おぬし、腕を上げましたな」

「ははー、ありがたきおことば、こうえいにそうろう」


 ナツキは既に飲み始めていた。観察は程々にし、実食に移る。


(いざ……)


 まずはスープのみをスプーンで掬い、口に運ぶ。途端に口内にはクリーミーな味わいが広がり、豊かな風味が鼻腔を通り抜けた。


「美味しい……!」


 文句のない味わいだ。風味から、日本では手に入りにくいリーキの代わりに長ネギを使用しているようだが、それが見事に調和している。丁寧に濾されたスープの喉越しも良く、嚥下後に不快なザラザラ感が残ることも無い。


 次の一口。気になっていた茶色い物体も掬い取り、スープ諸共口に入れる。


(これは! チップス!)


 茶色い薄片の正体、それは揚げた芋の皮だった。クリスピーな食感が単調になりがちなスープに新たなテクスチャを加え、茹でた芋からは摂取することのできない香ばしさが食べ進める手を後押しする。


 惜しむらくは時期! あと何ヶ月か早い新じゃがの季節なら、更に美味だったであろうことは想像に難くない。


(スープは大満足だ。次は……)


 冷製のカペッリーニ。真っ赤なトマトソースが食欲を増進させる。一瞬、昨日死闘を繰り広げた女の来ていたドレスが頭に浮かびかかるが、断固とした意思でこれを追い出す。


 気を取り直し、カペッリーニに向き合う。冷製パスタは、ともすれば先のナツキの指摘のように素麺のようになってしまう難しい料理だ。冷たいがゆえに風味の面でも不利。果たしてこの難物がどう”料理”されているのか……


「……いただきます」


 適量をフォークで巻き取り、ソースを絡めてから頂く。途端に広がる芳醇なトマトの旨味!


 トマトは加熱により酸味の角が取れており、旨味が際立っている。点在する固形物に当たると、それはより顕著に。この凝縮された旨味は……セミドライトマト! 日本三大旨味成分であるグルタミン酸とグアニル酸が、確かな存在感を持って冷製の不利を補っているのだ!


 冷製に合うようフレッシュの物も使われているようであり、加熱したトマトペースト、セミドライトマト、フレッシュトマトの三種が見事な共演を果たしている。彩り豊かなイタリアンパセリの清涼感が都度口内をリセットするため、ヴィシソワーズ同様こちらも食べ進める手を止まらせない。そして何より……


(茹で加減!)


 テフロンダイス特有のつるりとした表面の質感と、心地よい歯ごたえのコントラスト! 茹で上げた後氷でしっかりと冷やした塩水で締めており、パスタとしての存在感が損なわれていない。小麦の良い香りも健在で、”天使の髪の毛”の名に恥じぬ上質な仕上がりだ。


「かっぺ?って言うのもおいしーね! トマトがたくさんで、本場の味って感じ」

「ナツキちゃんそれは違う。冷製パスタは日本で考案された料理だから、本場イタリアには存在しない。彼らにはパスタと言えば熱いものという固定観念があるからね。水で締めるという概念自体が無いんだと思う。蕎麦や素麺といった下地がある日本だからこそ生まれた料理と言えるんじゃないかな」

「きゅーにどうしたの?!」


 ナツキの考え違いを正すサギリ。


 エビフライ、オムライス、クリームシチュー……実は日本人発祥、という料理は意外と多いのだ。


 これらの料理を作り上げたナナが会話に加わる。


「サギリ君くわしいのねー。そうだ、具を追加するとしたら何がいいかな?」

「そうですね……このままでも十分美味しいですけど……月並みですがツナは合うと思います。イノシン酸は核酸系なので。あとはオクラなんかも合うんじゃないでしょうか。ニンニクは使わないんですか?」

「ランチ想定だから、ニンニク抜きのオーダーも多くてね。入れちゃえば大体美味しくなるから、あえて抜いたものの感想が聞きたくて」

「美味しくなるかどうかは腕次第だと思いますけど、ナナさんにそういった心配は無用ですね……と言うか、お店だとそういう事も考えないといけないんですね。ニンニク抜きでも食べごたえがあって良いと思います。暑さで食欲が減退していても、これなら沢山食べられそうです」

「なるほどなるほど。参考にさせてもらうね」

「いや僕なんかが、上から評価しているみたいですみません」

「そんなことないよ、すごく助かる!」

「いやいや」

「そんなそんな」




「サギリお兄さんがこんなにしゃべってるとこ、初めて見た」


 少々の呆れを滲ませ、ナツキがそうこぼした。






◇峯曽邸


(蘇芳君……)


