第2話
第2話
「まさかっ、そんな、はずは!」
緑の異形が狼狽える。
「そう。これが虚無だ。お前たちにとっての、ね」
赤い異形が手をかざすと、そこに炎が渦巻く。大蛇と化したその炎は、緑の異形を包み込んだ。
「ぬぁぁあっ?! 火が! 火が!!」
緑の異形は激しく取り乱し、炎を消そうと必死に手の蔓を振り回す。
「今のうちに逃げて」
いつの間に来たのか、ナナとナツキの側に赤い異形が立っていた。先程までの金縛りにも似た状態が解けている。今なら動けそうだ。
「……あなたは?」
「そんなこと、聞いている場合じゃないでしょ」
そうだ、呑気に話している場合ではない。しかし、なぜだろうか。この赤い異形の側にいると、不思議と安心感のようなものが湧き上がってくる気がするのだ。
「あ、熱! あつぁ! あつ……くない?」
炎に焼かれて恐慌状態だったはずの緑の異形が、理性を取り戻す。
「……隙を見て、その子と一緒に逃げて」
虚無と、そう名乗った赤い異形は、緑の異形に向き直る。
緑の異形の手には炎がまだ燃え続けている。しかしそれは異形の言う通り幻の類らしく、何ら痛痒を与えていないようだった。
「この炎、幻か? どういうことだ……?」
「時間稼ぎのつもりさ」
言うが早いか、赤い影が躍りかかる。上段からの手刀。それも炎を纏った手刀だ。
「虚仮威しを! タネがわかっていればそんなもの!」
緑の異形が左手を掲げ迎撃体勢をとる。掲げた左手の一部が瞬時に膨張し、棘のある卵型となる。右手は抜き手の構え。手刀を受けると同時に鳩尾を突く算段だ。
「フッ!」
しかし、赤い異形は間合いの外で手刀を振り抜く。手に纏っていた炎が伸び、緑の異形を襲う!
「ぬ?! がぁぁあ!」
炎が緑の異形の左腕を焼く。熱い! 先程とは違い、身体を苛む熱は現実だ!
「油断しているからさ。そら!」
隙を与えず、今度は炎を纏った回し蹴りが繰り出される。二連、三連! 勢いをつけた回転が連続で襲いかかる! 蹴りの間合いに対し、両腕による反撃は困難。耐える他無い!
「うっ、ぐっ、ごぁっ」
緑の異形は、膨張した腕部でこれを防御しようとする。しかし、纏った炎による追撃は防ぐことができない! 距離を取るべく、蹴りの勢いにあえて身を任せて吹き飛び、地面を転がることで消火を試みる。
「ヴァニタス――! まさか実在したとは……報告しなくては、このままでは!」
緑の異形の能力は、近接戦闘に特化したものだった。彼に抗する術は無く、先程開いた距離を利用しての逃走は自然な判断だった。しかし――
「逃げられるとでも?」
すでにクラウチングスタートのような姿勢をとっていた赤い異形は、その脚に炎を巡らせ、走り出すと同時に解き放った。炎の推進力を得、地面と並行に跳躍する。逃げる緑の異形に瞬時に追いつき、その勢いを乗せた肘打ちが炸裂する。
「ぐぇあ」
鈍い音を立てて地面に縛り付けられた緑の異形。ダメージは深刻で、起き上がるのにも時間を要する。赤い異形がその背中を踏みつけ、頭部を持って上体を反らせる。
「あぁああああああああっ!!!」
緑の異形は苦悶の声を上げる。無理もない。赤い異形の両の掌は未だ炎に覆われており、今この瞬間も燃え続けているのだ。
「これで、終わり、だ」
赤い異形がそう言うと、その持ち上げた頭部は巨大な炎に包まれた。眼窩や口腔と思しき部位が、炎に舐められ焼け落ちていく。寸刻の後、緑の異形は跡形も無く燃え尽きた。
「……」
ナツキを抱きしめながら、ナナはその一部始終を見ていた。結局、突然の出来事に逃げる暇も無かったのだ。
「あれ、まだ居たんですか」
赤い異形がこちらに向き直る。すると、異形の身体が周囲に霧散するようにして消滅した。現れたのは、後からやってきた青年。『変身』する前の姿だ。
「大丈夫ですか? ケガとか、してないと、いいん、だけど……」
こちらを気遣いながら、青年が歩いてくる。が、途中で少し蹌踉めき、そのままその場に倒れてしまった。
「えっ、あ、君大丈夫?!」
