第5話
本エピソードの前に登場人物紹介を投稿しております。
第1話~第4話までに登場したキャラクターの、現在公開可能な情報をまとめてあります。
第5話
サギリがベッドに倒れ込む。今は何より休息が必要なのだ。マットレスの柔らかさに身を委ね、程なく、その意識は霧散した。
夢を見た。懐かしい夢だ。
(『…………ギリ……れ……だい……』)
毎日が楽しかった、あの頃。
(『…………し…………には……』)
幸せな夢には、いつもあの二人がいる。仲の良かった、あの二人が。
(『…………つ……も…………ね』)
二人が、笑顔で、手を振っている。
ぼくも、そっちへ、いこうと、てを、のばして――
目を覚ますと、そこは殺風景な部屋だった。
◇豊吾小学校
「さっきのホラ話、くわしく聞かせろよ!」
世間はまだ夏休み。
しかしこの日、ナツキの通う豊吾小学校は『登校日』。夏休み中にも関わらず、学校で授業を受けなければならない日だった。
聞くところによると、未だに登校日を設けている学校は全国でも少ないのだとか……
ともあれ、久々に学校で友達と顔を合わせられるのは、ナツキにとっては少し楽しみでもあった。あまり顔を合わせたくないクラスメイトも居たが……
「ホントだって! 俺見たんだ。化け物が、女の人おそってるのを!」
ナツキが登校した時、教室内はすでにその話で持ち切りだった。
話の中心に居る少年は大地獅子王。男子のリーダー格といった立ち位置で、少々乱暴なことから一部の女子にはあまり好かれていなかった。
「化け物だって! こえ~~」
「ホントだって言ってんだろ!」
「証拠は? 写真とか無いの?」
「見間違いだろぉ?」
夏休み中、家族とキャンプに出掛けたレオウが、林道で化け物を見たというのだ。荒唐無稽な内容は、普段の言動も相まってホラ話と受け取られているようだ。
「男子がまたバカなこと言ってる」
「テレビの見すぎ」
「あ、昨日のドラマ観た?」
レオウとさして仲の良くない女子グループは、いつもの馬鹿話と断じて興味を失ったようだ。
「ナ、ナツキちゃん、おはよう。ば、ばけものだって、こわいねぇ」
「ヒマリちゃん、おはよ」
既に登校していたナツキの親友、ヒマリが声をかけてきた。休み中も度々遊んでいたので久し振りの感は無いが、学校で会うというのは、また何とも言えない特別感があるものだ。
ただし、今この時は、ナツキの関心はレオウの方に向いていた。ナツキはレオウの席まで勢いよく進み。
「レオウくん、その話くわしく聞かせて!」
「え、ナツキ? いいけど……どうせお前も信じないんだろ」
「いいから教えて!」
取り巻きの間を縫ってレオウに迫り、そう言った。
ナツキは、そのしっかりした性格もあり、男女問わずクラス内での信頼に篤い。そんな彼女が真剣な様子で問い質しているとあって、今まで囃し立てていた生徒は皆気圧されてしまった。
「いや、その……近くにキャンプ場あるだろ? 俺、この間、家族で行ったんだ。それで……」
レオウは、事のあらましを説明しはじめた。
◇キャンプ場、数日前
「俺ちょっと探検してくるー!」
レオウは両親にそう告げると、返事も聞かぬまま走り出していた。この場に残っても食材の下拵えやら炉の管理やらと雑用を押し付けられるに決まっている。折角の行楽日和なのだ。面倒事は要領の悪い弟に任せ、散策を楽しんでこそキャンプに来た意味があると言うものだ。
「~♪」
その辺に落ちていた形の良い木の棒を装備し、林道を歩く。この辺りは景観の良さで知られており、道も良く整備されているため非常に歩きやすい。
「うーん」
この林には松が多いと、行きの車の中で父親が言っていた。気がする。
松。すなわち松茸だ。今の自分は松茸ハンター。高級キノコを持ち帰り、ヒーローになるのだ。何ならトリュフを見つける可能性すらある。……形を知らないが、臭いでわかるはずだ。