 峯曽夾丞は、かつての教え子のことを考えていた。定時連絡が途絶えて一日が経とうとしている。前もって聞いていた”狩り場”に向かわせた偵察員の報告が、そろそろ来るはずだ。


(事は一刻を争う、か)


 守るにせよ、打って出るにせよ、要員の選抜と作戦の立案を急がねばならない。すべては計画の成就のために……






◇古書喫茶『ClamPon』


 この日の昼時、古書喫茶は久々の開店ということもあってか、大変に繁盛していた。


「サギリ君、こちら2卓様に」

「はい、今行きます!」

 「すいませーん注文いいですかー?」

「はいただいま!」

 「お冷やください」

「わかりました!」

 「フォーク落としちゃったんですけど」

「今伺います!」

 「デザート変更って――」

「少々お待ちください!」


 この仕事量を、普段は姉妹でこなしていたのか。いや、小学校のある日はワンオペで?!


「サギリ君ごめんねー。いつもはこんなに忙しくないんだけど……」

「いや、大丈夫、です。それ1卓ですか?」

「うん、あ、ジンジャエールがセイムだった。ちょっと待ってて」

「はい、注いでおいたよ」

「ありがとナツキ」


 飲食店の業務自体も大忙しだが、もう一つ、サギリを悩ます存在があった。それは……


「あらナナちゃんこちらが噂のバイトさん?」

「ンま! 若くて結構美形じゃない? こっち来てお話しない?」

「そんな事言って、ナナちゃんの()()かもしれませんことよ?」

「「あらあらまあまあ」」


 常連と思しきマダム集団に引き止められるサギリ。いつの間にか給仕服の端をつかまれていて、逃げるに逃げられない。恐怖!!


「いえ、あの、今忙しいので……」

「ほら困ってるじゃない放してあげなきゃ」

「そんな事言って、奥さんだって掴んでいるじゃなぁい?」

「これは持って差し上げてるだけよ」

「あらやだ」

 「お水まだですかー?」


 忙しくしているのが見えないのだろうか。大体、このテーブルは既にデザートを平らげているにもかかわらず、紅茶をチビチビ飲んで居座っているのだ。待ち時間を伝えた結果帰ってしまった何組かを思い出し、知らずサギリの左手が左ポケットに伸びそうになる……


(いや、我慢だ我慢……)