ナナはナツキから一旦身を離し、倒れた青年に駆け寄る。変な倒れ方には見えなかったが、先刻の超常的な出来事の後だ。どのような影響があるのか想像だにできない。
「……ああ、すみません。つかぬことをお聞きしますが、この辺に何か食べられる所、ありますか? 昨日から何も食べて無くて……」
◇古書喫茶『ClamPon』
「ごちそうさまでした。おいしかったです」
「お粗末さまでした」
ナツキと協力し、ふらつく青年をなんとか連れ帰ったナナは、皆で食卓を囲むことにした。
聞きたいことは沢山、本当に沢山あったが、椅子に座るなりウトウトと船を漕ぎ始めた青年に詰問するのは憚られた。落ち着いた今、改めて思い返せば、眼の前の青年は命の恩人なのだ。好奇心を優先し、悪印象を持たれるのは本意ではない。
「いや、ホントおいしかったです。まさかお姉さんの家が喫茶店だったとは」
買い出しに出たとは言え、食材は二人分しか用意が無かった。残り物や、明日店で出すために仕込んでいたものも使い、何とかそれなりのメニューを仕上げることができた。
サラダはブロッコリーと人参、じゃがいも等の温野菜に、アンチョビを加えたマヨネーズソースで味付けした簡単なもの。汁物として、リーキと百合根のクリームスープ。ソテーかポワレにしようと買った鰆は二切れしか無かったので、満足感を出すためにムニエルに変更。付け合せには、乾煎りした舞茸、ぶなしめじ、エリンギにコンソメをに含ませたものを用意した。食後のデザートは、シンプルゆえに奥の深いムラングシャンティ。……せっかく買ったアーティチョークだが、今晩はとりあえずおあずけだ。
青年は、料理を口に運ぶなり目を見開き、時折感嘆の言葉を漏らしながら食べていた。あんな戦闘をした人と同一人物とは思えないほど、純粋に食事を楽しんでいるようだった。意外だったとは言え、美味しく食べてもらえたのなら、そこに不満などあるはずも無い。
「まぁね。うちのお姉ちゃんの、数すくない特技」
憔悴していたナツキは、温かい食事で人心地がついたようで、いつもの生意気な口ぶりが戻りつつあった。
「少ないとは聞き捨てなりませんなぁ、他にも得意なことあるよ! お皿洗いとか、下拵えとか……」
「……ぜんぶ炊事じゃないですか?」
和やかな雰囲気だ。しかし、先程の事態はとてもではないが看過できるものでは無い。ナナは気を取り直すと、青年の顔を見つめながら切り出すことにした。
「……改めまして、この古書喫茶のオーナー、伊佐戸ナナです。こちらは妹のナツキ。先程は危ない所を助けていただき、ありがとうございます」
「いやいや、たまたま通りかかっただけです、そんなそんな」
「えっ軽?! そんなんじゃ済まないじょーきょーだったじゃん! 聞きたいこといっぱいあるんだけどっ!」
想像以上に軽い返答に、ナツキのツッコミが入る。あれほどのことがあったと言うのに、青年はヘラヘラと笑っている。まるでナンパから助けた程度のテンションだ。
「……あの、そちらの事、伺っても?」
「あ、はい。蓮裏サギリと言います」
「びり、じあん? 絵の具の?」
サギリと名乗る青年の話は、すぐに理解や納得ができるものでは無かった。この世界には、ヴィリディアンと呼ばれる人間に化けた怪物が存在し、彼はそれらを絶滅させるために戦っているのだと言う。怪物は時に人を襲い、何らかの目的で拉致していくらしい。
「ヴィリディアンね。僕はそれを、滅ぼさなくちゃいけないんだ」
昨日までなら世迷言と一蹴したであろう内容だったが、あんな体験をした後ではそうも言っていられない。現実に存在するのだ、怪物が。そして、それと戦う者が。
「怖がらせたら申し訳ないんだけど、一度狙われたって事はまた襲われる可能性が高い。どこか身を隠せそうな所に心当たり、無い?」
「そんなこと言われても……」
そんな場所に心当たりのある人間とは、果たしてどんな素性なのか。身を隠す定番といえば田舎のおばあちゃんの家だが、ここがその田舎なのだ。
……警察に相談して、信じてもらえるだろうか。
「あ! じゃーさ、サギリお兄さんがここに住めばいーじゃん!」