「さすがにこの辺は無いかぁ」
林道周辺の松茸は、恐らく他のハンター達に取り尽くされているようだ。ライバルと差をつけるなら、穴場を見つけるしか無い。レオウは林道を逸れ、林の奥に――
「キノコの話はもういーから! ほんだいに入ってよ!!」
「これからがいいところなんだよっ!」
「だいたい、そんな所で松茸が見つかるわけないじゃん」
「松があるんだから、松茸もあるはずだろ!」
「まだしーずんじゃないし、地面に埋まってるからしろーとには見つけらんないよ」
「……うぐっ」
こと食材の話となると、レオウには些か分が悪かった。ナツキの家は喫茶店をしており、姉のナナの料理は絶品なのだ。
「とっ、とにかく、俺は林の奥の方に行ったんだ。そしたら――」
林道を逸れて奥へと進む。整備された道と違い、なかなか歩き辛い。気を抜くと、ゴツゴツとした木の根に足を取られそうになった。変色した落ち葉で覆い隠されているため、うっかり見落としたのだ。
林の木々には、まだ新緑が残っている。つまり、葉は昨年落ちたものであり、整備された道とは違いあまり人の手が入っていない可能性が高い。
(落ち葉が多いって事は、キノコの栄養になるふよーど?が多いってことだもんな! 理科で習った!)
……実際には、栄養の多い土地で松茸は生育し辛いのだが、レオウには知る由も無かった。
林道から離れて何分くらい歩いただろうか。歩き慣れない場所に疲れてきたレオウは、樹の幹に手をつき小休止することにした。荒くなった呼吸を整えるために深く息を吸い込む。その時、この場に似つかわしくない甘い香りを嗅いだような気がして、辺りを見回した。
視界の先で赤い色が動いた。
(?)
赤い色の何かはすぐに木々の影に入り、見えなくなった。一瞬、見間違いを疑う。しかし、そう断ずるには鮮烈過ぎる赤だった。
(松茸ハンターか?)
こんな林の中で、あんな色をしているのは、恐らく人間の服だろう。レオウは同業者の動向を探るべく、こっそり近付くことにした。
木に身を隠しながら近付いていく。目的の人物は意外と遠くに居るようで、その距離はなかなか縮まらない。次第に明確になるシルエットで、赤い物体の正体が恐らく女性であることが察せられた。
と、赤い女性の向く先に、他にも人が居ることに気付いた。二人組の、こちらも女性だ。二人組は林道を歩いている。
林の奥へと進んでいたつもりが、どうやら林道は大きなカーブを描いていたらしく、結果的に戻って来ていたようだ。レオウは何だか、少しガッカリとした気持ちになった。
不意に、赤い人物が右手を前方へと突き出した。二人組の居る方向だ。レオウは言い知れぬ嫌悪感に襲われた。
その先に起きた事を目にした際、レオウは声を上げたりパニックになり物音を立てたりしなかった。それは偶然だったのか。あるいは、あまりに想像と離れたものを目にしたため、ある種の思考停止に陥ったためなのか。
いずれにせよ、それが彼の命を救った。
赤い、ドレスのような服を着た人物が掲げた右手。その右手に、肩から伸びる緑色の蔓のようなものが絡まる。それは前方に居た二人組を目掛けて更に伸び、一瞬にして二人共を縛り上げた。二人組は叫び声を上げる間も無く、その全身を蔓に覆われていく。
蔓でできた大きな繭のような物体が転がる。赤いドレスの女は、二つの繭を引きずって、森の奥へと消えて行った。
「――親には信じてもらえないし、逆に探検したこと怒られるし、散々だったよ。……松茸も、結局見つかんなかったし」
「キャンプ場って、一昨年出来た?」
「……なんだよ、いつもなら馬鹿にするだろ?」
「いーから教えてよ!」
「そうだよ、あの変なキャラクターがCMやってるヤツ。……本当に、信じんのかよ?」
「しつこいなー。信じる、信じる」
「…………あのさ――」