サギリは、笑顔を崩さないよう自制心を総動員した。






 ――しばらくして。


 ランチ客がだいぶ捌け、店内が落ち着きを取り戻した。


「初日からごめんね。いつもはこんなじゃないんだけど……」

「いえ、だいじょぶです……」


 疲れた。肉体的に、と言うより、精神的に疲れた。


 あの後も同じような年代の御婦人方に散々絡まれ、サギリは疲弊していた。


「気のせいかも知れないけど、なんかサギリ君目当てのお客さんが結構いたような……? でもサギリ君がうちに居ることなんて、知ってる人そんなに居るかなぁ」


 その時、ナツキが少しビクッとしたのを、サギリは見逃さなかった。


「…………ナツキちゃん?」

「い、いやーひさびさだから、少しでもお客さん来ればいいなーと思って、”flaっと”で……」


 何ということだ。どうやら営業再開にあたり、要らぬ宣伝までしていたらしい。ナナも意想外であった繁忙はこのためだった。


 悪気のないナツキの”お節介”に腹を立てたものかという逡巡はしかし、新たな来客を知らせる音によって妨げられた。


「いらっしゃいませ。二名様ですか?」


「あ、いや、営業中ならまた後で――」

「えー、折角だからお昼ここで済ませましょうよ。今日は愛妻弁当じゃないんスよね?」


 二人組の男達が、何やら問答を始める。もうすぐラストオーダーだ。入るならさっさと入ってくれ、とサギリは思った。


 ――いけない、少々イライラしているようだ。平常心、平常心だ。




「この間の刑事さん?」


 キッチンの方から、ナナがそう声を掛けた。






「じゃあ、この冷製パスタのセットで」

「すみません、ポークジンジャー、野菜抜きってできます?」


 刑事の鷹山と青葉は、少し遅めの昼食をとることにしたようだ。


「……お前のその偏食はどうにかならんのか。だから一緒に洒落た店に入るのは嫌だったんだ」

「タカさんだって、ほうれん草苦手じゃないスか。知ってますよ、遅く帰った翌日の弁当、ほうれん草だらけでいつも苦い顔して食べてるの」

「苦手でも俺は残さず食べとる。野菜もしっかり食わんと、若い内は何とでもなるかもしれんが、年行ってからどうなっても知らんぞ」

「いや、自分、サプリ飲んでるんで」

「あのなぁ……お嬢ちゃんも、こういう悪いのは見習わず、好き嫌いせず何でも食べるようにせにゃならんぞ」


 鷹山はナツキにそう語りかける。若い刑事の方は相当な偏食家らしい。


「うちはおりょーりがおいしーので、だいじょーぶです」

「そりゃ何よりだ」

「タカさん、嫌々食べると栄養にならないって聞いたことあるスよ。やっぱりその時身体が欲しがってるものを食べるのが健康的だと思うス」

「……肥満の奴が言いそうな論理だな」


 ともあれ、サギリは確認したオーダーをナナに伝え、二人は運ばれた料理に舌鼓を打つのだった。






「それで、その後、ナツキのお友達の方はどうなりましたか?」


 食後。


 鷹山らが最後の客となったため、店内に他の客は居ない。仕事も一段落付いた所で、ナナが切り出した。


「いやーなんも無しス。それどころか他にも増える一方で――」

「おい、捜査状況をペラペラと喋るんじゃない」


 あまり漏らすべきでない情報だったのだろう。青葉が鷹山に掣肘される。


 ナツキのネット上での友人の行方を聞きに刑事が訪れたことは、サギリにも知らされていた。怪物の話をしたものの、信じては貰えなかったことも。


「そうスかねぇ……鵜飼さん達が追ってる件とか、そろそろ注意喚起した方が良い気もしますけど」

「むぅ」

「注意喚起、ですか?」


 若い方の刑事、青葉の意見に、ベテラン刑事、鷹山が言い淀む。それを聞いたナナが疑問を口にした。


「……まあ、その、最近レジャー系の場所で行方不明になるケースが増えてまして。とは言え、山だ川だって場所は普段からある程度は出るもんなんですがね。どうも数が多いみたいで、まだ何とも言えない状況ではあるんですが」

「レジャー系……キャンプとか、ですか?」


 歯切れ悪く明かしてくれた鷹山に、ナナがまた質問する。


「キャンプ場もありましたね。あのCMの奴ス。後は湖周辺の別荘地なんかでも――」

「普段から事故が多い場所ですから、いつも以上に気をつけてください。まあ、そろそろ学校も始まる時期ですから、そう出掛ける事も無いかもしれませんが」

「……はい」


 青葉を遮り、鷹山がそう結んだ。


 キャンプ場と言うのは、昨日倒したヴィリディアンの”狩り場”だろう。別荘地の事は初耳だ。土地勘が無いのでどこを指しているかは分からないが……サギリは、後でナナに聞くことにした。


「――ところで、こちらが?」

「あ、はい。サギリ君です。親戚の」

「……どうも」


 話を振られ、会釈するサギリ。ヴィリディアンやヴァニタスの事は伏せることになっている。これはサギリの希望でもあった。


 人間社会に浸透したヴィリディアンの根は予想以上に深い。それは警察組織も例外では無く、末端の構成員への不用意な情報開示は、彼らの身に危険を及ぼす可能性がある。


「先日伺った際はお会いできませんでしたね。改めまして、刑事の鷹山と青葉です。そちらのナナさんの……あ、いやナツキさんのネット友達が行方不明になった件でお話をお聞きしましてね。その事は……」

「はい、聞き及んでいます。と言っても、僕はよく知らないんですが」

「まあ、そうスよね」


 ナツキの友人だという人物が行方不明だと言う。ナツキ自身、直接会ったことが無いというのだから、サギリが知らないのは無理もない、と判断できるだろう。


 ……実際には、当てがあるとしても。


「……それで、その時にですね、お二人から妙な話しを聞かされましてね。その、怪物がどう、とか」

「僕も聞きましたけど、見間違いだったんじゃないかって話しに落ち着きました」

「見間違い、ねぇ……えらく具体的な内容だったと記憶しているんですがね」

「見間違いだと思います」


 逼迫した状況下で、口止めや口裏合わせといった措置を怠った。結果として、姉妹は警察に色々と話してしまった。


 ナナが語った内容は、概ね”怪物が現れてヒーローに助けられた。行方不明はその怪物の仕業ではないか”というものだったそうだ。刑事がどこまで本気にしてどこまで覚えているかは分からないが、ひとまずすべて見間違いだったで押し通す方針が固められていた。