「ナツキ?!」
言い淀んでいる間に、ナツキがとんでもないことを言い出す。
「空いてる部屋は何部屋かあるし、近くで『ぼでぃーがーど』してもらうのがいちばん安全じゃない? サギリお兄さんは腰を落ち着けて怪物を退治できる。私達は安心できるし、お店も手伝ってもらえる。『うぃんうぃん』でしょ?」
「え、お店手伝わされるの……」
突拍子もない意見のように思えたが、まだあの怪物に狙われていることが事実なら、ベストな提案なのではないだろうか。
年頃の男性と一つ屋根の下、と言う状況に思う所が無いでもないが、そんなことを言っている場合ではないのだ。しかし青年はあからさまに乗り気ではなさそうな様子。ナツキのためにも、ここは何としても押し切らねば。
ナナは意を決した。
「……サギリくん、行く宛はあるの?」
「えっ、無いと言えば無い、です。あれ、これ住み込みの流れですか?」
「この家、女二人で、心配なの」
「あ、う」
「良かったら、近くで守ってもらえると、ありがたいんだけど」
「近い、近いです!」
「今ならっ! 三食っ! 昼寝付きっ!」
「わかったわかりました! お部屋お借りします!」
サギリはナナの圧に屈し、こうして古書喫茶に新しいバイトが増えた。
◇???
「葛西さんから、連絡が無いようですが?」
某所。
その部屋には、三つの影が立っていた。薄暗さもあり、容貌は杳として知れない。連絡役である峯曽夾丞の主たる役割は、下級ヴィリディアンの統括とその活動実績の報告にある。
「はい。独自に見つけたアルファ候補と会うとのことでしたが、その後の消息は……」
「連絡役は、監視していなかったのですか?」
「……独りの作業を好む方でしたので」
「ふむ……」
峯曽は五十代半ば。同年代の知己との折り合いは良いが、若い世代のヴィリディアンには些か反抗的な者もいる。かつての苦労を知らぬ、恵まれた世代だ。
葛西鳳梨は、他の多くの下級ヴィリディアン同様、アルファ候補――偉大なる計画の贄――を見つける任に就いていた。先日、担当地区で発見した候補者の下調べが済み、今日決行の予定であったのだが。
「対象について把握しているのは?」
「私が。と言っても、氏名以外は住居くらいですが……」
「最近、下の者達の独断専行が過ぎるのでは? 派手に動いた結果、警察が嗅ぎつけつつあるという報告もあります」
若い女の声がそう問い質す。
「そちらは心配要らない。既に手を回してある」
それに、黙していたもう一方が応える。こちらは若い男の声だ。あらゆる組織に根を張るのが彼らのやり方だ。警察とて、それは例外ではなかった。
「……まずは、その住居に向かい、対象の様子を確認する方向で進めて下さい。必ず複数名で事に当たらせること。頭数は揃っているはずです」
「仰せのままに」
葛西は性格的には問題があったが、決して実力で劣っていたわけでは無かった。
計画遂行のための手配は急ぐ必要がある。だが、候補は慎重に選ばなくては。
峯曽が退室し、部屋には上級ヴィリディアン達が残された。かねてよりの計画についての話し合いが、今は最優先。些事に拘う余裕は、時間的にも精神的にも無い。
(しかし――)
先程の報告が気掛かりだ。音信不通になる事態など、それこそ突然の出奔くらいなものだ。そうで無いのだとしたら――いや、身体能力的に、ただの人間がヴィリディアンに抗えるなどとは考えられない。
(まさか、な)
老齢の男、御子柴連翹は、浮かんだ懸念が杞憂であることを願った。
いずれにせよ、計画は前倒しにする必要がある。
◇市内
「うーん、また空振りスね」
新人刑事の青葉繁が、頭を掻きながら言う。ベテランの鷹山廣と組み、行方不明者のネット上の友人を洗っているのだが、今のところ手がかりは皆無だ。
「所詮は会ったことも無い者同士、仕方ないだろう」
「タカさんの言う通りですけど、他に宛も無いんスよねぇ……」
直近で行方が分からなくなったのは 三名。どのケースも、目撃者はおろかトラブルや周囲が気付くような異変も無かった。これ以前にも起きている数名の行方不明者も同様であり、一連の事件は既に手詰まりの様相を見せている。