「ほら、席につきなさーい」
言いかけたレオウの言葉は、タイミング悪く教室に入ってきた担任教師によって途切れ、教室の喧噪の中に溶けていった。
(サギリお兄さんが起きたら、教えなくちゃ)
ナツキは席に戻ると、そう心に決めた。
◇古書喫茶『ClamPon』
「……」
「サギリ君?! 起きたんだ! しんぱいしたんだよーっ、身体の方は大丈夫? あ、今何か作るね。お腹ペコペコでしょー、腕によりをかけるから座って待ってて!」
「え、あ、はい」
目を覚ましたサギリが一階に降りて行くと、それに気付いたナナが一気に捲し立てた。サギリはうまく返答できず、言われた通り店のテーブル席に座った。
店内に客は居ない。壁に掛けられた時計を見ると、まだ十時頃のようだ。
拳を何度か握り、状態を確かめる。
……力は戻っている。これなら、また戦える。
ふと、厨房から良い香りが漂って来ていることに気付く。ニンニクを炒めているようだ。
「プッタネスカで良い? フェデリーニにしたから、あと五分くらいで茹で上がるからね。あ、お肉! 昨日の残りがあるから、これも出そう!」
「あ、お構いなく……」
程なく、テーブルに料理が並ぶ。サラダ。トマトソースのパスタ。ポークステーキ。
昨日の残りと言っていたが、ポークステーキは綺麗に一人分が供されている。恐らくサギリの分も作っておいたのだろう。いつ起きても良いように。
サギリの胸に、温かいものが込み上げてくる。
「……いただきます」
――美味い。どの料理も実に美味で、フォークを口に運ぶ手が止まらない。味への拘りが強い方とは言えないが、そんな自分でも理解できる。
この店の料理はかなりハイレベルだ。
まずサラダ。シャキシャキとした食感の新鮮な葉物を、シンプルに塩、オリーブオイル、レモン、黒コショウで味付けされている。粉雪のように振り掛けられたパルミジャーノ・レッジャーノがコクを補い、物足りなさを感じさせない。
それにこのキュウリ! 抜群の鮮度のそれは適度な水分を含んでおり、よくある水っぽさを感じることがまったく無い。それどころか、清涼感のある味わいはチーズとオイルで少々もたついた口腔内を洗い流すのに一役買ってくれている。最初目にした際に、キュウリなんて貧乏くさいと感じてしまった自分を深く恥じた。
次にパスタ。トマトベースのプッタネスカ。ソースの量は少な目。具はオリーブ、ケッパー、それにタコも入っているようだ。上から掛けられたイタリアンパセリの緑がソースの赤と対比され良く映える。
鼻孔をくすぐる良い香りに違わない素晴らしい味わいだ。唐辛子の辛みが程よく食欲を増進させ、飽きること無く食べ進められる。タコの火の入りも絶妙で、独特な食感が良いアクセントになっている。度々口内に入るケッパーの塩気が実に心地よい。麺の茹で加減も文句の無いアルデンテで、テフロンダイス特有の滑らかな質感がこのソースには良く合っている。少し細めなのも好みだ。
初見では気づかなかったが、このプッタネスカには一部分に粉のような物が掛かっている箇所がある。それだけを掬って口に入れると、芳ばしい香りと丁度良い塩気が広がる。これはカリカリに炒めたパン粉だ! アンチョビと共に炒めることで、それ自体が旨味を含んだ調味料となっている。確か、本場イタリアでは海の食材を使ったパスタには陸の食材であるチーズを掛けない、と聞いたことがある。このパン粉はチーズの代わりに、パスタを彩っているのだ。
そしてメインの――
「スープ!! 忘れてた!」
「え、いや、大丈夫ですそんな」
ナナが唐突に声を上げ、驚いたサギリがビクッと身体を揺らす。どうやらスープを作り忘れていたらしい。
……この料理、美味なことは間違い無いが、量が多い。サギリを気遣ってのことだろうが、これ以上追加されると、流石に厳しいものがある。
「あ、そうだよね。病み上がりだし」