「……まあ、本人たちがそう言ってるんスから、これ以上追求してもしょうがないんじゃないスか?」

「そうは言うがなあ」


 若い刑事、青葉は既にこの件に興味をなくしている様子だ。ただでさえ行方不明者が続出しているのに、世迷い言にかまけている暇は無いというのが本音だろうか。


 対して、ベテランの鷹山は何かが引っかかっているようで、難しい顔をしている。


「……怪物、というのを素直に信じられるほど頭が柔らかいわけじゃあない。だがな、青葉。今何かが起きている。俺の勘がそう言っているんだ」

「それが怪物だとでも言うんスか? んな荒唐無稽な……」

「それなんだよなぁ。もう少し現実的な理由だったら納得行くんだが」


 鷹山は、自身の持つ常識と勘との間で揺れている。今ここで変身してみせたなら、彼の言う納得にすべての説明がつくのだろう。だが、警察とは言え一般人を巻き込むのは気が引ける。


「それはそうとタカさん、そろそろ時間スよ。午後は鵜飼さん達と合流する予定だったじゃないスか」

「……ああ、そうだな。じゃあ、また何かありましたら、ここに連絡を」


 席を立ち、店の出口まで進んだ鷹山が、サギリに名刺を渡した。


 当の鷹山は未だ疑念を払拭できておらず、探るような目でこちらを観察している。曖昧な笑みでこれを躱すサギリは、鷹山の背後、店外で無表情にこちらを見る青葉に気付いた。


(……?)


 青葉刑事は若いということもあって明るい印象の男だった。その店内と異なる様子にサギリは一瞬戸惑うが――


「それでは」


 鷹山により出口の扉が閉じられ、視線が遮られた。






「よし、鵜飼達と合流するぞ。運転は任せる。最近、飯食った後はどうも眠気がなぁ」

「了解っス」


 この間の健康診断ではHbA1cが引っかかった。一度きちんとした検査を受けたほうが良いかもしれない。


「そういやぁ弁当じゃなかったのって、奥さんと喧嘩でもしたせいスか?」

「……色々あんだよ」


 連日残業が続くと、たまにこうなる。今週末は、少しばかり家族サービスの必要がありそうだ。


 ――それよりも、店内での相棒の様子が気になる。


「あのサギリとか言う兄ちゃんのこと、気にしていたようだが、どうした?」


 言動こそいつも通りだったが、視線や醸し出す雰囲気が、常の青葉のものと少し違う。そんな印象を受けたのだ。


「…………や、お姉さんと付き合ってるのかなって」

「お前……集中しろ」






「ふ~。見間違い作戦、成功だね」

「成功、かなぁ……?」


 なぜか自信満々なナナに、サギリは懐疑的に応える。


 事前の取り決め通り、警察に嘘をつく形になってしまったが、結果的にあれで良かったのだと思う。


 敵は、生身の人間では単純な腕力で太刀打ちできず、その一方でアサルトライフル並の威力を持つ弾丸を、ほぼ無尽蔵に放つ個体もいる。


 対抗手段は、限られている。


「それより、刑事さん達の話に出ていた湖と別荘地について、思い当たる場所とかありますか?」

「うーん、多分ココだと思うけど……やっぱり、行くの?」


 ナナは、いつの間にか広げていた県内の地図を指しながら、心配そうな視線を向ける。その気遣いはありがたいが、ヴィリディアンと思しき情報が入った今、やるべき事から目を背けるわけにはいかない。


「はい。それが僕の使命ですから」

「使命……聞きそびれていたんだけど、サギリ君は、どうして……」


 それは、恐らくサギリが最も語りたくない内容の一つ。


 ヴァニタスの――この、忌まわしい祝福の力。そのはじまりにまつわる、在りし日の記憶。


「その話は、また、時間があれば……」


 サギリは、逃げるように古書喫茶を後にした。











 それから数刻の後。


 山深い別荘地、その湖畔。


 凪いだ水面の底に、争う影が二つ。




「水中では実力を発揮できないようだな!!」


(ぐっ……!!)


 ヴァニタスは苦戦を余儀なくされていた。





第7話 「古書喫茶、再開」






次回―――


「諸行無常だな」


(……免許、取ろうかな)


「あれ、お客さんかい?」


(菊池藻治……)


「一時期は良かったんだけどねぇ。年々減る一方で、来年はどうなることやら」




(残る手段は最も単純……近づいて、殴る!)



第8話 「水底の戦い」


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