――事件。そう、少なくとも鷹山の勘はこれを連続した事件だと判断している。
「こうなってくると、やはりタカさんの睨んだ通り、何らかを目的とした連続拉致って線が濃そうスね。若年女性……臓器か、人身売買か」
「先入観はなるべく持たずに物事を見ろ。時には勘で動くのも大事だがな、捜査中はフラットな視点を忘れるな。見落とすべきでない物を、見落とす可能性がある」
「了解です。……ちなみに今の、”flaっと”にかけたりしてます?」
「お前なぁ……」
『flaっと』は、数年前にサービスを開始した国営”半匿名”SNS(Social Networking Service)だ。登録にはマイナンバーとの紐づけが必要であり、ユーザー間での匿名性は維持しつつも管理者側には個人情報が握られているため、一定の安全性が担保されている。高性能なフィルタリングも備えており、民間のSNSよりは安心、と親の許可が降りやすかったため、小中学生を中心に普及。今では国内最大級の勢力を誇っている。
今回の被害者もその”flaっと”ユーザーであり、警察ではその繋がりを洗っているのだ。
犯人と被害者は、顔見知り以上の関係であるケースが殆どだ。今のところ、複数の被害者と面識のある人物は上がっていない。それぞれの事件にはやはり関連性が無いのか、それとも……
(若い女なら誰でも良いのか。まったく、厄介なネタだ)
鷹山の勘が、この事件が長期化すると告げていた。
◇古書喫茶『ClamPon』、早朝
翌朝。
臨時休業にしようという案もあったが、この日は営業することにした。体を動かしていたほうが気が紛れると、そんな気がしたのだ。あまり休業してしまうと、食材が無駄になってしまうし、それに――
「サギリ君に、仕事覚えてもらわないとね!」
「…………朝、早いんですね」
サギリは未だ寝ぼけ眼だったが、昨日はよく眠れたようだ。
「ウチは昼からだけど、その仕込みもあるからね。昨日出来なかったから、急いでやらなくっちゃ!」
「なんか元気満タンですね……」
ナナは日の出と共に目が冴え、二度寝などしたことが無いという、超朝型タイプだった。
その時。
店の扉に備え付けられたベルが音を鳴らす。誰かが来店したのだ。
「あ、すみません。うちモーニングはやって無くて――」
応じるナナ。客と思しき男が、そちらを向く。四角い眼鏡を掛け、スーツを着こなす、インテリ風の優男だ。
「……アルファ候補か。葛西さんは一体何をしているんだ」
優男の呟きが、ナナを硬直させる。それは昨日の襲撃の際に耳にした単語と同じもの。サギリには聞きそびれてしまったが――昨日の異形も、自分のことをアルファと、確かにそう呼んでいたのだ。
「一緒に来てもらいます。あー、そうだ。あなたの口座に不審な動きが見つかりましてね――」
優男が棒読み気味にそう切り出した、その瞬間。意識の外からの衝撃が彼を襲った。店内に居たサギリが放った飛び蹴りが炸裂したのだ。両者は扉から店の外へと吹き飛んでいった。
「きっ貴様! 何を――」
「ヴィリディアンはすべて滅ぼす。例外無く、ね」
そう告げるサギリの腰に、奇妙な装飾のついたベルトが出現した。
彼は、ベルトの左ポケットから赤く透明な球体を取り出す。
「変身」
『Igni』
球体をベルト右端の孔に嵌め込むと、炎の柱が立ち昇る。次の瞬間には、柱の内側に向かって炎が渦を巻き、それはサギリを覆う鎧と化した。
「!!!」
優男の顔が驚愕に染まる。しかし、動転している場合ではない! 何とか気を取り直した男は、防御姿勢をとるかのように顔の前で両腕を交差させた。するとその身体が瞬時に蔓に覆われ、ヴィリディアンとしての本来の姿が現れた。
緑の異形。その姿は昨日の怪物との類似点が多い。目につく違いとして、眼の前の異形の両腕には、拳大の紫がかった球体が、夥しい数備わっている。
「まさかヴァニタス?! 実在したのか?!」
「反応がワンパターンだな」