「はい……」
「三日も眠ってたもんね……」
「はい…………はい?」
「そうですか、三日も……」
「うん……」
食事を終え、食器類を片付けた後。サギリはナナと向かい合って座り、直近に起きた出来事を聞いていた。
「その間、その、敵とかは……」
「うんうん、全然。昨日買い出しに出掛けた時も、特に怪しい人は。あ、勿論、明るい時間帯に行ったよ」
「……」
敵スナイパーは倒したが、仲間に連絡する時間は十分にあった。一体目を倒した直後に増援を送ってきた事を鑑みれば、自分の存在が抑止力として働いていると考えるのが妥当か。
「サギリ君が居るから、襲ってこれない、のかな?」
「そうかもしれません。油断はできないけれど」
こちらへの手出しで発生するコストを考えれば、有り得る話だ。そうなると、敵が次に打つ手は何か。ヴァニタスの存在を前提にした、次の動きは。
「そう言えば、ナツキちゃんは?」
「ナツキは今日登校日なの。心配だったんだけど、明るい内に終わるし、ここ何日も大丈夫だったから……」
「奴らが狙ってるのはナナさんの方だから、大丈夫だと思います。多分、ですけど」
「そうなの?」
「多分ですけどね。……今更ですけど、寝る場所とか、ご飯とか、ありがとうございます」
「そんな! サギリ君、命の恩人なんだよ! これくらい何てことないよ」
「恩、人……」
果たして自分は、そんな大層なものだろうか。この姉妹を助けたのも、かつて手を伸ばしても届かなかった、彼女を重ねているだけではないのか。
今度こそ、守ることができたなら、この身を苛む喪失が埋まるのではないか。
そんな事は、絶対に無いと分かっているのに。
「…………あの、聞かせてもらえる? その、敵の事とか、サギリ君の事、とか」
「……そう、ですね」
「怪物……ビリジアンは、人間の姿になれる。それって、一時的なものではなく、人間社会に溶け込んでいる場合もあるって事で良いのかな?」
「ヴィリディアンです。……そうですね、その認識で合っています」
「それじゃあ、ご近所さんやお客さんの中にも……」
「無い、とは言い切れないでしょうね」
「そんな……」
サギリから敵の、ヴィリディアンという異形の説明を聞くのはまだ二回目だ。サギリの体調や敵の襲来で機を逸し続け、現在に至っている。
「ただ、彼らの多くは直接的な争いは望まない、”傍観派”と呼ばれる存在のようです。いきなり顔見知りから襲われる、という事は無いと思います」
「傍観派……」
「ええ。彼らは、大別すると三つの派閥を持っています。種としての目的のため積極的な行動をする”主戦派”。人間を攫っているのもこの派閥です。目的は同じくしているものの、積極的には関わろうとしない”傍観派”。そして、何らかの方法で二種族の共存を図る”共生派”……まだ会ったことはありませんけどね」
当然のことながら、サギリの語る内容は、ナナにとって驚愕すべき事ばかりである。
ホラー映画に登場する怪物ならば、正体が明らかになるほど恐怖心が治まっていくものだが、これが実際に身近に潜んでいるとなると……その輪郭が鮮明になるほど、怖さや気持ち悪さが増大していく。
「種としての目的、って言うのは……」
「ヴィリディアンの最終的な目的は、人類の絶滅です」
「ぜつ、めつ……」
「――ヴィリディアンの能力に、相手が理想とする容貌や性格に、自身を変化させるというものがあります。容貌と言っても、微表情が好ましく変わるというか、そのくらいなんですが。まあ要は、種として非常に好かれやすいんですね。……そして、ヴィリディアンと人間とは、一応生殖が可能です。ただし、産まれる子供は必ずヴィリディアンになる」
「! それじゃあ……」
「つまり、放っておいても、いずれ人類は滅びる運命にあります。積極的に動かなくても、ね」
ヴィリディアンとは、ヒトという種を、それと知られないまま滅ぼすことが可能な種族。すでに静かなる侵攻ははじまっており、多くの人類が”取って代わられている”と言う。それではまるで、映画そのものではないか。
「なら、傍観派っていうのは」
「……情が湧く、みたいですね。勿論、人類を滅ぼすという目的は変わっていない。けれど、どうせいずれそうなるのだから、態々動く必要は無い。自分と、自分の家族が平穏ならそれで良い。そう考えるヴィリディアンが増えているのだとか。人と交わり過ぎたことが原因とも考えられますけど、因果関係は不明です」
あのような恐ろしい怪物にも、ヒトと同様の感情があるらしい。滅ぼすために近付き、長く過ごす内にその情に絆されるというのか。
「それなのに、主戦派っていうのもいるのは?」
「想像でしかありませんが……我慢ならないのでしょうね。地上を、人間が支配しているのが」
「……」
少し頭を整理しなくては、今語られた内容を自分の中に落とし込めないだろうと、ナナは感じた。
「僕が話せるのは、こんな所です。……すみません、変な事に巻き込んでしまって」
「それは、サギリ君のせいじゃ――」
その時、店の壁に掛けられた大きな時計が鳴り出した。サギリが起きてきたのは、確か十時前だったはずだが、いつの間にか二時間も経っていたようだ。
「あ、ナツキ、もうすぐ学校終わる頃」
「学校……登校日?でしたっけ」
「うん。サギリ君の時は無かったの?」
「無かったと思います。と言っても、限界集落で、授業と夏休みの境目も曖昧な学校でしたから……」
「そ、そうなんだ。……ナツキの迎えに行かなきゃなんだけど、体の調子が良いなら、一緒に行かない?」
「……そうですね、行きましょう。ちょっと手足も動かしたいですし、ナナさんも心配ですし」
「よかった! 終わるのが十二時半で、学校がここから歩いて二十分くらいだから……洗い物は後にして、もう出ましょうか」
◇豊吾小学校
授業――と言っても退屈なビデオを見るだけの内容であったが――の合間、ナツキはレオウに詳しい話をせがんだ。
とは言え、大方の話は朝に語った内容ですべてであったので、残ったのは本当に細々とした内容のみであった。気を良くしたレオウが、途中から明らかにそれとわかるホラを交え始めたので、ナツキは激怒した。後ろで様子を伺っていたヒマリが、それを見て泣いてしまった。
担任から解散の旨を伝えられると、なおも話しかけようとするレオウをもう用済みとばかりに無視したナツキは、ヒマリと共に下駄箱に向かったのだった。
「あ、あれ、ナツキちゃんのお姉さんじゃない?」
「あ、ホントだ」
昇降口から校門の方を見ると、向こうもこちらを視認したのか、姉のナナが手を振っているのが見えた。
隣にはサギリの姿もあった。
「サギリお兄さん! 目、覚ましたんだ」
「……ナツキちゃんの知り合いのひと?」
「うん、とおい親戚で、いそーろーしてるの」
「い、居候……」
ナナと話し合った結果、サギリを紹介する際は、祖母と縁のある親戚とするのが良いだろうと決まっていた。
「い、いそーろーだけど、お店を手伝ってもらうよていだから、お仕事はするよ!」
「バイトさん?」
仮にも命の恩人を居候呼ばわりしたことに、流石のナツキも罪悪感を覚えた。詳しい事情を説明するわけにもいかないなりに精一杯のフォローをしつつ、ナナの元に合流するのだった。
ヒマリの家は古書喫茶の近所であるため、そのまま一緒に下校した。人見知りしがちなヒマリと、自分からは口を開こうともしないサギリとの距離はまったく埋まらなかったが、それなりに楽しい時間ではあった。
そうしてヒマリと別れた後、ナツキは今日学校で聞いた怪物事件を伝えた。
「――ありがとう。場所はわかる?」
「え、うん」
「まさか今から行くの? 結構距離あるよ?」
「変身すれば、早く走れるので。……ちょっと疲れますけど」