言うと同時にサギリが仕掛ける。炎を纏った右フック! 顎目掛けて放たれた必殺の一撃はしかし、すんでの所で回避された。
「……器用なことだ」
仕留められるはずの間合いだった。
これを回避した絡繰は、敵の体表から伸びた蔓にあった。手近な樹木に絡まったそれが本体を引っ張ることで、ヴァニタスとの距離を稼いだのだ。移動量はそう大きくは無いが、近接戦闘のレンジでは十分な機動力である。
(頭の切り替えが早いタイプか。厄介な事を考え付く前に、叩く)
敵が飛び退くのなら、それを計算に入れ射程を伸ばす。昨日振るった手刀の再現だ。腕から離れるほど炎の威力は減衰するが、一瞬足を止めさせることができれば、それで良い。
「ッ!」
フックを放ち終えた右掌を手刀に変え、逆袈裟に抜き放つ。
「くっ! 一旦落ち着いて下さい。貴方は本当にヴァニタスなのですか? あの?」
炎の手刀は、向かって右方向への急速移動によって回避された。いつの間にか、四方八方に蔓が張り巡らされており、敵はあらゆる方向への移動が可能な状態となっていた。
(この動き、クロスレンジから瞬時に逃れることに特化している……距離を空けさせるわけにはいかない)
サギリが両腕を高く掲げると、それに呼応するように炎の壁が屹立する。敵の左右への移動が制限される!
「なっ!」
流石の敵も、咄嗟に反応ができない。逃げ道は封じた。後は炎を推進力とした突進で敵を穿つのみ。サギリが予備動作として身を屈めたその時だった。
――パァンッ
乾いた破裂音。左方向からの衝撃がサギリを襲う。眼前の敵は動いていない。遠方からの攻撃、狙撃だ!
「ぐっ……」
衝撃の方向から狙撃位置を予測し、何とか遮蔽物に身を隠す。小公園の噴水だ。
――新たな敵!
単独と思い込んだのが仇となった。噴水は公園の規模同様、それほど大きく無く、立ち上がれば胸から上は隠れることができない。追加の狙撃は今の所無いが、先刻の威力を幾度も受ければ遮蔽としての用をなさなくなるのは時間の問題だろう。何より、この瞬間を眼の前の敵が見逃すはずも無く――
「……肝が冷えましたが、これで形勢逆転ですね。さて、この距離は私にとって都合が良い。色々と聞きたいことはありますが、この好機は逃せない!」
前方に突き出した敵の両腕から、紫の球体が大量に発射される!
「!!」
サギリは、腕に炎を纏わせこれを防御。恐らくは彼らの身体と同様”燃えやすい”であろう球体の威力を少しでも減じるためだ。だが、球体は焼失するよりも早く着弾し、減ぜられなかった運動エネルギーがヴァニタスの装甲に着実なダメージを与え続ける。
実体の無い炎の壁を維持する余力は無い。
「貴方が力尽きるのが先か、私の果実が尽きるのが先か……もっとも、尽きることなど無いのですが!」
そう言い放つ敵の蔓、間合いの調整に使用していたそれは、今や周囲の地面に潜っている。十中八九、あれで球体の生成に必要な水分を補充しているのだ。
「老害の戯言、伝説の類と思っていましたが、噂ほどでも無いですねぇっ!」
敵の言葉通り、球体は留まるところを知らない。先程の狙撃者も、位置を変えてこちらを狙ってくる恐れがある。多少無茶をしてでも、この状況を変えなくては。
「中距離、型か。なら」
サギリは両腕のガードを右腕のみに切り替える。必然、腕と身体へのダメージが増大する。
「! 何を――」
「これなら、どうかな?」
自由になった左手が、左のポケットを探る。その手には、青白い球体が握られていた。
「形態、チェンジ」
『Glacies』
吹雪が。
凍てつく猛風が吹き荒れ、敵の球体を、敵自身をも吹き飛ばす。吹雪は竜巻となり、ヴァニタスへと吸い込まれ……
「さてと……」
そこには、その身を青白い装甲へと転じたヴァニタスが立っていた。
「冷害対策は万全かな?」
第2話 「氷の形態」
次回―――
「葛西さんの尻拭いをしろ、と?」
「サギリ君……?」
「出て来ちゃダメだっ!」
「敵わないのは承知の上。だがな……」
「竹虎! 止めろ!」
「形態チェンジ」
『Insectum』
第3話 「狩りの領域」