「走るって……あ、そういえば!」
ざっと話を聞いた段階で、すぐさま向かおうとするサギリに対し、ナナが待ったをかける。
「家に良いものがあったの、思い出した! もうすぐそこだから、一旦『ClamPon』まで帰ろ!」
「……わかりました」
渋々といった様子で了承するサギリ。流石に、走って向かう案はあまり好ましくなかったようだ。
古書喫茶の方角に向き直ったサギリは、ナナとナツキの手を取り、歩き始めた。
「ちょ、歩くの、はや!」
◇古書喫茶『ClamPon』、裏手
「じゃーん! おばあちゃんのなんだけど、私乗らないし、サギリ君に貸してあげましょう!」
古書喫茶の裏手は手狭なガレージがあり、サギリ達はその中にいた。
ナナが得意顔で披露したそれは、大型バイク。赤と黒を基調としたカラーリングと鋭角なデザインは、とてもご高齢のおばあさんの所有物だったとは思えない。
「すごい……」
感嘆の声を漏らすサギリの隣で、ナツキは少し悲しそうな顔をして、ナナに問いかけた。
「おばあちゃん、サギリお兄さんに貸しても、ゆるしてくれるよね?」
「――うん。正義の為だもん。許してくれるよ、きっと」
ナナはナツキと目線を合わせるため膝を折り、そう応えた。
「――ひとつだけ、聞いてもいいですか?」
「うん」
そのナナに対し、サギリが問いかける。
「――バイクって、普通免許で乗れるんでしたっけ……?」
サギリはペーパードライバーだった。
◇キャンプ場、入り口
「ここか……」
サギリは、ナツキから聞いたキャンプ場に来ていた。古書喫茶を出て運転することおよそ二時間弱。慣れればもっと早く来れそうな距離である。
サギリは駐輪スペースを探す。普通免許で乗ることが許されるのは、原付までであった。
このキャンプ場では、駐車も駐輪も明確に別れてはいないようなので、適当な場所に停める事にした。
(……)
サギリは、何となく、停まっている大型二輪から離れた位置を選んだ。
「そうですか、また何かあったら、ここに連絡を下さい」
「捜索隊を組まにゃならんな。しかし、これほど大量とは……」
話に聞いた林道に向かってキャンプ場内を歩いていると、警察らしき人物らが管理人らしき人物に聞き取りを行っている現場を目撃した。
少なくとも、この辺りで何かがあり、それが露見しはじめているのだろう。
(相当派手にやっているみたいだが……事件になっているなら、もうここには居ない可能性も……)
だとしても、手掛かりが残されているかもしれない。
サギリは奥へと進んでいった。
◇キャンプ場、林道
ナツキの同級生の話では、怪物の居た詳細な場所までは判然としなかった。ここからは、地道に探す他無い。
(衛星写真……)
この林道はゆるやかに蛇行しており、林の奥に進んだはずが林道に合流することもあると言う。そこで、予め衛星写真で林道の配置を把握しておき、より敵の潜んでいる可能性の高い”奥”へと迷わず向かえるよう準備することにした。
これは、ナツキの案だった。
(こっちか)
サギリは迷い無く進んでゆく。林の奥へ。その先に待つ、敵のもとへ。
◇某所
「それで、状況は」
いつもの薄暗い部屋に、いつもの顔触れ。ただし、緊迫した空気は常のものでは無い。
「はい。比較的、即応可能であった中級を三名、アルファ確保の任に就けてあります」
「……少ないな」
「元々下級の領分ですし、中級は普段、組織運営に回っている方が多いですからね。人間社会での顔も維持しなければならないとなると……致し方無いのでは?」
「そんな事は言われずとも分かっているッ!」
瓜生の補足を聞いた四方木が吼える。そこに、普段の超然とした態度は失せていた。
……無理もない。我々《ヴィリディアン》にとっての、天敵が現れたのだから。
「お二方とも、冷静に。……峯曽さん、それで、方針に関しては」
「先日お話した通り、各々に任せております。下手に連携をとらせ、苗床の場所が漏れでもしたら事ですので」
「急場凌ぎとしては、そうするほか無さそうですね」
中級ヴィリディアンは、人間社会において要職に就いていることが多い。先日倒された藤稔が勤めていた銀行も、支店長は中級ヴィリディアンである。
先の任務のような急な出勤予定の変更も、上司が身内なら問題にならないのだ。藤も今頃は、転勤か一身上の都合での退職という扱いになっていることだろう。
「御老公、疑うわけではないのだが、”計画”の方は……」
幾分か落ち着きを取り戻した四方木が、御子柴に尋ねる。
「順調ですよ。教え子達が頑張ってくれています。――これで、私の仮説が正しかったと証明できる……」
「悲願でしたものね」
御子柴が感慨深そうに瞑目した。
この”計画”の中核を担うのは、かつての御子柴の研究成果だ。それが一体どのようなものなのか、門外漢たる峯曽は十分に理解しているわけではない。しかし、ここ数年の支部の行動指針は、明確にその上に立脚している。
ゆえに、四方木の懸念はよく理解できる。一方で、事ここに至ってそれを疑問視する胆力など、峯曽は持ち合わせて無かった。
「――では、必要数のアルファの確保、ひいては計画の完遂を最優先目標とすることで、問題ないでしょうか」
「ええ」
「……ああ」
「結構。……峯曽さん。配置に関する検討と調整は、これまで通りあなたに一任します。中級の方々は戦力の要です。くれぐれも、よろしくお願いします」
――戦力。
これは組織としての計画の遂行に欠かせないという意味でも、単純な戦闘力と言う意味でもある。
「はい、必ずや」
戦闘力で言えば、上級ヴィリディアンだからと言って、下級や中級に勝るわけではない。上級ヴィリディアンの存在は、儀式的、象徴的意味合いが最も大きい。まず家格が重要視され、次いで多くの同胞を束ねる知性が求められる。
リーダー格の御子柴連翹は、本家筋の出。前者だ。
瓜生薊は後者で、上級と認められてから日も浅い。
四方木槇彦は、そのどちらでもあると言えた。
そして全員が、単純な戦闘力という意味では、下級の平均に劣る程度であったはずだ。
(……)
自身が、組織の最大戦力の一端を担うことは自覚している。しかし、果たしてアレと相対した時、どこまで通用するのだろうか。
「そうだ、峯曽さん。猫柳さんとはお知り合いでしたか。あれから、どうされました」
部屋を辞去しようと、ドアノブに手を伸ばした峯曽の背に声が掛かる。
「……ええ、近い内に、ヤツの小屋にでも向かおうと思っております」
「そうですか……」
「……では」
空々しい空気に耐えかね、峯曽は今度こそ退室した。
◇林道
(何かがおかしい……)
サギリは強い違和感を抱いていた。
(なぜだ……?)
抱いた違和感は、今や困惑へと変わっていた。この林の何が自分を惑わせるのか。その正体を探らねば、この問題は解決しないだろう。
(奥へと進んでいたはずなのに、なぜ毎回林道に出る……?)
サギリは迷っていた。
(いや、考えようによっては、これは好機だ。敵は林道を歩くキャンプ客を狙っていた。なら、林道の方がむしろ遭遇する可能性が高いはずだ)
ふと、甘い香りを嗅いだような気がした。
「もしかして、あなた」
いつの間にか、林道の先に、真っ赤な服を着た女が立っていた。
「話には聞いているわ」
甘い匂いが、強い。頭が、ガンガンと、する。
「ようこそ、そして」
考え、が、まと、まらな――
「さようなら」
第5話 「真紅に染まる」
次回―――
(菊池藻治、桃屋麻夫、そして……蘇芳美鈴)
『もう本当に弟になっちまうか! なー、エンジュ?』
『もー! お兄ちゃん!!』
「今度こそ、さようなら」
「形態、連携」
『Glac-Igni』
第6話 「氷と炎」